猫死神さんの奮闘
「課長、今度こそ」
「却下」
無慈悲に告げられる。
株式会社SHINI‐GAMIの死亡記録課での事だった。
「何でですか!? 言われた通りに具体案を書いて来たんですよ! 二年以上はこうしてるんですけど! そしてもう百回は書き直してるんですけど! しかも今回は具体案を見もしないんですかっ!?」
猫で死神の美耶は牙をくわっと剥いて自分の直属の上司である女性に向かって吠え立てている。彼女は新たに怨霊成仏課という部署を作ろうと提案書を提出しようとしていたが、上司はそれを見ずに却下と告げた。
「見なくたって分かるわ。だって予測したんだもの」
女性は溜息交じりに美耶が手に持っている書類に視線を向ける。見た目の歳は二十代後半。首には白と黒の斑模様のチョーカーが嵌められている。美しい藍色の髪を後ろで二つに結んでおり、頭には二本角が飛び出ている。瑪瑙で出来たフレームの眼鏡の奥からはすっとした知的な眼が覗かせている。ばりばりのキャリアウーマンというよりはまるで占い師のように薄手のローブを纏った姿であり、ローブはぴったりサイズで身体のライン(強いて言えば豊満なメロメロボディ)が強調されている。異性からすれば目の毒のような格好である。そんな彼女のデスクには小玉西瓜と同程度の大きさの透明な水晶が置かれている。
彼女の名前は芽菜。種族:牛の死神である。死亡記録課の課長を務めており、仕事では主に死の予測を行っている。同課に死の予測を行っている者は他にもいるが、仕事に割り当てられる予測のうち約三割は芽菜が予測したものである。
芽菜の予測方法は水晶を通して中心に浮かんでくる文字を読むというもの。その文字と言うのも、漠然とした結果しか提示されないという欠点があるが、死以外の軽い未来も予測する事が可能である。
今回の例で言えば、『美耶が百七回目に持ってくる具体案もNG』と水晶の中心に文字が浮かんだ。そう予測が出たので美耶の持っている具体案が書かれた書類を見ずに却下したのであった。
「でも、どうして駄目かは見ないと分からないじゃないですか!」
美耶としては、きちんと手直しをしたのでそれを見た上での評価をして貰いたかった。しかし芽菜は自身の能力を使って大雑把に評価――というか却下したのだ。それでは納得出来ないというものだ。何処が悪い部分か分からないので撥ねられても何処を直せばいいのか皆目見当つかないのだ。
「いえ、駄目な部分は大方予想つくけど」
芽菜はしれっと言う。
「えっ、本当ですか?」
美耶は素っ頓狂な声を出してしまう。もしかして、上司の未来予測の精度はどんどん向上していっているのか? と思ってしまったが、それは本人に否定される。どうやら自分の勘で予想したらしい。
「えぇ。貴女の具体案で重要な部分が何時も抜けているから、恐らくそれだと思うのだけれど」
「何時も抜けてる部分があるなら最初に言って下さいよ!」
「自分で気付かなきゃいけない時ってのもあるでしょ。だから敢えて言わなかったのよ」
それは一理ある。何事も言われた事だけを直していくだけでは成長しないのだ。人に注意されて直す事も重要だが、自分で気付き、そこを直していく事もまた重要であり、企画等を立ち上げる場合にはそう言った能力を成長させないといけない。なので芽菜は敢えて美耶に注意しなかったのだ。
「……それで、一体何が抜けてるんですか?」
しかし、美耶は百七回撥ねられても気付かなかったので、素直に訊く事にした。分からないものをそのままにしておいても成長の阻害にしかならないので美耶のこの判断も正解ではある。
「そうね、まず一つ目は」
頬杖をつきながら芽菜は指を一本立てる。
「まずって事は複数あるんだ……」
「怨霊の成仏に当たっての基準ね。全部の怨霊を成仏させるんじゃないんだから、どういった怨霊を対象にして成仏を行うかの定義させなきゃいけないわ。それにプラスして、成仏対象の判断の仕方も考えなきゃいけない」
「それは、確かに……」
「二つ目は怨霊の恨み辛みを何にぶつけて解消させるか。これは生きてるものは勿論、死んでるものにぶつけて無くすと言うのは無しだからね。別の方法で恨み辛みを無くすようにしなきゃいけない」
