同志レイン
歩き始めて数時間。
日も傾き始めていた。
休みなしで歩き続けてきたが、全く疲れを感じない。
これもレベルを400まで上げた恩恵なのだろうか。
それに平然とついて来るわけだから、同志の能力も相当なものだろう。
今は左右を森に挟まれた平地に差し掛かっている。振り返っても、もう湖は見えない。
本来であれば、有り得ない行程で進んでいる。
有り余る体力あってのものだろう。
「確かに‥‥胸はもう少しデカくしときゃ良かったかもな」
「ようやくそれに気付いたか」
同志が自分の胸をペタペタ触る。
色気に乏しいといっても、見た目は若い女性の姿だ。
その行為に卑猥なものを感じてしまう。
‥‥中身が男だと分かっていても。
「だが、俺はこれくらいが好みだな」
いきなり異世界へ飛ばされ、しかも人が住んでいるかどうかも分からないという絶望的とも思える状況でも落ち着いていられる理由は、同志が比較的下衆な話題を振り続けてくれるからだ。
もしかしたら、気を使ってくれているのかもしれない。
「ところで『BHO』ってのは、どんなゲームなんだ?」
今、俺達が無茶な行進をしているのは、この世界の状況を確認する為である。
だが、最終的な目的は元の世界へ戻る事だ。
苦も無く簡単に戻れると考えられる程、楽観主義じゃない。
最悪の状況も想定しておかなければならない。
その為にも、お互い情報の共有は図るべきであろう。
「あー、『BHO』は近未来が舞台のRPGだな」
「へぇー」
近未来では短剣で戦うのか。
斬新だな。
「海面が馬鹿みてーに上昇して陸地が狭くなった世界でよ。生き残った者達が少ない資源を奪い合うゲームだ」
なにそれ怖い。
いや、ゲームなんてものは大体そういうものかもしれない。
現実では忌避されるようなものを疑似体験できるからこそ人が集まる。
『ロードスリー』だって、言い方を変えれば、金の為に刃物を振るって生き物を殺すゲームだ。
知らないゲームを聞きかじっただけで批評するのは良くないだろう。
「同志の強さは?」
「見ての通りだ」
同志は俺の方を向くと、どうだと言わんばかりに両腕を広げる。
わかんねーよ。
こいつに合わせていると頭が弱くなっていきそうだ。
俺はスキルの『人物鑑定』を発動させ、同志の能力を確認した。
【名前】 レイン
【Lv】 なし
【種族】 新人類 【職業】 暗殺者 【称号】 同志
【HP】 182000/182000
【MP】 0/0
【装備】 アサシンダガー カタール ハンドガン(6発) 黒装束 防弾シャツ 編み上げブーツ
【魔法】 なし
【スキル】 隠密(Lv5) 聞き耳(Lv5) 開錠(Lv5) 暗視(Lv5) 暗殺(Lv5) 罠発見(Lv5) 罠解除(Lv5) 危険察知(Lv5) 変装(Lv5) 命中(Lv5) 回避(Lv5) 短剣(Lv4) 射撃(Lv3)
色々おかしい。
レベルが無いのは、まあ良い。
ポイントを振り分けるスタイルのゲームは少なくない。
『BHO』もその手のゲームだったという事だろう。
そんな事より、HPだ。
『182000』って何だ?
イベントボスかよ。
プレイヤーの体力じゃねぇよ。不死身じゃねーか。
それに装備のハンドガンって‥‥チャカを持っているのかコイツ。
防弾シャツというのがあるくらいだから、銃撃戦なんかがある世界だったのだろうか。
何故そんなゲームで短剣を装備しているのかは不明だが、得てしてゲームでは銃より剣の方が強かったりするものだ。
深く考えない方がいいだろう。
そもそもレザージャケットを黒装束と言い切る辺り、開発者の適当さが窺い知れる。
称号には突っ込まない。
しかし暗殺者か。
コイツとの付き合いも数時間程度だが、どう考えても暗殺ってタイプには見えない。
明らかに選択ミスだろう。
いや、逆か?
