03:未熟な玄人
この世界は大地が沈没した。
地上にいる生物が全滅するかに思えたが、
全滅の淵に立たされた人類の革新は目覚ましく、
そこから進化した科学力は、人類の生活環境を大地から、
艦の中へと移動することに成功した。
今や艦は人類の新たなる大地である。
そしてもう一つ、人類に必要不可欠な技術があった。
空を飛ぶ人型の機械――――――通称≪テツビト≫である。
これは元々、艦の修理や周辺の調査など、
外での活動を目的に作り出されたものなのだが、
今や戦争の第一線として活躍する方が主になっていた。
◇◆◇
青と緑のテツビトが、お互いに手に銃を持ち、
円を描くようにグルグル回って撃ち合っていた。
いつまでも終わらなそうな無様なダンス、という表現が
正しいこの戦闘は、青い方の射撃が命中したことで終わりを告げた。
撃たれた方は直撃にも関わらず、爆発どころか煙も吹かず、
そのままゆるゆると海に落ちていく。
和弘がこの世界に来てからもう一ヶ月が経とうとしていた。
あれから和弘と麻由はシーブルー軍、訓練艦「しょうかん」に移り、
正規操縦士および正規整備士になる為に訓練を行っている。
基本的にテツビトは二人一組で動かすものである。
戦場におけるテツビトは操縦士と呼ばれるいわゆるパイロットが操縦するが、
専属整備士としてオペレーターが一人付き、艦から指示を出す。
操縦士が和弘ならば、専属整備士が麻由といった具合だ。
操縦士と整備士の候補生は、まず訓練艦と呼ばれる所で訓練を行う。
そこではシミュレーターを使った、ほぼ実機と遜色無いバーチャル仮想空間で、
訓練と試験を行うことになる。
試験は判定プログラムと呼ばれるもので、
レベルと呼ぶ段階毎に存在するミッションを一定以上クリアすれば、
その候補生は晴れて正規操縦士、正規整備士と認められ、
戦闘艦と呼ばれる艦に配属されるという流れになる。
簡単に言えばこの判定プログラムで結果を出しさえすれば、
操縦を知らなくても問題無いというものだった。
和弘にとって幸運だったのは、人並み程度ではあったが、
反射神経や動体視力を使うアクションやシューティングゲームが苦手では無かったことだ。
(和弘からすれば)恐ろしく発達した技術は
テツビトのコックピットにおける衝撃を完全に吸収するまでに至っている。
むしろ慣性や衝撃を感じるように『揺らしてやる』ほどだ。
そんな状態は和弘にとっては体感ゲームをしているのと同じだった。
――――――――同じ、のはずだった。
いざ訓練が終わってみれば、冷汗が止まらず、背中は汗びっしょり、
ともすれば息も切れそうな息苦しさを勝手に感じている。
「勝つには勝ったけど……」
目の前の判定プログラムのレベル3クリアの文字を見て、
和弘はため息をついた。
『やりましたね和弘さん!
このペースだったらレベル6まであっという間ですよ!』
通信機から嬉しそうな麻由の声が聞こえる。
レベル6のクリア、それは正規パイロットとして戦場に投入されることを意味する。
正規兵になる為に当然そこを目指すわけだが和弘には確信があった。
このままやっていればレベル6はクリア出来るだろうと。
……出来てしまう、と。
言っておくべきだ。いや、言わなくてはならない。
普段、何か言いたくても言えないことが多い和弘も、
後ろから迫ってくる死の恐怖を感じれば、
流石に言わないわけにはいかなかった。
「麻由……」
『なんですか?』
「操縦士、止めよう」
『……え?』
◇◆◇
良い天気だった。
一人ベンチに座って和弘は空を仰ぎ見る。
日差しは眩しく、気温は程よく温かい。
陽の光に目を細めながら、和弘は考える。
(……これが全部映像とはなあ)
和弘と麻由がいる場所はリフレッシュルーム。
見上げる空も、目の前に映る木も、落ちてる葉も
今、座っているベンチも全てホログラムで出来ている。
(リアルなVRって言うのか。
でもリアルなのにバーチャルっていうのも変な話だよな)
落ちている葉を拾い上げてみるも、
それらは和弘が元の世界で見る葉と違いが分からない。
実態があれば、感覚があれば、
それは現実と何一つ変わらないのだろうか?
(でも麻由にしてみれば、これが常識なんだよな)
麻由どころか世界の常識なのだろう。
自分もいつしか慣れてしまうのだろうか?
