精霊の森2.00version
残酷な描写にお気を付けください。
青年は、少女に預けていたぬいぐるみを
「所々解れてるから直したいんだ」
と言って一時的に返して貰います。
青年はぬいぐるみの解れを直すついでに、瞳に色違いのボタンを付ける気でいました。
それは、青年と少女のよく見るやり取りでした。
青年はぬいぐるみ用の服も着せよう、と楽しそうにぬいぐるみと一緒に湖に落ちます。
ですが、その行動だけは少女の想定の外でした。
湖の中、青年は美しい白い街に降りる中、迷いやすい構造のそこから一番わかりやすい教会へと向かいました。
カチャリ
両開きの大きな扉を静かに開け、中に入ります。
そして礼拝堂の長椅子の奥の女神像を見つめます。
ピシリッ
この時、女神像には所々に罅割れが入りましたが、青年は気付きません。
青年はふと、視界の端で誰かが長椅子に座っている事に気付きました。
ここで初めて、青年は少女以外の人と会いました。
青灰色の様な髪、同色の睫毛に縁取られた薄く開かれた瞳は鋭く青年を見つめていました。
蝋の様な白い肌を隠す様に華奢な身を包む黒いドレス姿は、艶と大人っぽさが際立っていました。
少女をもう一回り大人にし、美しく成長を遂げたかの様な女性でした。
長椅子で祈りを捧げていたらしい女性は、青年と目が合うと瞳を一瞬、見開かせ涙を滲ませました。
『お兄ちゃん』
震える小さな声でボソリ、と呟かれます。
「え?」
しかし女性の声は、青年には届きません。
青年は女性の反応が気になり、慌てて女性の座る長椅子に近付きます。
しばらくして女性は冷静に戻ったのか、青年が手元に持っているぬいぐるみに気付きます。
『可愛らしい、ぬいぐるみですね』
ふわり、花開く様な花弁が舞う様な、美しい微笑みを浮かべ、女性は青年に向き直ります。
青年はころころと変わる女性の表情に驚きますが、おずおずとぬいぐるみを差し出します。
青年の腕の中のぬいぐるみをじっと見つめていた女性はふと、母や兄に昔、ぬいぐるみが「どうしても欲しい」と泣いて、ねだったのを思い出します。
女性にはそれがとても懐かしく、そして忘れたい過去なのでした。
『ありがとう』
女性は一瞬、ぬいぐるみに寂しげに触れてから、流れる様に青年の腕を取りました。
女性の手は決して強くは無く、軽く触れている程度で、見た目より体温も冷たくは無かった様ですが、青年にとっては驚きの連続でした。
女性は青年を教会の奥、沢山の棺がある場所へ導きます。
そこは、様々な色合いの沢山の蝶が飛んでいました。
棺が並ぶそこの中央には、鎖と南京錠で封をされた大きな黒い棺がありました。
その棺に腰を掛け、女性は口を開きます。
「開けて」
今度は女性の声をしっかりと聞き取った青年は「どうして」、と聞きます。
青年からすれば当然の疑問でした。
錠が付いているとはいえ、外から開ける事が出来るのは青年では無く少女だと思っていたのですから。
女性は首をゆるりと振って諦めた様に微笑みました。
「もう、良いの」
女性はそう言うだけでした。
青年は「鍵を持ってない」と、言うと女性は……
「大丈夫、貴方が触れるだけよ」
そう言って、青年の掴んでいた手を離しました。
女性に言われた通り、青年は先程まで女性と繋いでいた手で錠前に触れます。
すると―――――…………
バァンッッ
少女は違和感と不安を感じつつも湖の上で青年の持っていた日記を抱き、佇んでいました。
すると、湖の底から色とりどりの大量の蝶が勢いよく少女を置いて行きました。
「え?」
ぶわあああっ
教会のステンドグラスが、女神像が割られ、壊されました。
青年が触れた棺は蓋が開けられました。
そして棺や錠前が、力任せに捻れてこじ開けられました。
全て、女性の手によって。
流石にそれは興味本位の域を超えていました。
青年は女性が教会を壊す様を見ていました。
それでも、止める事は出来ませんでした。
以前、少女が青年に語った狂気を感じたからです。
青年は、恐怖を感じていました。
青年はただ何も言えず、何も出来ずに呆然と見届けていました。
女性もそれを分かっているのか、無言で青年を引っ張り、最も安全な場所で手を離しては物を壊していました。
これらは全て無言の内に行われました。
流れ星が流れ続ける夜空。
そこに、青年は女性に腕を引かれて、湖上に出てきました。
女性の手で青い蝶が裂かれました。
青い蝶、だけが。
はらり、はらりと。
羽が勿体ぶる様に、一枚一枚ゆっくりと裂かれます。
小さな胴体と美しい羽を離れ離れにするように。
ゆっくり、もがれていきます。
ぶつり、ぶちりと小さな音が響きます。
それはもう、痛々しい程に。
女性の手は緩みません。
そして、いつしか女性の手は少女にも伸びました。
少女は呆然と手を伸ばす女性を見つめていました。
「何で……」
蝶の羽を引きちぎる女性は痛みを感じを感じないのか、唇が緩やかに歪んでいます。
少女は悲鳴を上げる事すら出来ないのか、はくはくと、口を開いたり閉じたりを繰り返しています。
その痛みや、如何ほどか。
想像に絶する、残酷さを目の当たりにしていました。
血飛沫が出ない事が、少女にとっては救いだったのかもしれません。
パリンッ
パラパラ……
ズズンッ
全ての幻が消え去る音が、していました。
迷いの森の幻は完全に消え去り1000年経っていました。
湖は既に干からびていました。
干からびていた湖の底には、小さな骨がありました。
白骨死体、でした。
それを囲うように、大小様々な白骨死体が並んで埋まっていました。
同時に、迷い人にも影響が出ました。
ピアノ奏者である唯音はコンクールに出場したが演奏後、心臓発作が起きて意識不明の重体になってしまい、死亡してしまいました。
湖の下で眠る村瀬吹雪は異変を察知して蝶と共に飛び出すも、命を助けたいと願った睦月涼の病室に着いた所で、睦月涼の母親に腕を掴まれ、あと一歩の所で届かず睦月涼と共に死亡してしまいます。
村瀬吹雪が腕を掴まれた際、身体から多量の蝶が飛び立ち、亡骸へと変貌を遂げてしまいます。
女性と共に棺の錠前に触れた青年は、迷いの森から脱していました。
何かから弾かれる様に。
青年が弾かれた場所は家の近くの森でした。
青年の手元には、祖父の日記がありました。
ページの最後には、こう書かれていました。
妹を、救えなかった。
ありがとうございました。