暗殺者に見えないからこそ、暗殺者として優秀なのか?
まあ、ゲームで何の職業に就こうと自由だ。
ケチを付けるのはやめよう。
「しかし、レベルが無いから強さが分からん‥‥」
「強ぇーんだよ、俺は」
ふふんと小さな胸を張る同志。
ずいぶんと自信があるようだ。
確かにHPは異常だし、スキルも優秀なシーフのそれだ。
もしかしたら本当に強いのかもしれない。
「そういうデフォルトはどうなんだよ?」
「ん、見れないのか?」
「見れたら聞かねぇよ」
ごもっとも。
俺は聞いたけどな。
【名前】 デフォルト
【Lv】 400
【種族】 人間 【職業】 騎士
【HP】 9900/9900
【MP】 9800/9800
【装備】 騎士剣 正騎士の鎧 大賢者の指輪
【魔法】 火炎魔法(9) 水氷魔法(9) 雷撃魔法(9) 大地魔法(9) 閃光魔法(9) 補助魔法(9) 暗黒魔法(9) 無属性魔法(9) 神聖魔法(8) 古代魔法(7) 混合魔法(4) 精霊魔法(9) 召喚魔法(8) 禁術(4)
【スキル】 いっぱい
同志に説明する為、改めて自分の能力を確認する。
魔法の後ろに付いている数字は、その属性において習得した魔法の数だ。
属性魔法は基本的に9種類。混合魔法と禁術は5種類ある。
いくつか覚えていない魔法は、以前にも言った効果が分からない魔法だ。
危険を避ける為に習得そのものをしていない。
それでも、ここまで魔法を覚えているプレイヤーはまずいないだろう。
本来、暗黒魔法と神聖魔法は同時に習得できない。
テストプレイキャラだからこそ可能な無茶仕様なのである。
カンストプレイヤーだって、不可能なわけだ。
スキルに至っては多すぎて記載できない。
我ながら恐ろしい能力である。
こっそり装備している『大賢者の指輪』は消費MPが半分になるという優れものだ。
「魔法が使えるのか‥‥」
同志が悔しそうに呟く。
その顔には『俺も魔法が使いたい』という表情がありありと写っている。
そうだよね。使いたいよね。魔法は男の子のロマンだもんな。
しかし、それは無理というものだ。作品が違うのだから仕方がない。
そもそも同志のMPはゼロだ。
おそらく『BHO』には魔法というものが存在しなかったのだろう。
こればかりは諦めてもらうしかない。
「なあ、ちょいと魔法を使ってみてくれよ」
しばらく無言だった同志が提案する。
魔法が見てみたいらしい。
どれだけ観察しても、魔法を使えるようにはならないけどな。
それでも俺はこの提案を受けることにした。
この世界へ来てから、まだ一度も魔法を使っていないので、本当に発動するか確認してみたかったからだ。
周囲が森林なので、火炎魔法だと火災になる恐れがある。
俺は水氷魔法の一つ、『水弾』を使うことにした。
これは火炎魔法『火弾』の水属性版である。
水で出来た球状の塊をぶつけるという下級魔法だ。
同志を後ろに下がらせ、片手を挙げる。
感覚はゲームと同じだ。
元の世界にいた頃には感じなかった魔力の感触。
魔法を試すのは初めてだが、この世界でも全身に流れる力を感じる事ができた。
なら、後はマニュアル通りだ。
魔力を掌に集結させる。
『ロードスリー』の魔法を使うのは久しぶりだ。
だが、VRRPGの魔法は、異なるタイトルであっても、使用方法はほとんど変わらない。
これは単純に技術が進化していないだけなのだが。
『ロードスリー』以外のVRRPGなら、最近まで遊んでいた。
そのおかげで「魔法の使い方が分からない!」なんて笑えない事態に陥らずに済んだのは幸いだろう。
今の俺はレベルの所為で魔力が大幅に増加している。
威力を間違えれば森が消し飛ぶかもしれない。
慎重に魔力の量を調節する。
木を一本倒せるくらいの威力を想定する。
