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九重さんと九重くんと……

「……もう五年も経つんだ」

 九重桜は株式会社SHINI‐GAMI本社四階の怨霊成仏課にある自分のデスクに置かれた卓上カレンダーで本日の日付を見てそう呟いた。

 生きていれば二十歳であり、成人式に出席していたのだろうと九重は漠然と思ってしまう。九重は十五歳の時に死んでしまったので、見た目の成長が止まってしまっている。人間形態になる他の生物からなった死神ならば見た目の年齢も変える事が出来るのだが、元から人間の九重は死んでしまった時の外観が印象強く記憶に残ってしまい、そのままの状態になってしまっている。

 彼女は今から約五年前、ある人物に誘拐され、首を絞められて殺されてしまったのだ。死んでしまって悲しんでいたが、今現在の同僚と出会い、心に伸し掛かる死への恐怖を和らげてくれてたった数日の間で死を受け入れた。

 この怨霊成仏課が設立されてから一年半が経過。九重は死神として自分の仕事を全うしている。設立されてからまだ間もないので問題が浮上しているが、解決に向けても迅速に動いている。が、人員があまりにも少ないのでどうしても解決には時間が掛かってしまう。

 怨霊成仏課の課員は合計二十五人。設立当時は四人で現在は約五倍には増えたのだが、正直に言えば、それでも一人あたりの仕事量が半端無く、毎日目の下に隈を作って現世に赴いたり、恨み辛みの詰まった藁人形の後処理をしたりで全員てんてこ舞いなのだ。

「……もう少し人が増えれば楽になるんだけどなぁ」

 九重は部屋の中を慌ただしく動き回る仕事仲間を尻目に、机に軽く伏せながら呟いた。そんな彼女の眼の下にも隈が出来ている。先日も怨霊を成仏させる為に現世へと赴き、一週間現地滞在で孤軍奮闘していた。本日は久方振りのデスクワークなので少しぐだってしまっている。このまま休んでいたいと思う九重だが、自分が仕事をしなければ他に迷惑が掛かってしまうと言い訊かせて机の片隅に角を合わせて置かれた書類の束を手に取り、文字の羅列を目で追い、ペンを持って記入箇所を埋めていく作業を行っていく。

「九重」

 ぐだりながら仕事をしている九重の肩が叩かれた。九重は瞬間的に身体を起こし、だらけきった顔を直ぐ様ぴしりとさせパイプ椅子を回転させて後ろを向く。

「どうしました瑞貴さん?」

 肩を叩いた人物は九重と同じ人間の死神である切妻瑞貴だ。男の癖に床に毛先が接する程の長髪の切妻は九重よりも一ヶ月後に入ったので九重の事実上の後輩だ(いや、本来ならば同輩であるが切妻が勝手に後輩となっているのが正しい)。が、年齢的に切妻の方が年上であるし、切妻が生きていて彼女が死んで直ぐの頃に色々と助けられたので九重は彼に先輩と呼ばせていない。というか、断固として阻止している。

 眼の下に同様に隈を形成している切妻は手に持っている一枚の紙を九重に渡す。

「死神さんから怨霊成仏の仕事だと。現世に行ってくれってさ」

 その一言に九重は首の力が抜け、額を机にぶつけた。額と机の間には書類が数枚挟まれている。昨日の今日でまた現世に行くとは思わなかったので、思考が途切れてしまい均衡を失ってしまったのだ。

 それもあるのだが、自分に声を掛けてきたのがただ仕事の事だけかと思うとやるせない気持ちになる。九重としては雑談とか、今夜一緒に食べに行かないかとの誘いでもして欲しいと思っていたりする。どうしてそう思うのかは九重自身も理解していないが。

 因みに死神さんとは怨霊成仏課の課長を務めている種族:猫の死神である美耶を指している。ここの正規雇用社員は全員死神なので誰も彼もが反応する呼び方なのだが、切妻はずっと美耶の事を死神さんと呼んでいる。それは彼が生きていた時の呼び方が定着してしまい、今更変更不可能となってしまっているからだ。

 切妻が会社の廊下で美耶を呼ぼうものなら誰もが一度は止まってしまう現象が見られたが、現在では新入社員以外では立ち止まらなくなった。

「何でも急を要するらしいから、九重が今やってる仕事は俺が代わりにやる事になった」

 淡々とそう告げながら切妻は九重の額と机の間に挟まれた書類を抜き取り、机の片隅に綺麗に置かれた残りの書類も手に抱える。

「……それって瑞貴さんじゃ駄目なの?」

 九重は半眼になりながら切妻に問う。不満そうに言っているが実際には不満ではなく自分では荷が重いのではないだろうかと言う懸念があるからだ。死神としての力では九重よりも切妻の方が上で、更に切妻は死神になる前の段階である程度の訓練を受けていたので怨霊成仏の際に戦闘になってしまった場合でも対処出来るのだ。なので、仕事の効率的には切妻の方がよいのだ。なので九重は切妻にそう問うたのだ。

「あぁ。死神さん曰く、俺じゃ駄目らしい」

 切妻は首を横に振る。

「何で?」

「さぁ?」

 理由を訊いてみたが、切妻も知らないらしい。

「さぁって……」

 あまりの返答に九重は肩を落とす。

「瑞貴さんは美耶ちゃ……美耶課長に理由は訊かされてないの?」

 つい昔の呼び方をしそうになって急いで訂正する九重。流石にこのまま課長をちゃん付けで呼ぶのは失礼だと入社してから二ヶ月目から分別を弁えて課長と呼んでいるが、美耶本人としてはどちらかと言えばちゃん付けの方で呼んで欲しいと思っていたりする。

