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切妻くんと大学生

 そろそろ夜が明けようとしている。

 河川敷で少年は横になってただ太陽が覗こうとしている夜空を眺めていた。

 現在は夏であるが、それでも夜は太陽が隠れてしまい、雲も無い吸い込まれそうな程に綺麗な星空では昼間の内に地表に降り注がれていた熱が上空へと逃げてしまい、少年に肌寒さを感じさせる。なので少年は半袖の上に薄手の長袖の黒いジャージを着ている。下は長袖ジャージと一式となっている黒のズボンだ。

 さて、この少年。少年と言うから性別は男なのだが、髪の毛が同年代の男子よりも長いのだ。前髪は乱雑に切り揃えられているが、他の部分は肘関節くらいまで伸びている。少年はその長く伸びた綺麗な黒髪をうなじ辺りで一纏めにして結んでいる。

 少年は小学三年生であり、顔にはまだ子供特有のあどけなさが残っており、男子と言うよりは女子のそれに近い顔の造形をしているので、髪の長さも相まって傍から見れば少女と見間違えてしまうだろう。

 少年の名は切妻瑞貴と言う。切妻は腕を頭の後ろで組んで、ただただ明けようとしている夜空を眺めているだけだった。

「ちょっと、君」

 そんな切妻に声を掛ける者がいた。

 切妻は上半身だけを起こして声のした方へと顔を向けると、そこには半袖のシャツにジーンズとラフな格好の男性が立っていた。肩にはショルダーバッグが掛けられている。恐らく飲みの帰りだろうと切妻は思った。飲みという意味は漫画と小説で切妻は知っていたのだ。

「何?」

 どうして自分に声を掛けてきたのだろうと疑問に思い、切妻は首を傾げながら男性に訊いてみる事にする。

「何? じゃないよ。こんな時間に一人でいちゃ危ないでしょ」

 男性は怒っているようだった。切妻はどうして危ないのか分からないでいる。その様子を見た男性は溜息を吐きながら切妻へと近付いて行く。

「あのね。こんな時間に君みたいな可愛い子が一人でいたら連れ去ろうと企む奴が出てくるんだよ。だから子供はこんな時間に外に出歩いちゃいけないの」

 切妻の眼線に合わせるように、男性はしゃがんで窘めるように叱り始める。どうやら本当に心配してそう言っているのだと切妻には分かった。

「でも、人攫いって夜じゃなくても昼間に人気の無い場所でも普通に起きてると思うんだけど」

 切妻は読んでいる漫画や小説でそのような事を知っていた。実際にあるかどうかは確認していないが、フィクションであるような連れ去りは実際に起こり得るだろうと予測はしている。

「屁理屈を言わないの。確かにそうだけど、この時間帯は何処も彼処も人気が本当に無くなっちゃうから、助けを呼んでも誰も助けてくれないんだよ。それに、連れ去らないとしても暴力を振るってくる奴もいるんだから危険な事には変わりないの。分かる?」

「それは分かる」

 切妻は素直に頷く。切妻は失念していた。人がいなければ連れ去られる事は殆ど無いだろうと高を括っていたが、実際に人攫いにあった場合は助けを呼んでも周りに誰もいないのだ。そんな場所に一人ぽつんといれば格好の獲物だろう。暴力を振るってくる輩が現れる可能性を頭に入れておかなかった事も切妻にとって危機感が足りなかったと知らしめた。

 とは言っても、切妻はまだ小学三年生であり、そのような恐怖をまだ理解出来ていないので危険の可能性を考慮した上での行動を取ると言う能力はいくらか欠如しているので仕方がないと言えば仕方がないのだが、そう捉えてしまうと今後の成長に支障をきたしてしまいそうだったので、切妻は今後は夜の一人歩きは充分に注意しようと心に決めたのであった。

 決して、夜の一人歩きをやめようとは思っていない。これだけはやめたくないと切妻は心の底から思っているのだ。だから、何と言われようとやめる気は無い。

「全く、君を見かけたのが俺でよかったよ。もし他の奴なら本当にさっき言ったみたいな事をしでかすかもしれないからね」

 切妻の決心を知らない男性は溜息を吐くと、立ち上がって切妻に手を差し伸べてきた。

「何?」

「もう今日は帰って寝なさい。明日は――ってもう今日か。今日は土曜日なんだから子供は休みだろ? あ、いや、どうせ今夏休みだから結局曜日は関係ないか。ともかく、君は一日中寝て夜更かしの疲れでも取り除きなさい」