突き出した右手の前にサッカーボールくらいの水の球が現れる。
後ろから同志の驚く声が聞こえる。
俺は数メートル先にある大木に向かって『水弾』を打ち出した。
水弾は甲高い金属音のような声をあげ、凄まじい勢いで大木の中央部に命中する。
水弾がぶち当たった幹は、破片を撒き散らして爆散する。
それでも水弾の勢いは収まらず、そのまま進行上にある木々を次々と薙ぎ倒して森の奥へ直進していった。
やはりゲームのようにはいかない。
魔力の調整はもう少し練習しておいた方がいいかもしれない。
「マジかよ! すげぇじゃん!」
だが同志にとっては大成功らしい。
珍しく全力で賞賛してくる。
すげぇ、すげぇと連呼しながら、俺の頭をぽんぽんと叩く。
一応見た目は女性なので悪い気はしない。
失敗したとはいえ、魔法が使える事はわかったんだ。
今日はこれで良しとするか。
「俺にも教えてくれ」
無理だっての。
馬鹿な事をやっていたら、夜になった。
俺も同志も『暗視』スキルがある。
このまま旅を続行しても構わないのだが、同志の「寝かせろボケ」という一言で野営が決まった。
アイテムボックスから派手なオレンジ色をした半円状のテントを取り出す。
中世が舞台の『ロードスリー』においても、明らかに異彩を放っていた一品である。
テントの側面には露骨に企業ロゴが貼られている。大人の事情という奴だ。
森の中から薪に使えそうな小枝を集め、魔法で火を着ける。
さっきの失敗を繰り返すといけないので、レベルを10まで落としてから使用した。
火が着いたら食事だ。
だが俺の持ち物に食べられそうな物はない。
必然的に同志の食料を分けてもらう事になる。
近未来の食べ物が食べられるかも……と期待していたが、出てきたのは干し肉だった。
「食料は奪い合いだと言ったじゃねーか」
ですよね。
貴重な食料を分けてもらっている立場である以上、内容にケチを付けるのは礼儀に反する。
受け取った干し肉は有難く頂くことにする。
固かった……。
食事が終われば、もうやる事が無い。
俺達はテントに潜って休むことにした。
テントの中は狭い。
どうしても二人寄り添うように寝なければいけない。
こいつが色気の無い女で助かった。
もし妖艶な巨乳美女であったら、俺の理性は飛んでいたかもしれない。
そんなどうでも良い事を考えつつ俺はまどろみの中へ沈んでいった。
額に電流が流れたような感覚に襲われ、俺は飛び起きた。
同志も同じように身体を起こす。
周囲はまだ暗い。
「デフォルト」
「おう」
お互い顔を見合わせて頷き合う。
俺はこの感覚を知っている。
『危険察知』
身の危険が迫った時にだけ発動するパッシブスキルである。
これが反応したという事はつまり、今、俺達は危険な状況にあるという事だ。
テントの中にいるので、外の様子は分からない。
だが、森の中で遭遇する危険といえば野生生物が一番に思い浮かぶ。
魔物がいる世界ならば、魔物といったところか。
火を起こす際にレベルを下げてしまったので、もう一度上げておく。
剣の柄に手を沿え、緊張で荒くなった息を整える。
タイミングを合わせ、俺達は同時にテントを飛び出した。
同志が左に、俺が右に展開する。
剣に手を掛けたまま、周囲を見渡す。
街灯も無い森の中は漆黒の闇だ。
だが、俺も同志も『暗視』がある。
この暗い闇の中も問題なく見通す事ができた。
それは獣だった。
体長五メートルはあろうかという巨大な熊。
体高だけで軽く俺の身長を超えている。
それが三匹、テントをぐるりと囲んでいる。
同志の方を見ると、意外にも動揺しているようだ。
『BHO』は人間同士の争いがメインだそうだから、熊のような猛獣との戦闘は想定していなかったのだろう。
それとも、同志は『BHO』以外のVRRPGを遊んだ事が無いのだろうか?
