幽霊さん、いらっしゃい
「ただいま」
誰もいないのに毎回自宅の玄関扉を開けると言ってしまう切妻であった。
「はぁ……」
憔悴した美耶は嘆息しながら靴を脱ぐのであった。
「お邪魔します」
そして九重は礼儀正しく脱いだ靴を綺麗に並べて家に上がる。切妻や美耶が脱いだ靴も揃える辺り結構面倒見がいいのかもしれない。
……。
…………。
………………。
ん?
何か、違和感が。
「ってぇ! 何で憑いて来てんの!?」
違和感に気付いた美耶が後方を頬を切るようなジャブを放つスピードで振り返ると九重がいたのだった。
「あ、いらっしゃい」
「普通に挨拶するんだっ!?」
「そりゃ、折角来たんだから挨拶くらいするだろ」
変な所で律儀な切妻であった。
「まぁ、リビングにでも行っててくれ」
そう言ってリビングの方向を指差して普通に自室に今日買った品々を置きに行く切妻。無神経なのか図太い神経なのかよく分からない人種だと美耶は切に思ったのだった。そんな彼女はキッチンに猫缶を置きに行く。九重はおずおずと示された部屋へと向かう。
さて、リビングに赴いた切妻(人間)と美耶(種族:猫の死神)と九重(享年十五歳の死霊)はソファに腰を下ろす。三人一列に並んで座る光景は傍から見れば少々異様に見えるかもしれない。因みに座り順は先に述べた名前の通りだ。
「……で」
溜息を吐きながら美耶が九重を睨みつける。
「何で憑いて来たのかな?」
九重は顔を伏せて言う。
「寂しかったから」
「寂しい……」
「誰も私に一瞥もくれなかった。耳元でどれだけ大きな声を出して呼んでも無視されて、目の前に立っても前方に何もないかのように進んできて突き飛ばされる。それで、私は死んで幽霊になったんだなって思った。拘束されてたけど、漸く自由に体を動かせるようになったと思ったら、死んでたんだ」
「…………そっか」
九重は拘束されてた、と言った。それはつまり少なくとも捜索願が出されてから一週間は誰かに拉致されていた事になる。もしかしたらその間に暴行を加えられたのかもしれない。食事は与えられなかったのかもしれない。そんな状況から脱したと思ったら死んでしまったという落ち。
「死んだって事に衝撃を受けて、ふらふらして途方に暮れて、休憩がてら誰かの自転車の上に座ってたら声を掛けられた。そこの髪の長い人に。驚いたよ、幽霊になって誰からも認知されなかった私の存在を認識してくれたんだから。それで、つい。喋れる人と一緒にいたいなって、思った」
どんな心境だったのだろうか? やはり最初は死を受け入れられなかったのか? それとも何も信じられずに自暴自棄となったのだろうか? 九重の顔をよく見ると瞼が少し腫れており、頬が少し濡れていた。それが物語るのは哀しかったのだろうと推測させる。誰からも見向きもされず相手にされない状況は酷だ。年端もいかない少女には精神的に来る所業だ。そんな中自分を認知してくれる存在はまさに希望だったのだろう。その希望を手放したくない、と、そう思ったのだろう。
さて、そんな九重を認知出来る人間の切妻は。
「あ、お茶入れなきゃ」
マイペース過ぎた。
「少しは空気読め!」
立ち上がる切妻を力づくで再び座らせに掛かる美耶。
「もうついて来た訳は訊いただろ? なら茶の一つでも出さないと粗相に当たるだろうが」
「空気読まない方が余程粗相だよ!」
「空気を読めと言うが、俺は読んだつもりだぞ? 話はそこで一旦終わったんだろ? ならその間に飲み物でもと」
「いやいや! ここは全部聞いた後に用意するのが普通だと思うよ!?」
「ていうか、俺はもう訊く事ないし」
「それは君だけだろぉがっ!」
とか横で吠え付いてくる美耶を無視して立ち上がる切妻はキッチンに向けて歩きながら言う。
「寂しいから来たんだろ。だったら俺が死ぬまでここにいればいいんじゃないか? そうすれば話し相手は少なくとも二人は確保出来るんだから」
それはつまり、九重に対する滞在許可であった。
何ともそんなにあっさりと許可したものだと思うが、彼にとっては九重の一言で充分だった。「寂しかった」それだけ。切妻も一人は寂しいと同じく感じているので、同情か憐憫か、はたまた親切心からか。それは本人しか知りえない。
切妻はキッチンでお茶の用意をし、ついでに茶菓子を持ってリビングに舞い戻って来た。右手にはお茶の入った湯呑みが三つ乗った盆を、左手には峠の茶屋とかで売ってそうな三色団子×三十が乗った皿を危なげもなく運ぶ。というか団子多過ぎやしないのだろうか?
