熊と星と馬車の残骸
俺の予想を裏切って、同志は熊をアッサリと倒してしまった。
巨体の背中にヒラリと飛び移り、短剣で延髄を切断したのだ。
十秒とかからない、僅かな間の出来事だった。
桁違いの体力に物を言わせてゴリ押しするに違い無いと思い込んでいた俺は、そのあまりにも鮮やかな手腕に思わず感嘆の声をあげた。
やれば出来る子だったらしい。
‥‥なんてことを想像していたのであるが、勿論そんなわけがなかった。
両手に短剣を握った同志が巨熊へと飛び掛かる。
速い。
暗殺者というのは嘘ではないようだ。
カンストレベルの俺でも目で追うのがやっとのスピードである。
しかし、速すぎたのか、熊の手前でつんのめって立ち止まる。
そして、あっさりと押し倒される。
ついでに頭を齧られる。
「効かんわ!」
そう言って熊の巨体を手で押し返す。
ガッチリと抑え込まれていたはずなのだが、力ずくで跳ね返したらしい。
熊も負けじと張り合うが、力勝負は同志に分があるようだ。
拘束から抜けると、手に持った短剣を熊の首元に走らせる。
鮮血が飛び散るが、致命傷になるには巨体に対して刃が短すぎた。
すぐさま熊の牙が同志の顔面を捉える。
「効かんわ!」
同じ言葉を繰り返して、熊の横っ面を殴りつける。
よろめいた熊の腹部に蹴りを打ち込む。
蛮族かお前は。
もはや暗殺者の戦い方ではない。
噛まれては振りほどき、押し倒されては跳ね除けを繰り返している。
ちなみに確認すると同志のHPは200近く減っていた。
熊さん、ちゃんと効いています。
戦いに視線を戻すと、また同志が組み敷かれていた。
何回目だよ。
「なんだコラ! やんのかオラァ!!」
圧し掛かられた体勢のまま同志が吠える。
殺る気に決まってるだろ。
さっさとケリをつけようや。
十分近くかかった死闘も、最終的に熊の腹部をメッタ刺しにするという荒業で同志が勝利した。
「まあ、余裕だな」
どの口が言うか。
テントの周囲は熊の死体と飛び散った血で惨憺たる有様となっている。
自分達がやった事なのだが、戦闘の興奮が落ち着いてくると、妙に居心地が悪くなる。
深夜という事もあって薄気味悪い。
かといって、このまま放置するのも勿体無い気がする。
「同志、これは貴重な蛋白源だ。皮を剥いで肉を取ろう」
「へー、お前捌けんの?」
「え?」
「え?」
どうやら同志は獣の皮剥ぎをした経験がないようだ。無論、俺もない。
仕方ないので、二人で協力して適当にやってみる事にした。何事も経験だと言うしな。
そして後悔するのに五分も必要としなかった。
そこにあるのは、もはや肉塊。
死体は原型を留めない程のスプラッター状態になり、傷付いた内臓からは悪臭が漂う。
周囲に広がる光景は解体前とは比べ物にならない程のおぞましさ。
自分達が、何かとてつもなく恐ろしい行為をしているのではないかという錯覚にさえ見舞われる。
せめて手順くらいは勉強してからすべきだったと悔やんだが、もう遅い。
その内、血の臭いを嗅ぎつけた他の獣や、羽虫なんかも寄ってくるだろう。
こんなところに長居は無用だ。
よし、逃げよう。
俺達は急いでテントを収納し、足早にその場を去る。
結局、夜間行軍する羽目になってしまった。
同志と二人で、森と森に挟まれた狭い平地を歩く。
お互い口を開かないのは、俺達にグロ耐性が無かったからだ。
俺は自分で思っているよりも、ずっと繊細でヤワな性格だったらしい。
普段口にする肉を処理してくれる人達には本当に頭が下がる思いだ。
ぼんやりと夜空を見上げながら、あてもなく歩き続ける。
一体、いつになったら、この世界で人に出会う事ができるのか。
この世界に来てから、まだ丸一日も経っていないが、体感的には何十日も歩き続けているような気がしていた。
隣を歩く同志の存在がなかったら、俺は耐える事ができただろうか?