 男性は近くで見た切妻の瞼に隈が出来ているのを見て、寝ずにずっとここにいるのだろうと推測した。実際に切妻は一睡もせずにずっと河川敷で横になって星空を眺めていた。

 男性の言葉に切妻は顔を僅かに顰めて、男性の手をじっと見て、ふいと視線を逸らす。

「いい。まだここにいるから」

 そっぽを向いて切妻は少し小さな声で男性にそう答える。

「は? 何で?」

 男性は理解出来ないでいる。

「親御さん、もしかしたらこっそり家を抜け出したのに気付いて心配してるかもしれないだろ?」

「その心配は無いよ」

 男性の言葉に切妻は再び夜空を見上げながら告げる。

「死んじゃったから」

 切妻の言葉に男性は言葉を失った。

「……それは、その、御免ね」

 男性は頭を下げて切妻に謝った。こんな明け方間際に子供が一人でいるのだ。何かしらの理由があると考えるべきであった。そう、普通ではない何かしらの理由でも。もしかしたらここにいる理由は目の前の子供の両親が死んでしまった事に対して心にぽっかり空いてしまった孔を埋めるような行為だったのかもしれないではないか。そう思うと何とも配慮足らずな発言であったのか。その事に男性は自己嫌悪する。

「謝る必要ないよ。普通は親がいるって思うのが普通だし」

 切妻は至って気にしてないように答えるが、実際はまだ両親の死を受け入れ切れていない。自ら両親が死んでしまった事を口にしてしまった為、目尻に涙が溜まりかけた。彼はまだ小学生でまだ精神は成熟しておらず、両親が死んだのがほんの数週間前なのでそう簡単に割り切れないのだがこれこそ仕方の無い事だ。

 それに大人であっても、親しい者の死を受け入れられない者は少なからずいるのだから恥じる事は無いのだが、切妻としては何時までも両親の死を受け入れられずにいる自分に嫌気が差してきている。まだ親に甘えたいと思う自分に鞭打ち、自分一人で生きていこうとしている。

 男性は空を見上げる切妻に寂しさが漂う様を感じとった。

「……それでも、君を引き取ってくれてる筈のおじいちゃんやおばあちゃん、それか叔父さんか叔母さんかな? 孤児院の可能性はないよね? 孤児院だったら抜け出す事が出来そうに無いし。で、その人達心配してるだろうし」

「その心配は……してるかもしれない」

 歯切れ悪く切妻は答える。

「してるかも、じゃなくてしてるよ」

 男性の言葉に切妻は小さいながらも頷いたように見える。

「……でも、まだここにいるよ」

 しかし、切妻はそのような言葉を口にした。

「どうしてだい?」

「……あの家に、叔父さん家に帰りたくないから」

 その言葉で男性はまたもや言葉を失う羽目になる。

「厄介者なんだよ」

 誰、とは言わなかったが、言わなくても男性に伝わるだろうと切妻は踏んでいる。

 切妻を引き取った叔父は自ら切妻に話し掛けようともせず、下手をすれば視線さえも合わせない日がある。叔母は切妻をまるで腫物でも扱うかのように接してくる。そのような事をされれば、小学生だと言っても自分が厄介者だと理解してしまう。なので、切妻はこれ以上迷惑を掛けないように叔父叔母、それに叔父夫婦の娘と距離を詰めないで一定間隔開ける事にしている。

 そうしていれば互いに変な気遣いをしないで済むと切妻は本気で思っている。しかし、そうしていても息苦しい事には変わりないので、夜はその息苦しい空間から抜け出して一息吐きたいと思って外に出ているのだ。

