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東京ウォーターフロント our lively remains  作者: 【Farfetch'd】鳥丸
SEASON 1:水没のローテンブルク
3/4

#02-1 JK in the rain

 迂闊だった。


 あたしとしたことが、雨に降られるなんて。


 今日はたまたま天気予報を見損ねたけど、朝はこれでもかってくらい晴れてたし、雨の心配なんて少しもしてなかった。それでも、いつも鞄には折り畳み傘を入れておいているから問題ないはずだったのに、今日に限って鞄をかえていて、そのときに移しかえるのを忘れていたなんて……!


 あたしは鞄を傘代わりに頭の上に載せて家路を急ぐ。いつも置き勉しているから、鞄の中はスカスカで軽く、重さを支えるための体力を使わなくていいのが不幸中の幸いだった。教科書も濡れないで済むというものだ。まあ濡れてなかったところであまり開かないけど。


 あたしがいつも使っている通学路は軒先がある店などほとんどない。特に今走っているところは土手の上のような道で、左手には塀や生垣が続き、右手には低めの柵と一段下に広がる住宅地。雨を凌げそうな場所は、これでもかと言うほどない。あたしはとにかく走る。しかし雨足は弱まるところを知らず、むしろ強くなっているように感じた。


 ふと、道の先に十字路が見えた。そこを右に切れて少し行ったところに、クラシックな喫茶店がぼんやりと光を漏らしているのを見つけた。こんなところに喫茶店あったんだ。普段は気にも留めてなかったので突然現れたように感じた。えっと、喫茶……オンダ?


 でも今何より重要なのは、そこに屋根があるということだった。入るか入らないかはまた考えるとして、とにかく出入り口のところの屋根を借りよう。レッツ雨宿り。オールアイハブトゥードゥーイズ雨宿り。あたしは今日珍しく真面目に聞いた授業で習ったばかりの英熟語を駆使しながら、小さな軒下にすがりついた。





「降ってきたな」

「とうとう?」


 道永が窓の外を見ながら言う。空も同じように、水滴がつたい始めた窓を眺めた。

 時刻は夕方に差し掛かる頃。先ほど、雲行きを心配して昼頃から読書に勤しんでいた最後の客が帰り、店内には二人を除いて誰もいなかった。


「少し暇になりそうだな」

「んー、誰か雨宿りに来るかもよ」


 空は窓に手をあてながら、もう一度外を見た。

 街には傘の花が咲き始めていた。


 雨音は強くなっていく。断続的な音は連続するものに変わり、やがてざああ……と途切れなく店内に響く。容赦なく打ち付ける水滴はアスファルトに透明な王冠を生成して、そしてひとつとなって僅かな高低差を敏感に察知しながら流れていく。


 客のいない店内は、二人が会話しない限り雨の音で満たされていた。風の影響か、時折音には強弱がつく。

 空はレジに一番近い椅子に座って休憩した。カウンター内にいる道永は洗ったグラスを拭きながら、


「雨止まなければ、今日は早めに閉めるか」


 道永は同意を求めるように空に顔を向けた。しかし、空はいつの間にか視線を体ごと出入り口の扉に向けていた。


「もう少し開けとく必要がありそうだよ」


 空は道永を振り返りながら、楽しそうに言って、ついついと扉を指差す。

 道永は空に近づくと、促されるまま扉のほうを注視した。扉は十枚の四角形のガラスが二列にはめ込まれているためそこから外が見える。道永は、そこに人が立っているのに気づいた。どうやらこちらに背を向けた状態のようだった。扉に近すぎず、かといって吹き込んでくる雨の被害を受けないような絶妙な位置取りと、一向に入ってくる様子を見せないところから、この店の軒先を借りて雨宿りをしてるのはほぼ確定だろう。


「学生っぽいな」


 その後ろ姿は、外が暗いためはっきりとは見えないが、学校の制服姿だということは窺えた。足元には鞄が置いてある。


「女子高生ですよ、女子高生」


 またも楽しそうに空が言う。そしておもむろに腰を上げると、扉に手をかけ道永を見て、目で許可を求めた。

 道永は空を見返すと、少し笑みを浮かべて頷く。

 空は手に力を込めた。




 

