三羽烏の裏工作――後編
ドラゴンフルーツアイスは予想の味よりもクリーミーさが加わっていた。恐らく生クリームと牛乳が加わっている所為だろう、と切妻と九重は思った。
ついでに言えば、美耶にカーにラーにスーも同様の感想を抱いた。実は見つからないようにこっそりと美耶が気配を消し、更に抜き足差し足忍び足で人数分買いに行ったのだった。
因みに、切妻と九重とは席がほぼ対極の位置を選んでいたので食べている最中に発見される事は無かった。最初からこの席を選んでいた理由は、ここでも細工が施されていたからだ。切妻に貼られている札の破片が影響し、無意識のうちに三羽烏のいる方へと足を運ばせないようにさせていたりするからだ。まぁ、もし人が混んでいて近くに座られても大丈夫なように周りに人が座り込んで視覚から外れるような席を選んではいたのだが。
昼食を食べ終えた切妻と九重は席を立って移動を開始する。一匹と三羽も距離を開けて追跡を再開させる。
次に彼等は衣服売り場へと足を運んだ。切妻が行きたいと言ったので、九重は拒否なぞする筈も無く首を縦に振った。
「…………」
そこでは切妻が真剣な表情でジャージや作務衣を無言で吟味していた。ジャージに関しては素材、フィット感、通気性に撥水性、デザインを考慮。作務衣についてはまだのめり込んでから日が浅いからかサイズと色だけで好みを分けている。
吟味している際に、気に入らないものは即座に跳ね除け、目に留まったものは保留という事で前腕部に掛けるようにしている。
そして、残した衣類から更に選別を開始する。流石に全部を買う金銭を持ち合わせていないようだった。まぁ、昼飯だけでかなりの額を消費してしまったので仕方がないと言えば仕方がないか。
因みに、切妻が衣服を吟味している間九重はただじっと切妻を見ているだけだったりする。単に本気で衣服を選んでいる切妻を見たかっただけなのだが、猫と烏の死神からすれば、九重に対しては自分も衣服選んで「これ、どうかな?」と訊くらいはしなさいよ、とか、切妻に対してももう少し九重の事をかまいなさいよ、とか靴下コーナーの陰に隠れながら思っていたりする。
仕方がないので手出しをする事にした。
今回はスーが担当。切妻が動くのと同タイミングで旋風を発生させ、手に持っていた作務衣二着を吹き飛ばし、九重の手元へと向かわせる。
「っと」
九重はいきなり飛んで来た作務衣二着を落とさずにキャッチ。
「あ、悪い」
「ううん、平気」
作務衣二着を切妻に返そうとするが、途中でその手を止める。
「どうした?」
「ちょっとね」
言うが早いか、九重はばっと振り返る。そして目を細めると店内をじっくりと見渡す。
「? 誰かいるのか?」
人を探すように辺りに視線を移す九重に切妻は少し首を傾げながら問う。
「……気の所為だったみたい」
九重は嘆息しながら切妻へと向き直る。
「気の所為?」
「いや、いきなり服が飛んだからさ。何か人為的に思えて」
「成程な。でもどうやらこの店では普通に服が飛ぶようだが」
「えっ?」
切妻が近くにいた客を指差し、九重がそれを目で追う。すると、確かに独りでに服が飛び上がるではないか。そして飛び上がった服は綺麗に元の位置へと戻っていく。他の客にも指を巡らせ、それを目で追うと同様の現象が見受けられた。
「……ここの店のサービス?」
「どうやらそうみたいだ。ほら、店員が風操ってる」
今度は従業員を指す切妻。その従業員は指先をくいっと動かして風を生み出して服を戻す作業をしている。
「……でも、だったら何で私の方に?」
「大方、操作ミスなんじゃないか?」
まぁ、機械ではなく死神が起こす事象なので間違いは当て当然なのだが、それでも腑に落ちないと顔に表す九重である。
因みに、この店員はスーだったりする。更に言えば、スーが風を起こして吹っ飛ばしている衣服を持っている客は美耶にカーとラーだったりする。変装をして、あたかも客と店員に見せ掛けている。客の振りをしている一匹と二羽はウィッグを被ったりシークレットブーツを履いたりして誤魔化し、店員の振りをしている一羽は帽子を目深に被ってばれないようにしている。
ここまで苦労した甲斐あってか、二人には気付かれていないようだった。
((((あ、危なかった))))
咄嗟の変装(二秒で即着替え。変装セットは用意していた)でばれずに済んで心の中で安堵の溜息を吐く。
「あ、そうだ九重」
そんな一匹と三羽の事なぞ露知らずの切妻が手をぽんと打って九重に尋ねる。
「何?」
「その二つの作務衣だけど、どっちの方がいいと思う?」
「えっ? え、っとそうだね……」
急に振られて少し戸惑うが、ここで少し踏み出せばその後の行動に繋がりやすくなるかもしれないと思い、それにプラスして好きな相手の頼みを無碍に出来ないと言う感情が湧き上がり、九重は手に持っている二つの作務衣を交互に見定める。
が。
(……違いが分からないっ!)
