三羽烏の裏工作――中編
さて、三羽がこの計画を実行しようと思った経緯というのは、御主人と呼んでいる切妻の態度に煩わしさを覚えたからだ。
切妻と再会したのが今から約一年半前。カーとラーとスー、それに九重は切妻が仮眠に出て行った筈の美耶の後から怨霊成仏課に入ってきたのを見て、駆け寄った。九重は泣いていたが、三羽は妙なハイテンションに駆られて切妻を担ぎ上げると胴上げを始めた。十人十色で再会の喜びを表していたのだった。
因みに、この時に三羽はまだ煩わしさを覚えてはいなかった。
覚えたのは再会してから約三ヶ月後。歴で言う八月の半ばのある出来事がきっかけであった。その出来事を境に、切妻が九重に対する接し方を変えたのだ。
その接し方と言うのも、他人から見れば微々たる変化しか見受けられないのだが、三羽と一匹からすれば結構な変わりようであった。切妻の接し方を無意識のうちに感じ取ったらしい九重はこの時点ではまだ恋心を自覚していなかったが、傍から見れば切妻の行動によって一喜一憂の差が激しく、気にしているのだなと分かる程に意識しているように見えていた。
三羽は二人の互いに意識しつつもあと一歩踏み出せない状況にやきもきした。特に切妻の態度に、だ。
あんな微々たる行動では相手をものに出来ない、とまでは言わないがそれでももう少し積極的にすればいいのに、と野生烏だった三羽は思ったのだった。野生では子孫を残す為には積極的にアピールをしなければいけない。相手に気に入られなければそれまでなので、伴侶を得る為には必死になるのだ。なので、この切妻のスタンスにカーとラーとスーは煮え切らない人だと考えるようになった。
いや、切妻はあまり人に恩着せがましく振舞う事をしないから奥手に接するだろう事は分かってはいるので仕方がないと言えば仕方がないのだが、それでもこうなんとかならないだろうか? と三羽は溜息を吐いていたりもする。
九重に対しても同様の感情を持ったのだが、つい一ヶ月前に腹をくくり、切妻に告白すると怨霊成仏課でその場にいた課員に宣言していたらしいと知り、内心で応援する事にした。因みにこの告白する宣言の日には小会議が開かれており、切妻と三羽はそちらに出席して宣言を訊いていない。また、切妻が会議を途中で抜け出してしまい急遽三羽は切妻を追い掛けて捕獲し、会議へと舞い戻った。
今更ながら、この時、九重には悪い事をしたと思っていたりする。なにせ、切妻を発見した時には九重と二人きりだった。もし自分達があの場に行くのがあと三十秒、いや、五秒でも遅ければ告白をしていたかもしれないのだから。
そう思うと罪悪感で胸が締め付けられる。実際にその日の帰り際に美耶から事の顛末を訊いた時にはカーとラーとスーは胸を抑えて苦しんだのだから。
が、胸を締め付けられてもその後進展なし。告白する宣言した九重はそれ以降は何時ものように振舞うだけで、切妻に至っては平常運転。二人きりになる場面もあったが、一向に恋仲になったという報告は三羽烏には愚か美耶にも伝わっていない。
つまりは、現在の関係を絶賛継続中。平行線を行っているだけの状態なのだ。
もう、我慢の限界だった。
煩わしくて仕方がなかった。
見てるだけでこそばゆくなった。
なので、二人をくっつける為に美耶にも協力を要請して行動に移った。
作戦内容はこうだ。『適度に手を出して距離を一気に縮めよう』というもの。
単に自分達は介入せずに二人だけにするというのもあった。というか、それがカーが最初に提案した物であったが、二人だけにすると何もせずに終わってしまう可能性があり、更にはそう仕向けるようにするのは面倒であり、下手をするともう何回か二人だけにするように仕向けなければいけない確率が高かった。そこまでするのは正直言って回りくどかった。
ならば、とスーがいっその事自分達が気付かれないようにちょっかいを出せばいいのではないか? と提案。カーとスーはそれに賛成。介入する事によって上手くくっつく確率が上がると思ったのだ。
自分達が切妻と九重の両名に声を掛けると変に勘ぐられると思い、美耶に助力を乞うた。美耶は二つ返事で了承。カーとラーとスーは切妻とショッピングモールで暇を弄ぶ、美耶は九重とショッピングモールに新しく出来た甘味処へと行くという名目で電話をして約束を取り付けた。