「訊かされてない。訊いても話してくれないし。それでも死神さんは俺じゃなくて九重にやらせろって」

 という訳で後は頑張れ、と切妻は九重の肩を叩いて自分の席へと戻って行った。

 素っ気なく労いの言葉を一つだけ掛けて去っていく切妻の後ろ姿を暫く見て、溜息が漏れる九重。

「……もう少し何か言って欲しいな」

 そう呟きながら九重は切妻に渡された一枚の紙に書かれた内容をざっと見て、気怠さが残る身体を起こして立ち上がって軽く伸びをし、机の引き出しから善悪判断札と藁人形を二十体程取り出して机の下に置いていたボストンバックに詰め込んでそれを肩に担ぎ美耶の下へと行く。

「現世へと向かいます」

「うん、桜の仕事は私がやっておくからその前に資料頂戴」

 美耶はそう言いながら手を差し出す。

「え? 私の仕事は瑞貴さんが代わりにやるって言ってましたけど?」

 頭に疑問符を浮かべる九重。

「え? いやいや。瑞貴には単に桜に仕事の旨を伝えるだけを頼んだんだけど」

 美耶の頭にも疑問符が浮かんだが、美耶は直ぐ様にんまりと笑みを作る。

「……ははぁ、成程ね」

 一人で納得している美耶に九重は訳が分からないと言った感じに首を傾げるが、一つだけ分かった事は切妻が勝手に九重の仕事を代わりに行おうとしている事だ。まるで特別扱いされているようで罪悪感を感じるのと同時に、少し嬉しく思い頬が綻ぶ九重であった。

「まぁ、桜の仕事はそのまま瑞貴に任せるから。桜はちゃちゃっと仕事終わらせてきて」

「あ、はい。分かりました」

 居住まいを直し、九重は美耶にそう答えると現世へと向かった。

「……そう言えば、ここに来るのも久しぶりだなぁ」

 現世に降り立った九重は辺りを見渡し、感慨に耽る。

 ここは仙原市赤葉区。九重が生まれ育った場所だ。彼女はこの赤葉区の幼稚園に通い、小学校、中学校も赤葉区の学校だった。死んで、あの世に行ってからここには一度も来ていない。死神となる為の勉強に勤しみ、死神となってからも仕事に追われる毎日で現世に赴いても仙原市赤葉区以外の地域であり、休みの日はもっぱら自室で睡眠を取るだけであり、里帰りのような真似はしていなかった。

 折角だから、地元を見て回ろうかという考えが頭を過ぎったが、九重は頭を振って私情の含んだ考えを払拭させる。

 一刻も早く行動に移らなければ取り返しのつかない事態に陥ってしまう。霊が絡む仕事は迅速な行動が重要になる。

 霊は変質しやすいのだ。自身の心の変化、外部からの干渉で怨霊へと移り変わってしまう場合も少なくない。また、怨霊が恨み辛みを他者にぶつけ、ぶつけた対象を半霊にしてしまう可能性も当然出てくる。

 九重はそれ等を防ぐ為に行動に出る。

 紙に書かれていた内容はここ最近仙原市の赤葉区において怨霊のものと思われる霊気を感知したというもの。霊気の度合いからして怨霊になってからまだ間もない事が分かっているらしい。

 以前ならば怨霊討伐課が急行し、即座に討伐を開始する体制を取っていたが今は違う。現在は怨霊成仏課が設立されており、成って間もない怨霊の存在を感知した場合には怨霊討伐課ではなく怨霊成仏課が先に動き、怨霊と接触。善悪判断札を用いて善と出たならば成仏させ、悪と出たならばそのまま討伐の運びとなる。

 九重は全神経を集中させ、空気中を漂う霊気の残滓を感じ取る。生者でも霊でも気と言うものは存在し、自らの意思で遮断しない限りは自然と体外に漏れ出すのだ。死神である九重はその気を感じ取り、怨霊の居場所を探っている。

「……こっちか」

 弱々しいが、禍々しさを感じる霊気の残滓を感じ取り、霊気の残滓の量が多い方へと向かい歩き始める。

 懐かしい街並みを目の端で捉えて郷愁の念に駆られながらも、足取りを確かにして怨霊の下へと向かう。

「……ここ、ねぇ」

 空気中を漂う霊気量が濃密で、充満している空間へと足を踏み入れた九重は得も知れない感覚に襲われ、見た目変わらない程であるが、口角を下げた。

 この場所は五年前、九重の遺体が発見された公園である。当時はキープアウトテープが張り巡らされ、警察関係者が右往左往していた。現在では遺体遺棄された場所であったのか、夕方に差し掛かろうとしている時間帯であるのに人がいなかった。

 まぁ、時世の流れで公園で遊ぶ子供が少なくなってしまっているというのもあるだろう。それにこの公園の中央には決して浅くない池があるので、策はあるのだが乗り越える等をさせないよう親が安全の為に来させないようにしているのかもしれない。

 その親の判断も、この状況下では正しいものとして働いている。

 九重は公園の入り口付近に佇む人を見据える。いや、もう人ではなく、霊だ。それも怨霊と化しており、セーラー服を身に纏った十代半ばを少しだけ過ぎたと思しき少女の姿をしていた。肩に掛かる程度の髪は綺麗に切り揃えられており、頭を手で押さえつけていた。

 そんな少女の爪は目測で二十センチと異常に伸びていた。まるで美耶の武器である指先に刃物がついた手袋を彷彿とさせた。恐らく、この怨霊となってしまった少女は爪で相手を切り裂く事によって自身の恨み辛みをぶつけるのだろうと九重は予測する。

