岩塩の週末
「おっ……。届いてる届いてる」
郵便受けに入った白い封筒を開けると、ピンク色の塊が姿を現した。
一見、宝石の原石にも見えるそれは、通販で買ったボリビア岩塩である。
「へぇ……」
天井の蛍光灯に透かしてみる。
ボリビア岩塩は鉄分を多量に含むため、一般的に流通している食塩、すなわち海水由来の塩に比べ、かなり濃いピンク色をしているのだ。
ちなみに、岩塩の色は、採掘される地域の地層に含まれるミネラル分によって決まる。
鉄分を含むモンゴル、ボリビア岩塩はピンク色。
ナトリウム以外のミネラルを殆ど含まないイタリア岩塩は白。
鉄の他に、硫黄を含有するヒマラヤ岩塩はピンクや黒、灰色がまちまちなのだそうだ。
ふと、窓の外を見ると、ビルの谷間に沈んだ夕日の残光が、空を赤とも、オレンジとも言えない、それこそ、今手の中にある岩塩のような淡い色に染め上げていた。
「お、ナイスロケーション」
キッチンの窓を開け、岩塩を空にかざし、最近買った一眼レフで夕焼けと岩塩のツーショットを撮る。
シグマレンズのカリッとした描画が、岩塩の輪郭を夕焼けに美しく映えさせ、まるで空から岩塩を切り取ったかのような写真が出来上がった。
俺はすぐにそれをスマートフォンに転送し、
『今日の主役はこれですよ~』
というメッセージと共に、黒猫のアイコンが目印の妻のメッセンジャーアプリへ送信した。
生憎、妻はまだ業務中のようで、既読は付かなかった。
■ ■ ■ ■
キッチンに岩塩、岩塩削り器、そして、帰り道で買ってきたそこそこ良い国産牛肉のランプ大小2枚。合計700gを並べる。
今日は週に一度、俺が夕飯を作る日。そして、ちょっと良いものを食べる日。
特に何か取り決めがあったわけではないのだが、毎週末、俺が手料理を作って妻を待つ。そんなことを続けていたら、知らず知らずのうちに暗黙のルールが出来ていた。
好都合なことに、俺の週末は業務が早く終わり、逆に妻は週末の残業がやや多めで、俺の帰宅から1時間ほど遅れて帰ってくる。
おかげで、少しばかり手の込んだ料理を作って妻を迎えてやれるのだ。
「えーっと……まずは肉に下味つけておこうかな」
冷蔵庫からニンニク、戸棚からペッパーミルを取り出す。
全体に、すりおろしたニンニクを塗り、続いて、挽きたての黒コショウをまぶす。
そして、そのまま常温で15分ばかり放置し、肉の温度を室温程度に上げておく。
モノの本によれば、これを怠ると肉の芯が半生で残ってしまうという。
赤身のレアは好きだが、生は食べたくはない。
肉の温度が常温になった頃、妻に送ったメッセージに既読が付いていた。
ほどなくして。
『わぁ、キレイ』
簡素なメッセージがピコンと届いた。
どうも相当お疲れのようだ。
『お疲れ様~』
と返信をすると。
「肉体疲労!」
などと書かれた猫のスタンプが飛んできた。
スタンプって何でもあるな……。
メッセージが来たということは、大体あと10分程度で妻は帰ってくる。
付け合わせの簡単なフルーツサラダを盛り付けると、俺は肉を焼く準備に取り掛かった。
■ ■ ■ ■
鉄製フライパンにたっぷりのオリーブオイルを引き、十分に加熱をする。
白い湯気が立ち上り始めたので、すかさず大きい方の肉(400g)をフライパンへ投入した。
「ジューーーーーー!!」という小気味よい音と共に肉が焼け、ニンニクとコショウのいい匂いが部屋に充満していく。
「あっ!! 換気扇!」
危ない危ない。部屋干し中の妻の服を肉の臭いにするところだった。
1分ほど表面を焼いたのち、裏返し、反対側も焼き色を付けていく。
両面にこんがりと焼き目が付いたので、火を弱め、火を通していく。
1分程度火を通し、まな板の上に敷いたアルミホイルの上へ肉を移動させる。
そのままアルミホイルで肉を包み、休ませる。
この「休み」を入れると、余熱で中まで火が通り、赤みがしっとりと柔らかく仕上がるのだという。
妻のステーキも同じように焼き、俺の肉と一緒にアルミホイルに包む。
それを見ていると、ふと、少しばかりスケベなことが脳裏をよぎった。
4年目とはいえ、まだまだ我々は熱々である。
明日はサウナか、岩盤浴のあるホテルにでも誘ってみようか……。
5分ほどの肉のショートステイが終わった頃、家の鍵が開く音が聞こえてきた。
■ ■ ■ ■
「うわー! 今日もゴージャスだね!」
開口一番。並んだ大ぶりのステーキを見て、妻が感嘆の声を上げた。
「お疲れ様。それでは主役登場といこうか」
並ぶ肉に、岩塩削り器で削った塩を振りかけていく。
手をZのような形に曲げながら振ってみたが、妻には元ネタがよく分からなかったようだ。
「「いただきます」」
と、二人向かい合って一声を交わし、切り分けたステーキを口へ運ぶ。
ヒレ肉やロース肉のように、唇で噛みちぎれる。とまではいかないが、柔らかく、それでいてしっかり引き締まった赤身が口の中にうま味を解き放ちながら、解れていく。
「最初、塩っ気が強く感じるけど、その後甘味が来て、肉のうま味が口いっぱいに広がっていく感じだね。美味しいよ」
「へー。岩塩ってこんな感じの風味になるんだな」
スパイシーなようで、甘味のような雑味があり、素材の力強いうま味を引き立たせる。初岩塩は上手くいったようだ。
「岩塩って、夫婦円満の象徴なんだってさ」
「え?そうなの?」
「岩塩って、太古の昔に埋まった塩湖が、滅茶苦茶長い年月と、途轍もない圧力の中で固まったものなんだけど、転じて、固く結ばれた絆や、風化しない愛の結晶みたいな意味合いをもつんだって」
オマケとして付いてきた、ハート形の小さな岩塩が入ったケースを妻に渡しながら、俺はありもしない謂れを語る。
「へ~! 相変わらず物知りだよね」
「まあ嘘だけどな」
「もー! アナタの嘘って、嘘だと分からないのよー!」
「ゴメンゴメン。でも、岩塩風呂で夫婦円満って謳ってるホテルもあるんだよ。明日行かない?」
「こら、食事中にエッチな話は禁止です」
眉をひそめて見せる妻だが、その頬は、テーブルの上に置かれた、小さなハートを思わせる色に染まっているように見えた。