「……あ、それ考えるの忘れてた」
「……最後に、仕事の手順をマニュアル化する事。自分一人で行う訳じゃないから、手順というものを明確にしてそれを仲間と共有していかなければ効率よく成仏なんかさせられないわ」
「…………そうですね」
「で、これ等三つの事をきちんと考えた上で提出しようとしてたの?」
芽菜の鋭い視線に射抜かれた美耶は視線を逸らし、か細い声で答える。
「………………考え直してきます」
それ等三つに対しては全く考えてなかったのだった。今まで二年以上何をしてきたんだろうと自虐的になってしまう程に重大な事を考え忘れていた事にショックを受ける美耶。そんな彼女は首を垂れて自分のデスクへと戻って行った。
そんな事があってから数週間が経過した。
「と、取り敢えず、成仏対象の怨霊の定義と判別方法。それに、手順のマニュアルは完成……」
メラニン色素がたんまり溜まった隈を携えて、ふらふらと社内の廊下を歩く美耶の姿がそこにはあった。
この数週間で自分の担当業務をこなしながら企画立案において必要不可欠な部分を並行させて考えていたのだった。
成仏対象の怨霊の定義としては、未練があり長くこの世に居座ってしまった結果に恨み辛みが増幅し、不可抗力で怨霊と成り果ててしまった者が対象だ。そのうちでも軽度――つまりは変化していない者に限る。そうしないと成仏させる前にこちらの身が危険になってしまう。それに変化してしまったら大抵は理性を失って恨み辛みをぶつけていってしまうのだ。なので変化してしまった者は罪悪感を感じるが討伐の方向で。逆恨みや生前からの憎悪で自ら進んで怨霊に成り果てた者は論外であり、救う余地無しで即討伐。
さて、そんな怨霊の判別方法はと言うと、とある札を使う事にした。その名も『善悪判断札』(美耶命名)だ。その札を怨霊の額に貼り付けると怨霊に流れる霊気の質を感知し、その質によって善か悪かの文字が浮かび上がる。善ならば成仏対象、悪ならば討伐対象と簡易的に判別する事が出来る優れもの。
この札を作ったのは霊具開発課の皆様方である。霊具開発課とはその名の通り霊具を開発する部署である。霊具とは霊気や生気を動力源として利用する道具の事であり、死神が嵌めているチョーカーも霊具の一種である。美耶が霊具開発課の同期に頭を下げて作って貰った。試作品を怨霊討伐課の死神に試して貰った所、きちんと作動してそのまま増産する手筈となった。
仕事マニュアルもA4用紙一枚に収まる程に簡略化したものを考えだし、例え新人の死神が怨霊の成仏に向かったとしてもそれを見れば一人でも大丈夫、という代物……であるらしい。一応上司の芽菜に見せて確認して貰って少しの手直しが必要と言われたがOKは出たのでこちらも問題も片付いた。
残りは一つ。
怨霊の恨み辛みをぶつける別の対象を何にするか、だ。
一応、何にするかは目星がついている。
「……課長。ちょっと現世まで行ってきます」
死亡記録課に足を運び、課長席に座っている芽菜に一言告げて直ぐ様死亡記録課を後にした。
さて、現世に赴いた美耶はふらつきながらもしっかりと歩を進め、目的の場所へと向かう。
仙原市水元区にある屋敷。
そこには美耶の同僚が左遷と言う形で居を構えている。彼に会う為に現世まで来たのだ。一応電話でアポイントメントを取った。向こうから日時指定されたので美耶はそれに従った。
あの世では季節感なぞも無いが、ちらちらと雪が舞い落ちてきている。こういう寒い時は炬燵に入ってぬくぬくしたいと思う美耶であった。
「……早いな。まだ約束の時間まで十分はあるだろ」
屋敷の前まで来ると、一人の少年が突っ立っていた。その少年は毛糸のニット帽に手袋、マフラー、それに無地のコートを羽織っており、首には蛇皮のチョーカーが嵌められている。
少年の名はカガチ。美耶の同僚である蛇の死神だ。
「十分前行動は当たり前だからね。って本当に小さくなってる」
美耶はカガチと身長を比べてみる。カガチはとある事情により、内包出来る霊気の最大値が減ってしまいサイズが縮んでしまっているのだ。普段ならば美耶よりも頭二つ以上は高い青年姿なのだが、今では美耶と同程度くらいの身長となっている。