 そして、まるで自分を律するかのように身動ぎ、苦悩で顔を歪めている。が、九重が近くに来たと分かると表情が一変し、獲物を見付けた肉食獣のように睨みつけ、襲い掛かる。

 九重は横から振るわれた右腕をしゃがんで避け、その間にボストンバックから善悪判断札を取り出す。

 少女が振り切った右腕を戻す事無く勢いに任せ体を一回転させ、回転力で力を増した一撃をしゃがんでいる九重に叩き付ける。九重はしゃがんだ状態だったので膝が折り畳まれており、それを解放させて地を蹴り回避する。死神になる為に勉強をしていた九重は、その間にも切妻や美耶程ではないが戦闘が生じてしまった場合でも対処出来るようにある程度の訓練を受けていた。なので成り立ての怨霊の攻撃を避ける事は可能となってる。

 更に避ける以上の事も出来るようになり、避ける間際に、九重は少女の額に善悪判断札を貼り付ける。この札は怨霊の額に貼り付けると善か悪の文字が浮かび上がる。善ならば成仏対象、悪なら討伐対象と判断する為の霊具だ。今回はその必要も無いと分かっていたのだが、念の為に使用している。

 少女の額に貼り付けられた札に浮かび上がった文字は善だった。

 つまり、成仏対象。成りたくて怨霊になった訳ではない。

 そうと分かった後の九重の行動は速かった。

 ボストンバックから藁人形をいくつか取り出し、それを少女に向けて投げつける。少女は藁人形を切りつけて地面に落とす。

 切り付けられた筈の藁人形には傷一つ付いていない。

 この藁人形には特殊な仕様が施されており、生半可な攻撃では壊れないようになってる。壊れないようになっているのにはただ単に攻撃を防ぐ為ではない。

 藁人形には生者や死者と同じように恨み辛みをぶつける事が出来る。そのぶつけられた恨み辛みを外部へと漏らさないように強化されている。初めのうちは許容量以上をぶつけられないように許容量になるとぶつけられないように遮断する能力を持っていたが、現在では多少許容量をオーバーしても堪えられるように設計されている。

 そんな藁人形を九重は計二十体取り出して投げつけている。地面に落ちた藁人形も拾い再び投げつける。少し前までは三十体以上使用しなければいけなかったので、必要量が減った事に感謝する九重。

 少女は藁人形を切りつけては地面に落としていく。そうしていくと、少女に変化が見られる。少女の爪は藁人形を切りつけつ毎に徐々に短くなっていく。これは恨み辛みをきちんとぶつけられている証拠だ。怨霊が恨み辛みをぶつけるのには理由があり、それは自身が元の死霊に戻りたいと言う衝動から来ている。

 そのような衝動は藁人形にぶつけられ、怨霊から死霊へと戻っていく。

 何十回か目に藁人形を爪で切り付けると、少女は大人しくなった。爪は常人と変わらない程の長さまで縮小し、肉食獣を彷彿とさせる目ではなくなっていた。

「……終わった?」

 九重は暫し少女を眺め、不意を突かれて襲われないように身構える。十秒経っても襲い掛かって来ない。少女は力無く両腕をだらんと下げて地面を見ているだけだった。

 もう死霊に戻ったのだろうと判断した九重は地面に横たわる藁人形二十体をボストンバックに戻していく。

「……後は成仏させるだけ、か」

 九重は少女を一瞥し、近付く。

 が、その時、この死んでしまった者二人しかいない公園に生者が一人入ってきた。

「あっ」

 九重は入ってきた人を見るなり、声を上げて少女を放っておき、慌てて近くの林に入り込んで身を隠した。死神である彼女は常人には見えないので隠れる必要は無いのだが、つい隠れてしまう訳が存在していた。

 それはこの公園に入ってきた人が原因だ。

 性別は男。年の頃は二十前後であろう。少しだけ長い前髪が掛かった目は九重のそれに幾分か似ており、九重よりも頭半分高い背丈をしている男性の手には花束が携えられている。

 彼の名は九重宗太。九重桜の一つ下の弟である。九重の弟なのだが、宗太は明らかに九重よりも年が上だと分かる容姿をしている。その理由としては九重の肉体が滅び、死神としての容姿が死の間際の状態が強く焼き付き固定されてしまったからだ。傍から見れば宗太が兄、九重が妹に見えてしまうだろう。二人の姿を同時に見る事が出来るならば、だが。

 成長した姿を見るのは初めてであったが、九重には一目で弟の宗太であると分かった。

 宗太は九重が丁度隠れている林の方へと入り込んでいく。九重は見えないと分かっていても慌てて動き、宗太の視界から外れようとする。その際に、がさがさと音を立ててしまう。

「ん?」

 音に反応して宗太はそちらに視線を向ける。九重は声を出さないように口元を手で押さえて身動ぎしないように注意を払う。

「……鼠とかか?」

 この公園には野生動物も少しだが生息しているのを把握していたので、恐らくここに住む小動物が立てた音なのだろう、と宗太は自己完結させ、歩を進める。九重はその様子にほっと息を吐き、宗太の後をつける。

 後をつける理由は二つ。一つは宗太が怨霊と遭遇してしまった場合に直ぐに助けに行けるように。もう一つはどうしてここに来たのかと疑問に思ったから。

 その疑問は直ぐに氷解する事となる。

 宗太は池を囲むフェンス際付近に生えている一本の木の根元にしゃがみ込み、そこに花束をそっと置き目を閉じて手を合わせる。

「姉貴、もう大丈夫だからな」

 宗太は蚊が鳴くように小さな声でそう呟く。

「あ……そうだったよね。さっきまで思い出してたのに。宗太が来て頭から抜け落ちちゃってたよ」

 九重は独りでに納得する。

 宗太は亡くなった姉に花を捧げに来たのだ。九重の遺骨はきちんと墓石の下に埋まっており、そちらの方に墓参りをすれば事自体は足りる。だが、宗太は墓参りだけではなく、九重の遺体が発見された場所にも参っている。

