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異変

「馬車から離れろ! 急げ!」


 山道脇にある大岩の陰に身を隠したベックが大声で指示を飛ばす。

 オルスが商人の首根っこを掴んで馬車の荷台から引き摺り下ろす。そのまま商人を抱えると馬車から離れた。


「キース、早くしろ!」


 俺もベックの怒声に急かされながら御者を抱きかかえると、全力で荷馬車から距離を取る。


 上空を旋回していたグリフォンが荷馬車の先頭にいる馬へ急降下してくる。

 商人が何かを叫んで、そちらへ走り出そうとするのをオルスが押さえ込む。

 グリフォンは馬の上へ着地すると、後ろ足で馬を掴み、荷台を引き摺りながら再び上空へと飛び立つ。

 ある程度の高さまで上がったところで縄が千切れ、大きな音と商品らしき瓶や箱を撒き散らしながら荷台が地面へ激突した。

 半狂乱で叫ぶ商人が煩い。

 奴は、もうこちらには興味を示さず、悠々と東の空へ去っていった。

 グリフォンが視界から消えるのを待ってから、俺達は立ち上がる。


「やっと行ったか」


「ひでぇ目にあった」


 互いに愚痴をこぼしあう。

 御者は泣きながら地面に蹲っている。

 一方で商人は、荷台の残骸に駆け寄って何やら喚いていた。


「グリフォンが出るなんて聞いてないぞ!」


「ギルドの手落ちだろ、冗談じゃねぇよ!」

 

 ベックとオルスも荷台の近くまで寄って、その惨状に顔を顰める。

 俺は会話には加わらず、蹲ったままの御者の肩を軽く叩いた。




 カレモスとアビコーラの間にある山道に魔物が出る。

 その噂は冒険者ギルドと商業ギルドを通して周辺の街へと広がった。

 魔物の正体についての詳細は不明だったが、カレモスの冒険者ギルドでヒポグリフである可能性が高いという話を耳にした。


 ヒポグリフというのは身体の上半身が鷹、下半身が馬の魔物だ。

 山奥に住んでいるが、たまに人里近くに現れて羊などの家畜を襲う事がある。

 といっても、知能は低く、性格も臆病な為、Cランク冒険者であっても追い払うのは簡単だ。

 だから安心して護衛依頼を引き受けたのであるが、出てきたのはヒポグリフではなく、グリフォンだった。


 グリフォンは上半身が鷹、下半身がライオンの魔獣である。

 その強さ、凶暴さはヒポグリフの比ではない。

 翼を広げた大きさは8メートル近くにもなり、大型の魔獣さえも捕食してしまう。

 ヒポグリフと姿が良く似ているのは、それがグリフォンと雌馬の間に出来た雑種だからだ。


 つまり、ヒポグリフが目撃されたのなら、その近くにグリフォンがいる可能性が高い。

 なので、冒険者ギルドでヒポグリフがいるという話を聞いた時に、グリフォンと遭遇する事態は充分に考えられたのである。

 小金欲しさに危険から目を背けて護衛依頼を受けたのは自分達だ。

 冒険者ギルドに文句を言うのはお門違いだろう。


「キース、戻るのと進むのと、どっちが早い?」


 槍を肩に担いだベックが訊いて来る。

 運搬していた荷物も壊れて地面に転がっているし、運ぶための馬は持っていかれた。

 すでに任務は失敗している。

 依頼主の商人には悪いが、もうどうしようも無い。


「このままアビコーラまで進んだ方が近いな」


「なら急ごうぜ、奴との再会は御免だ」


 オルスの言葉にベックも頷く。


「ついでだ、落ちた積荷も拾っていこう」


 オルスはそう言って、荷台の周囲に散らかる木箱から、まだ使えそうなポーションや食料品を革袋へ放り込んでいく。

 商人が何か叫びながらオルスへ掴みかかる。


「邪魔すんじゃねーよ」


「ふざけるな! これはワシの物だ!」


 商人は振り払おうとするオルスの背中に必死にしがみ付く。

 オルスは舌打ちをしながら商人を引き離し、その場へ突き倒した。

 

「馬も無しにどうやって持ち帰んだよ。いい加減に諦めろ」


「き‥‥貴様らが不甲斐無いからだ! 戦いもせずにコソコソ逃げおって!