あるいは単純な恐怖か。
俺達がテントから飛び出してきたので、熊達も動き出す。
同志の一番近くにいた熊が、その凶暴性を露にして襲い掛かる。
身体の大きさに似合わない俊敏な動きで接近すると、鋭い爪を振り下ろす。
辛うじて回避した同志ではあるが、動揺の為か動きが悪い。
ちょっと危ないかもしれない。
俺が救援に駆けつけようとするも、俺の前方にいた別の一匹が俺を標的に選ぶ。
こいつも同じように牙を剥き出しにして、俺に駆け寄ってくる。
だが、俺は慌てない。
奴の動きがスローモーションのように映る。
相手が次に取る行動、その軌道までが手に取るように理解できる。
Lv400は伊達じゃない。
右肩を砕こうとする牙を避け、胸を薙ぐ爪を見切り、『体術』スキルを使用して側面に回りこむ。
間を置かずに踏み込み、その太い首に剣を振り下ろす。
それほど力を込めなくても、紙を斬るように楽々と斬り落とすことができた。
音を立てて巨体が倒れる。
こちとら、五十メートルクラスの竜や巨人とも戦った事もある身だ。
充分なレベルと装備があり、ゲームの動きが再現できるなら、熊程度に負けるわけが無い。
後、二匹。
急いで振り返り、同志を襲うもう一匹の熊へ向かって剣を投げつける。
『投擲』『命中率上昇』『クリティカル上昇』スキルが発動し、投げた剣に不自然な動きと速度が加わる。
狙いに寸分の違いも無く、熊の額へ命中した。
剣は深々と柄まで突き刺さり、後頭部から剣の先が見えた。
熊は少しよろめいた後、真横へ倒れる。
残り一匹。
最初から全く動こうとしなかった奴だ。
こいつは、他の二匹よりも一回り大きい。
仲間がやられても、動じた様子は無い。退く気も無さそうに見える。
油断しない方がよさそうだ。
さっき剣を手放してしまったので、魔法戦術に切り替える。
森の中だから精霊魔法が有効だろう。
片手を熊に向けて挙げる。
だが、そんな俺を制して同志が進み出る。
「俺がやる」
お前、さっきグダグダだったじゃねぇか。
ゲームじゃないんだから、下手すりゃ死ぬんだぞ。
そう言うつもりだったが、同志の目はいつもと違った。
何というか、必死だった。
強がっているわけでも、自棄になっているわけでもなさそうだ。
俺は気付く。
恐らく、同志は今、戦っている。
自分の中に渦巻く恐怖という感情と。
それに打ち勝つためには、恐怖の対象である巨大熊を自分の手で倒す必要があるのだ。
逃げるのは簡単だ。同志のHPは規格外。熊程度では削りきれない。
俺に任せるのも簡単だ。突っ立っていれば、俺が一人で倒してしまえる。
だが、それでは駄目なんだ。
自らの手でケリをつけなければ、その感情は一生纏わり付いて離れない。
唯一、克服する方法があるとすれば、この場で恐怖と対峙する事だけだ。
その葛藤に打ち勝ち、同志は熊との戦いを選んだのだろう。
だから俺は脇へと退いた。
同志の道を遮らないように。
「さっき噛まれたけどな、全然痛くなかった」
「‥‥‥」
「これ、イケるわ、多分」
いつも通りだったわ。
『…』三点リーダじゃなく、『‥』二点リーダなのは仕様です。