 その理由としては、九重の魂がもしかしたら殺されたここに留まっているかもしれないと思っているからだ。九重はこの場所では殺されていないのだが、ニュース報道と警察による情報で殺害現場がこの公園であると知らされていた。宗太としては、姉の魂がいる可能性がある場所を参り、冥福を祈り、安心して旅立って欲しいとそっと囁き掛けている。

 弟にそんな気遣いを知らぬ間にさせてしまっているとは知らなかった九重はいたたまれない気持ちになる。気分が落ち込んでしまう。自分はもう大丈夫だと弟に伝えたいが、死者が自らの都合だけで生者に干渉する事は禁止されている。なので九重は歯痒い思いをしながらただただ黙祷を捧げている宗太を見ているしかなかった。

 暫くして宗太は閉じていた目を開け、立ち上がり、花束を根元に置いた木に背を向けて去っていく。

 九重は去っていく弟を見つめていたが、はっとして辺りを見渡す。

「霊気が急に濃くなった?」

 辺りに充満していた霊気の濃度が急激に上昇した。

 それが意味する事とは――。

 九重は直ぐ様駆け出し、宗太の眼前へと躍り出てボストンバッグから両端に丸みを帯びた細長い警棒のようなもののブリップ部分を右手で掴み、反対部分に左手を添えて眼前に構える。

 がきぃっ! と九重の得物に爪が衝突する。その爪は常人と大差ないにも関わらず、きっちりと警棒に切り傷を残す。

 攻撃を仕掛けてきたのは少女だった。少女は身体から霊気の巡りを変え体外に放出して力を向上させている。九重は力負けし、宗太を巻き込んで後方へと押し倒される。

「ちょ、君誰っ!?」

 宗太には九重の姿は見えていないが、少女は霊気の巡りを変え、体外に放出させる事によって常人にも視認出来るようになった。宗太から見れば、いきなり少女が襲い掛かってきているように見えている。

 どうやら、完全に恨み辛みを無くし切ってはいなかったようだ。それでも、目の前の怨霊の少女が自らの意思で傷付けようとしてやっているのではないと分かる。

「……えっ? どうして泣きながら?」

 少女の眼からは止めどなく涙が流れているからだ。何かを堪えるように歯を食い縛り必死になって衝動に抗おうとしているが、負けてしまったのだろう。恐らく体に残っている恨み辛みの量は少ないのだろうが、それが逆に全ての恨み辛みを無くしたいと言う衝動に火を点けてしまったようだ。

 これは自分の責任だ、と九重は自分に毒吐く。視認し難い変化であったのなら、きちんと霊気を感じ取って怨霊でなくなったのを確認するべきであったのだ。そうすれば、この少女をここまで苦しませずに済んだのだから。

 藁人形を出そうにも、咄嗟に自身の得物を取り出してしまった。今から取り出そうとしても九重自身に爪が食い込む羽目になってしまう。最終手段として、自身に残った恨み辛みをぶつけさせようとも一瞬考えたが、即座に却下した。現在の少女は身体強化を行っている。この状態で爪の一撃を食らえば、切り裂かれるだけでなく抉られる。

 死神とは言え、体が抉られれば致命傷となる。死神は不死ではない。それに、もしそんな事すれば後方にいる宗太にも被害が及んでしまう。死神の肉体を抉り、そのままの勢いで生者すらも抉るような力なのだ。

 もしそうなってしまえば、少女は例え死霊に戻れたとしても、嘆き、再び怨霊へと成り果ててしまうだろう。

 それだけは何としても阻止しなければならない。

 なので、九重は自身に流れる霊気量を調節し、常人にも見えるようにした。

「宗太っ!」

「あ、姉貴っ!?」

 目の前が急に遮られた宗太の耳に久しく訊く事の無かった姉の声が耳に入ってくる。

「私の首に嵌められてる奴を取って!」

「え?」

「早くっ!」

 突然の事で目を白黒させてた宗太だが、九重の言葉に反射的に手を動かし、視界が九重の髪で祭儀られた状態であったので手探りで首に嵌められたチョーカーを探り当て、それを外す。

 すると、視界が白光で塗り潰された。思わず目を瞑る宗太だが、瞼越しでも光は遮断される事は無かった。

 不意に、体に掛かっていた重さが無くなった。

 光も弱くなり、どうしたのかと宗太は目を開けると、目の前には姉の姿は無かった。

 代わりに、血のように長い髪を靡かせ、所々破れているマントを羽織った人の後ろ姿があった。

「ありがと、宗太」

 首を回して宗太にそう言った者は声からして九重だと分からせるが、その顔には骸骨を模した仮面が取り付けられていた。

 この姿こそが、死神となった九重の本性だ。本性とは、死神本来の姿。戦闘に特化させた姿である。チョーカーはその姿を抑え込む為の物だ。

 本性は種族によって姿が異なり、猫の死神である美耶の場合は巨大な化け猫になる。九重の場合は人間なので、伝承に残るような一般的に知られている死神の姿を模したものとなる。