 帰ったら損害分を請求してやるからな! 覚悟しておけよ!」


 尻もちを着いたままの商人がオルスを睨みつける。


「なにやってんだよ」


 ベックが呆れた声をオルスに掛ける。


「残していくのも勿体無いだろ」

 

「そうじゃねぇよ」


 ベックは溜息をついて首を左右に振った。

 まるで馬鹿を相手しているかのような態度だ。


「もう報酬は手に入らないんだぜ」


 その言葉を聞いて、俺もオルスも、ようやくベックの意図に気付いた。

 俺は背負っていた弓を構え、矢をつがえる。

 慌てて逃げ出そうとする御者を射殺すと、オルスも剣を抜いて商人の首を刎ねた。

 満足そうな顔でベックが頷く。


 これでいい。

 魔物に襲われた事にしておけば、疑う奴はいないだろう。

 グリフォンに襲われたのは事実だからな。

 依頼に失敗したのでギルドの評価が落ちるが、こればかりは仕方ない。


 俺達は商品をいくつか奪うと、アビコーラに向けて山道を歩き出した。








 しばらく進むと、遠方に長方形の石造りの建物がが見えた。

 山道近くに置かれた警備隊の詰所だ。

 周辺を見渡せる小高い丘に建てられており、配備された警備隊が山の危険から旅人や商人達を守っている。


 詰所は山道を通る者達への宿泊施設も兼ねており、有料だが安全に休む事ができる。

 昼夜問わず交代で警備隊が見張ってくれるし、有事の際も守ってもらえる。

 ちょっと割高な事を除けば至れり尽くせりの待遇が得られる。


 グリフォンは夜目が利かないので、行動するなら夜が望ましい。

 日が高い内は安全な場所で身を潜めているのも手だろう。

 そうった点からも、警備隊の詰所は休息する場にもってこいだ。

 いくらグリフォンでも石造りの頑強な建物を破壊する事はできない。

 心持ち早足で詰所へ向かう。


 ある程度近付いた頃、何か違和感を覚えた。


 気付かず進もうとするベックとオルスに声を掛けて制止する。

 二人が怪訝な顔で俺を見てくる。

 俺は声を殺して二人に姿勢を低くするよう伝えた。


 見張りが誰も立っていないのだ。

 警備隊の詰所の前には、いつだって2、3人の隊員が交代で警備している。

 それが彼等の役目なのだから当然だ。

 だが、今、そこには誰もいない。

 単純に職務をサボって詰所の中で寝ているだけ。

 そんな甘い考えを持つほど楽観的ではない。


 ベックとオルスも、俺の説明を聞いて顔を強張らせる。

 汗ばんだ手で武器を構え、戦闘の時にそうするようにお互いの間合いを開けた。


「何が起きている?」


「ここからでは良く分からん、近付くか?」


 もしも俺達の死角になる場所に警備隊がいたのであれば、何も問題は無い。

 しかし、何か厄介な事態になっていたとしたら?

 その場合は、近付くのは危険である。少し遠回りになっても迂回して進むべきだ。

 だが、グリフォンの脅威から逃れる為にも、日が落ちるまでは行動を控えたい。

 グリフォンに襲われるよりも危険な状況というのは、そうそう無いだろうが、危険かもしれない場所へわざわざ踏み入るのは躊躇われる。

 軽いジレンマに陥る。


「‥‥中を確認しよう。そんで、ヤバそうだったら逃げようぜ」


 オルスが剣を構えたまま、そう言って歩き始めた。

 俺はベックと顔を見合わせ、オルスの後を追う。

 

 詰所は、背の高い木製の杭が隙間無く打ち込まれた柵に囲まれているが、その柵には力ずくで破られた跡がいくつもある。

 その隙間から覗いてみるが、詰所の前は静まり返り、動くものは何もない。

 だが、正面扉が壊されていた。

 砕け散った扉の破片が周囲に落ちている。

 地面の上には引き千切られた衣類の切れ端と、人間だったものの残骸が散乱している。

 血の臭いが鼻を突く。


 中腰のまま、オルスが柵の隙間から一気に入り口付近まで走る。

 そこで立ち止まり、剣を構えたまま辺りの様子を窺う。

 安全を確認できたのか、俺達へ来るよう合図を出す。

 ベックと二人で用心しながらオルスの元へと早足で駆ける。

 

