2話目。
「30円から、ってどういうことだ?」
「文字通り、最低30円でお買い求め頂けるということです」
訝しげな男の問いに対し、燦爛とした笑顔を見せる少女。またも絆されそうになるが、男の疑念は晴れるはずもない。
「『30円のお湯』とやらを見せてくれよ」
「わかりました、少々お待ちくださいね!」
少女は再三ぼろぼろの荷物入れの中を探り、目当ての商品を探し始める。
男は考える。
そこらのコンビニやらでカップラーメンを買えばお湯なんて「タダ」だ。
カップラーメンを食べるのに当然必要な湯を有料にされている事そのものに納得できるわけではない。しかし、本体を安く売っている以上、どこかで吹っかけて金をせしめようとする仕組みはあるはずで、それが気になったから少女に声をかけたのは当然として自分の責任であり、そこに苛立ちは覚えない。
自分の好奇心と、ちょっとした見栄が、この無意味な冒険をさせた。
せずには、いさせてくれなかった。
自分と少女の間で繰り広げられているのは、既に「買い物」ではない。
自身の見栄と、少女が背負い運んできた「商売システム」との勝負へと変わっているのだ。
「こちら、30円のお湯が入っている水筒です」
少女が取り出して見せたのは、大型の保温構造の水筒だった。
たっぷり2リットルは入るかという銀色の容器を、心からとしか言い表せないような曇り無き笑顔を添えて両手で差し出して見せる。
「貸してみろ」
少女から水筒を受け取る。
中身がたっぷりと入っているのは重量と水音で察することができる。
カップラーメンに注ぐに足りないということはありえないだろう。
とはいえ、外から眺めていても埒が明かない。疑念を晴らすべく、水筒の蓋を開けようとした男を見て、
「あっ、開封はご遠慮ください…中身のお湯の温度が変わってしまいます」
少女が慌てて遮ってくる。確かに、開封してしまえばお湯の温度が下がり、せっかく保温能力を持った水筒で運んできた意味は無くなってしまうだろう。
もし、「30円~」という値段が意味するところが他にあるとすれば。
「これは30円払えばどれくらい使っていいんだ? さっき買ったカップラーメンには足りるのか?」
「その水筒の中身であれば全て使っていただいて構いません。
もちろん、足りるだけの量は入っていますし、もし万が一足りなければ足りるまでお湯を足させて頂きます!」
至れり尽くせり、百点満点のサポートを約束してくる。これを値千金の笑顔で言ってくるのだから、男もどんな思いで少女の前に立っているのかを忘れてしまいそうになる。
他に何か、怪しい点はないか?
このままお湯を買っていいものか?
男は真剣そのもので、罠となりうる仕組みを探ろうとしていた。
だが、彼らを遠巻きに囲んでいたギャラリーも、明るく真摯に受け答えする少女の姿に見入り、もはや不信感を保てる者はいない。
ついにはたった30円を出し渋ってああでもないこうでもないと因縁をつけようとする男の方に興味を移し始め、好奇と敵意の視線はむしろ男の方へと集中していた。
蓋を開けてしまったカップラーメンを持って立ち尽くす自分への視線や野次が冷静さをじりじりと蝕み、慎重な判断をするだけの時間と余裕を失いつつあることを、男は自覚できていない。
そして男はついに、最初の間違いを犯す。
「わかった。このお湯を売ってくれ」
男は少女に30円を支払った。