二度目の生
窓から差し込む陽の光を浴びて、瞼を開ける。
白いシーツに包まれた藁のベッドから降りて、欠伸を一つ。
いつもの部屋に、いつもの薄いシャツとズボン。
自室には物心ついた時から使い込んでいる木剣や革の背嚢が転がっている。
十五歳になった今でも、何一つ変わっていなかった。
前世の記憶が戻ったのは四歳のころだっただろうか。
二度目の生を受けた俺は、王都から少し離れた場所に位置する農村に生まれ育った。
テオという名前で呼ばれるのも慣れてしまった。この世界の言語も不自由なく話せる。
読み書きは、簡単なものであれば、といった程度だ。
難しい表現さえ使わなければ、ちょっとした手紙くらいは書けるようになった。
世界情勢も少しは分かる。平たく言えばファンタジーものの世界だ。
端的に言うと、この世界は大陸中央部に存在する一つの王国に三つの人種が暮らし、
その営みを脅かす魔物がいた。
国の名はローグシア王国。
千年近く前に人型の魔物の軍勢が世界を襲い、大半の国家を滅ぼした中、
たった一国だけで奮戦し最後には勝利したという国だ。
当時の王はその年を元年としてオルセス暦という暦を作った。
以来、新たな国家が現れることもなく、大陸はローグシアの天下となっている。
「テオ、起きているのか?」
父の声が扉の向こうから聞こえてくる。
入っていいよと声をかけると、ゆっくりと扉が開けられた。
短く切り揃えられた黒髪を撫でながら、父が顔を覗かせる。
今年で三十八になるが、白髪もあまり見られない。
農作業で鍛えられた腕は木の幹のように太かった。
「今日は王都に行く日だろう。朝飯くらいは食べていけ」
「ああ、別に平気だよ」
「何を言ってる。俺たちはティタヌスみたいにできちゃいないんだ。
食べなきゃ受かるもんも受からないぞ」
父がぶっきらぼうに言い放ち、背を見せる。
ティタヌスというのは人種のことだ。
この世界に生きる人間は三つの種類に分かれていた。
一つはヒューム。これは前の世界の人間と大差ない。ホモサピエンスというやつだ。
繁殖力と技術力に優れており、最も数の多い人種だという。
世界に唯一残された国家であるローグシア王国もヒュームを中心としている。
他にもネヴァンと父が言ったティタヌスという種族がいるらしい。
らしい、というのは実際に見たことがないからだ。
ネヴァンは翼が生えていて、ティタヌスは体が大きい、くらいの知識しかない。
大人しく父についていくと、居間の木のテーブルには白いクロスが敷かれ、
母が食事を並べてくれていた。亜麻色の髪を束ねて、灰色のワンピースを着ている。
居間もそうだが、家にあるものは大抵が木と布でできていた。
この村では当たり前のことだ。王都ではほとんどの家が煉瓦造りらしいが、
ここでは誰もが木の家に生まれ育ち、暮らしている。
「あら、未来の騎士様じゃない。ご飯は変わり映えしないけど、食べてって」
母が豆のスープが入った深皿を運びながら朗らかに笑う。
自分で麦畑を持ち、決して裕福ではないが家族を飢えさせることのなかった父と、
穏やかな性格の母の下に生まれ育ったのは幸運で幸福だった。
その点では母に感謝していたし、父を尊敬していた。
前世でも親で苦労したことはなかったが、それでもありがたいことには変わらない。
三人で椅子に座り、神へ祈る。
この世界の神はアビスという名前があった。この世のすべての恵みはアビスからもたらされた、らしい。
手を組み、謝辞を述べ、木の匙を握る。湯気の立ち上るスープを掬い、息を吹きかける。
「猫舌な騎士様っていうのも格好がつかないねえ」
「なんだ、猫舌の何が悪い」
母が苦笑し、父が毒づく。見れば、父も同じようにスープを冷まそうとしていた。
今はオルセス暦913年、風の月。日本で言うところの三月で、春が大陸に来ていた。
桜はないが、様々な花が咲き、樹木が瑞々しい葉を纏う季節だ。
そして、王都で騎士団が新たな人員を受け入れる試験が行われる時期でもある。
十五歳になり成人した俺は、騎士団への入団試験を受けに行くつもりだった。