 そろそろ状況が飲み込めてきた。

 荒くなる呼吸を抑え込む。


 何かが詰所を襲ったのだ。

 人の気配がしないという事は、警備隊が全滅したか、ここを捨てて逃げ出したのかのどちらかだろう。

 できれば、後者だと思いたい。


「ベック、まだいると思うか?」


「ああ‥‥いるぜ」


 耳を澄ますと、建物の中から咀嚼音と人のものではない低い唸り声が聞こえる。

 戦慄が走った。

 石壁一つ挟んで、すぐ向こうに人肉を貪る怪物がいる。

 その事実にどうしようもない程の恐怖を感じる。


 汗ばんだ手で剣を握り、壊れた入り口まで忍び寄ると、そこから中を覗き見る。

 薄暗い室内はむせ返るような異臭が立ち込め、無数の羽虫が天井を覆っていた。

 その奥には、天井に届きそうな程の大きな影がいくつも見える。

 採光用の窓から白い筋が降り注ぎ、その影の一つを映していた。


「‥‥引き上げるぞ」


 押し殺した声でベックとオルスへ声を掛ける。

 全身は汗でびしょ濡れになっていた。


 相手が悪過ぎる。

 あれはオーガだ。


 オーガは3メートルを超える巨人で、冒険者が最も怖れる魔物の一つだ。

 知能は低いが、折った木を武器として扱う程度の知恵はある。

 筋肉質な全身を分厚い贅肉が覆っており、生半可な攻撃では通用しない。

 その上、痛みに鈍感で怯むという事を知らない。

 胸を突いても、腹を裂いても動きが止まる事は無い。

 動物なら何でも食べるが、とりわけ人肉が大好物で、人間を見つけると執拗に追いかけてくる。

 一、二匹程度なら倒せない相手でもないが、こいつらは数匹から十数匹の群れで行動する。

 捕まったら最後、生きたまま喰われる事になる。

 

 この分じゃ、警備隊は全滅したのだろう。

 あいつらは熊や狼などの野生動物との戦闘には慣れているが、魔物との戦闘経験は乏しい。

 ましてや、オーガが群れで襲ってきたのなら勝てるはずも無い。


 ベックとオルスも撤退の意見に反対するようなことは無く、黙って俺に従ってくれた。

 だが俺達が柵を抜けようとした、まさにその時。

 詰所の中にいたオーガが一匹、入り口からのっそりと出てきた。

 俺達を見つけると大きな咆哮を上げる。


 理由は分からない。

 こちらに気付いていたわけでは無いだろうから、単なる気まぐれか。

 それとも撤退する際に物音でも立ててしまったのか。

 とにかく、そいつは口中を血まみれにしたまま俺達へ駆け寄ってきたのだ。


「オ‥‥オーガ!?」


 ベックが悲壮な声で叫ぶ。

 運悪く一番後ろにいたベックは槍を構えるより先にオーガの太い手で足を掴まれ、そのまま詰所の前まで引き摺られていった。

 詰所の入口からは、咆哮を聞いたオーガの仲間達がぞろぞろと現れ、ベックの周りに集まっていく。

 ベックが大声で俺達へ助けを求める。

 俺とオルスはその泣き叫ぶ声を振り切るように、全力で来た道へ向かって走り出した。


 逃げ切るチャンスは、ベックは喰われている今しかないのだ。

 

