もふもふの仔2
クアラに救われたあの日、わたしはものすごく安堵した。
そのせいか弱く衰弱していたこの小さな身体は熱を出した。発熱なんて久しぶりで、しかもこの子供の身体に精神が馴染まぬうちにこの状態だ。
それでもクアラがずっと傍にいてくれた。片時も離れずわたしの世話をしていてくれていたのだと思う。朦朧とする頭の中はぐるぐるとしていてただ救助を受けるだけで精一杯だった。
寂しいとか切ないとか感じることなくいられたのは、そんな中でもクアラが「ここにいる、傍らにいるぞ」とか「泣くな、俺がずっと守ってやるから」とか都合がいいかもしれないけど、そう聞こえた気がした。
「熱もだいぶ下がったようだな、具合はどうだ?」
少し硬い肉球が額に触れる。
ざらりとした感触は実家にいた犬を思い出して少し不思議な感じがした。
「・・・ん、もう、大丈夫な気がする…」
コホ、と小さく咳き込むと「無理はいけないな、ちゃんと治るまでは安静に」と水差しのようなものを口に持ってきてくれた。素直に頷いてそれを口に含む。
レモン水みたいでとても飲みやすくて、ゴクゴクと飲みすぎてしまった。
「・・・クアラ、ありがとう。いっぱい迷惑かけてごめんなさい」
助けて拾ってもらって、こんな看病までさせてしまった。
迷惑極まりない。
「そんなことを言うな、リンは迷惑じゃない。俺はお前の世話ができて嬉しいぞ」
牙が綺麗に並んだままにかっと笑って頭を撫でられた。――なんていい狼なんだろう、わたしは涙が出そうだった。
釣られて笑って「ありがとう」と掠れた声が届いただろうか。
「お前は笑った方が可愛いな。そうだ、腹が減ったろう。少し固形のものでも食べるか?アジュガの実を切ろう」
「動くんじゃないぞ」と釘を刺されながらその背中を見送る。
さらっと可愛いなんて言うから頰が熱くなった。・・・顔は赤くなってないかな。
リンが可愛い。
幼児が可愛いなんて当たり前だが、あの可愛さは尋常じゃない。アジュガの実を切りに部屋を出たがその矢先に、あの可愛さに目眩がした。
なんだこの胸のときめきは・・・、魅力的だという雌にもこんな風にはならなかったのに。
「可愛すぎる・・・」
ああ、もう誰にも見せたくないな。
このままうちで成人するまでつきっきりで世話をしようか。長の任は俺よりスマルのが適任だし、今ならすぐに代替わりしてしまえば問題ないだろう。
アジュガの実の皮を丁寧に剥き、瑞々しく橙の果肉をリンの口に収まる大きさに切っていきながら俺は思案した。
自分でもちょっと異常な考えなんだろうと自負はしている。
だがこの10日ほど、俺はリンのことで頭がいっぱいなのだ。
誰にも見せたくないし触れさせるなんてあり得ない。ミナラやリシルが見たら間違いなく犯罪者扱いされるだろう。しかし、リンに惹かれているのは確かだ。だからと言って他の幼女に興味があるわけではない。
ここ重要だぞ。
俺は決して未成熟な子供が好きなわけではない。リンだけだ。リンだけに俺は世話を焼きたいのだ。もう手とり足とり腰と・・・いや、だから世の中がなんと言おうとだな・・・。
「クアラ!!いい加減にしとけっ」
唐突にドアが蹴破られた。
この声は間違いなくリシルだ。チッ、俺とリンの幸せな時間を邪魔しやがって・・・とりあえずアジュガを待ってるリンが心配だ。
腹を空かして俺を待ち望んでいるだろうからな。
「おい騒がしいぞ!!リンが怖がるだろうから早々に散れ」
牙を剥き睨み付けしっかり威嚇しとくのも忘れない。
だがここで怯む雄ではないことを俺は嫌という程知っている。
「ハッ、それは悪かったな。そのリンちゃんを怖がらずのは本意じゃねえが、いい加減その仔を見せやがれクソ兄貴」
なぜならこいつは、血を分けた弟なのだ。まったく誰に似たんだかこの口の悪さは。
「長が幼女を拾って囲いだしたって村じゃ大騒ぎだぞ。まさか・・・本当に囲ってんじゃねえだろうな?」
囲うか、・・・それもいいな。
リンは身寄りもないことだし、まだあんなに幼い・・・一から育てていくのもいい。
「おいおい、マジなのかよ・・・どんだけ可愛いんだその仔、・・・」
ギィと、ドアの開く音がしてハッと我にかえる。
隙間からリンがおそるおそるといった感じで顔を覗かせていた。
「あの、クアラ・・・あの、お話中にごめんなさい。大きな音がしたから、・・・だ、大丈夫?」
リシルの耳がピンッと立ち、ピクピクと揺れて興味津々にリンを見ている。
制止を振り切って行く前に、さっと抱き上げる。
「見るな!!リンが減るから帰れ!!!あとで顔出すか」
「リンちゃんっていうんだね。はじめまして、俺はリシル。このクソ兄貴のカッコイイ弟だよ~~んん、可愛いなあ」
駆け寄ってさらっと俺を貶して自分を上げる。ずる賢いのは昔から変わらないクソ弟だ。
「は、・・・はじめまして!リンです!えと、少し前からクアラにお世話になってます!!」