九重は即行で頭を抱えたくなる衝動に駆られた。
なにせ、切妻が選んだ作務衣は両方とも藍色で、同サイズ、更にはほぼ同じ形状をしていたからだ。正直言って素人目でどう判断すればいいのだろうか? と別方面で悩む羽目になってしまった九重であった。
因みに、作務衣とは禅宗の層が雑事を行う時に着る衣であり、大衆と呼ばれる修行僧は黒色の作務衣を、住職等一定以上の資格を持っている僧侶が着る作務衣の色は藍色や茶色なのだそうだが、切妻はそのような事は知らないでいる。
それ以上に作務衣の事を知らない九重は必死こになって作務衣比べを行っていた。
(どっちだ!? どっちが瑞貴さんに相応しいんだっ!?)
と、ここで九重は気付いた。二つの作務衣の決定的な違いを。
「こっちがいいと思います」
そして、それに気付いたが故にあっさりと決めた。
「足首部分が紐で縛れる仕様になって、ある程度調節が利くから。逆にこっちはゴムで、少し圧迫されちゃうし、長い間使うとなるとゴムが伸びちゃって変えなきゃいけなくなるからこっちのゴムタイプよりも紐タイプの方がいいかと」
「分かった。じゃあこっちにする」
九重の意見を訊いた上で、ゴムタイプの作務衣を戻し、紐タイプの作務衣と事前に選んでいたジャージ一式をレジへと持って行く切妻。
「あ、あれ? 瑞貴さん的にはっていうのは無かったんですか?」
あまりにもあっさりした行動に九重は少しぽかんとしながらも、切妻の後について行く。
「だって俺の為を想って九重が選んでくれたんだろ。だったらこれでいいじゃん」
しれっと切妻はこっぱずかしい台詞を九重に投げかけるのであった。切妻の言葉で胸を貫かれた九重は顔を真っ赤にする。
「で、次は何処に行く? 今度は九重が決める番だ」
レジで会計を済ませると、未だに顔を赤く染めている九重に尋ねる。
「ふぇっ!? あ、あぁそうだね……」
九重ははっとして考えを巡らす。行きたい所行きたい所、と呪文のように心の中で呟きながら。
「……あ、私は『蓮朴庵』に行きたいな」
「『蓮朴庵』ってあれか? この間オープンしたばかりの甘味処」
「そう。今日は美耶ちゃんと一緒にそこに行こうとしてたんだ」
「そうか。でも昼食べて直ぐ……じゃなくなったな。二時間ばかり経ってる」
切妻は携帯電話で時刻を確認。現時刻は午後二時半となっていた。どうやら服を選んでいる時間が思いの外長かったようだ。
「まぁ、時間的に三時のおやつか」
「そうだね」
じゃあ行くか、と切妻は九重の手を掴んで甘味処へと向かう。因みに、衣服売り場へと向かう時も手を繋いでいたりする。傍から見ればカップルそのものなのだが、切妻としてはまた転ぶといけないからという理由で手を繋いでいる。衣服売り場へ行く時も現在も九重は内心どぎまぎしっぱなしである。
美耶とカーとラーとスーも変装を解いて後をつける。
そして『蓮朴庵』に着いた二人は店内に入る。店の中が一杯の時に備えて店内で注文して店の外にあるベンチでも食べられるようにしてあった。折角なので外で食べる事にした切妻と九重は注文を終えて外のベンチに座る。
先に渡されていた緑茶を暫し堪能していると、頼んだ品が運ばれてきた。
「お待たせしました。三色団子と御手洗団子と胡麻団子と素甘と葛餅と餡ころ餅と黄粉餅と蓬餅とずんだ餅と羊羹と水羊羹と芋羊羹と御汁粉と善哉とカステラと抹茶カステラと――」
「「「「頼み過ぎ」」」」
つい突っ込んでしまった一匹と三羽であった。きちんと小声で、店からある程度離れて見付かり難い場所で。
まぁ、端的に言えば全商品を一品ずつ頼んだのであった。
「じゃあ、食うか」
「そうだね」
何も動じていない九重と頼んだ張本人の切妻は手を合わせて頂きますをする。