「はあ、はあ……ふう」


 あたしは膝に手をあてて、肩で息をする。そして、雨が当たらないことを確認し、一度大きく息を吐いた。とりあえずこれで天の恵みを全身に浴びることはなくなった。


 タイルの上に降ろされた鞄を滴った水が囲う。あたしはしばらくの間、雨を含んで彩度の落ちた青灰色の景色をぼーっと眺めた。


 これからどうしようか。このままこの喫茶店に入るのも迷惑な気がするし、と言うよりなんかここ敷居高そうだし、こんな土砂降りの中おばあちゃんに迎えに来てもらうのも悪いし、何より危ないし……。それに走りまくったせいで疲れた。雨に濡れて気持ち悪い。体が重いし冷たい。ダメだ。しゃがんじゃおう。ちょっと休もう。


 と、あたしが腰を落としかけたとき、真後ろでカランカランとベルが響いた。


 驚いて振り返ると、扉が内側に開いていて、そこに若い女の人がいた。あたしより少し歳上くらいに見える。栗色で肩くらいまで伸びた髪。ややふわふわして見えるのは湿気のせいだろうか。右耳の上あたりにヘアピンをつけている。襟つきの白いシャツに黒いリボンがバッテンになって重なった部分で留められていた。紺色のシンプルなエプロンが似合っている。大きくて深い色を湛えた二つの瞳があたしを見据えていた。


 あたしは突然のことで言葉が出ず、目を見開くことしかできなかったが、そんなあたしの心情を汲むように彼女は優しく微笑み、あたしに声を掛けてきた。


「こんにちは。中で、休んでいきませんか? まだ雨、止みそうにないですし」

「えっ、あっ……こっ、こんにちは。えっと、でもあたしお金あんまりないですし」


 正直に答えた。今日購買でパンを買ったときに残金が三百円を切ったのを記憶している。


「別に何も頼まなくても大丈夫ですよ?」


 しかし、お姉さんの天使の微笑みと魅惑の囁きにあたしの心は揺らいだ。


「……ほんとですか?」

「はい、雨宿りだけでも」


 そこで今のあたしの身分に気付く。


「あっそうでした、すみません屋根借りてました」

「どうぞどうぞ。せっかくだからもっと貸しますよ」


 なんだか、そこまで言われたら断るほうが失礼な気がしてきた。


「……じゃあ、おじゃまします!」

「はーい、いらっしゃいませ」


 あたしは立ち上がって、ふらふらとお姉さんに導かれる。


「お好きなお席へどうぞ」


 お姉さんに案内された店内は、外装の印象通りレトロな雰囲気だった。しかし思ったよりも明るい。外が暗かったせいもあるかもしれないけど。入口の目の前にはレジがあって、その左側にカウンターが伸びる。


「いらっしゃいませ」


 不意に低い声があたしの耳に届いた。見ると、カウンターの奥に男の人が立っていた。あたしは思わず頭を下げて会釈する。こちらも若いが、お姉さんよりは歳上だろう。おじさんというには若すぎるけど、お兄さんの中ではおじさん寄りというか……二十代の半ばってところかな。少し長めで、あたしから見て右側に分け目がある黒髪に、男らしい顔つき。ワイシャツにお姉さんとは違いネクタイをしている。その上にはベストを着ていてた。この店のマスターだな、と直感した。


「あ、おじゃまします」


 他のお客さんもいないためか、あたしは人の家に上がるような感覚で、またそんなことを言ってしまった。


 普段こんな落ち着いた雰囲気の喫茶店に入らないので、お好きな席に、と言われても迷ってしまう。あたしはとりあえずカウンターの一番奥の席に向かった。テーブル席でも良かったけど、見たところさっきのお姉さんとマスターらしきお兄さんしかいないようなので、ここのほうが二人と話しやすそうだ。