農家として畑を継ぎ、この村で一生を過ごすのも悪くはなかったが、
外の世界や騎士としての生活に憧れを抱かない若者はいない。
寝物語にとある二人の騎士の伝説をよく聞かされてきたというのもある。
楔の花嫁と呼ばれる娘を裏切りの騎士が連れ去り、
それを忠義の騎士が決闘の果てに討つというものだ。
何よりも、単純な生き方は前世で散々した。
二回目くらいは、好きに生きたって文句を言われる筋合いはないだろう。
とはいっても、いきなり騎士になれるのは貴族出身の人間だけで、
俺のような平民出身は従士からのスタートだが。下働きといえば分かりやすい。
昔は小姓として幼少期から貴族に仕え、それから従士になり、二十歳くらいで騎士になれたそうだが、
今では十五歳くらいから従士として始めるのが主流になっていた。
深皿を空にして、自室に荷物を取りに戻る。
背嚢の中身を確認し、背負う。大して重さはなかった。
それもそのはず、中身は予備の服とちょっとの保存食、そして父に持たされた三十枚の銀貨が入った小袋だけだ。
三十枚もの銀貨となれば金貨一枚半くらいの価値はある。
父も口ではああだが、色々と心配してくれているのだ。
干した草で編まれたサンダルを履いて家を出ると、父と母が手を振りながら見送ってくれた。
従士になれなくても気にせず戻ってくるんだよ、と笑っている。
まあ、それならそれで、農家として日々を送るだけだ。
もはやファレスと名乗った鎧の男との約束など、ほとんど忘れていた。
ただ、今を生きていたかった。今度こそは、納得のできる生き方がしたい。
だからこそ、王都に試験を受けに行くのだ。
選択肢があるのに、ろくに選びもせずに流されるなど、そんな生き方は一度きりでいい。
===
その日はちぎれた雲がいくつか浮かぶだけの晴れた空が広がり、寒さもなく過ごしやすかった。
柔らかい風が頬を撫で、草木をわずかに揺らしている。
王都は村から北にあった。
立ち並ぶ民家や畑を横切りながら歩いていくと、やがて建物が消えて踏み慣らされた街道が見えてくる。
そこには荷車に繋がれた黒い馬とそれに乗った男、そして見知った顔がいた。短い金髪が風に揺れている。
シャツとズボンは俺と大差ないが、革のベストに革のブーツとしっかりとした装いだった。
腰のベルトには鞘に入れられた短剣がある。
アベルという、子どものころからの付き合いの少年だ。あちらの方が背が高いが、一応は同い年である。
こちらに気づくと、口角を上げながら手を振ってきた。
「おまえはいつも通りだなあ、テオ」
「そういうおまえは随分気合いが入ってるじゃねえか。
さすがは騎士様の息子だな」
アベルをからかい、肘で小突く。やめてくれよと笑いながら肩を叩かれた。
アベルの父は元騎士という話だった。魔物との戦いで片腕がうまく動かなくなってしまい、
貯めた金でこの村に隠居していたのだ。
俺もアベルの父には散々世話を焼かせた。アベルに剣の稽古をつけていたところに割り込み、
半ば無理やり一緒に木剣を振っていた。
「俺たちも変わったな。
俺は本と剣ばっかで、おまえは喧嘩ばっかしてたけど、王都に行ったら従士だ」
「まだ従士候補だろ。気の早え奴だな」
今日、俺とアベルは王都に行き、騎士団の入団試験を受ける。
今から馬で発てば昼には王都には着く。
さっさと金を払って乗り込めと言わんばかりに、鞍の上で中年の男が鼻を鳴らす。
辻馬車というもので、金を受け取って客を指定の場所まで運ぶ商売人だった。
乱暴な言い方をすれば、タクシーを馬でやっているようなものだ。
しかし、それでも肝心な車体がただの平たい木の荷車というのはどうなのだろうか。
さすがに安上がりが過ぎるというものだ。ため息を吐いていると、
アベルが先に男に金を渡して荷車に乗り込んでいた。
「置いてくぞー」
アベルが間延びした声で言う。
贅沢を言ってもいられない。男に銀貨五枚を渡し、荷車に飛び乗った。
馬が歩き出し、荷車が揺れる。
まだ見ぬ王都や騎士団の施設に期待半分不安半分といった具合にそわそわしながら、俺たちは村を出た。
この村が、二度と戻れない場所であることも知らずに。