たった一人で、今頃何をしていただろうか。
そんな事を考えていた時だった。
何気なく眺めていた星の並びに、奇妙な点がある事に気付く。
俺は天体には詳しくない。
それでも、今、見えている星の並びが元の世界とは違うってことくらいは分かる。
異世界なんだから、地球とは見える星が異なっていても驚くに値しない。
俺が気になったのは、そこじゃない。
星といっても、その明るさは様々だ。
元の世界では、地上から見える明るさや大きさによって光度や等級で区分されていた。
俺の眼前に広がる星空には、一等星に値する明るさを持つ星が十数個見える。そしてそれらが明らかな規則性を持った並び方をしているのだ。
点在する星々に線を引いて星座の形を作るように、その一等星達にも線を引き、繋げていく。
それによって浮かび上がる形は、見慣れた文字、『アルファベット』と『アラビア数字』だ。
アルファベットが二文字。アラビア数字が一つ。
一度、脳が認識してしまえば、もうそれは文字にしか見えない。
『K2O』
見上げる俺の瞳に、それはハッキリと映っていた。
夜が明ける頃には、なだらかな傾斜が続く丘陵地帯に出る事ができた。
昨夜は、あまり眠れなかったので、小休止とする。
同志に夜空の星文字について話してみたところ「知るかよ」という最悪の返答を頂いた。
聞く相手を間違えたとしか言いようが無い。
この件については、俺が一人で考えないといけないようだ。
アルファベットもアラビア数字も、元の世界の言語である。
それが、この異世界の空に描かれている。
何者かが意図的に作ったものなのだろうか?
だとしたら何の為に?
その理由が分からない。
それとも偶然できた星の並びの悪戯なのか。
実のところ、俺は『K2O』という言葉を、どこかで聞いた事があるような気がするのだ。
あの後、ずっと思い出そうとしていたが、結局思い出せないまま夜が明けてしまった。
睡眠不足で頭もマトモに働かないので、今日は考えるのはよそう。
なにかの拍子に思い出すかもしれないしな。
「なあ、あれ何だと思う?」
ずっと考え事をしていた俺に、同志が声を掛けてくる。
同志が指差す先に、視線を向ける。
小高い丘の手前に、何やら黒っぽい塊が見える。
こちらからは、かなり距離があるので、小さな米粒くらいの大きさにしか見えない。
少しだけ悩む。
俺達の進む方角とは大きく異なる。
しかし、今、進んでいる方向に人里があるという保証もない。
ただ適当に歩き続けているだけなのである。
気になる物があるのならば、進行方向を変更したって構わないだろう。
とりあえず『遠見』スキルを使用して正体を確認する。
そして衝撃を受けた。
「馬車だ!」
息を切らして駆けつけた俺達が見たのは、横倒しになった馬車の残骸と、その周囲に転がるいくつかの死体だった。
先頭には、ハリネズミのように全身に矢を受けた二頭の馬が倒れている。
荷台の幌は大きく破れており、中にあるのは割れた小瓶や壷、散乱している木箱だけだ。
盗賊にでも襲われたのだろうか。
御者と思われる人物と、高そうな服を着た商人風の男、護衛らしき甲冑姿の二人の男。その四人が馬車の近くで倒れていた。皆、すでに息絶えている。
どの遺体にも、刃物で斬られたと思われる傷がいくつも散見できた。
がっくりと肩を落とす。
やっと人と出会えたと喜んでいたらコレだ。
流石にヘコまざるを得ない。
だが、少なくとも人間が住んでいる事は確認できた。
それに、馬車を使用しているという点や死体が鎧を身に付けている点などから、俺の想像していた中世風の世界である可能性が高くなった。
大事な情報を手に入れる事ができたと考えれば、そう悪いことばかりではない。
「酷ぇ事しやがる」
同志が吐き捨てるように呟く。
神妙な面持ちで地面に転がった遺体を抱え、野花が咲いている柔らかな草むらの上へ寝かせていく。
四つの遺体を並べ終わると、汚れた顔を幌の切れ端で拭き取り、乱れた衣類を整え始めた。
あいつなりの、死者への追悼ということなのだろう。
ちょっとだけ暖かい気持ちになった。
同志の行動を見て、俺も行動を起こすことにした。
遺体を見つけた時から考えていたことではあるが、一歩が踏み切れなかったのだ。
遺体の顔を幌で覆おうとしている同志に近づき、一歩下がるよう伝える。
同志は怪訝そうな顔をしたが、結局何も言わずに脇へ退く。
普段は抜けた事ばかり言っているが、こういう時は妙に察しがいい。
並べられた四つの死体の前に立ち、静かに両手を挙げる。