 あたしは背もたれのない少し高めの椅子に腰を下ろした。荷物(といってもほとんど何も入ってないけど)を足元において、ふう、と一息吐いた。なんだか久しぶりに座った気がする。

 すると、一度店の奥に消えたマスターが何かを手に戻ってきた。


「どうぞ、使って下さい」

「え、いいんですかそんな」


 それは大きめのタオルだった。 おしぼりよりタオルが先に出てくる店は初めてだ。 とてもありがたいけど、いきなりそんなに世話になっていいのだろうか。

 しかし流れるように受け取ってしまった。正直、濡れた髪や顔とか拭きたい気持ちでいっぱいだった。


 マスターが「もちろん」と笑顔で答えてくれた。うん、受け取ってしまった以上は使わせてもらおう。ありがたや。すると今度はお姉さんが、


「カーディガンも乾かしましょうか?」


 と、近くの柱からハンガーを取りつつ手を差し出して、更に嬉しいことを提案してくれた。サービスいいな。


「あ、ありがとうございます!」


 あたしは思わず喜びのにじんだ声を出す。立ち上がって、カーディガンのボタンを外した。これで水分たっぷりの激不快カーディガンともしばらくおさらばだ。

 しかしお姉さんは何かに気づいたような顔をすると、カーディガンを受け取るのを一瞬躊躇った。


「あ、でも透けちゃうかな」


 なるほど。確かに、あたしはワイシャツの下は下着だけしか着ていない。でもあたしは脱げるとなった以上、このカーディガンをもう着ていたくなかったので、お姉さんに言う。


「大丈夫です、タオルでなんとかします」

「そう?」

「はい」

「ならいいかな」


 お姉さんはカーディガンを受け取ると手早くハンガーに掛け、それを吊るす。カーディガンはぐったりと両腕を垂らし、あたし以上にお疲れのようだった。


 ついでに制服のリボンも外しつつ席に戻ると、いつの間にかマスターがいなくなっていた。もしかして、あたしがいきなりカーディガンを脱ぎだしたから気を遣ってくれたのだろうか。だけど、すぐに奥で微かにカチャカチャと陶器どうしが触れ合う音がしているのに気づく。何か洗ったり作ったりしているみたいだ。あたしは貸してもらったLサイズのタオルで頭を拭いて、首にかける。そうすると軽くタオルにくるまるようなていになった。


 そしてマスターが再び現れた。すると淀みない動作であたしの前に白いティーカップに入った紅茶を置いた。続けてミルクとスティックシュガー。さらに袋入りの使い捨ておしぼり。


 えっと……?


「あの、あたし何も頼んで……」

「一杯だけサービスです。今日はお客さん少ないからね」


 あたしがぽかんとすると、


「特別ですよ?」


 マスターが笑った。急にいたずらが成功した少年みたいな笑顔をするので、ちょっとドキッとして、


「ありがとうマスター!」


 想定より大きな声を出してしまった。慌てて口を手でふさぐが、それでどうとなるわけもなく。ちょっと恥ずかしい。耳が熱くなるのを感じた。マスターは一瞬驚いたが、すぐにまた笑いかけてくれた。そしてお飲みなさいと言うように、手で促してくれる。

 あたしはマスターに、軽く頭を下げ答えた。


「いただきます」


 湯気がゆらゆらと立ち昇る濃い琥珀色の液体に目を落とす。その香りが、早く味わってと言わんばかりに鼻をくすぐってきた。まあ待ちなよ、ミルクとお砂糖入れてからね!


「あれ、ずいぶんサービスがいいですね店長?」


 様子を見ていたウエイトレスのお姉さんが、ちょっと意地悪そうに言った。

 やっぱりそうだよね? サービス良すぎるよね? でも飲むけど!


「女子高生なんて滅多に来ないからな」


 なるほど役得。女子高生は正義。紅茶おいしい。


「世の男たちは女子高生に甘いなぁ」


 溶けた砂糖の甘みと、


「のびのびと育ってほしいからな」


 まろやかミルクが沁み渡る。


 雨に降られたことも忘れて、あたしは甘い熱が指の先まで巡るのを感じていた。


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