 九重は警棒に爪を食い込ませる少女に向き直ると、簡単な動作で払い除ける。

 少女は一瞬だけ無防備を晒すが、直ぐ様九重に向けて爪を向ける。

「……御免ね」

 九重は宗太の手を取り、足を動かさず、少しだけ宙に浮き、滑るように移動して攻撃を躱す。その間にボストンバックから藁人形を取り出す。

 少女が九重に向き直り、駆け出しながら爪を突き付ける。九重はその爪に向けて藁人形を差し出すようにして押し付ける。

 藁人形に恨み辛みがぶつけられる。

 すると、少女は膝から崩れ落ちて、地面に手をつく。九重が少女の霊気を確認すると、怨霊のそれではなくなっている事が分かった。今度こそ、死霊に戻れたのだ。

「ぅ、う……っ」

 少女は顔を手で覆い、声を押し殺して泣き始める。

「御免な、さいっ。私っ、どうしても、抑え切れなくって……っ」

 少女は自分の行いを恥じているようだった。衝動に負けて、他人を傷付けようとしてしまった事を。

「ううん、もう大丈夫だよ」

 九重はそんな少女を優しく抱き寄せる。

「貴女は悪くないよ。うん。悪くない。貴女は元に戻りたかっただけだよ。ただ、それだけ」

「で、でもっ私は」

「大丈夫」

 嗚咽を漏らす少女に九重は優しく語り掛ける。

「貴女がそう思えるだけで、私は貴女を責めたりしない。確かにね、人を傷付けようとするのはいけない事だけど、そうしないように必死になって抗ってたのは分かるから。それに、実際私と、それに宗太は傷付かなかった訳だし」

 九重は後ろに控えている自身の弟を見ながら少女にそう告げる。宗太はいきなりの事で何が何だか分からないと言った顔をしている。

「でも、これだけは約束してね。貴女が成仏して転生して、新たな人生を歩む時に、誰かを傷つけるような事はしないでね」

「うん……うん……っ」

 少女は首肯し、燐光を放ちながら空に消えていった。

 少女は成仏した。これで今回の仕事は終了だ。

 九重は身体を反転させ、宗太に向き直る。

「宗太、それ返して」

「え、あ」

 宗太は自身の手に握られたチョーカーを九重に渡す。九重はそれを首に嵌め直す。すると、九重は白い光に包まれ、光が晴れると先程の姿に戻った。

「……姉貴、だよね?」

 宗太は見慣れた姿になった九重にそう訊く。

「うん、そうだよ宗太」

 首を縦に振る九重。

 よろよろと九重に近付き、宗太は手を伸ばして九重の顔に触れ、肩に触れ、手に触れる。そして手をぎゅっと握る。

「……姉貴だ。本当に、姉貴だ」

 宗太の眼には涙が溜まり始めている。

「宗太、久しぶりだね」

「姉貴っ!」

 九重の言葉に、宗太は握る力を強める。

「どうして、どうして死んじまったんだよ! どうして父さんと母さんを置いて逝っちまったんだよ! どうして、俺を置いて逝っちまったんだよ!」

 泣きながら、宗太は九重に言う。

「御免ね。早く死んじゃって。悪いと思ってるよ。でもね、仕方ないんだよ」

「仕方ないっ? 殺されたのに!?」

 宗太の眼には怒りの色があった。

「姉貴は何にも悪い事してないのに殺されたんだぞ!? 自殺しちまったあの野郎を庇うのかよ!?」

 九重を殺した人物は九重の後を追うような形で自殺をしていた。宗太としては、怒りの対象を失い、渦巻いていた感情の捌け口がない状態であった。そんな状態でも五年も経てば薄まっていくのだが、九重の一言で、込み上げて来てしまった。そんな相手に怒りを感じても仕方ないと九重は苦笑する。

「あんな平気で人を殺して自分の命も粗末にするような野郎なんか」

「宗太」

 ただ、この一言だけは聞き捨てならなかった。九重は少しだけ声音を低くして、宗太を睨みつける。見た目の年齢的に宗太の方がもう上であるが、姉の凄味と言うものは健在で宗太はたじろぐ。

「知りもしない相手の事を、好き勝手に言わないで」

「え、え?」

「貴方は知らない相手の事を平気で人を殺して自分の命を粗末に扱うって言ったけど、もし宗太がそう言われたらどう?」

「あ、姉貴? 急に何を」

「どうなの?」

「……嫌だよ」

「でしょ。だから、無闇矢鱈とそう言う事は言わないの」

 九重は俯いた宗太の頭にこつんと軽く拳骨で叩く。

「……分かったけどさぁ、本当、急にどうしたの?」

「あ、いや。ちょっとね。でも、怒りを向けるにしても誤解は無くしておいた方がいいって思って」

「誤解?」

 九重は知っている。自分を殺した相手は心身共に深い傷を受けており、心理状態がとても不安定でありどうしようもなかった事を知っている。そして殺しをしてしまい自責の念に駆られて自殺をしてしまった事も知っている。それ故に殺された事に対してどうしようもないとは思わないが、その点も加味しなければいけないと思っている。なので、自分が死んだ経緯とその後の数日の出来事を宗太に伝える。

「……そう、だったんだ」

 宗太は九重の説明を受けて納得する。

「切妻さんは姉貴の彼氏じゃなかったんだ」

「え、納得する所はそこなの?」

 九重は虚を突かれた。

「あ、いや。姉貴を殺した相手も大変な人生歩んでたっての分かったし、だからと言って許そうとも思ってない。殺すのはいけない事だし。でもまぁ、姉貴の言った通り知らない相手の事を好き勝手誤解して怒りを向けるよりも知っておいてからの方が何て言うか、まぁ、きちんと怒れるって思う」

