にぃ
氷雨ちゃんは、本当によく出来た娘だった。
夜泣きもほとんどせず、言葉を憶えるのも早かったし、好き嫌いも言わなかった。
ただ、物心ついた頃……いいや、つく前から。
異常なほど、お母さん子だった。
何かといえば、私にくっつきたがって、自分からは決して傍を離れようとしなかった。
幼稚園に通うようになってからは、毎朝、迎えに来たバスの窓から身を乗り出して、姿が見えなくなるまで私に手を振り続けた。
私の姿を見つければ、どんなに距離が離れていても犬のように駆け寄ってくるので、多少心配になってしまうほどだった。
しかし、まだ幼かったことと、そんな様子がやはり親としては嬉しかったのもあって、ついついそのままにしてしまったのだ。
――それが、いけなかったのだろうか。
「母さん、一緒にお風呂に入ろう」
輝くような笑みを浮かべて、氷雨ちゃんが強請ってくる。
「……氷雨ちゃん。貴女、もう高校生でしょう?」
氷雨ちゃんは、一週間前に近所の高校へ入学した。
正直、氷雨ちゃんの成績だったら、もっと偏差値の高い高校へ進学出来たはずだし、学校の先生にもそう言われた。
ただ、自分がこうしたい、と思ったことだけは決して譲らない氷雨ちゃんは、どうしても近所の高校に通うと言って聞かなかった。
理由を訊ねた私に、氷雨ちゃんはこう答えた。
『通学にかかる時間を削減したいの。その分、母さんの傍に居たいから』
――教育を、間違ってしまったのだ。きっと。
「……それとも、いまだに自分で髪が洗えないとか言うつもりなの?」
わざと、厭味ったらしい口調で言ってやる。
これも氷雨ちゃんの為だ、と思う。
でも、氷雨ちゃんは、堪えた様子もなく、楽しそうに目を細めながら、口を開いた。
「流石に、そんなことは言わないけれど」
そうして。
自然な動きで右手を伸ばし、私の髪を一房掬って。
「母さんの髪なら、洗ってあげたいなあ」
その髪を、手の中で弄びながら、顔を近づけて。
「――もちろん、髪以外のところも、隅々まで」
そんな台詞の後、髪の先端へと口付けた。
「……ッ!」
かあっ、と。
顔が、一気に熱を持つ。
強引に振り解いて、背中を向けた。
「氷雨ちゃん、の……ばかっ!」
背中越しに、楽しそうな笑い声が聞こえた。
ああ。
――教育を、間違ってしまったのだ。きっと!