18:真の破壊者
フラフラと飛んでいるアナザイム。
そのコックピットには麻由が座っていた。
いかにも頼りなげに飛行しており、まるで誰かに追わせる為に、
わざとそう飛んでいるのかと思わせるような軌道であったが、
実を言うと、これは誰かを誘っているというわけではなかった。
麻由の顔にはいつもの笑顔ではなく焦燥と不安。
張りつめられた糸は今にも切れてしまいそうだったが、
今更ここに来て投げ出せない責任感が
彼女をギリギリ繋ぎ止めていた。
「進行方向は……こっち? 数字はあってます、よね?」
麻由はレーダーを確認して方向が正しいか確かめる。
さっきから何度も何度も確認している行為。
戦闘が始まる前、和弘の代わりにアナザイムに乗り込み、
先に飛び出してしまえばこちらのもの。
敵と戦う前に戦域を離脱して、指定座標に向かうだけのはずだった。
しかし戦域を離脱した彼女に待っていたのは、
どこまでも続く果ての無い海と空。
目印となるものが何も無い。
艦も、僚機も、敵も、整備士によるオペレートも無い。
何の変わり映えもしない風景。
何処まで行っても変わらない風景は、
麻由に必要以上のストレスを与え、
彼女の精神を必要以上に削っていく。
空の青、海の青。ただそれだけ。
自分が何処にいるか分からなくなってくる。
前に進んでいるのか、後ろに戻っているのか。
「っ……はっ……!」
知らない間に高度が下がっていることに気づいて慌てて機体を上昇させる。
今、海に堕ちてしまえば、彼女が生還できる道は無い。
なんとしても指定座標に辿り着いて、回収して貰うしか道は残っていないのだ。
「……あ、雲だ……」
ふと、遠くにどんよりしたグレー色の雲が見えた。
進む分だけ雲も近づいてくるのが分かる。
麻由の目的地はその雲の下を指し示していた。
視覚的に自分が動いてると分かるだけで大分気が楽になる。
麻由は思う。
もういっそ自分の使命を忘れて、
ずっと和弘と暮らしていけば良かったと。
麻由は整備士になれなかった。
だからこそ和弘の整備士になれたと言える。
元々目指していた整備士だったからと仮初でもやってみれば、
思った以上に充実した日々を過ごすことになった。
和弘との相性も悪くなかったと言えるのも大きかった。
初対面は変な奴だった印象がある。
今では……
しかし、嘘はいつかバレる。
和弘の部屋で見つかった操縦士名鑑。
思わず持ち出してしまった事に気づき、
慌てて処分してしまった。
しかし、そんなものは焼け石に水どころか
無駄な行為でしかない。
和弘が麻由を疑っているのは確かだから。
だからこそ脱走を決めたのだ。
和弘を置いていったのは、
専用機を持っており、そして彼ほどの腕前ならば、
ちゃんとした整備士がつけば、並以上の戦果を得られると思ったからだ。
この世界でも十分暮らしていけるだろう。
(こんなに未練があったなんて……)
頭を振って次々と思い浮かぶ言い訳を追い出す。
元々こうするつもりだったのに、
楽しい思い出が麻由の脳裏に浮かんでは消えていた。
(そうじゃなくて……)
もう元に戻ることは出来ない。
自分が壊してしまった。
いつか壊れてしまうからと。
そう、どのみちバレてしまう以上、
どうしようもないことだった。
早いか遅いか、どうせ結末は同じだ。
「確か、座標は……この辺のはず……」
座標は待ち合わせの場所を示していた。
まだ相手が来ない事に若干焦りはしたものの、
指定の時間にはまだ余裕があったことに気づいて安堵する。
しかしそれもつかの間、麻由はレーダーの反応で
自分に近づいてくる機体に気が付いた。
こちらに向かって一直線に向かってくる機体。
自分が来た方向とは違う方向から飛んでくるので
誰かが追ってきたというわけでもない。
「アートラエス……? なんで?」
艦じゃないのか?
もしくは別の場所に案内するつもりだろうか?
そう問おうとした時だった。
正面のアートラエスはおもむろにエネルギーガンを
麻由のアナザイムに向けて躊躇なく撃った。
丁度近寄ろうと動いたのが幸いした。
撃ったビームはアナザイムの胴体部に向かうはずが
左肩に命中し、爆発した。
「きゃあっ!」
初めての衝撃に体が揺さぶられ思考が乱れる。
混乱した頭で正面を見ると、第二射が見えたので
必死で機体を動かして避ける。
「う、嘘! なんなんですか……!?」
味方に裏切られたのだろうか?
本来、無事なはずの機体が破壊されたのは何故?