 けど、と宗太は一呼吸置く。

「切妻さんがなぁ、関係ない姉貴の葬式に出てたって思うと変な気分に」

「瑞貴さんは優しいからね」

「それは……そうなんだろうけど。ちょっと分かり辛い気がする」

 こちらが切妻を彼氏と勘違いしたまま特に訂正をさせずに葬式に出なくてもいいと思う宗太であった。

「あ、まぁ、私もあの時は本当にびっくりしたんだけどね」

 思い出して少し赤面する九重。あの言い方は正に彼氏ですと言わんばかりだったので今思い出してもちょっとこそばゆくなるのであった。

「で、切妻さんも死んで、姉貴と同じように死神をやってると」

「その通り」

「……行方不明ってなってたけど、まさか亡くなってたなんて」

 姉の葬式に出ていた人が数日後に行方不明として新聞に載ったりしたのは驚いた。宗太もあまり積極的ではなかったとはいえ切妻を捜したのだが、影も掴めないと思ったら既に死んでいると言う事実に驚きが一周して納得してしまう。

「あ、その事は内緒の方向で」

「分かってるよ。言っても信じて貰えないから」

「そう、ならいいけど」

 九重はほっと息を吐く。世間では行方不明者となっている切妻は現状このままでいいと思っている。なので九重は本人の意思を尊重したいと思っているのだ。

「で、姉貴はさぁ」

「ん?」

 頭を掻きながら、宗太は九重の眼を見てずばっと訊いてみる。

「切妻さんとは恋仲になったの?」

「ぶっ」

 唐突に言われて九重は吹いた。そして首を忙しなく動かし、視線を彷徨わせる。明らかに動揺している様であった。

「は、はぁ!? いきなり何!?」

 漸く言葉を出せた九重姉。

「いや、だって姉貴は切妻さんの事を話す時に何つーか表情が綻ぶっつーか緩むっつーかそんな風になるから切妻さんとはそういう関係まで発展してんのかなと」

 しれっと言う九重弟。

「なってないなってないなってない!」

 首をぶんぶんと横に振り、必死になって否定する九重。

「そんなに否定しなくても……じゃあ、振られたの?」

「振られてない振られてない振られてない!」

「って告白すらしてないの?」

「告白以前にっ!」

 九重は目をぐるぐる回しながら宗太の肩を掴み、宗太の体を前後に高速で揺らす。

「瑞貴さんは私の事をそういう対象に見てないっていうかそもそも異性を意識した事があるのかって言うくらいに鈍感だしこの前の休暇の時だって一緒に買い物に行ったりしたけど全っ然異性として見て貰えなかったりだから私が告白しても受け入れられる訳も無いっていうかそもそも美耶ちゃんだって瑞貴さんの事を好きでいるから抜け駆けは駄目って言うかって何言ってんのよ私はっ!?」

「ほ、本音暴露しちまってんじゃん! ていうかマジやめて吐きそう!」

 宗太に言われて揺さぶるのをやめ、テンパっていたが、息を切らしながらも頭の中を整理していく九重。

(つまりつまりつまり! 私は瑞貴さんの事をそういう対象としてたって事なの!? それって何時から!?)

 本人は自覚していなかったようだ。まさに無意識のうちに心の奥底に沈められていたのだろう。どうして沈めていたのかと言えば、美耶が影響しているだろう。美耶は切妻に対して強い想いがあるのを知っている。それ故に自ら身を引いたのだろう。無意識下でその感情を意識させなように封じてまでして。