「まぁ、一先ずこれでも食え。あ、お茶は温めにしておいたから」
美耶に一言言ってソファの前にある小さめのガラステーブルにお茶と団子を置く。切妻は誰よりも早く団子を三本取って食べる。食べ方が独特で指と指の間に串を挟んで食べている。食べ難そうである。
「どした? 食べないのか?」
早くも三本を食べ尽くし、新たに皿に乗っている三本を掻っ攫っていく。夕飯を食べた後なのによく入るものだ。スイーツは別腹だとかそういう女子特有の体の構造を有しているのだろうか? 切妻の性別は男だが見た目は女性にも見えなくもないのでその可能性は否定出来ない。
「……じゃあ、いただきます」
涙を拭いた九重が遠慮がちに皿に乗っている三色団子に手を伸ばし、口に運ぶ。
「あ、甘くて美味しい」
程よい甘さであった。この頃の三色団子は砂糖やら合成甘味料等をこれでもかと使っておりくどくなりがちであるのだが、これはそうなっていない。すっきりとしており、いくらでも食べられると感じてしまう。
「鶴屋の特製三色団子だからな」
「え、あの鶴屋?」
「そう」
鶴屋、とはこの仙原市で有名な和菓子専門店である。昔ながらの手法で和菓子を作っているので大量生産は不可能だが非常に美味であり、その甲斐があってリピーターを多く確保出来る程に評判がいい。毎日予約でてんてこ舞いだとか。
因みに近々店舗を一つ増やすそうだ。跡継ぎになれる人が二人いて、そのどちらも同程度の腕で人当たりもいい。店主はどちらかに決めかねたので店舗を増やす事にしたそうだ。ついでに従業員も少し増えていたので調度よかったそうな。これで少しだけ生産量を増やす事が可能となったのである。
「いいの?」
「何が?」
「食べて。だってこれ本来あなたが食べる為の物でしょ?」
「別に」
しれっと言う。
「一人で食べるより、皆で食べた方が旨いし」
切妻はまた皿から三本掴んで食べる。食べるの早っ。味わって食べているのかが問題だ。
「で、このお茶は?」
美耶が湯呑みに手を伸ばし、温度を確認する。確かに手で触った感じでは猫舌でも飲めそうな温度である事が分かった。彼女は湯呑みを近付け端を口につけて中に入っている液体を口内に流す。
「……苦っ」
顔を顰めて湯呑みを口から離し、舌を少し外気に晒すように出す。良薬口に苦しという諺はあるが、これはお茶であるからしてその定義は当て嵌まるものなのか? 一応お茶は昔は高価でそれこそ薬として飲用されていたから間違った表現ではないのだろう。しかし今日日お茶は質を考えなければ安価に入手出来るようになった。薬も普及はしたし、現代日本では薬としてお茶が飲まれるのはほとんどないと言っても過言ではない。
つまり、何が言いたかったのかというと、飲み物が苦い理由はもうない、という事だ(美耶の定義)。因みにそのカテゴリーにコーヒーと青汁は何故か含まれてない。謎である。
「うぇ〜。口直し口直し」
湯呑みを一旦ガラステーブルに置き、団子を頬張る美耶。
……。
…………。
………………。
「甘くない……」
美耶が訝しげに団子を見つめる。見た目は団子。触感も団子。しかし甘くない。御手洗や餡子、胡麻なら団子自体の甘さは控えめだがこれは団子単体を召し上がるものなのでそれを考慮して少しだけ甘味を強化しているのだ。なので甘くない筈はない。現に九重が甘いと言っていたのだ。
「あ、それはそのお茶の所為だ」
切妻が十本目の団子を頬張りながら告げる。
「お茶の……所為?」
「そう。それ、ギムネマ茶っていうお茶なんだ」
「ギムネマ……?」
聞いた事のない品名だった。死神である美耶は勿論であるが、日本在住で最近までは生きていた九重までも知らないぶつである。
切妻曰く。
「インド原産のお茶で、このギムネマ茶に含まれるギムネマ酸と呼ばれる物質が人間の味蕾に作用して一時的に甘味を感じさせなくするんだ」