いや、この世界で暮らしていくのならば
例え誰かの代わりだとしても慣れなくてはいけない。
(本当ならもう死んでいるはずなんだよな……)
一度だけ元の世界はどうなっているのだろう。
この世界はどういうものか、それを考えたことがある。
あの時は選択肢は三つほどあった気がする。
その① これは事故によって重体になっている自分が見ている夢である。
その② 既に自分は死んでいて天国だか地獄だかに行く為の試験である。
その③ ここは本当にもう一つの地球の姿で、今起きていることは現実である。
どれを選んでもロクでもない、というのが結論だった。
結局のところ、いくら考えても分からないから、
こうやって生きていくしかない。
「すいません! お待たせしました!」
走ってくる小柄な影。
麻由が手に飲み物を持って小走りに駆けてくる。
「はい、ついでに飲み物持ってきました」
彼女の善意を受け取り、パック式の容器の蓋を取る。
その形状はスポーツドリンクや栄養剤を彷彿させる。
しかし飲んでみれば、中身は紅茶だったり炭酸ドリンクだったり、
至って普通のものであったことで、味覚は心配することは無いのだと安堵したものだ。
「……これ紅茶?」
「はい、取りあえず無難なものを選びました。
嫌いでした?」
お礼を言って一口飲む。
さあこれからどう話そうと考えた矢先。
口を開いたのは麻由の方からだった。
その顔には意を決意した表情が浮かんでいる。
「あの、私のどこか気になる所とかありましたか?
指示とか、データの表示とか……」
「どうして?」
「じゃ、じゃあどこが悪かったんですか!?」
急な言われように和弘は焦る。
テツビトは二人一組で動かすものであり、
和弘が何の問題も無く戦闘テストをクリア出来ている以上、
オペレーターを務める麻由の方に不満があると思うのは普通だった。
麻由が和弘に不満や文句を言われると思ってしまうのも無理はない。
ようやくそのことに和弘は思い至った。
本当に自分のことで手一杯だったんだと苦笑する。
「麻由は悪くないから」
まずそれを言っておく。
「でも、和弘さんはレベル3を順調にクリア出来たじゃないですか」
「順調じゃないんだ」
どういうことかと聞く麻由に、
和弘は言った。
「麻由はともかく、俺はテツビトについて何もわかってない」
「でもそれは私の役目であって、和弘さんの役目じゃないですよ」
「いや、そういう意味じゃなくて……」
このシミュレーターを和弘がゲームに例えたことは
彼にとって概ね正しいと言えた。
つまるところ『クリアしたらそれまで』である。
実戦主義と言えば格好良いだろうが、
未知の状況に対応することなど出来ない。
それが出来るのは文字通り天才なのだろうが、
生憎と和弘は自分が凡人だと言うことを自覚していた。
和弘にとっては銃口を向けられただけで、ビームが横をかすめるだけで、
そのリアルの迫力は和弘に死を連想させるには十分だった。
例えそれが『いくら直撃しようが死ぬことが無い』と分かっていたとしても。
だからこそ、和弘は提案出来たと言える。
考え得る未知のトラブルに対する対応策を考えよう、と。
和弘が見た感じでは、この試験は正規操縦士のレベル6をクリアするだけならば、
基本的な操縦が出来る程度で十分という認識だった。
そしてレベル3をクリアした時点で、それは確信に変わった。
……これではまずい、と。
それで良いと思えるのは、この世界の人間だからだ。
和弘はこの世界の春日和弘の代わりとして連れて来られた。
ならばせめて本物と思えるレベルになっていなければならない。
そしてこの世界の春日和弘の操縦技術はというと『恐ろしいほど高い』だった。
「大体この訓練の程度で考えると……レベルが二桁あるぞ。マジかよ」
訓練艦「しょうかん」のあてがわれた部屋で
和弘はこの世界の自分であろうデータを読んでいた。
この訓練艦に来る前の艦で櫛木耕一に渡して貰ったデータだ。
このデータでさえ、和弘が言ってようやく貰えたものだ。
和弘の活躍は期待していないようだったが、本当のことなのだろう。
しかし、違和感がある。
この世界に来てから、常につきまとう違和感。
それらは和弘が気を抜いた時に、すぐに顔を覗かせる。
ぐるぐる回る不安と思考の渦から和弘を引き上げたのは、
来客を示すチャイムの音だった。
「ん……もうこんな時間か」
それらをハッキリさせるにしても、和弘はまだ知らないことが多すぎる。
抱える不安を奥に押し込め、ドアに向かう。