そして、当日に話の裏を合わせた三羽と一匹がその場を離脱したように見せかける。切妻と九重が出会えるようにカーとラーとスーが切妻に気付かれないように細工を施していた。その細工とは霊気を外界へと放出する効果を持った札の破片を離れる際にこっそりと背中に貼り付けたのだ。破片は気にならない程度の大きさプラス作務衣と同じ質感、色を出すような術が施されていたりする。なので切妻は勿論、他人も気付いていない。因みにこの札は霊具開発課の死神がわざわざ特注で作ってくれていたりする。
外界に放出される切妻の霊気を無意識のうちに感じ取った九重はそちらの方に視線を向けて、切妻を発見して現在に至る。
「取り敢えず、そろそろ昼だし何か食べるか?」
「そうだね」
切妻と九重は横に並んで歩き――いや、正確には切妻の方が僅かだが先に行っており、九重はわざと少しだけ後ろを歩くようにしている――フードコートへと向かっている。
「何で距離を開けるかな?」
「「「同意」」」
柱の陰に隠れて軽く眉根を寄せる美耶の言葉に三羽は首肯する。
「瑞貴は桜をエスコートしているのかもしれないけど、単に早く行きたいだけに見える。桜も恥ずかしがってないで横に並んで歩きなさいよ」
つい溜息が漏れてしまう上司であった。
「仕方がない。ここは我が背を押すとしよう」
カーはそう言うと九重の背中を指差し、軽く突くような動作をする。
すると、指先で押された空気が渦を巻き、狭範囲を直進する風を作る。カーを含め烏の死神は風を操る事が出来る。なので、このような芸当が苦も無く行えるのだ。
生み出された風は大気を流れ、九重の背中を文字通りに押した。
「きゃっ」
怪我をさせる程に強い風で無いのだが、それでも不意を衝いてバランスを崩すのには丁度いい風速を伴っていた。
「おっと」
前に押し出されて転びそうになった九重を切妻は声に反応して振り返って即座に支える。
「大丈夫か?」
「う、うん、だいじょ、うぶ」
九重は切妻に首を縦に振ってそう答えるが、吃っており、大丈夫ではないように訊こえてしまっている。吃ってしまった理由は、切妻が九重を支える際に肩を掴んで優しく支えたからだ。いきなり体勢を崩して転びそうになった自分を支えてくれた事に対して感謝しているが、まさか肩を掴まれるとは思わなかった。
更に言えば、切妻に寄り掛かっているような体勢になってしまっているのも内心を穏やかにさせない要因の一つとなっている。ちょんと額が切妻の肩に触れてしまい、鼻孔には不可抗力で接近した切妻の匂いが入ってくる。正直言って正気ではいられなくなってしまった。
ぼん、と顔を赤くする九重。切妻からは顔が隠れてその様子が見えていない。そしてかたかたと震えだす九重。
「おいどうした? もしかして風邪か?」
切妻は的外れの事を訊く。
「う、ううんっ! 風邪じゃないから! 大丈夫だから!」
ばっと顔を上げ、目を見開いて必死になって否定する九重。傍から見れば微笑ましい光景である。
「そうか? でも無理はするなよ」
「う、うんっ!?」
切妻は嘆息しながらそう言うと九重の肩から手を放し、彼女の手を握って歩き始める。
「ど、ど、ど、どっ!?」
「ん?」
「どうしたのいきなりっ!?」
あまりの出来事に声が上擦ってしまう九重であった。
「いや、また転びそうになった時に直ぐ反応出来るようにと」
切妻は乙女心なぞ知る由も無くすっぱりと言い切る。
「あ、そうですか……」
九重は内心でがっかりして頭が冷えながらも、自分の事を気に掛けてくれているのだと思うと胸が暖かくなる事を実感した。
「それとも、手を繋ぐよりも腕を組んだ方がいいか?」
「いえ、手を繋ぐ方向でお願いします」
九重の反応から手を繋ぐのは嫌なのかと誤解した切妻の案に、九重はやんわりと拒否をした。正直に言えば願ったり叶ったりの案だったのだが、もし腕なんて組んでしまえば手を繋ぐ以上に正気を保っていられないだろうと直感が告げたのだ。なので残念だが拒否せざるを得なかったのだ。
さて、そんな様子を少し離れた柱の影から覗いていた一匹と三羽はと言うと。
「カー、よくやったわ」
「「流石だな」」
「お褒めに与かり恐悦至極」
二人の距離が物理的に縮まった事に達成感を覚え、今回の立役者であるカーに賛辞を送っていたりする。カーは満更でもない様子であった。
手を繋いだ切妻と九重はフードコートへと入り、何を食べるか相談する。
「九重は何を食べるんだ?」
「私はそこの釜揚げうどんでも食べようかな。瑞貴さんは?」
「俺はだな」
切妻はフードコートの一角にある店を指差す。その店はお好み焼きや蛸焼きなど、有体に言えば屋台で売っている食べ物が大体売っている店である。