 これが切妻が一人で夜歩きをする理由。

 ある種の自己防衛本能。精神を安定させる為に不可欠な行動。

 現在は夏休みで日中は学校で授業を受ける事が出来ない事がより夜歩きに影響している。切妻は授業を受ける事で心を安定させていたのだから、夏休みに入ってしまうと友達と遊ぶ機会もあるのだが、大概は旅行に行ってしまったりするので基本的に叔父宅の自室に籠っている日を過ごしている。

 夏休みが終われば、夜歩きをしなくなるだろうが、決して絶対にとはつかない。学生には冬休みも春休みもある。それらの長い休みに入る度に、切妻は精神を保つ為に一人の夜歩きをする事だろう。

「…………」

 男性は無言になり、伸ばしていた手も引っ込めると、何処かへ去ってしまった。これ以上深く関わってはいけないと感じ取ったのだろう、と切妻は思い、別段と引き止めようとしなかった。

 もう暫く星空を眺めてる事にした。

 数十分も経つと次第に空は白んでいく。まだ太陽は昇っていないが、地平線間際までいる事が光量で窺える。もう空には星々の輝きが消え失せ始めている。

 帰りたくはないが、太陽が昇り切る前に家に帰らないといけない。叔父は朝五時前には起きるので、その時間までに家に帰らなければ迷惑を掛けてしまう。

 これ以上迷惑を掛けるのは御免なので、帰りたくない気持ちを難とか振り切って立ち上がり、河川敷を後にしようと歩を進める。

「あ、流石にもう帰るんだね」

 後ろから声が聞こえたので振り返ると、そこには立ち去った筈の男性が立っていた。両手に五百ミリリットルのペットボトルのお茶を一つずつ持っていた。

「はい。冷えただろうから温かいのでも飲みなよ」

 どうやら切妻の為に近くの公園にある自動販売機まで買いに行ってくれていたようだった。切妻は好意を無碍にしたくないと思い、男性から一つペットボトルを受け取る。確かに温かかった。それでも熱いという訳でも無いのは、買ってから暫くは放置していたからだろう。男性の心遣いが窺えた。

 蓋を開けて中身を一気に飲む。自覚はしていなかったが、結構喉が渇いていたらしく、補給された水分が体全体に染み渡っていくのを切妻は感じた。

「家まで送っていくよ」

 切妻よりも早く茶を飲み終えていた男性は空いた手を差し伸べてくる。

「いいよ、別に。お茶買って貰ったのに、そこまで出来ないよ」

 切妻は首を横に振る。これ以上は男性に迷惑を掛ける事になると思って拒否を示す。

「帰り道に変な奴と鉢合わせるといけないからね。これは君の為を思って言ってるんだから素直に頷きなよ。というか、君が一人で帰るとなると俺は心配で心配で気が気でならなくなるから」

 迷惑を掛けたくないと思っている切妻の心情を感じ取った男性は少しオーバーに言った。オーバーと言っても、一人で帰る事に対しての心配はしているのだ。また、一人で帰らせて万が一の事があれば自分の所為になり、自分を責める事になりかねないので家まで送ると言っている。

「……じゃあ、お言葉に甘えて」

 自分が一人で帰る事の方が迷惑を掛けると分かると、切妻は頷いて男性の手を握り、歩き出す。男性は切妻に歩幅を合わせて共に歩く。

 道中でゴミ箱を見付けたので切妻と男性は空になったペットボトルをそこに放り込む。

「君はさ」

 歩きながら男性が切妻に声を掛ける。

「ん?」

「優しいんだね」

 いきなりそう言われた切妻は疑問を頭の上に浮かべた。男性は切妻の様子を見てから、空を見上げて言う。

「多分だけど、君が君自身を厄介者って言ったのは叔父さんに迷惑を掛けてるって自覚があるからじゃないかな? その年でそう自覚してるのは凄い事だと思うよ」

 でもね、と男性は一言区切ってから続ける。

「迷惑を掛けるのは仕方ないんじゃないかな? 人ってのは誰も彼もが他人に迷惑を掛けるし。俺だって人に迷惑を掛けてる。迷惑を掛けない人間なんていやしないんだよ」

「……確かに、そうなんだけど」

 それでも頷けない切妻であった。他人に迷惑を掛けない人間はこの世に誰一人としていないという事は小学生であっても、周りを見ていれば薄々感ずくものだ。それでも、切妻は叔父家族にこれ以上の迷惑を掛けたくないと思うのだ。それが自分に出来るせめてもの行動だからと自分に言い聞かせて。