「こんばんわ。それじゃ夕食の準備しちゃいますね」
ドアを開けると私服の麻由の姿があった。
和弘の部屋に上がり、手に下げたカゴから
手際良く食材を取り出して、テーブルに並べていく。
「台所使いますね」
「何かやることあるか?」
「それじゃ食器並べてくれますか?」
「了解」
たったそれだけの会話を交わして、
和弘も食事の準備を始める麻由を尻目に食器を並べる。
毎日ずっとこんな感じである。
訓練が始まってから尚更二人はほぼ一日中一緒に過ごしていた。
寝る部屋が違うくらいで、やってることはほぼ通い妻と言っても差し支えない。
一度そういう下世話な質問をしたことがある。
答えは『コンビは成績や適性だけでなく、性格や嗜好で決めてる』とのことで、
基本的に相性は良く、そのうちくっ付くものが殆どらしい。
また犯罪者については、今や艦の中で生きていかなくてはならないこともあり、
そういう悪い話を持たれると、補給等の他の艦との相互関係に影響も与える為に、
ほぼ出ない、出たとしても同じ艦にいる人間達が黙っているわけがなく、
どんな目に合されるか分からないらしいとのとだった。
(自分の命が掛かってるなら、取り締まるか)
図らずもクローズドスペースが風変わりな警備機構が生まれていることもあるが、
どのみちプライベートな個人部屋でも無い限り監視されているとの話だ。
犯罪は犯す人にとっては自殺と同じ意味で、
同じ艦に乗る人間にとってはテロと同じ意味というわけだ。
「ですから、和弘さんも気を付けて下さいね」
「俺達は例外だもんなぁ……」
とはいえ、和弘も最初こそは女の子と二人きりの
手作り夕食にどぎまぎしていたが、毎日続けば流石に慣れた。
呼び方も最初は遠慮して『春日さん』『桜木さん』だったのが、
いつの間にか名前呼びになっている。
和弘に至って呼び捨てにさえしている。
ふとした仕草で麻由は可愛いんじゃないかと思う時がある。
しかし今はそれよりも、自分がどうなってしまうのかという不安が大きくて
、それどころじゃないのが現実だった。
まぁ、自分が奥手というか消極的というのが一番の理由かもしれない。
「そういえば今日の操縦ですけど……」
「レベル3は一対一だし、気を付ける部分は無かったよ」
最初は気まずくて大変だった夕食も、
今は世間話もあれば、訓練の反省も話す。
沈黙していても特に気まずくなったりはしない。
訓練の話の場合は食後のお茶を飲みながら話を詰めるときもある。
今回は和弘が言った『未知のトラブル』については話が主だった。
「だからさ、麻由がいない場合や、
テツビトのトラブルが発生した時の場合を考えたいんだ。
麻由の方でそういうことって何か無いか?」
「それなんですけど、過去の戦闘データから
いくつかピックアップしてきました」
パッと中空に浮かぶ画面。
これも最初は驚いたが、今では気にもならない。
気になったのはその画面いっぱいに記された項目の山。
実は今の試験体系にこれだけ問題点があるという裏返しでもあったのだが、
麻由にとっては今までが常識だったこと故に、
和弘にとっては目の前のあまりの量に気づくことはなかった。
「過去の戦闘データからいくつかピックアップしてきました」
「こ、こんなにあるのか……」
「これをやるとなると、正規操縦士になるには結構遅れますけど……」
少なくとも一日二日でやれる量じゃない。
本来はもっと早く正規兵になれるのを、
これだけ寄り道するという意味にもなる。
それはつまりいつまで経っても正規兵になれないと
思われるかもしれないという意味でもある。
麻由はその辺を心配しているのだ。
「そこは気にしてないけど、期限とかあるの?」
「あまりにも遅いと適正無しとみなされますから」
「順番に見ていって必要無いものは飛ばしていけばいいか」
和弘もまさか自分から言っておいて、
文句を言うことなど出来るわけがない。
加えて麻由が妙に感心した様子で
頷いてるのも原因のひとつだった。
「私も、こんなに見るべきところが
あったなんて知りませんでした。
やっぱり和弘さんって凄いですよね」
「え、あぁ、まぁ……うん」
不安や恐怖から逃避したいから出た言葉なので居心地が悪い。
取りあえず、今和弘が出来ることは笑い飛ばしてやることだ。
例え空元気でも、ひきつった笑みだろうと、笑った方が良い。
「ま、まぁ……や、やってやるぜ」
和弘に出来ることは「楽勝だ」と自分に言い聞かせるだけだった。