休息
Anotherstory、「未来」より。
迷いの森に季節は無い、それでも視界の端々に現在の季節を現す物がある。
雪の降った後があり、雪兎や雪達磨が存在して居る。
迷いの森に時間は無く、それ故に時の止まった砂時計が戯れに置いてあった。
そして、それを証明する様に時間を気にする事無くゆっくり過ごす為の物があった。
私は夜の森を綺麗な月の映る湖を眺め、蝶と共に戯れる事で長い夜を過ごしていた。
そして迷い人が現れる度、私は僅かな一時を迷い人と共に過ごす。
そうして意図せずいつの間にか、少女は精霊と呼ばれた。
精霊と呼ばれた私は今宵も迷い人と共に道を探す。
私は精霊様に全てを話した。
私の努力を認めてくれる人がもっと近くに居れば良かったのに。
薄らとそう考えた時、私は誰にも相談しなかったし出来なかったのだと思い出して、後悔した。
スランプは誰にだって起こり得る事だし、ピアノに触れていなければ私の努力は無に帰す。
誰かに止められる事も無ければ、むしろ「頑張れ」と応援される事の方が増えて、私はより一層ピアノに集中した。
ピアノを弾けなくなった場合も、弾かなくなった場合もきっと甘えになる。
だから、そう思ってずっとピアノを弾いてきたのに。
なのに、どうしてっっ!!
悔しさと、虚しさと……どうしょうもなく泣いてしまいそうになるやり過ごせない激情をどこかに逃がしたくて、両手を重ねて祈る様に力を込める。
本当は怖くて仕方ないこの感情を、表に出さないよう注意しながらなるべく淡々と語った。
それでも瞳は揺れてしまうだろうか。
「きっと、今のお姉さんに必要なのは、休息だったんだよ」
「きゅう、そく?」
「お姉さんの心は、余りにも疲れ切ってる……
……存在が薄いのはそのせいだったんだね
お姉さん、ずっと頑張ってたんだね」
私の心に精霊様の言葉がじんわりと染みる様に響く。
精霊様は同情でも慰めや悲哀でも無くただただ、優しい瞳で私の存在を肯定し、認める様に見つめていた。
その言葉は、まるで私に泣いて良いのだと言っている様で、憑き物が落ちた様な清々しい笑顔で涙をぽろりと流れた。
「あれ?
何で涙が……」
そんな私を精霊様は優しく抱きしめてくれた。
精霊様の温もりが、精霊様の言葉が嬉しくて、本当はずっと誰かに言って欲しくて仕方がなかった言葉だったと自身で今更気付いて、涙が止まらなかった。
なんで今更そんな事……
私はもっと頑張るべきだったんじゃ……
だって私は目指してるだけでただの候補生。
未熟な私がスランプなんて……
私の様々な思いが重なってまた涙が溢れた。
言いたい事は沢山あった。
伝えたい事は沢山あった。
私の涙はそれら全てを代弁する様に流れ続けた。
その後、時間は解らないが蝶を眺めたり、戯れに蝶と触れ合ったり、精霊様と紅茶を飲んだり、試しに湖の上でピアノを弾いてみた時には上手く弾けて感動したり。
そして精霊様はずっと考えていた事だったのか、呟く様に私に言った。
「お姉さんを本当に認めてくれてる人も、心配してくれてる人も居たんじゃないかな
後は、お姉さんの心の支えが必要だったのかも」
それを聞いた私は、一瞬だけポカンとしてしまった。
そんな私の表情を見たからか、精霊様は照れ臭そうにそっぽを向いてしまった。
私は、そんな精霊様の可愛らしい反応に声を上げて笑った。
精霊様も私に釣られたのか、気が付いたら一緒に笑っていた。
この長い一時を精霊様と共に過ごして沢山お礼を言った。
「……認めてくれて有難う。」
湖の畔で私と精霊様は向き合う。
「お姉さん、もう……大丈夫?」
「えぇ、私はもう自分で立ち上がれるわ
……大丈夫よ」
そろそろ……精霊様とお別れ、なのかな。
ちょっと悲しいな。
「そっか……お姉さんは自分の未来を見付けて、選んだんだね」
精霊様は本当に嬉しそうに微笑んだ。
私は最後に精霊様を抱きしめた。
精霊様も私の背中に手を回して耳元で呟いた。
「どうかお姉さんに、蝶の導きと湖の幸があらんことを」
少しずつ薄れる意識の中で精霊様の柔らかな声を聞いた。
――――――
夜明けを感じる様に瞼に光を感じて、暖かな淡い光に包まれていた意識が浮上していくのを感じる。
「……うぅん」
「唯音!
目を覚ました!?」
聞き覚えのある高い声が聞こえて私が目を覚ますと、見覚えの無い天井と、友人の顔が見えた。
そっか……
私、帰って来たんだ。
「…………おはよう」
「良かった!
このまま目を覚まさないかと思った!」
病院の病室だと知ったのは、私のお見舞いに来てくれていたらしい友人から聞いたからだった。
どうやら私はこの病室で一月も意識が無かったらしい。
その後、少しして慌ただしい足音と共に両親が病室に入って来た。
家族にも友人にも、沢山心配をかけてしまった様だ。
「そういえば、今日は私以外にも誰かがお見舞いに来たのかな?」
「え?」
「ほらこれ、綺麗な蝶のロゴが入った袋
気が付いたらここに置いてあったみたいなのよ」
……蝶
「ふふっ、きっと精霊様が届けてくれたのね」
窓の近くの棚にそっと置かれていた袋の中身は紅茶だった。
ロゴの青い蝶はさっきまで一緒に居た精霊様や夜の湖に現れる蝶を連想させる。
……有難う、精霊様。
あの後、私はゆっくりと指と感性を回復させていき、そして完全に復帰させた。
ピアノコンクールに参加し、入賞した。