「まぁ、いきなり知らないお兄さんにそう言われても納得出来ないのは分かるよ」

 男性は苦笑いを浮かべながら切妻の頭を撫でる。

「っていうか、いきなりなんでそんな事を言うの?」

 頭を撫でられている切妻は男性に訊いてみる。

「あぁ、それはね。君みたいに極端な人を初めて見たからかな」

 男性は何処か遠い目をしながら切妻に語る。

「君程じゃないけど他人に迷惑を掛けたくないって思う人は確かにいるんだけど、そうじゃない人も一杯いるんだ。もしかしたら、そっちの方が多いかもしれない。他人に迷惑を掛けてもいい、自分さえよければ迷惑を掛ける事なんて知ったこっちゃないって奴がね、いるんだよ」

 男性の言葉には実感が籠っていると切妻は感じ取った。もしかしたら、この人は過去に多大な迷惑を掛けられた事があるのかもしれないと切妻は思った。

 男性は切妻の表情が少し硬くなってしまったのを見ると、慌てて片手を振って場の空気を換えようとする。

「あぁ、なんか御免ね。こんな話しちゃって。俺が言いたい事ってのは、えっと、要は人間ってのは迷惑を掛ける生き物だから気にし過ぎちゃいけないって事かな?」

 何故か疑問文にして言ってしまう男性は軽く後頭部を掻きながら切妻にすまなそうな視線を送る。

「……なんか、纏まってないね。御免ね。変な事言っちゃって」

「ううん、別に」

 切妻はすまなそうにする男性に首を横に振る。

「言いたい事は伝わったから」

「そう? ならいいんだけど。……って君ってもしかして頭もよかったりするかもね」

 少なくとも、目の前の少年と同年代だった頃の自分よりも聡いだろうと思う男性である。

「そうでもないよ。算数は割り算が苦手なんだよ」

「へぇ、そうなんだ」

 聡いと思っていても、年相応に苦手な分野があるのだなと男性は何処か優しい眼差しで難色を表している切妻を見つめる。

「どうして苦手なのかな?」

「いちいち余りを出さなきゃいけないから」

「へ?」

「余りを出さずに割り切ったらテストで余りを出しましょうって書かれて減点されたから苦手」

「減点……」

 ちょっと予想外の答えが返ってきたので男性は一瞬頭が真っ白になった。というか、余りを出さなかっただけで減点されるのか、と色が戻ってきた頭で思ってしまう。まぁ、問題文にはきちんと余りを出しましょうとでも書かれていたのだろう。ならば余りを出さなければいけないのかな? と深読みをしてしまう男性であった。

「どうして小数点以下まで割っちゃいけないのかな? その方がすっきりするのに。確かに割り切れない場合もあるけど、割り切れるんならきちんと割った方がいいと思うんだよ。六等分にされたケーキを五人で分ける時だって一個を余らせずに、その一個を更に五等分するでしょ?」

 切妻は納得がいかないと言わんばかりに拗ねながら男性に向けて問い掛ける。

「……もしかして君って几帳面なのかな? というか、小学生なんだからまだ余りを出す段階でストップさせておいてもいいと思うんだけど」

 先程浮かべたものとは違う質の苦笑いを浮かべながら男性は切妻にそう答える。

「……納得いかないなぁ」

 切妻は頬を膨らませながらそう呟く。

「まぁ、小数点以下まで割り切れって言われるようになってからその通りに答えればいいよ。今はまだ問題文や先生の言う通りにしておきなさい」

 男性は不貞腐れる切妻が可愛いと思いながらも今後の学校生活をなるべく円滑に進めさせる為に助言――と呼べるか分からないがそのような事を告げる。

 その後も帰り道は他愛も無い話をしながら歩いて行った。

「あ、ここだよ」

 切妻は目の前に見える門を指差して男性に告げる。

「ここかぁ。結構立派な所に住んでるんだねぇ」

 男性は塀で囲まれた部分から目測してそう言う。実際に彼が一人暮らししている一軒家よりも敷地面積が広い事が窺えたのだから。もし庭があるとしたら自分の家が収まるんじゃないかと思ってしまう。