これ等全てを食べれば軽く生活習慣病である糖尿病との闘病生活が幕を開けるのではないかと思ってしまうが、それはそれ。死神は生活習慣病とは無縁の存在なのでどうとでもなるのであった。
「お、この蓬餅旨いな」
「抹茶カステラも美味しいよ」
と二人は互いに感想を言いながら食指を進める。
「……生温いなぁ」
そんな二人の姿を見て美耶がぼそりと呟いた。
「「「そうでしょうか?」」」
三羽烏は至って良好な雰囲気だと思っているが故に、美耶がどの辺りに不満を覚えたのか分からなかった。
「よぅっし、ここは私が更にあの場を温めてあげよう」
言うやいなや美耶は俊敏な動作で店の陰へと移動し、自身の武器である指先に刃物がついた手袋を右手に嵌めて、一閃する。
すると、
「あっ!」
九重が声を上げた。別に美耶に不意を突かれて攻撃されたからではない。手に持っていた緑茶を零して手に引っ掛けてしまったからだ。
否、零されたのだ。美耶によって。
美耶は刃先を器用に使って緑茶を叩き落としたのだ。任務を遂行し終えるとさっさとその場を離脱する。
「大丈夫か? 火傷しなかったか?」
切妻が心配しながらハンカチを取り出す。
「うん。このお茶温かったから火傷はしてないよ」
九重は床に落ちたにも関わらず割れずに済んだ湯呑みを拾いながら答える。
「そうか。それはよかった」
と言いながら切妻はハンカチを使って九重の手を当然のように拭いていく。
「い、いや自分で拭くからっ!」
今日何度目かも分からない赤面を披露しながら九重は切妻からハンカチを引っ手繰ろうとするが、如何せん普通にハンカチを握っている所為か掴めはするが引っ手繰りは出来なかった。
されるがままに九重は手を拭かれ、手を拭き終えた切妻は床に零れた緑茶を綺麗に拭きとっていく。
そして、切妻は店員を呼んで新しい緑茶を頼んだ。
「ふっふっふ、成功」
美耶は二人の様子を見ながら口元を吊り上げた。
「「「流石」」」
カーとラーとスーは拍手を美耶に送っていた。
放心状態に若干足を踏み入れつつも、九重は切妻と一緒に和菓子の味の感想を言い合う作業に戻った。正直言って、味が分からなかったが。
全部を食べ終えて、店を出る切妻と九重。
「……なぁ、九重」
店を出ると直ぐ様切妻は九重に話し掛ける。
「な、何かな? あ、次何処行こうか?」
九重は切妻の次の言葉を予想して前振りをする。
「お前、今日はもう帰って休んどけ」
「……………………え?」
が、それは無駄に終わったようだ。
九重は一瞬何を言われたか分からずに脳がフリーズしかけたが、直ぐに再稼働される。
「そ、それはどういう」
「言葉通りだ」
瞳に色が見えなくなってしまった九重に切妻はすっぱりと告げる。
「今日は何もない場所で転びそうになるし、上の空みたいな状態にもなるし、茶は零すし、それに少し熱っぽいぞ。もしかしたら風邪かもしれない」
「い、いや、死神は風邪引かないじゃん」
「あぁ、そうだったな。なら知らないうちに呪いでも掛けられたのかもしれない」
切妻は真剣な面持ちで九重を見る。
切妻はあくまで九重の体調を心配をして言っているのだが、それは全くの要らぬ心配であるが切妻は九重の身に起きた真実を知らないでいる。
「だから、今日はもう帰って、病院にでも行け」
「だ、大丈夫だよ」
「いいから、行っとけ」
少し涙目になりながら訴える九重に、切妻は優しく諭すように告げる。
「悪かったな。今日は体調悪いのに振り回して」
そして申し訳なさそうに言う。
(違う。違うよ瑞貴さん……っ! 私は呪いなんて掛けられてない。今日転びそうになったりお茶零したりしたのは認める。けど、他は決して体調が悪かったからじゃないよ……っ!)