因みに彼はこのギムネマ茶の情報をとある食べ物漫画で知ったので即日試したそうだ。その時甘味に選んだ物がスティックシュガーで、一気飲みしたらあまりの気持ち悪さと違和感に吐き出してしまったそうだ。なんでも校庭の砂を一杯口に入れてしまったかのようだった、とかなんとか。
「あと、これ飲んだ後に歯磨きもやめた方がいい。歯磨き粉の辛さが前面に出て口内が微妙な雰囲気に包まれる」
実体験者は語るのであった。
「……な」
「な?」
「何で甘味を消す作用のあるお茶をお茶請けと共に出すんだ君はっ!?」
これでは折角の旨いと評判の鶴屋の和菓子を堪能出来ないではないか! と言わんばかりに涙目になって悔しがる美耶。せめて前情報で甘味を消すとだけでも言ってて欲しかったと願うがもう後の祭りである。
「いや、甘いの食べた後に飲むと舌の上がさっぱりするから」
そう言ってギムネマ茶をずずずっと啜る切妻。全く悪びれていない。
「まぁ、何だったらそれ全部飲んで数時間後に食べればいいよ。そん時にはギムネマ酸の効果が切れてるだろうから」
切妻が美耶の持つ湯呑みを指差す。それを彼女は渋面で見る。どうもこの苦味は受け付けてくれないようだった。
「これって何処で売ってるの?」
「徒歩三分で行けるフクジュ薬局で売ってた」
九重が興味深そうに湯呑み内の液体を眺めての質問に切妻はギムネマ茶を飲みながら答える。因みにこのギムネマ茶の売れ行きは当然と言えばいいのかよくない。強いて言うなれば、ここ半年でそのフクジュ薬局でこのお茶を買ったのは切妻ただ一人だったりする。
「……ねぇ」
「何だ?」
「……こ「残したら許さない」のお茶を残すって選択肢は? って早いよ返答!」
美耶は意を決して言ってみたが無情にも即返される。
「アレルギーとかなら残すのは許す。だけど自分の勝手で一旦口にした物を残すのは食べ物に失礼だ。なので残すのは許さん」
目が本気と書いてマジだった。
「…………」
「…………」
「…………」
「……わ、分かったよ飲むよ飲めばいいんでしょ!」
あまりにも無言の威圧を掛けてくる切妻に耐え兼ね、美耶は覚悟を決めて湯呑みを煽り、中身を一気に胃へと流し込む。
「……〜〜〜〜っ」
そしてキッチンに走って水道水をたらふく飲んだのであった。甘さで中和出来ないのでせめて薄めて効果を弱めようという苦肉の策であった。そしてよたよたとソファへと舞い戻っていくのである。
「え、えっと」
団子を頬張りながら(まだギムネマ茶には手を出していない)九重がおずおずと手を挙げる。
「今更でなんだけど、お名前は?」
そう言えば自己紹介がまだだったのである。切妻と美耶はニュースで九重の事を知っていたが九重からすればこの二人は全くの赤の他人で名前なんて知る由も無かったのだ。
「あ、私は九重桜。死ぬ前は……中学生をやってました」
ちょっと切なくなる自己紹介だった。
「俺は切妻瑞貴。あと四日で死ぬ高校生」
「え?」
自己紹介で自分の死期をカミングアウトする切妻であった。
「私は美耶。猫で死神やってます」
「え?」
自己紹介で株式会社SHINI−GAMIの社員証を見せる美耶であった。
「あの、もうちょっと詳しく説明して?」
〜説明中〜
「あ、本当だ。これ耳だ」
「ふにゅぅ……」
美耶はフードを外され猫耳を白昼の元に晒され九重にふにふにされているのであった。
「それに髪の毛が凄い事に。メッシュ?」
「何それ?」
「知らないの?」
「生憎俺は世俗に疎いから」
「髪の毛の一部分だけ色を変える事だよ」
「成程」
「で、瑞貴さんは本当に四日後に死ぬの?」
「そうらしい」
「らしいって他人事のように」
「そろそろ……やめてぇ」
この会話の間にも耳をふにふにされていたのであった。
「で、今度はこっちから質問するけど」
「うん」
「どうして一週間行方不明だったんだ?」
まさかの弩直球。カーブでもなくフォークでもなくスライダーでもない。男なら真っ向勝負とでも言いたげに相手の事を考えてない質問であった。普通は持っとこうオブラートに包んだり遠まわしに訊いたりするものではないだろうか?
