きゅぅ
「あー、もぉー……」
机に突っ伏して、情けない声を漏らす。
「……私のばか」
玄関から無理矢理追い出した時の、驚きと困惑に見開かれた氷雨ちゃんの目が、瞼に焼き付いて離れない。
――……あれは、完全にやつあたりだった、と、思う。
だって、氷雨ちゃんは、私のことが、その……大好き、だから。
だから、私と離れるのが、嫌だっただけなのだ。
それでも、いくら駄々を捏ねて見せたって、最終的には学校行事をサボる気なんてないのだということも、ちゃんとわかっていた。
氷雨ちゃんは、『いい子』だから。
だから。
『……寂しいよ、母さん』
あの時の私がすべきだったことは、そう言った氷雨ちゃんの頭でも撫でて、優しく送り出す、とか、そのようなことだったはずだ。
それなのに。
私は。
私は、思ってしまった。
『ずるい、よ』
――……『寂しい』と、素直に言える氷雨ちゃんを、ずるい、と。
『寂しい』と――……そう思っている私に気付こうともしない氷雨ちゃんを、ひどい、と。
そう、思ってしまったのだ。
それは、『親』の考えることではないと、思う。
「……ごめんなさい」
独り呟く、謝罪の言葉。
実際に氷雨ちゃんへ向けて送ることのない言葉。
だって、言えないだろう。
それを口にするということは――『認める』ということだ。
名状し難い、この感情の存在を。
「氷雨ちゃん……」
溜息を吐く。
今日から、2泊3日の野外活動。
その間、ずっと、ずぅっっと、氷雨ちゃんに会えないのだ。
――なにそれ、泣きそう。
でも。
受け入れ難い事実であっても、耐えるしかないのだ。
私は氷雨ちゃんの『お母さん』だから。
――……やっぱり、氷雨ちゃんは、ずるい。
「ばか。ばかばかばか。氷雨ちゃんの、ばか――……私の、大馬鹿」
独り言が、静かな部屋に溶けて、消える。
ああ。
「……寂しいよ、氷雨ちゃん」
本音を漏らした瞬間。
携帯が着信音を鳴らした。
「きゃっ!?」
驚いて声を上げる。
心臓に悪い。
新着メールが一件――……氷雨ちゃんからだった。
少し躊躇いつつも、本文を確認する。
『今、駅に着いた。陽南がバスで酔ったみたいで、トイレに駆け込んでいった。今頃マーライオンみたいになっていると思う』
そんな本文の後。
添付画像が、1枚。
「……えー」
それは、バスの車内で撮ったのだろう。
真っ青な顔で口を押えながらピースをしている陽南ちゃんの写メだった。
「えっと……」
返信をした方が、良いのだろうか。
でも、こんな内容を送られても、正直、困る。
携帯片手に悩んでいると、また新たなメールが届いた。
「きゃっ、こ、今度は何?」
メールは、案の定氷雨ちゃんからで。
『陽南を待っている間、売店に入った。そしたら美味しそうなお饅頭を発見したから、購入。一緒に食べよう』
――駅の売店で販売されているお饅頭の画像が、添付されていた。
「……いや、お土産買うの早いよ! 地元だよ!」
つっこんでいると、また着信。
もちろん、氷雨ちゃんからだ。
「……」
大きな溜息を吐く。
もしかして、2泊3日、ずっとこの調子でメールを送ってくる気なのだろうか?
確かに、登山したら頂上からの景色を写メして欲しいとは言ったけれど。
これでは、実況中継ではないか。
そんなに――……そんなに、私のことが好きなのか。
「ほんと、ずるいなあ……」
もやもやしていた気持ちが、消えていく。
抑えきれず、笑みをこぼしていると。
また、携帯が鳴った。
「でも、さすがに……ストーカーっぽいよ、氷雨ちゃん」
それでも、余計に頬がゆるんでしまうのだから。
――……もう、本当に、どうしたらいいのだろう。