九重は言葉に出来ず、ただただ心の中で叫ぶしかなかった。
心配してくれるのは嬉しい。でも、自分の気持ちに全く気付いてくれないのは酷い。気付くどころか呪いを掛けられたと誤解されてしまう事が特に堪えられない。
九重は首を垂れ、くしゃくしゃに歪めて涙を堪える様を切妻に見せないようにしている。
「……これは」
「……ちょっと」
「……いやそれ以上に」
「……かなり」
「「「「……不味い状況に」」」」
柱の陰から様子を窺っていた美耶とカーとラーとスーは冷や汗をだらだらかいていた。
なにせ、九重の症状の大部分は彼等が引き起こしたものないしはその副産物なのだから。
よかれと思ってあれやこれやと手出ししていたのが、まさか仇となってしまったは。更に、この展開は九重の心に深く傷を負わせたようなものに見える。
どうする? どうすればこの最悪な状況を打破出来る?
「……ならば、我が」
と、ラーが決死の覚悟で行動に出た。
その行動とは、
「御主人っ!」
「ん? は? ラー?」
突如現れた会社にいる筈のラーを見付けて目を瞬かせる切妻。九重もラーの存在に気付いたが、顔を上げる事は出来ない状態にある。
「九重殿は呪いに掛かってなぞいません。九重殿はカーが起こした風によって転びそうになったり、美耶殿の巧みな指捌きで緑茶を落としたにすぎません」
ラーは、正直に原因は自分達にあると報告しに行ったのだ。
「……詳しく聞かせて貰おうか」
切妻はラーの肩を掴む。指が肩に食い込んで痛みを覚えたが、それ以上に切妻の声音と眼力が怖かった。声は身体を震え上がらせ、視線は心の臓を貫くかのような錯覚を覚えた。
「……それと、死神さんとカーとスーも出て来い」
大きくはないのに響き渡る声に呼ばれて心臓を跳ね上げながら、柱の陰から残りの一匹と二羽は観念して飛び出し、即土下座をするのであった。そして彼等と並んでラーも土下座に加わる。
「「「「済みませんでした」」」」
切妻はそんな一匹と三羽を無言の圧力で顔を上げさせ、人気の無い場所に移動するぞ、と目で訴える。猫と烏の死神は即座に人払いの札を床に貼り付けて周りから人を撤収させる。
「「「「これで移動する手間が省け「いいから訊かせろ」……はい」」」」
背後に鬼が見え隠れする切妻とまだ落ち着かない九重の両名に今回の計画を事細かに説明した。
訊いてるうちに、九重は段々と顔を赤らめ、肩をわなわなと震えさせ、終いには顔を手で覆ってその場にへたり込んでしまった。
なにせ、説明の過程で他人によって切妻の事が好きだと本人にばらされてしまったのだから。それプラス切妻が九重の事を少なからず想っている事を改めて知らされたから。それを切妻は至って普通にしているが。
「……おい、お前等」
「「「「は、はいっ!」」」」
切妻の静かな怒声に背筋をぴんと伸ばす美耶とカーとラーとスー。
「危うく九重に怪我させるとこだったぞ? それ分かってるか?」
「「「「は、は「いや、分かってないな」いって返答早何でもないです」」」」
ぎろりと睨みつけて黙殺する切妻。哺乳類と鳥類は震え上がる。
「九重は危うく転んで鼻を打ち付けたり手に火傷を負うかもしれなかったんだぞ?」
「「「「は、反省してます……」」」」
「悪ふざけは程々にしておけよ。……今度こんな真似したら」
「「「「ま、真似したら?」」」」
「蛸アイスを一人一キロ無理矢理食わすからな」
「「「「もう二度といたしませんので、どうかそれだけは勘弁して下さい」」」」
彼等も蛸アイスは二度と口にしたくはないので、この脅しは予想以上に効果があった。
「……で、九重」
切妻は彼等から視線を外して九重を見る。
「ひゃ、ひゃいっ!」
いきなり呼ばれて立ち上がり、舌を噛んだ九重。
「お前はいいのか?」
「いいにょかっちぇ!?」
もう噛み噛みの九重だった。
「俺が九重の恋人になっても」