 だが、今度は上空から甲高い声が聞こえた。

 見上げると、巨大な翼を広げた魔獣が詰所の上を滑空している。


「マジか!? こんな時に!」


 グリフォンだ。

 俺達の上をグリフォンが飛んでいたのだ。

 身を隠すべき詰所はオーガが占拠している。

 諦めに似た感情が全身を巡り、俺はその場に座り込んだ。

 その脇をオルスが駆け抜けていく。


 だがグリフォンは、俺達よりも、もっと大きな獲物に狙いを定めたようだ。

 オーガのすぐ上を何度も旋回し始める。


 グリフォンに気付いたオーガ達はベックを放り捨てると、慌てて詰所の中へ入ろうと走り出す。

 だが、一斉に入り口へ殺到した為、お互いが邪魔をしてつっかえている。

 グリフォンはそれを見越したように降下し、入り口付近で立ち往生している一匹を背中から押し倒す。

 うつ伏せになったオーガが、低い声で唸りながら暴れるがグリフォンはビクともしない。

 強靭な後ろ足で背中を掴むと、そのまま一気に飛び上がり、上空高くからオーガを放り落とした。

 勢い良く大地に叩きつけられたオーガは、何度も痙攣を繰り返した後、動かなくなる。

 ゆっくりと降り立ったグリフォンが、その肉を啄ばむ。


 残ったオーガ達もグリフォンを怖れてか、詰所の中に篭ったきり出てこない。

 詰所の入り口前には、放り捨てられたベックが、か細い声を上げている。

 まだ息があるようだが、ヘソから下が無い。

 あれはもう駄目だ。


 俺は震える膝に無理やり力を入れて立ち上がると、この場を離れるように駆け出した。

 すでに山道近くまで逃げていたオルスが手を振り、早く来いと急かしている。


 走りながら考える。



 山道にグリフォンが現れた。

 グリフォンだって、突然空中から生まれるわけじゃない。

 おそらく、別の地域からやってきたのだ。

 何故やってきたのか、どこからやってきたのか、そこまでは分からない。

 だが、オーガだって、この辺りに生息しているわけじゃない。

 あいつらも、きっと他の場所から移動してきたのだろう。


 詳しい事は全く分からない。

 それでも一つだけ分かっている事がある。


「異変だ‥‥!」


 存在しないはずのグリフォンとオーガ。

 この山道は昨日今日作られたものではない。

 何年も何十年も、ずっと使われ続けてきたものだ。

 いきなり、こんな魔物達が現れるはずがない。


「異変が‥‥起きている!」


 何度もその言葉を繰り返し、俺は走り続けた。

 








 気が付くと夜になっていた。

 オルスが肩で息をしながら、大木に凭れかかる。

 周囲を見回すが、特に危険な生物がいるようには見えない。


 たった一日で、これほど危険な目にあった事は無かった。

 ヒポグリフから荷馬車を護衛するだけの簡単な仕事だったはずだ。

 それが何故か仲間を失い、今なお、危険な山中に身を潜めている。


「くそったれが!」


 ベックの助けを求める声が未だに耳に残って離れない。

 そもそも冒険者ギルドが正確に調査していれば、こんな事態に陥らずに済んだんだ。

 いい加減な情報流しやがって!


 近くにあった小石を地面に叩きつけ俺は毒づいた。

 オルスが疲れ切った顔でこちらを見ていた。


「もうとにかく山を抜けようぜ。グリフォンを避けるなら夜の内がいいんだろ」


「馬鹿野郎! もうそんな次元の話じゃねぇんだよ!

 夜行性の魔物がウジャウジャいるかもしれねぇだろうが!!」


 未だに事態を飲み込めていないオルスに罵声を浴びせる。

 こいつは本当に馬鹿だな!

 グリフォンだけなら、こんな苦労はしてねぇんだよ!

 この山は、もう何が出てきてもおかしくない状況なんだよ!


 俺の大声にオルスが不満を爆発させる。


「この依頼を受けるっつたのはテメェだろうが!

 八つ当たりしてんじゃねぇぞ、コラァ!」


「お前も賛成してたろうがっ!

 俺一人に責任押し付けてんじゃねぇ!」


 売り言葉に買い言葉。

 苛々していた事もあり、俺は剣を抜いてオルスへ突きつける。

 オルスも剣を抜き、俺へ対抗する構えを見せた。


「おう、やんのかよ」


「やったろうじゃねぇか、ビビってんのか、あぁ?」


 深夜の山中。

 俺達はお互い剣を抜いて威嚇し合う。




 その時、白い光が周囲を照らした。

 俺もオルスも同時に動きを止め、光源へと視線を移す。

 それは山道からだった。

 淡く光る球体が宙に浮かび、ゆっくりとこちらへ向かってくる。

 俺達は急いで木々の間に身を潜ませ、光が通り過ぎるのを祈った。


 だが光は俺達のすぐ近くで止まり、そこから動かない。

 身体が小刻みに震えるのを抑えきれない。

 グリフォンにオーガ。

 次は何が来るというのか。


「どうしたの?」


「いや、何かいるからさ。獣かと思ったけど違うっぽいんだよね」


 話し合う声が聞こえた。


 人間だ!


 俺とオルスは泣きそうになりながら、山道へ飛び出す。

 白い光が俺達の顔を照らす。

 向こうの顔もハッキリと見ることができた。

 4人組の冒険者だ。

 全員が真っ赤な外套に身を包んでいる。

 脇に立っていた女が手を振ると、白い光がさっきよりも強くなり、一帯が昼間のように明るくなった。


「‥‥冒険者かしら?」


 何度も頷く。


「グリフォンとオーガに襲われたんだ。

 頼む、街まで送ってくれ。無理ならせめて同行させて貰えないか?」


 オルスが先頭にいた背の高い男にすがり付く。

 

「どうするよ?」


「冒険者なら自分で帰りなさいよ。

 私たちはジオーラへ向かわないといけないの」


 魔導師風の女が冷淡に言った。

 

「‥‥装備のローンも残ってるし」


「金か! あるだけ払う!