下りると兄貴に言った幼女を渋々嫌々な表情を見せながらも、地に下ろす。足をつけると一層小さい。
獣人型をとれる村のちびたちよりも小さく見える。
黒い髪がサラサラと揺れてぺこりと頭を下げた。そんな仕草に俺は目を疑った。こんなに小さくて可愛くて可愛くて可愛くて堪らない仔を捨てたのかと思わず怒りに心が震えた。
しかし表情には出さない。その黒い丸い目が俺を捉えたからだ。怖がらせたら元も子もない。しゃがんで目線を合わせる。
「よろしくね、リンちゃん。俺のことはリシルお兄ちゃんでいいからね」
驚いた様子で俺を見てから、兄貴の顔を見る。
「リン、こいつのことは呼び捨てでいい。なにが兄ちゃんだ、図々しい」
呼び捨てになんか出来ないと表情が語る。俺と明らかに嫌そうに眉を寄せるクアラを交互に見てから、「リシル、さん」と名を呼んでくれた。
まったく余計なことを言うこの野郎。いや、ゆくゆくは「おにーちゃん」て呼んでもらえるように刷り込んでいくことにしよう。うん!我ながらいい案だな。
彼女の小さな両手を下から掬い上げて握る。
手は柔らかく、覆う毛並みもなければ爪も丸く短い。まだほんとに小さい。ほんの幼児ではないか。これでは兄貴が庇護したくなるのも頷ける。
「おい兄貴、マジでお披露目会しろよ。俺が代表して言いに来たけど、カルシアたちがキレんのも時間の問題だからな。リンちゃんも外が気になるだろうし、せっかくだから同じ年頃の奴らと会わせた方がいいだろ」
「・・・、・・・仕方ない。またカルシアにドアを壊されるのは避けたいしな」
ぐぐっと思いっきり眉を寄せて、渋々頷いている。
カルシアは雌でありながら兄貴に次ぐ怪力の持ち主だ。ドアの一枚や二枚屁でもないし、兄貴は以前から何回か壊されている。
今はリンちゃんがいるから尚のこと壊されたくないだろう。
その時、ぐううと何かが鳴いた。
音の先を見つめると耳まで赤くなったリンちゃんが自身のお腹を押さえている・・・可愛い。
「リンちゃん、ごめんね。にーちゃんたちが悪かった」
「アジュガのことを忘れていた!リンすまない、今用意するからそこに座って待ってろ」
「いや、あの、わ、わたしのことはいいので先にお話続けてください!!」
え、なにこの仔。こんな小さいのになんでこんなに礼儀正しいし謙虚だし、・・・見習えカルシア!!じゃなくて、こんな風に言えてしまうのってすごい、いや異常だよな?これはやっぱりリンちゃんのこと調べてみよう。
なにか情報が得られるかもしれないし。視線をあげれば、クアラが頷いた。腐っても兄弟だ。俺の考えが分かるあたり血の強さを感じる。しかしこれで長の許可も得たことだし、帰ってから早速始めよう。
「リンちゃんの腹の音のがにーちゃんは心配だ。俺たちの話なんてあとでいくらでも出来るから、今は・・・ああ、アジュガの実を食べてね」
こんもりと切り盛られたアジュガの実を視線の端で見つけると、ぐきゅるるとタイミングよくまた鳴って、また真っ赤になった。可愛すぎる!!
「て、兄貴!!こんなに腹空かしてんのにいくらなんでもアジュガの実じゃ腹いっぱいになんないだろ!!」
「少しは黙ってられねえのか!!」
ドグォンとイイ音が頰に炸裂したがこんなんは日常茶飯事である。あわわと青ざめて震えるリンちゃんが可愛いが、そのリンちゃんに「殴っても死なないから安心しろ」と宥めて抱き上げて椅子に座らせている。あ、特注のお仔様椅子まで用意してるのか。
村の仔にだって自分から食べさせたりしないのに、リンちゃんには小さく切り分けた実をフォークで刺して「リン、口を開けろ」などと甘ったるい声で食べさせているではないか。
気持ち悪い。
なんだこいつ、ほんとに俺の兄貴か?
「ん~~ッ・・・おいしいッ」
けど、リンちゃんが可愛いから許す。
リンちゃんがまだ本調子ではないと知ったので、一先ず彼女の体調が戻ったら必ずお披露目会をするという約束をもぎ取った。
これでカルシアにもなんとか説明できる。
俺の命も救われて良かった。
アジュガの実・・・橙の色をした瑞々しい水分の多い実。桃のように薄い皮に包まれている。そのままで食べるものもいるが、リンにはあまりにもサイズが大きいので切り分けてもらっている。
リン
なんの因果か異世界に落ち、更には年齢退化して幼くなってしまった女性。狼族に拾われ保護された。クアラのもふもふな毛並みがたまらない。
クアラ
会って間もないリンに惹かれ、本能的に番を嗅ぎ分けている。体力バカだが、優れた決断力とカリスマ性を持つ長。すでにリンを溺愛している。
リシル
クアラの弟。頭が良く探究心が深い。冷静な判断力はあるが、決断力が欠ける。リンに「おにーちゃん」と呼ばれたい。
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