1話目。
「カップラーメン 50円です」
大きなリュックサックを背負った少女の背からは、ダンボール製の看板が高々と伸び、不自然なまでに安い商品を宣伝している。
とことこと歩み入って来たのは見たところ十代も前半の小さな少女。
身なりはその旅路の過酷さを物語るがごとくぼろぼろであったが、フード一枚隔てたその顔立ちには未だ幼さが残されており、治安の悪いこんな地域を商売で訪れるというのは並々ならぬ事情を感じさせた。
はたまた、ただの世間知らずが商売ごっこを覚えたか。
「おう嬢ちゃん。一つもらおうか」
遠巻きに小さな闖入者を眺めていた人々の中からついに痺れを切らして話しかけたのは、「治安の悪いこんな地域」に実に溶け込み馴染んだ、髭や髪が伸び放題の中年であった。
「ありがとうございます! 何味にしますか?」
弾けるような笑顔で返す少女。リュックから伸びる看板をくるりと反転させて見せると、裏側にも文字が書かれていた。
しょうゆ味、みそ味、とんこつ味、抹茶バニラ味。
言わずもがな、カップラーメンの味のラインナップである。
「抹茶バニラだぁ? 誰がこんなもん買うんだ?」
と言いたいところをぐっと堪え、
「普通のでいいよ」
平静を装って言えただろうか。
まさかいい歳をした男が、"抹茶バニラ味" 程度で動揺したとあっては、周囲に対しても格好がつかない。なんだよ抹茶バニラ味って。舐めやがって。
注文を聞き届けた少女はリュックサックを丁寧に地面に降ろし、そのごちゃごちゃに詰まった荷袋から「普通の」を取り出そうとする。
ぼろぼろの大きなリュックサックと並ぶと、町並みに不釣合いな少女の姿は殊更に小さく見えた。
よいしょ、とようやく目当ての商品を取り出し、少女が顔を上げると、警戒を隠そうともせず無遠慮に小さな売り子を眺めていた男へと差し出して見せた。
「抹茶バニラだぁ!? 誰がこんなもん買うんだ!!」
果たして、少女が取り出して見せたのは抹茶バニラ味であった。
一度堪えたはずの動揺が反動で二倍になって返ってきたようで、思わず外面を繕うことも忘れ怒鳴ってしまう。
こんなことなら一度目で声に出して驚いておけばよかった。
「えっ…あ、ごめんなさい!」
「しょうゆでいいよ、しょうゆでいいからな」
本当にただ間違っていただけなのか、素直に謝ってくる。
いけない、こんなことで取り乱しては。
気付かれないように深く息を吸い込み、動悸を鎮める。
冷や汗も幸いに背中側だけに流れてくれた。
男は小物であった。
そして同時に見栄っ張りで格好付けたがりであった。
わざわざこの小さな商売人に声をかけたのは、男の自己顕示欲の仕業に他ならない。
皆の見ている前でいかにも怪しいこのガキから一本取ってやる!!
そう意気込んで話しかけた男にとってカップ麺の味がどうの、といった些事で大きく取り乱すことは、その小さな自尊心が許してくれないのだ。
男が周囲の視線という幻想と戦っていると、今度は少女がしょうゆ味を取り出し、おずおずと目を合わせる。
うん、と承諾の合図を送り、少女に50円を手渡した。
「お買い上げありがとうございます!」
ファンファーレが聞こえるような気がした。
どれほど嬉しいことがあればこれだけの笑顔になれるのだろう、と男が感じてしまうほどに、少女の笑顔は輝きを放っている。
街の方でこんなに愛想のいい売り子がいれば間違いなくその店の常連になってしまうであろうが、その笑顔に絆されている場合でもない。
こんなに安いのだ。何かタネがあるのだろう。
話しかける前からそう考えていた男は気を引き締め、まずは底面を覗き見た。
少し日は経っているが、消費期限が切れているわけでもない。
あるいは、中身に細工があるのか?
上蓋を半分ほど開封してみるが、そこに広がっているのはよく見知った、色とりどりのかやくの平原である。
麺が入っていない、などといった大々的な天変地異も起こってはいないようだ。
「すぐお召し上がりですか? お湯もありますよ!」
受け取って早々に封を切ったのだ。空腹であると判断されるのは当然であった。
「おう、そうだな。貰おうか」
必然、迷う必要もない男は答える。
少女はそれを聞くと一段と笑顔を輝かせ、リュックサックを漁り始める。
やはり少女の流れるような対応には並々ならぬ年季を感じ、その様は年相応にはとても思えない。
よいしょ、と目当ての物を取り出す。
しかし男に差し出して見せたそれは、どう見ても水分を蓄えておける容器には見えなかった。
というか、それはぼろぼろのノートで、そこにはこう書かれていた。
「お湯 30円~」
昔別のサイトで投稿していたもののリメイクです。
今後も色々気楽に読めるものを書いていきます。
何卒ごひいきに。