これから使うのは、最上位の神聖魔法『蘇生魔法』だ。
俺は、死んだ四人を生き返らせようとしている。
倫理や道徳を知らぬわけでもない。
この行為が許されるものなのか俺には判断がつかない。
けれど、こういった形での幕引きは、本人達も望んでいなかっただろう。
俺達が通りかからなかったら、このまま人知れず朽ちていったに違いない。
まるで自分達の末路を見せ付けられたようで気分が悪い。
それに四人は貴重な情報源だ。蘇生できれば俺達の利になるだろうという打算が無いわけじゃない。
もっとも、成功する確証は無い。
『ロードスリー』ではHPがゼロになっても『死亡』はしない。『戦闘不能』になるだけだ。
だから、『死亡』してしまった相手に、この魔法が効くのかどうかは試してみないと分からないのだ。
魔法の範囲を拡大させ、対象を四人に合わせる。
俺が魔法を発動させると、眩い閃光が四人の身体から発せられる。
光が溢れる度に遺体の破損部位がみるみる修復されていく。
周囲の木々や丘を光が白く染め上げる。
光が収まったのは、たっぷりと十秒は経ってからだ。
しばらく様子を見ていたが、四人が動き出す気配はない。
やはり無理だったか‥‥‥。
上手くいきそうな感触があった為に落胆が大きい。
同志の方を向いて首を左右に振る。
しかし奴は、何が何だか分からないといった顔をしていた。
そういや説明も何もしていなかった。
いきなり下がれと言って、魔法使って、振り向いて首を振ったわけだ。
向こうからすれば、「なにやってんだコイツ?」といった感じだろう。
その時、うめき声が聞こえた。
咄嗟に四人の方を向く。
さっきは気付かなかったが、良く見ると胸が上下している。
なんと成功していたらしい。
慌てて同志を呼び寄せ、二人で状態を確認する。
魔法のおかげで傷は完治している。
失った血をどうやって補完したのかは不明だが、血色も悪く無い。
思わず拳を握ってガッツポーズをとってしまう。
四人全てが生き返っていた。
「死んでなかったとはな。気付かず埋めるとこだったぜ」
あぶねーあぶねーと同志が笑う。
いや、どう見ても死んでいただろ。
お前、思いっきり触ってたじゃねーか。
あれを見間違えで済ます気なのか、こやつは。
四人がなかなか目を覚まさないので、その間に馬にも蘇生魔法をかけておく。
先ほどと同じように光が馬の全身を覆い、それが収まると馬達が生き返る。
やはり目を閉じたまま動かないが、呼吸をしている事は確認できた。
なんか命が安くなったように感じるな。
「あれ? 馬に刺さった矢が消えてる?」
同志が首を傾げる。
手で抜いたんだよ、俺が。
驚くところは、そこじゃないだろ。
倒れているが、馬車もまだ使えるかもしれない。
ひっくり返った馬車を持ち上げ、元通りに立て直す。
衝撃でいくつかの部位が壊れる音がした。
音がしたというか壊れた。
このままでは動かせそうも無い。
どうしたものかと頭を悩ませていると同志が近づき、壊れた箇所を器用に修復し始めた。
こういうのは得意らしい。
意外な一面にちょっと驚く。
同志は自慢げに俺を見上げる。
素直に褒めてやると、満足そうに笑った。
可愛い‥‥‥とは意地でも思わない。
というか、直っていなかった。
馬車はもう駄目だ。
一時間くらい経った頃、ようやく一人が目を覚ました。
護衛と思われる甲冑姿の男だ。
死んでいた時は年齢も良く分からなかったが、今見ると三十歳くらいに見える。
しばらくボケーっと空を見ていたが、突然跳ね起き、周囲をキョロキョロ見回す。
俺達に気付くと、警戒したのか半身になって、ゆっくりと後ずさる。
まあ、無理も無い。俺も同志も苦笑いだ。
「よう、体調はどうだ?」
こういう時、一番最初に動くのは同志だ。
片手を挙げ、友人に挨拶するような気軽さで身構える男に声を掛ける。
男は答えない。
用心深く俺達の動向を探っている。
そして自分の傍で寝ている仲間達に気付くと、俺達と仲間を交互に見つめる。
「安心しろ、なんかこう‥‥‥なんとかなった」
同志が非常に簡略化された状況説明を、大げさな手振りを交えて繰り返す。
言葉が通じていないと思ったのだろう。
もっとも、その説明では、言葉の壁の有無に関わらず通じるとは思えないが。
男は、仲間が無事なのを確認すると、俺達に向き直った。
先ほどに比べて、顔から険が消えているように感じる。
そして――
「貴公らが助けてくれたのか?」
日本語で話しかけてきた。
「お……おう! イエス! イエス!」
そして同志は英語で返した。
もう少し短い方が読みやすいかな?