 門の前まで来ると、切妻は握っていた男性の手を放して男性に向き直る。

「ここまで送ってくれてありがとうございました」

 礼儀正しく頭を下げる切妻。

「いや、別に礼を言われる事じゃないから」

 男性は手を横に振りながら軽く笑みを零す。

「とにかく、もう二度と一人で夜中で歩くんじゃないよ? 君みたいな可愛い女の子がほっつき歩いてたら本当に危ないんだからね」

 男性は視線を切妻に合せてそうきつめに告げる。

「……まぁ、善処はするよ」

 切妻は視線を逸らして男性にそう答える。

「善処って言葉よく知ってるね。……ってか、また夜歩きしそうだなぁ」

「大丈夫、もうお兄さんには迷惑掛けないから」

 ぐっと顔の前まで持ってきた拳を握りながら切妻は男性に断言した。

「する気満々じゃないか」

 男性はこれからも河川敷に切妻がいないかどうかを確認しに行ったの方がいいのだろうか? と本気で悩んだ。

「冗談だよ。もう行かないよ」

 切妻は柔らかく笑いながらそう男性に言う。しかし、結局行くと決めているのでこれは嘘なのだが、これ以上男性に迷惑を掛けたくなかったので嘘を吐いて安心させる事にしたのだ。

「……そう? ならいいんだけどね」

 男性は暫く切妻の目を見つめていたが、嘘ではないと思い、ほっと息を吐いて安心する。

「じゃあ、俺はもう行くからね。ばいばい」

 踵を返して男性は来た道を戻って歩き出し、体を後方に軽く捻って切妻に手を振る。

「ばいばい」

 切妻も男性に手を振る。

「あ、そうだ」

 前を向いて完全に自分に背を向けた男性を見て、切妻は唐突にそう言った。

「ん? どうしたの?」

 足を止めて男性は切妻を見る。

「いや、これだけは言っておこうかなと思って」

 切妻は男性に伝える。

「お茶買って貰った事とここまで送って貰ったから、御礼したいんだけど。言葉だけじゃなくて」

「いや、いいよ。気にしないで」

 男性は苦笑しながら遠慮する。何も自分は見返りが欲しくてやった訳ではないので別に礼とかは要らないのだ。だから気にする必要は無いと切妻に伝える。

「でも……」

 それでも納得出来ない切妻に、男性はある事を閃いて、それを切妻に言う。

「あ、じゃあさ。俺が困ってる時に見かけたら助けてよ」

 切妻は優しいので困っていたら助けようと動くのだろうと思い、そう口にしたのだ。ただ、今後合うかどうかも分からない相手を助けるかどうかは分からないが。

 切妻は男性の言葉に即頷き、向日葵のように柔らかく笑って答える。

「うん、分かった。お兄さんが困ってるのを見かけたら何が何でも助けてあげるよ」

 切妻は男性に駆け寄ると、右の小指を立てて男性の前に持ってくる。

「指切り、しよ?」

「はいはい」

 男性は笑いながら切妻と指切りを交わし、去って行った。

「あっ」

 去っていく男性の背を見ながら切妻はある事を思いだした。

「あのお兄さん、僕の事女だと思ってたな。僕は男なんだけど……まぁ、いいや」

 今も同学年の女子と間違われる場合があるのでその事に関してはあまり気にしないようにしている切妻であった。

 男性の背が完全に見えなくなると、切妻は門を開けて、その奥にある玄関から家の中に入るのではなく、庭を伝って自室の開いた窓から戻っていった。


 切妻も男性も現時点では知らない。

 切妻と男性が七年後に再び会う事を。

 そして、その時に互いに再会した事を知らないまま、全てを終える事を。

 幼い頃の切妻が出会ったこの男性の名前は佐沼義武。

 怨霊に成り果てる前の生前の佐沼との約束を、切妻は知らぬ間に果たしていたのだ。

 切妻は、怨霊に成り果ててしまった佐沼を助けたのだ。

 切妻が約束を果たした事を知るのは、当分先の話になる。






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