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さんっ

「あ、あのっ! よよよ、よろしければ! 今度、お、お食事にでも、行きませんか……!」


 近所の商店街のお肉屋さんにて。

 真っ赤な顔の店主さんに、そう誘われた。


「……」


 少し足を延ばせば、大きめのスーパーがあるから、まとまった買い物はそこですることが多かった。

 でも、晩御飯のおかずを一品増やしたいな、とか、そういう時は、商店街で済ませてしまうこともあって、そういった時にはこのお肉屋さんを愛用していた。

 何故かって、いつもオマケしてくれるからだ。

 ……あの鶏肉は、ラブレターの代わりだったのだろうか。

 氷雨ひょうちゃんが美味しそうに食べていたけれど。


「あ、あの……」


 黙り込んでしまった私の様子を、店主さんが気まずそうに伺ってくる。

 

「……」


 何故だか。

 私の脳裏を、じわじわと氷雨ちゃんとの『ある思い出』が侵食していった。





「氷雨ちゃん、何を書いてるの?」


 氷雨ちゃんが、小学校4年生の頃。

 家に帰ってくるなり、居間の机の上で作文用紙を広げて、なにかを書きだした。

 同じく机で書き物をしていた私は(在宅で仕事をしているので、いつものことだったのだけど)氷雨ちゃんにそう訊ねた。

 すると氷雨ちゃんは、珍しく私の顔を見ないまま、言葉を返してきた。


「学校の宿題だよ。好きな物について書くの」


 私は興味を引かれて、氷雨ちゃんの手元の原稿を覗き込もうとした。

 しかし、氷雨ちゃんは身を乗り出して、私の鼻の頭に、ちゅっ、と口付けることでそれを遮った。

 驚いて鼻の頭を押さえた私に向けて、氷雨ちゃんは微笑んだ。

 ずいぶん大人っぽい笑顔だった。

 顔が熱くなるのがわかって、頭が混乱した。


「ひ、ひょうちゃ……っ」


唇の前に人差し指をたてて、氷雨ちゃんは言った。


「今度の参観日で、一人ずつ、自分の書いた作文を発表することになってるの。だから、今はまだ、内緒だよ」


 私には、頷くことしかできなかった。



 ――そして。

 参観日当日。

 順々に、『好きな物』について、発表していく子供達。

 それは宝物のぬいぐるみのことであったり。

 熱中しているスポーツのことであったり。

 飼っているペットのことであったりしたのだけど。

 氷雨ちゃんは。



「私の好きな物は、母さんです」



 誇らしそうに、そう言い放った。


「……っ」


 そこまでは、まだ良かった。

 まったく予想出来なかったわけでもないし、周りの保護者の視線も温かな物だった。

 気恥ずかしかったけれど、やはり、喜びが強かった。

 しかし。


「母さんの好きなところをあげると、キリがありません。まず、とても優しいところ。料理が上手なところ。綺麗好きなところ」


 顔が、どんどんと熱くなり、目が潤み始める。

 恥ずかしいったらなかった。

 でも、やっぱり嬉しかった。


「怖がりなところ、寂しがりなところ、少しおっちょこちょいなところも」


 ……ん? と首を傾げた。

 なにか雲行きが怪しくなってきたことに気付いた。


「ふわふわの髪の毛、色の薄くてすべらかな肌、垂れ気味の目尻を縁取る、長い睫。泣き黒子ぼくろが色っぽさも加味していると思います。本当に可愛い」


 ちょっと待て。


「穏やかな声で名前を呼ばれると、背筋が喜びで震えます」


 ちょっと、待ってよ。

 そんなの、『お母さん』に対して思うことじゃ、ないでしょ。

 ねえ。


「ひょうちゃ……ッ!」



「私は、母さんが、大好きです」



「……~~っばか」


これじゃあ、まるで――……。




「ただいま」


 玄関の扉を開けると、氷雨ちゃんのローファーがあった。

 足音が近付いてきて、まだ高校の制服を着たままの氷雨ちゃんが出迎えてくれる。


「おかえり。遅かったね」


 まだ陽も暮れておらず、別に遅い時刻ではない。

 授業が終るなり真っ直ぐ帰ってきたであろう氷雨ちゃんが着替えさえ済ませていない時刻だ。

 氷雨ちゃんは、私が出掛けて氷雨ちゃんより後に帰ると、必ずこの台詞を言う。


「うん、ちょっと、スーパーまで行ってたから」


 買い物袋を持ち上げて見せると、氷雨ちゃんは自然な動作で受け取ってくれた。

 そのまま踵を返して冷蔵庫を目指す。


「へえ、この前一緒に行ったばかりだから、商店街かと思ったよ」


 その後を追う足が、一瞬止まる。


「……うん」


 何故だか。

 目頭が熱くなったから。


「……母さん?」


 氷雨ちゃんの背中に、顔を押し付けた。


「どうしたの」


 心配そうな声が、頭上から降ってくる。

 氷雨ちゃんの背中に垂らされた長い黒髪に鼻を埋めて。


「なんでも、ないです」


 そう返したら。


「うそつき」


 そんな風に言われたから。


「うそじゃないよー、だ」


 子供っぽく、そう言ってみた。


 氷雨ちゃんは、小さく笑った後。

 くるりと振り返って、私の顔を覗き込み。

 赤くなっているであろう私の鼻の頭に、キスをした。


「嘘でも、嘘じゃなくても」


 そうして、私の頭に手を置いて、壊れ物に触れるみたいなやさしさで撫でながら。


「ずっと、傍に居るよ」


 そう囁いて、微笑んだ。





『ごめんなさい』

『えっ』

『お食事、いけません。家で、娘が待ってるんです』





「……はあ」


 溜息を吐く。

 自室の引き出しの中から取り出したのは、古びた原稿用紙。

 あの日、驚きと恥ずかしさと気まずさと困惑でぐっちゃぐちゃになった涙目の私に、氷雨ちゃんが無理矢理握らせたものだ。


「……」


 でも。

 それを、後生大事に取っておいたのは、私だ。


「……だって、やっぱり」


やっぱり――……嬉しかったのだ。



「……馬鹿は、誰よ」



 一人、呟いて――古びた原稿用紙ラブレターを、そっと抱きしめた。


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