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東京ウォーターフロント our lively remains  作者: 【Farfetch'd】鳥丸
SEASON 1:水没のローテンブルク
2/4

#01 OPEN

 空は、部屋に戻り仕事着に着替え始めた。

 白いシャツを羽織りボタンを留め、黒いジーンズを穿く。ベルトを締め、セーターを着る。続けて、シャツがよれているなどの着心地に違和感のある箇所を直した。


「よしっ」


 そして、小さく気合を入れた。


 それから部屋を出ようとしたが、一度踵を返し、つけていた指輪を丁寧に机の一番上の引き出しの中にある小さな袋にしまった。


「またあとでね」


 微笑むと、ゆっくり引き出しを閉めた。


 空は玄関でスニーカーを選ぶと、それを履いて外に出る。扉が閉まると、ガチャリと錠が落ちる音が響いた。

 階段を下りると、左側は車庫になっていた。そこに停まっている自動車の後ろに回り込みかけたが、何かを思い出したようにくるりと体の向きを百八十度変えた。階段のそばに立つ郵便受けを調べる。数枚のチラシとしっかりした封筒が入っていた。それをさらってから、厨房へ繋がる裏口へ向かい、そして中へ入る。


 厨房では、ラジオを聞きながら搬入したコーヒー豆をチェックしている彼の姿があった。ラジオからは、本日の天気予報に続けて潮流情報が伝えられる。


「みーくん、郵便ですよー」


 空はそう言って、彼に封筒を見せた。そこには住所と宛名、"向井道永様"と綴ってあった。


「おじいちゃんからだね」

「サンキュ。置いといてくれ、空」

「はーい」


 空は、手近な場所に封筒と数枚のチラシを置くと、裏口付近に掛けてある紺色のエプロンを手早くつけた。


「豆たちは問題なさそう?」

「ああ、大丈夫」

「よかった」


 みーくんと呼ばれた彼、向井道永の返答にそう答えながら、空は流しで手を洗い始めた。正しい手洗いの手順が近くに貼ってあるが、それを一度も見ずに示されている順序で洗い終えた。使い捨てのペーパータオルで手の水気を取る。


「では、仕込みに入りますかね!店長は豆のチェックをお願いします!」

「さっきやったわ」


 空が笑顔で声を張ると、道永店長はすかさず言った。


「おーさすがまめなおとこ」

「それ無駄に言い得てるな」


 そんな会話をしながら、二人は仕込みの仕上げに入った。


 厨房は広くはないが無駄なものもなく、シンク、浄水設備、ガスコンロ、冷蔵庫食器棚に調理器具、業務用のオーブンレンジなどが機能的に配置されていた。その中でも、コーヒーの抽出器具の存在が目立つ。

 裏口付近の台には、先ほど置かれた封筒のそばに道具箱ほどの底の浅い長方形の箱があり、それは客の忘れ物を保管しておくものだっだ。中にはハンカチ、ペン、制服のリボンと思われるものなどが入っている。


「なにが終わってない?」

「と言っても野菜だけだな」

「おっけー」


 エプロン姿の空はやるべき作業を確認すると、素早く正確な手さばきで次々と野菜を解体していった。サイズが大きい野菜はいくつかに切って使いやすい大きさにし、スープなど調理に時間の掛かる料理は火をかける直前の段階まで持っていく。


 ラジオから、昨日の雨の影響もあって塞がってしまっていた道が開通したと告げられた。雨による増水と高潮が重なり、普段ならば浸水しない地域にまで水が押し寄せたことが原因だと解説が入る。


「よかった、復旧したんだね」

「ちょうど豆がなくならなければ特に影響なかったんだけどな……いやー、空、サンキュな」

「もっと褒めるがいいよ」

「えらいえらい」

「いやー大したことはしてませんよー」


 道永が仕方ないな、といった風に褒めると、空は言葉に反してしたり顔をつくった。それから笑う。しかし作業の手は緩めず、迅速に野菜を切り分けていた。


 彼女は今日の食材の量からメニュー内の品をそれぞれ何人前作れそうかなんとなく考える。同時に店長が今日のおすすめとして作りそうなものを想像して、ちらりと彼を見た。自分宛の封筒を手にとって裏と表を眺めていた道永はそれに気づいて、「ん?」と空を見返す。


「なんでもない」

「気になるな」


 空のそっけない返事に、彼は封筒を置きながら言った。

 空は少しもったいぶってから答える。


「予想してたの」

「予想? なんの?」

「ひみつー」


 空はいたずらっぽく笑うと、手元に視線を戻した。


「気になるじゃないか」

「すぐわかるよ」

「そうなのか?」

「あ、ねぇねぇ」


 道永がそこまで気にしてなさそうな口調で言うと、空が再び視線を上げた。話したいことが思いついたときの顔だな、と道永は思う。


「ん?」

「リボン取りに来るかな、昨日の子」


 空は忘れ物ボックスにちらりと視線を送る。


「あーあの女子高生か。……たぶん来るだろ。あれないと困るだろうし」

「うれしい?」


 空はまたもいたずらっぽく笑いながら聞いた。道永は少し考えてから、


「……普通?」

「うそつけー」


 空は間髪入れずに、楽しそうに言う。


「じゃあそういうことで」

「ひくわー」

「言わせといてかよ」


 わざとらしく嫌な顔をしてみせた空に、道永は軽く抗議した。そのあと二人は笑い合う。


 道永は食材の仕込みは空に任せ、厨房を出てレジに釣り用の札や小銭を詰める作業に入る。それを手早く済ませると、一度厨房に戻り布巾を取ってきた。カウンターやテーブルを丁寧に拭いていく。

