じゅぅしっ
帰り際の恒例行事であるショートホームルームは、無駄でしかないので迅速に撤廃を要求したい。
大抵の場合には大した連絡事項等ないのだし、重要な案件ならば紙面に内容をまとめて配布すれば良いのだ。
「……ちっ」
昇降口で、思わず舌打ちをしてしまった。
十五分前までは曇天で済んでいた天気も、現在では雨天に移行している。
天気予報はいつも通り嘘つきだったから、傘なんて所持していない。
普段であれば陽南に入れて貰うのだが、珍しいことに風邪をひいたらしく、今日は休んでいてこの場に居ない。あの役立たずめ。
「走るか」
呟いて、濡れ鼠になる覚悟を決めた。
雨が止むのを待つ、等という選択肢はない。
待っていても止むかわからないのに加え、一刻も早く帰宅したいからだ。
――……待っててね、母さん。
心の中で、最愛の人に語り掛ける。
ああ、一秒でも早く、抱きしめたい!
「あ、あのっ!」
踏み出そうとしていた足を止め、振り返る。
「……なに」
声を掛けてきたのは、頬を赤く染めた女子だった。
クラスメートではない、と、思う。
クラスメートの顔をしっかりと憶えていないので、多分、だけど。
ただ、タイの色が私と同じなので、同級生だということは確かだった。
「え、えっと、あの、か、傘、忘れたの?」
……見れば、わかるだろうに。
少し苛つきながらも、返事をする。
「うん」
「そ、そっか……」
「……」
「あ、あの!」
「なに」
その女子は。
慌ただしい動きで、己の手提げ鞄の中から、折り畳み傘を取り出すと。
「い、一緒に! 一緒に、帰らないかな!?」
叫ぶようにそう言って、俯きながら、それを突き出してきた。
「……え」
突然の提案に言葉を失い、茫然としていると、目の前の女子は、その態勢のまま、プルプルと震えだす。
「……」
数十秒経過した段階で。
「……ご、ごめ」
沈黙に、耐え切れなくなったのか。
か細い声で、紡がれかけた言葉を。
「家、どっち?」
遮って、そう問いかけた。
「え」
間の抜けた声と共に、上げられた顔は、やはり真っ赤で。
潤んだ眼が、少し。
ほんの、少しだけ。
――……母さんと、似ていたから。
「方向が、一緒なら。入れてよ、傘」
折り畳み傘は、二人で雨を凌ぐには、少しばかり小さくて。
どうしても、肩がぶつかってしまうのだけど。
一緒に帰ろうと誘ったのは彼女なのだから、多少の居心地悪さは勘弁して貰いたい。
「……」
横目で様子を伺ってみるが。
同級生であろう彼女は、先程から沈黙を貫いていて、足元ばかり見ている。
そんなに気まずく感じるのならば、会話したこともないような私のことなど、放っておけば良かったのに。
きっと、見捨てて帰ることが、出来なかったのだろう。……お人好しだ。
母さんみたいだな。いや、母さんのがお人好しだけど。むしろ天使、いや、女神様だけど。だって私の母さんだし。
……そんな風に、母さんのことを考えていたら、もっとずっと会いたい気持ちが強くなってきた。
後何百メートル歩けば家に着くかな、なんて。
そう考えながら、前方に視線を向ける。
「っ!」
次の瞬間には。
「えっ!?」
驚きの声を上げている女子には一瞥もせず、駆け出していた。
「母さんっ!」
視線の先には。
青色の傘を差した母さんが立って居た。
「迎えに来てくれたの?」
嬉しくて、咄嗟に抱きしめかけたが、寸前で思い止まる。
傘から飛び出して駆け寄ったせいで、体が濡れてしまったので、今抱きしめたら、母さんまで濡れてしまう。
……濡れた母さん。
字面的に、少しときめいてしまうのは、ひとまず置いておくとして。
「……うん、今日、傘持って行かなかったの、知ってたから」
母さんは、そう答えながら、私に傘を傾けてくれた、けど。
「母さん?」
何故か、とても、顔色が悪かった。
「か、母さん、どうしたの? まさか、具合悪い? 雨に濡れて、風邪でもひいた?」
焦りながら問いかけると、「ううん、大丈夫」と首を横に振ってくれたけれど。
母さんは、一瞬、息を詰まらせてから、言葉を続けた。
「あの子、誰? ……お友達?」
その言葉で。
「え? ……ああ」
完全に意識からフェードアウトしていた女子の存在を思い出した私は。
「ありがとう、ここまで傘に入れてくれて。助かった!」
距離をカバーするために、大きな声でそう礼を口にして。
「じゃあね!」
女子の返答は待たずに、母さんの肩に手を回して、足早に帰路を辿った。
だって、母さんの顔色が、本当に悪かったから。
早く、お風呂にでも入れて、暖めなければと、もうそれしか頭になかったのだ。
「……氷雨ちゃんの、ばか」
おひさしぶりです。またボチボチ書いていきます。