「焼きそばと塩焼きそばと烏賊焼きと蛸焼きとお好み焼きのキャベ玉と豚玉とチーズミックスともんじゃ焼きとフランクフルトとアメリカンドッグと焼き鳥の胸と皮を塩と垂れ、それに焼きとうもろこしにフライドポテト」
後は、と切妻はその隣にある店も指差して言葉を続ける。因みに隣の店は丼物を取り扱っている。
「親子丼とカツ丼、ソースカツ丼に麻婆丼でも食べようかな、と」
「そっか」
あまりの量に普通の人ならば卒倒しそうになるが、九重は至って普通の反応を返した。
何故なら、もう慣れてしまったからだ。
切妻が見た目に似合わず大食漢だという事実は彼が生きている時に出会った際に知った。死神となった切妻は生前よりも僅かだが(実際には僅かではないのだが)食べる量が増大していて改めて驚かされていたのだが、直ぐに納得してしまったのだ。
「で、デザートは」
そう言って切妻は丼物を扱う店の斜向かいに位置するアイスクリーム専門店を指差す。
「全部じゃなかったんだ」
九重はそれ以上は突っ込まなかった。
「あそこのダブルベリーとグレープ&マスカットとオレンジサワーとクランベリーとチーズストロベリーとチョコチップミントとドラゴンフルーツのアイスでも食べるかな」
そんだけ食べてお腹は壊さないのだろうか? とは疑問に思わない九重。ただし、別の疑問は浮かんだ。
「あそこってドラゴンフルーツのアイスって売ってたっけ?」
「いや、どうやら期間限定らしい。生じゃ食べた事無いからせめてアイスで食べてみたいと思って」
「成程ね」
「因みに、ドラゴンフルーツのジュースは西瓜とキウイを足して二で割ったような味がした」
と切妻は九重に顔を向けて実体験を語る。
「へぇ。それって美味しい味なの?」
率直な疑問をぶつける九重。
「好きな奴は好きだと思う。俺は普通だと思うけど」
「そっか。じゃあ試しに私もドラゴンフルーツのアイス食べてみようかな?」
「だったら奢るぞ」
唐突に切妻は奢り宣言をする。
「え? い、いやいいよっ。自分で頼むから」
「いや、もし好みに合わなかったら悲惨な目に遭うだろ? そうなってしまったら俺の責任になるし。だから俺が奢る」
どうして切妻の所為になるのかという疑問はあるのだが、どうやら切妻としてはドラゴンフルーツの味の感想を口にして興味を持った九重に期待を持たせてしまったからその責任があるそうだった。なので九重の期待にそえないような味であった場合でも損をさせない為に奢ると言ったのだった。
「いや、本当にいいよっ! 瑞貴さんが言った感じの味だったら多分大丈夫だと思うし」
「いいから、奢らせろ」
拒否は出来ない語気で切妻は九重にせがむ。
「アイスによる当たり外れはかなり大きいんだ。だから、もし不味かった時に金を払ってまで食べる必要が無かったと後悔しない為にも俺が払うと言ってるんだ」
切妻の眼には緊迫した色が垣間見えていた。
「えっと、どうして瑞貴さんはそこまで必死なのかな?」
「……昔な、不味いアイスを食べた事があるからな」
その言葉に、九重はあるアイスを連想してしまった。いや、もしかしたらそのアイスとは違うだろうと首を振り、切妻の言葉の続きを黙って待つ。
「あれは俺がまだ死霊で、死神になる前に食べたんだが、食べた瞬間は結構いけると思ったんだよ。だが、五秒後には味が爆発した。俺は急いで味を洗い流す為に水を流し込んださ」
その実体験を訊いているうちに、自分が連想したアイスの事を言っているのだろうと確信する。
「……そうだね。蛸アイスは凶器だよね」
少々意気消沈した九重が同情するように言う。
「何だ、九重も食べた事があるのか?」
「うん。死神に成り立ての頃に、ね」
暫し、昔の記憶と格闘して沈黙が降り掛かってしまう。そして二度とあのアイスだけは食べまいと心に固く誓う二人であった。
「……という事も起こり得るから、奢ると言ってるんだ」
「そこまで言うなら、お言葉に甘えて」
実体験が籠った台詞に、九重は首を縦に振る。自分の事を思っての事だし、無碍にするのは失礼だろう、と断るのを諦めたのだった。
そんな様を何時の間にかフードコートの端の席に座っていた美耶とカーとラーとスーは眺めていた。
「「「「……あのアイスの事を思い出させないで」」」」
非常にげんなりした表情で地獄の底から湧き出て来た悪霊みたいにおどろおどろしい声でそう呟きながら。
一匹と三羽も、蛸アイスの被害を受けた事があり、切妻と九重のやりとりで味を思い出してしまったのであった。