一通り拭き終えたところで、空が厨房から出てきた。


「仕込み終わったよー」

「サンキュ。外の掃除お願いしてもいいか?」

「はーい」


 空は店長の申し出を快諾すると、箒とちりとりがセットになった掃除用具を手に外に出た。カランカランと扉についた鐘が鳴る。


 空は慣れた手つきでほうきを操り、店の前を掃く。店の顔となる場所なので、掃除は念入りに行う。店と道路の境界線から少し奥まった扉の前から、外へ向かうようにして掃いていった。


 ふと、空は手を止めると、頭上に広がる澄み渡った青空に目を奪われた。雲がほとんどない快晴。通り抜ける風は朝よりは暖かいもののまだ少し冷たい。しかし、仕込み作業を終えた空には心地よく感じた。栗色の髪が風に遊ぶ。空は、少し長めに目を閉じた。そして再び開いたとき、視界の隅で何かが動いた。自然とそちらに視線が誘導される。目を凝らすと、それは大空をバックに舞うツバメだった。この季節を喜ぶように、声を上げながらひらひらと青を泳ぐ。


「もう春なんだなぁ……」


 空は一言で(うた)った。


 時刻は午前十時半過ぎ。商店街は、まだ人がまばらだった。しかしこれから確実に活気付いていく気配を孕んでいた。ほとんどの店は開店しており、通りを歩く人々を呼び込んでいる。


 空は商店街の反対側に目を向ける。


 空が働く店は商店街の端であるため、そこから先はもう店がない。

 かわりに見えるのは、すぐそこ十字路とその先に広がる住宅地だった。十字路より先は緩やかな坂になっており、坂の終わりから住宅地が一段低く展開しているため、空の位置からは遠くまで見渡せる。人の気配はなく、しんとしていた。朝のラッシュの時間も過ぎているため無理はない。


 住宅地はしばらく続き、それより遥か先は廃墟のシルエットが白く霞む。


「今日の満潮は夜だったかな……」


 空はひとりごちると、我に帰ったように掃除を再開した。それを済ませたところで、カランカランと鐘の音が空の鼓膜を震わせる。反射的にそちらを見ると、道永が小さな黒板を掲げていた。


「空、これも頼む」

「ん、あいよー」


 空はちょうど掃除が終わったところでよかった、と思いながら、箒のセットと道永の手の黒板を交換した。


「あ、これもな」

「そうだったそうだった」


 道永が箒を受け取った手とは反対の手に持っていたチョーク入りの小さな箱を渡し、空は振り返りかけの体制のまま受け取った。

 道永が扉のそばに立て掛けてあったイーゼルを手に取り、それを店頭に立たせる。


「おう、ちなみに今日のパスタは春キャベツとベーコンのペペロンチーノな」

「あっ予想的中。賞品はなんでしょうか」

「おっ、なるほどそのことだったのか。そうだな、じゃキャベツの芯一年分で」

「すごくいらない」

「鮮度は抜群だぞ?」

「そういう問題じゃなく」


 そんな会話をしながら、空はイーゼルのそばにしゃがむと、箱を地面に置いてそこから白いチョークを手に取った。チョークには、手が汚れないようにチラシを小さく切ったものが巻かれている。空は腿に黒板をのせてチョークを走らせ始めた。まずは店名を、続けて"本日のおすすめ"と書き、その品名を。それは、


”春キャベツとベーコンのペペロンチーノ”


 空はそこまで書くと、少し考える表情をする。 次の瞬間、ぱっと顔を明るくさせると、チョークをカッカッと再び走らせた。


”ジューシーで大ぶりなベーコンのピンク色と、 甘くて柔らかい春キャベツの萌黄色に春を感じる一品です”


 ここまで書くと、ちょうど黒板は文字で埋まった。空は白のチョークを置くと、黄色や赤、緑で装飾を施していく。そして黒板を両手で持ち、前に掲げて距離をつくり全体のバランスをチェックする。

 店名のそばにややスペースがあった。そのままでも問題はなさそうだったが、空は、


「んー……あっ」


 何かひらめいたようだった。それを描きたすと、もう一度全体を眺め、満足そうにイーゼルに立て掛ける。"喫茶 オンダ"と書かれた横に、白のチョークで描かれたツバメが飛んでいた。


「うん。よしっ」


 空は黒板の載ったイーゼルの位置を微調整した。それからチョーク入りの箱を拾い上げ、店の出入り口へ赴く。

 空が店内に戻ると、カウンター内にいた道永は、


「サンキュ。そろそろ開けるぞ。遅らせなくても大丈夫だったな」


 と、どこか楽しそうに言った。空は箱をレジの下の定位置に戻し、笑顔で返す。


「うん、間に合っちゃったね」

「いい仕事してるな、空」

「ふふーどうも。ね、今日はどんなお客さん来るかなー」


 空の言葉に、道永は微笑みながら窓の外に目を向けて答える。


「どうだかな」


 そこには新たな季節を告げるかのような陽光が柔らかく射し込み、反射した光の粒子がきらきらと歓びに踊っていた。空が扉を開けると、まだ熟れていない春がふわりと店内へ入ってくる。


「じゃあこれ返しちゃうよ」

「ああ、よろしく」

「うん、それでは本日も」


 空はどこか嬉しそうに、扉の外側に掛けてある板に手をかけた。角を丸く加工されたその板を返すと、表には――


”OPEN”


#00の続きでした。

次回はなんとなく会話に出てきているJK登場。こうご期待。

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