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………ぇ?」
長い間思考を停止した九重は呆けた顔でそう漏らすしか出来なかった。
「今、何て?」
思わず聞き返してしまった九重。
「だから、俺が九重の恋人になってもいいのかって言ったんだよ」
切妻は真顔で告げる。
その言葉を訊いた瞬間、九重の眼から止めどなく涙が溢れ出た。
「どうした? もしかして嫌だったか? つーかさっきの話こいつ等のデマだったのか? だったら不快な思いをさせて悪かっ」
「違うよっ!」
九重は切妻にボディークローを炸裂させる。今までの鬱憤が乗った渾身の一撃であった。
「私は嬉しいよ!」
「そ、そうか」
腹を押さえて蹲る切妻。どうやら鳩尾にクリーンヒットしたらしい。
「逆に訊くけど、瑞貴さんはどうなの?」
「俺か? 俺も嬉しいぞ」
腹の痛みで苦悶の表情ながらも自分の気持ちを口にする切妻。
「俺だって九重の事好きだからな」
その言葉で九重は更に顔を赤らめ、涙を流した。
「え、えっと。泣いてる理由は?」
「嬉し泣きですっ!」
再びボディーブローをかます九重。今度は下腹であった。切妻は鳩尾を押さえていた為に防げなかった。
「えっと、何時から私の事好きだったの?」
率直に訊く九重。初めて会った時、ではないだろう事は予測しておく。というかそれは絶対に無いと確信出来る。
「あ、あの時から徐々に……」
苦しそうに呻く切妻。
「あの時って」
「去年の、八月……」
「……あの時か」
それは切妻にとって忘れる事の出来ない出来事が起きた日だ。それはいい意味ではなく、悪い意味で忘れる事は出来ない。いや、忘れてはならないのだ。切妻はそう思っている。
「あの時、九重が俺を励ましてくれたのが切っ掛け。それから、俺は九重を意識するようになった。今にして思えば、我ながら単純だったと思うよ」
「いや、単純じゃないよ。それだったら私の方も単純だし」
そう、自分に優しくしてくれたから、他人に優しくしていたのが切っ掛けで好きになったのだから。
「で、順序があやふやになったんだが」
「ん?」
切妻は痛みを堪え、居住まいを正して九重に向き直る。
「付き合って下さい」
真っ直ぐで率直で何の捻りも無い告白。切妻の眼は九重だけを捉えている。
「はい」
九重は涙を拭きながら笑顔で首を縦に振った。
「で、恋人になった私からお願いがあるんだけど」
「何だ?」
切妻は訊き返す。
「キスかな?」
「いや、一緒に暮らそうとかでは?」
「それとも、抱いて欲しいとか?」
「結婚して下さいでは?」
「「「それだ!」」」
「外野は黙っててくれるかな?」
蚊帳の外状態だったのをいい事に勝手に白熱して茶化しに掛かる美耶とカーとラーとスーに九重は絶対零度の笑みで黙らせに掛かる。四人はこくこくと頷くしかなかった。
「で、お願いって?」
「その……私の事名前で呼んで下さい」
少しもじもじしながら九重は言う。
「……それだけ?」
つい、訊き返してしまう切妻。
「……はい」
九重は少しだけ顔を赤らめる。その様子が酷く可愛いくて愛しくて切妻は笑みを浮かべる。
「分かったよ、桜」
こうして、めでたく切妻瑞貴と九重桜は恋仲となった。
一時期は危うい雲行きだったが、カーとラーとスーの三羽の計画は一応は成功を収めた。
次の日には美耶が課員全員に切妻と九重が恋人同士になったと盛大にばらした。
その日の夜は、盛大に祝賀会が開かれたそうだ。あまり動揺しない切妻もこの時ばかりは焦ったそうだ。九重も焦った。後輩に祝われるのが気恥ずかしかったのだ。
そして、この話の落ちはと言うと、
「で、切妻先輩と九重先輩は何時結婚するんですか?」
と言ってきた後輩の死神を二人揃ってどついたのを合図として、軽く乱闘騒ぎになったのだった。
乱闘の最中も、切妻と九重は笑顔を浮かべていた。
両者の想いが、漸く通じ合ったのだから。