 それに、ホラ。こいつも売り払うと結構な値が付くと思うぜ!」


 オルスが革袋から取り出したのは、商人の積荷から奪った宝石類だ。

 マズいと思ったが遅かった。


「お前ら、何の任務でここへ来た?」


 長身の男の眼が鋭くなる。

 何か勘付いているのかもしれない。

 オルスの馬鹿野郎が!


「商人の護衛さ。グリフォンに襲われて俺達しか助からなかったが」


 大丈夫だ。

 グリフォンに襲われたのは事実。

 俺達が殺したという証拠は無い。

 だが彼の返答は予想外のものだった。


「知らなかったのか?

 グリフォンは人を襲わない」


「え!?」


 間の抜けた声が出る。

 オルスも驚いた顔で男の顔を見返していた。


「なのに商人が殺されたってのは妙な話だよな?

 どういう事かハッキリ話してもらおうか」


 どうする?

 オルスへ目配せする。

 相手は4人だし、見るからに場慣れしている。

 やりあっても勝てるかどうか分からない。


 だが護衛中の強奪は重罪だ。

 死罪か、奴隷落ち。

 そうで無くても、一生牢の中で過ごすことになる。

 そんなのはまっぴらだ。


 一か八か、こいつらを消してしまおう。

 向こうは油断しているのか、全くの無防備だ。


 俺は愛想笑いを浮かべながら近付くと、一気に剣を抜いて先頭の男の胸へ突き入れた。

 だから理解できない。

 さっきまで握っていたはずの剣が無い。

 何故か目の前にいる男の手の中にあった。


 隣でオルスが気勢を挙げて魔術師風の女へ斬りかかる。

 だが女は剣を軽く払いのけると、拳でアゴを打ち抜く。

 白目を剥いてオルスが崩れ落ちた。


「魔法を使うまでもないわ」


 何が起きたのか分からない。

 オルスに至っては素手の魔術師相手に接近戦で倒された。

 戦闘にすらならない。


「ああ、そうだ」


 長身の男が俺の剣を放り捨てて手を叩く。


「グリフォンが人を襲わないってのは嘘だからな」


 ニヤニヤ笑いながら俺の顔を覗き込む。

 もう言い返す気力も無い。

 脱力して座り込み、地面に両手を着いた。


「護衛対象を殺して金品を奪ったのね?」


 魔術師の女が冷たい目で見下ろしてくる。




 俺は素直に頷く事しかできなかった。














 

 その頃、ジオーラの街では、冒険者ギルドの再建が急ピッチで進められていた。

 とはいえ、建造重機も無いこの世界で、そんな早くに建築が終わるわけもない。

 建物が無くとも、冒険者への依頼が次々と舞い込んでくる為、大通りにある宿屋を買い取って仮設ギルドとしていた。


 仮設ギルドの最上階の一室に、老齢の男が事務机に座っている。

 ジオーラの冒険者ギルドの長で、この街を実質的に牛耳っている人物、リドールである。

 部屋の中には、彼の他にもう一人男性がいる。

 タウザという冒険者で、碧の翼という冒険者パーティーの一員だ。

 事務机を挟んでリドールと向かい合っていた。


「はい、そうです。デイビスの街にいるのは本物です」


 タウザはリドールへ一礼しながら答える。


「間違いないか?」


「間違いありません」


 タウザは、この街へ向かう途中、デイビスの街へ寄り、そこでデフォルトとレインの二人の噂を聞きつけ、襲い掛かったが返り討ちになってしまった経緯を伝えた。

 黙って聞いていたリドールの眉が吊りあがる。

 

「自惚れるなよ若造! 貴様ら風情が簡単に倒せるなら、ギルドも壊されておらんわ!」


 リドールが手元にあった羽ペンを投げつける。

 タウザは動かずに、それを額に受け、リドールの怒りが収まるのを待つ。

 リドールはその後も大声でタウザを罵倒し続け、土下座の姿勢を取らせたところでようやく一息ついた。


「ふん。で、戦った感想はどうだった」


 タウザのやられっぷりを聞きたいのか、どっかりと椅子に腰を降ろして、そう尋ねる。

 