「あ、えっと。その……」
案の定、九重は口籠ってしまった。
「だぁかぁらぁ、少しは空気を読めぇ」
美耶が切妻に喰ってかかろうとするが、耳ふにふにをやられながらだったので勢いがなかった。
「だって、遠まわしに訊いたってどうせ質問の内容は変わらないだろ? だったらまどろっこしい事は抜きの方が早いって。それに俺は訊かなくてもいいけど死神さんがどうしても訊きたいって顔をしてたから言ってあげたんだけど」
「そういう意図だったんならありがたいけどさ、それでも少しはそういう遠まわしな言い方もしろっ」
「えっと、話していいのかな?」
「「どうぞどうぞ」」
二人は揃って話を譲った。美耶も訊けるものなら訊いておきたいというスタンスであったようだ。
「一週間。まぁ大体そのくらいかな」
九重はガラステーブルの隅に置かれたデジタル時計の日付を確認する。
「私は学校帰りに友達と帰ってたんだけど、忘れ物をしたのに気付いて一人で学校に戻ったの。その途中で後ろから誰かに口を布で押さえられて路地裏に連れて行かれたの。薬か何か染み込ませてたのかな? 意識が段々と薄れていって、気が付いた時には目の前が真っ暗だったの」
「夜だったからとか?」
「そうじゃなくて、目隠しされてたの。だから気が付いたのが何時だったかは分からなくて、目隠しを外そうにも手も足も縛られてたから自由に動けなかったの。しかも耳もヘッドフォンみたいなのがつけられてて音も聞こえなかった」
完全に人攫いに当人として遭遇してしまったようだ。
「そんな状態が結構長い間続いて、私は誰かに――恐らく私を拉致した人だと思うけど、場所を移動させられた。抵抗する気力も体力も無かった。連れて行かれた先で私は立たされ、首に縄を掛けられて締められた。足掻こうとしても足掻くだけ首の圧迫が増すばかりで余計に苦しくなった。で、唐突に苦しさが無くなって、目隠しもヘッドフォンも取れて手足も自由になってたの」
その自由になったというのが死霊になった瞬間なのだろう。
「あとはさっき言ったのと同じ。外に出て人に話し掛けても無視された。それで死んだんだと分かったの……っ」
九重の目に再び涙が溜まっていく。
「何で……私だったんだろうって思う」
嗚咽を堪えながら語る。
「何で私は連れ去られて、監禁されて、殺されなくちゃいけないんだろうって。私じゃなくてもいいんじゃないかって、思う。……でも、それでも、私でよかったっても思う。他の人が、例えば、友達が、私が体験したみたいに、一人で怖い思いをしなくて、死ななくて、よかった、って」
「…………」
泣くのを我慢している九重の頭に無言で手を置く切妻。そして優しく撫でる。
それが引き金となり、塞き止めていた感情が勢いよく流れだした。九重は赤子のように、大声を出して、泣いた。生への未練、死への恐怖。自身の死の直視と他人の死ではない安堵。様々な感情が胸中で入り乱れ、綯い交ぜになって渦巻く。
「泣きたい時は、思いっ切り泣いてね」
美耶は泣きじゃくる九重を落ち着かせるようにただただ優しく見守っている。彼女は死神だが、人が連想する死への恐怖の具現としての死神には見えない。
「無理に抑え込むと、余計に苦しくなるから。堪えようとしないで。我慢しようとしないで。泣いたら、泣いた分だけ楽になるから。だから、思いっ切り泣いて」
九重は頭を撫でている切妻の胸に顔を埋め、小一時間泣いた。ひたすら泣いた。