「はわわわわわわわっ」

 まるで茹蛸のように顔を真っ赤にする九重。

「ぷっ」

 取り乱している姉の姿を見て、宗太は笑う。

「あははははっ」

「な、何よ宗太!? 急に笑ったりして!?」

「いや、御免御免」

 浮かんできた涙を拭う宗太はそれでも笑いを止めない。笑いながら、心底嬉しそうに九重に告げる。

「姉貴が元気そうで、安心したんだよ。死神になって大変だって言うから苦労してんだろうなって思ってたけど、そうでもないんだね。生き生きしてる」

 漸く笑いを止め、宗太は九重に向き直る。九重はそんな宗太の顔を見る。彼は何処かすっきりし、晴れやかな表情をしている。

「こんなに元気なら、もう心配しなくてもいいか」

「……宗太」

「殺されたから、もしかしたら未練があるんじゃないかって思って姉貴が死んだ日にはここに来て安心させようとしてたんだけど。もうその必要も無いか」

 にかっと笑いながら宗太は九重の背中をばしんと叩く。

「いたっ」

「けどなぁ、別の心配が出来ちまったなぁ」

 宗太は大袈裟に溜息を吐く。

「何よ?」

「姉貴の恋が成就するかどうかっての」

「っ!?」

 弟の言葉に言葉を失い、またもや顔を赤らめる九重。

「そんな訳だからさ、姉貴はさっさと戻って告白してきなよ」

 宗太は野良犬を払うように手で扇ぐ。

「な、な、な、なっ!?」

 二の句が継げない九重の頭頂部に宗太は溜息を吐きながら手刀を繰り出す。

「いたっ! また何すんのよ!」

「だから」

 宗太は九重に向けて言う。

「暗にいるべき場所に帰ったらって言ってんの」

 九重は宗太の言葉に目をぱちくりさせる。

「ここで時間を潰してちゃ駄目でしょ。どうせ仕事も溜まってるんでしょ?」

「……宗太」

「別に悲しくないよ。姉貴が元気でやってるって分かったからさ。それに、また会えるかもしれないしさ。御盆とかに」

 はにかむ弟。その顔には確かに別れを惜しむような色は見受けられない。

「……そうだね。来年の御盆にでも実家に、とは言ってもお父さんとお母さんの前に姿を晒す訳にはいかないから宗太の前だけに現れるよ」

 優しく微笑む姉。今までは自分の死を嘆く家族を見たくなかったから死神の休日でもある御盆にも住んでいた家に向かわなかったが、もうそんな事は無くなった。

「父さんと母さんにも会えばいいのに」

「会いたいけどね。でも死神はほいほいと人前に姿を晒しちゃいけないんだよね。まぁ、今回は特例って事になるんだけどね」

 九重は宗太を一瞥すると、手を振る。

「じゃあね」

「またな」

 宗太も手を振り返す。

 九重は瞬き一つでその場から跡形も無く姿を消した。

 この公園には宗太しかいない。

 宗太は天を仰ぎ、堪えていた涙を流し、乱雑に拭うと置いた花束を一瞥して公園を後にした。

 そして九重はと言うと、怨霊成仏課に戻り、無事成仏させたことを美耶に報告した。

 今回の怨霊は資料によると交通事故によって死亡し、死霊になった時に怨霊に恨み辛みをぶつけられ、それが原因で体内の恨み辛みが増幅してしまい怨霊へと成り果ててしまったのだ。

「御苦労様」

 美耶は報告を訊き終わると、目を通していた資料を再び眺める。

「それで、桜は弟さんには会った?」

 資料を眺めながら美耶は九重に訊く。

「会ったよ。美耶課長の御蔭です。ありがとうございました」

 九重は美耶に頭を下げる。今回の仕事は自分を宗太に会わせる事が目的であったのだろう。だから仙原市赤葉区に向かわせたんだろうと真意を理解し、感謝している。

「そう、それはよかった」

 美耶ははにかむ。この反応からして、九重と弟の懸念は払拭されたのだろうと安心する。

「それよりも、私の事は前のように美耶ちゃんでいいって」

「いえいえ、分別は弁えてますから」

「……そう」

 美耶は九重の言葉に少し不貞腐れたように口をすぼめる。

「所で美耶ちゃん」

 とか宣言した次の台詞でちゃん付けをかます九重。

「あれ? 分別はどうしたの?」

「課長と言うのは仕事の時。ちゃん付けの時は私事の時なの」

「そ、そうなんだ」

 その言葉にほっと一息吐く美耶であった。ずっと課長と呼ばれ続けると距離が開いてしまいそうで怖かったのだ。職場以外ではちゃん付けしてくれるからよかったのだが、出来れば仕事でもちゃん付けして欲しいと思っている。近頃は職場も忙しくて課長付けでしか呼ばれていなかったので安心したのだ。

「で、何かな桜?」

「私、瑞貴さんに告白してみる」

 一瞬、その場が凍りついた。因みに現在丁度よく切妻は席を外している。

「…………」

 美耶は呆けて資料をデスクの上に落とし、視線を九重に向ける。

 そして凍りついた時は溶け出して動き出す。

 で、美耶が一言。

「……やっと?」

 と言った。

「え?」

 美耶の言葉に九重は唖然とする。

「それってどういう?」

「いや、言葉のまんま。やっと告白するんだなぁって思って」

「……はい?」

「傍から見れば桜が瑞貴の事好きだって誰でも分かるよ。それでも進展なんかないから何やってんだろうって呆れてたんだ。でも、漸く重い足を一歩踏み出したんだね」

 はぁ〜やれやれ、と美耶は肩の荷が下りたように伸びをする。

「えっと、美耶ちゃんはそれでいいの?」

「いいって?」

「私が瑞貴さんに告白しても」

「いいよ」

 あっけらかんと答える美耶。

「あ、あれ? 美耶ちゃんって瑞貴さんの事好きだよね?」

「好きだよ」

 にべも無く美耶は言う。

「でも、その好きは恋愛対象じゃないよ。大切な人って意味。だから、瑞貴の事は勿論桜やカーにラー、それにスーの事も好きだよ」

「そ、そうなんだ」

 あんなに切妻の事に固執していたのだから、恋愛対象として見ていたのかと思っていたが、どうやら違ったようだ。九重は美耶の眼を見るが、嘘は吐いておらず本当の事を言っていると分かる。

「私の好きな瑞貴と好きな桜が人間でいう所の恋人になったら自分の事のように嬉しいよ。それに瑞貴だって桜の事は少なからず意識してるから。だから、私は応援してるよ」

 ファイトー、と右腕を天高く上げて美耶は九重にエールを送る。

「あ、いや、そんなあからさまに応援しないで! 皆見てるから!」

「大丈夫! 桜が瑞貴に告白するって大声で言った時点で皆の注目の的になってるから!」

「いやぁぁああああああああああっ!!」

 顔を真っ赤にしてその場にしゃがみ込む。まさか大声で宣言しているとは思わなかった九重は恥ずかしさで穴があったら入りたい気持ちになる。

「安心して。皆桜の味方だから」

 そんな課長の言葉にその場にいる課員全員は首肯して桜に温かい眼差しを送ってきたり右の手で握り拳を作り親指だけを上げて笑みを浮かべていたりする。どうやら他の者から見ててももどかしい状況だったようだ。