普段なら絶対に聞くことの無いアラームが
コックピット内をかき鳴らす。
あり得ない攻撃。あり得ない事象。
何もかもが分からない状況で、
たった一つ思い起こすことが出来たのは、
この世界の春日和弘の最期。
「ちょ、調停……者……?」
まったく効かないこちらの攻撃と、
機体を破壊する相手の攻撃。
その先にあるものは、死だ。
「こ、殺される……! 嫌っ!」
逃げるしかない。
敵も何も見ずに、とにかく相手から逃げる事を選択する。
死への恐怖で動けないよりはまだマシだったかもしれない。
動いたお陰でコックピットへ直撃するはずのビームは
右足に命中し、根元から千切れ飛んだ。
衝撃で機体が激しく回転する。
「し、姿勢をっ……!」
だが、そこまでだった。
麻由の願いも虚しく、姿勢を正すことの出来ないアナザイムは、
方向が定まらずに回転しながら海へと堕ちていく。
海に堕ちたアナザイムはカプセルバリアを展開する。
それの意味することは、もう動けないということ。
コックピット内のライトの殆どが消灯する。
待機にモードに入ってしまったテツビトは
艦に回収されるのをただ待つしかない。
「やだっ! モニターが!
う、動いてっ! お願い……!」
ゆっくりとアートラエスが近づいてくる。
コーティングバリアを容易に抜いてしまう火力ならば、
カプセルバリアだろうがひとたまりもないだろう。
この世界の春日和弘のように。
「た、助けっ……!」
本能の恐怖が麻由を支配する。
体が震え、歯が噛み合わない。
アートラエスの銃口が麻由の方に向けられる。
そして――――
横からのビームがアートラエスを捕えていた。
◇◆◇
麻由を追っていた和弘はふと、画面に違和感を感じた。
「なんかモニターが暗いな……」
画面を拭こうと反射的に手を伸ばし、
それが無駄な行為だと気づいて苦笑する。
「そうか、雲が出てたのか……」
モニターには空の代わりに
一面の雲が並んで陽の光を遮っている。
海面は曇天を映しているせいか、
普段鮮やかな青色も今は黒ずんで見えた。
(焦っているのか?)
いつの間に雲が出てきたのだろうか。
今の今までまったく気づかなかった。
「雲、か。青空の雲は見てきたけど、
こういう曇り空は初めてかもしれないな」
思うに、今までずっと青空の中でしか
戦闘は行われていなかった。
雨どころか曇りの記憶も無い。
青い空、青い海、味方と敵の艦、僚機と敵機。
いつもそれだけだった。
それが当たり前になっていた。
(それでも自覚無しはマズいよな……)
麻由を追っているその時間。
和弘は頻繁に他の方向に考えを寄せる。
勿論、気分を紛らわせる為だ。
その焦りの原因であるレーダーを覗く。
そこには麻由が乗っているであろうアナザイムの他に
接近している他のテツビトらしき反応が映っていた。
もし機体を乗り換えれでもしたら、もう追える手段は無い。
無理してでもスピードを上げたいという焦りを、
少しでも余力を残すべきだという理屈で抑え込む。
ジリジリとレーダーを覗いていたが、
やがてモニターにも、その姿が見えてきた。
「あれか……!」
見えるのはアナザイムとアートラエス。
ギリギリ間に合った、と思ったその時に見えたのは、
アートラエスがアナザイムを撃墜する光景だった。
煙を噴き上げて海に堕ちるその光景は、
本来あり得ない光景だったが、
アナザイムがやられるという状況を前に
和弘がそこに気づく余裕は無い。
(――――!?)
声にならない叫び声を上げて、
相手のアートラエスに向かって肩のエネルギーキャノンを撃つ。
オートロックは静止物に対しては必中を誇る。
一発、二発と連続して撃った光の軌跡は胴体に直撃した。
しかし、光源が消えた先には同じくエネルギーキャノンを
構えているアートラエスの姿があった。
「直撃したはずだぞ!?」
敵のエネルギーキャノンをかわしながら、
和弘は自分の目を疑った。
エネルギーガンを取り出して狙いを定める。
敵もエネルギーガンを取り出すが微動だにしない。
そのことが和弘に引き金を引くことを躊躇させていた。
(相討ち狙いか!?)
相討ちでは駄目だ。
ここに打ち捨てられれば和弘を見付ける存在はいないだろう。
それは想像するだけで恐ろしかった。
その和弘の考えはある意味で正しかったと言える。
何故ならば、対峙しているアートラエスの武装は従来の物とは違い、
確実にテツビトを破壊し、人を殺すものなのだから。
絶対に勝たなければいけない。
そのプレッシャーで手に汗がにじみ、
寒いわけでも無いのに、おぞましい寒気が体を震わせる。
その感覚に戸惑うものの、初めて感じるものではない。
初めてシミュレーターでテツビトを動かした時。
敵の向ける銃口に恐怖した、あの感覚。
「嫌な感じだ……あの時はどうだった?」
ただ、今はもう覚えていない。
確実に言える事は、あの時とは違うということ。
「向こうの武器は変わらないと見ていいか?
こちらの攻撃は通用しないと考えるべきか……」
恐怖や焦りが心を占めていても、
冷静に戦力の分析をする部分がある。
例え今までの戦闘が茶番であろうとも、
今まで戦い抜いていたその経験は
和弘に知らず知らずのうちに力を与えていた。
(……どうする?)
問題は自分の手札で敵を倒せるかどうか。
初めて目にする『敵』を相手に
和弘の真価が問われようとしていた。