「は、あの強さは人とは思えません。私ごときでは百人集まっても勝てないでしょう」


 なるべくリドールの機嫌を損なわないよう言葉を選ぶ。

 リドールは当然だと言わんばかりの表情でタウザを見下ろした。


「あれは、文字通り人間ではない。

 ワシはアークデーモンではないかと睨んでおる」


「まさか‥‥!?」


 リドールの言葉にタウザが目を見開く。

 アークデーモンと言えば、デーモンの中でも最高位の悪魔である。

 人では太刀打ちできない恐ろしい力を持つと伝えられている。

 

「あの時戦った冒険者達が何人も目撃しておるのだ。

 心臓に矢が刺さっても倒れず、血の一滴も流れなかったとな。

 そんな奴らが人間であるはずがない」


「は、仰る通りです」


 タウザはリドールの言う事を本気で信じたわけではない。

 あの二人は自分達を殺そうと思えば殺せたのに、簡単に見逃した。

 勿論、強さに絶対の自信があるからなのだろうが、デーモンがそんなことをするとは思えない。

 それに小さな街の小悪党を率いたりと、微妙に小物臭い。

 エメラルドが訪ねて行くたび、引き攣った顔で菓子を受け取るのを見てきた。

 明らかにその気は無いだろうに、なかなか口に出せないという優柔不断さも垣間見える。

 あの小市民とデーモンという言葉のイメージがかみ合わない。


 だが、それを口にしても、リドールの機嫌を損ねるだけだ。

 大仰な仕草で、その仮説を支持する。


 少しずつリドールの表情が緩んできた。

 タウザは安堵の溜息を吐く。


 その時、扉がノックされ、女の職員が入って来た。

 タイミングの悪さにタウザは心の中で毒づいた。


「ギルド長。公爵様がお見えです」


「今取り込み中だ! 追い返せ!」


 リドールは途端に不機嫌になって職員を睨みつける。

 睨まれた女性職員は怯えて肩を竦ませてしまう。


「こ‥‥公爵様をですか?」


「用がある時は、ワシが呼び出す!」


 女性職員の言う公爵とは、ジオーラの領主であるハウスベルク公爵のことだ。ハウスベルク地方一帯を統括する大貴族である。

 ギルドの長とは言え、そんな態度を取っていい相手ではない。

 不敬罪で処断されても文句は言えない。


 だが、冒険者ギルドだけは別だ。

 世界中の冒険者ギルドは横の繋がりで結ばれており、皇帝であっても手を出せばどうなるか分からない。

 特にリドールは優秀な子飼いの冒険者パーティーをいくつも持っており、竜殺しで有名な真紅の刃もその一つである。

 争いになれば、いかに帝国であってもただでは済まない。

 かつて、冒険者ギルドから権限を奪おうとした国の王が、民衆達が見ている前で、ギルド長に頭を下げて謝罪させられるという事件もあった。

 冒険者ギルドとは一匹の巨大な怪物なのだ。


 女が下がると、リドールは不愉快そうに鼻を鳴らし、再びタウザへ顔を向けた。


「それで‥‥奴らはデイビスに留まっているのか?」


「いえ、アビコーラへ向かうと聞きました」


 エメラルドから仕入れた情報を伝える。

 山道に出た魔物を倒しに行くという話も。

 それを聞いたリドールが気色ばむ。


「悪魔の分際で我々冒険者の真似事か!」


 拳を握り締め、壁を殴りつける。

 石造りの強固な壁が砕け、破片が周囲へ飛び散る。

 その剣幕にタウザが息を呑む。

 リドールは怒りの言葉を止まることなく吐き出し続ける。

 タウザは身を強張らせて怒りが過ぎ去るのを待つしかなかった。


「いや、待てよ?

 ということは、今デイビスに奴らはおらんのだな‥‥」


 突然、ピタリとリドールが動きを止める。

 何やら考え込むような仕草で所在なく机の周囲を行き来し始める。

 そして、ふいにタウザへ声を掛けた。


「タウザ。今から書く手紙を皇都へ届けろ」


 もうリドールの顔に怒りの色は見えない。

 代わりに不気味な笑みがこぼれていた。


 

かなり削ったけど、それでも長くなってしまった。

二話に分けるべきだったかも。

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