「え? え? え?」

 訳が分からなくなって九重は卒倒しそうになる。自分は本当に何時から切妻の事を好きになっていたのだろうと記憶を掘り起こす。

「……何だこの状況?」

 タイミングがいいのか悪いのか、切妻が怨霊成仏課に戻ってきた。手には五百ミリリットルのミネラルウォーターのペットボトルと資料が幾つか携えられていた。

 課員全員が向けている視線の先に九重がいる事を確認すると、切妻は足早になって九重の方へと向かう。

「皆して九重を困らせんな。こんなに縮こまっちゃって。……お前等後で覚悟しとけよ。勿論死神さんもな」

 軽く課員全員を睨みつけると、切妻は九重の肩を抱いて怨霊成仏課から出て廊下を歩き、給湯室へと向かう。

「ここまで来れば大丈夫だろ。ほら、これ飲んで」

 そう言いながら切妻は手にしていたミネラルウォーターを九重に渡す。

「全く、皆悪ふざけが過ぎるぞ。よってたかって九重を弄り倒すなんて」

 切妻は目を細める。その様から怒っているのだと九重は感じた。

「い、いえ、私別に弄り倒されてないから」

 九重は首を横に振る。

「本当か? あいつ等を庇ってる訳じゃなくて」

 切妻はじっと九重の眼を覗き込む。九重は心臓が跳ね上がったが、難とか平静を装う。

「本当。庇ってないよ」

「…………」

「…………」

 暫し見詰め合う二人。九重としてはこの時が永遠に続けばいいと思った。誰の介入も無く切妻との二人っきりの時間が続けばいい、と。

「……そうか」

 切妻は目を閉じ、ほっと一息吐く。九重の眼からう嘘を吐いていないと汲み取った故に安心した。

「でも、何かされたら俺に言えよ」

 そう言うと切妻は九重の頭を撫でて給湯室を後にする。

(……あ、そっか。そうだったんだ)

 頭を撫でられた九重は思い出した。自分が何時から切妻の事を好きになったのかという事を。

 正確には、切妻を好きになって行った過程を。

 死んで直ぐ、切妻は死霊となった自分に優しくしてくれた。無残に殺された烏三羽の墓を作り弔った。自分の家族の悲しみを和らげるような行動を取ってくれた。自分の事よりも他人の事に重点を置いた行動。時には命すらも顧みない行動で、それに苛立ちを覚えた時もあったが、その行動――優しさを見たり感じたりしていくうちに段々と引かれていった。少しずつであったが、確実に好きと言う感情が蓄積されていっていた。

 自分では自覚していなかったが、今では自覚する。

(私は、そんな瑞貴さんを好きになっていったんだって)

 九重は急いで給湯室を出て、切妻の後を追う。

「あのっ!」

「ん?」

 切妻は足を止めて、振り返る。

「どうした?」

 首を傾げて、膝に手をついて息を荒げている九重の背中を擦る。

「……私、今から重大な事を瑞貴さんに言います」

 顔を上げた九重は真っ直ぐに切妻の顔を見て自分の想いを告げる。

「私、瑞貴さんの事が」

「「「御主人っ!」」」

 告げようとした時に、前方から三人の同僚が走ってきた。カーとラーとスーだ。三人は種族:烏の死神で九重と同期である。

 先程は怨霊成仏課にいなかったので九重の切妻に告白します宣言を訊いていなかった。なのでこの場に来てしまったのだろう。因みに御主人とは切妻の事を指している。以前三人は少しだけだが切妻の守護霊として憑いていた。その名残で彼の事をそう呼んでいる。

「どうした?」

「「「どうした? じゃありません!」」」

 三人は怒りを放ちながら切妻の腕を掴んで連行する。

「「「小会議の途中で資料持ったまま血相変えていきなり抜け出さないで下さい! 他の課の人も怒ってますよ!」」」

 と声を揃えて言いながら三人は切妻を引き摺る。

「それは悪かった。でも緊急事態だったんだ」

 悪びれもせずに切妻はカーとラーとスーにそう答える。

「「「緊急事態っ!? 大事な会議を抜け出す程に重大な事だったんですか!?」」」

「トイレだよ」

「「「トイレくらい会議が始まる前に言い入っておいて下さい!」」」

「急に催したんだから仕方ないだろ」

 などと言い合いながら去っていく四人を眺めている九重は切妻の一言が気になった。

「緊急事態……」

 それは決してトイレへと向かったのではないと分かる。トイレへと向かったのならばミネラルウォーターや資料を持ったまま出ないだろう。

 切妻は怨霊成仏課に戻ってきた九重の霊気が変に乱れたのを感知し、会議を放り出して九重の下へと向かったのだ。

 つまりは、会議よりも九重の方が大事と言う事。単に仲間のピンチを見過ごせなかっただけなのかもしれないが、そうでない場合もある。そうでない場合は九重を特別扱いしているという事だ。どちらかは本人しか知りえないが、九重としてはどちらでもよかった。

「あ、そう言えば九重は何を言おうとしてたんだ?」

 遠ざかっていく切妻は手で簡易メガホンを作って九重に問う。

「……また後で言うよー」

 口に手を添えて九重はそう告げる。

「それよりも会議頑張ってねー」

「おぅ。九重は今日はゆっくり休んどけ」

 互いに互いの事を言う。引き摺られている切妻は角を曲がって視界から消え失せた。

「……緊急事態、ね」

 九重は切妻の発した言葉を微笑みながら声に出して繰り返す。

「本当、優しいんだから」

 ぽつりと呟き、九重は廊下を歩き出す。

「さて、今後いいタイミングは訪れるかな?」

 そうは言うが、九重としてはタイミングはあってもなくても変わらないだろう。

 もう、告白すると決めたのだから。

 優しい同僚がどう答えようと九重はそれを受け入れるつもりでいる。

 それが互いに悔いの残らない選択だから。

 九重は不安を抱きながらも、同時に喜びも抱えながら怨霊成仏課へと戻る。






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