「もしかして、今のカガチって私より霊気少ない?」
「まぁな」
えらく簡単に肯定するカガチ。カガチは怨霊討伐課の死神の中でも戦闘特化の死神である。その特化は莫大な霊気量が幸を為していたのだ。それが半分以上も失われてしまった今、カガチは怨霊討伐課の仕事を有給休暇と言う形で一時的に休んでいる。
「取り敢えず、立ち話も何だから中に入れ」
カガチに誘われて屋敷の中へと通される美耶。
「あ、カガチ。出てったと思ったら直ぐ戻ってきたんだ」
中に入ると見た事のある高校のブレザー制服を着た少女が掃除機を掛けていた。
「あれ? お客さん? それともカガチのお友達?」
「友達じゃない。客だ。茶の用意を頼む下僕。一つは温めでな」
「はいはい」
下僕と呼ばれた少女は掃除機をその場においてぱたぱたと奥に消えていった。
「……下僕?」
「あぁ、下僕だ」
にべも無く肯定するカガチに一階にある客間へと通される。
そこには暖炉があり、薪がくべられており火が点いている。火の温かい光に照らされた空間にはロッキングチェアやアンティークな机、本棚などが置かれており、フローリングの床には暖色系の絨毯が敷かれていた。また、ソファも備え付けられれいる。
「ソファにでも座れ」
カガチはコートを脱いでロッキングチェアに掛け、マフラーだけはつけていたがニット帽と手袋も外してテーブルの上に適当に放り投げた。そんなカガチの恰好は美耶も見慣れたジャージ一式である。
彼は近くにあったロッキングチェアに腰を下ろし、前傾姿勢を取って頬杖をつく。気心の知れた同僚の訪問であると言うのに、あまり歓迎しているようには見えないが、美耶は別に気にせずソファに座る。実際歓迎はしていないだろう。カガチだって有給を取っているとはいえ用事があるのだ。そんな中に無理矢理こちらの予定を組み込んで貰ったのだから美耶としては頭が上がらない心情のだ。
「で、何だ頼みって?」
「実はね」
美耶が口にしようとした時。
「失礼します」
と、扉がノックされ開いた。そこには先程掃除機を掛けていた少女が盆を持っており、客間へと入っていく。盆にはティーカップが二つ載っており、中には湯気が立ち上がる液体が入っている。
「カガチ、温めのお茶はどっち?」
「そいつ」
カガチが美耶の方を指差すと少女はそちらの方に温めに作った茶を差し出した。
「あっ。ありがとうございます」
ぺこりと一礼する美耶。
「いえ。あ、何か食べますか? さっき私が作ったブリオッシュがありますけど」
「お気遣いなく」
「分かりました。はい、カガチの分」
少女はカガチにティーカップを渡すと「失礼しました」と礼をして部屋から退出する。
「掃除機掛け終わったら洗濯も頼む」
去り際の少女にカガチはお茶を飲みながら命令していた。
「……家政婦さん?」
「違う。下僕だ」
どうも下僕には見えないのだが、まぁ、カガチがそう言うのであれば下僕ではなくて仲間なのだろう。照れ隠しで下僕と言っているのだろう、と深く考えずに少女が淹れてくれた茶を一口飲む。
「……うっ」
茶が舌に接触した瞬間、嫌な記憶が浮上してきた。
「ねぇ、カガチ」
「何だ?」
恐らく同じ茶を口にしているカガチはそれを平然と飲んでいる。明らかに飲み慣れた様子であった。
「このお茶ってさ、もしかして……ギムネマ茶?」
「ん? お前知ってたのか?」
意外だ、と言わんばかりに目を開くカガチ。やっぱり、と美耶は苦い茶に視線を落とす。気分も落とす。
「ここから少し遠くにあるフクジュ薬局に一つだけ置いてあってな。どうやらこの茶を飲むと一時的に甘味が感じられなくなる作用があるらしい」
「……知ってるよ」
美耶は二年前にギムネマ茶を飲んで少し損をしてるので記憶を封じてたが、まさかカガチが買って飲んでいるとは思わなかった。まさに予想外の展開だった。
少しだけ口に含んでしまったが、それだけを喉に通してギムネマ茶が並々注がれたティーカップをテーブルに置く。
「で、頼みなんだけど」
置いたギムネマ茶に視線を戻す事無く本題に入る美耶。
「実は、藁人形が欲しいんだけど」
「そこら辺で藁拾って勝手に作れ。もしくは霊具開発課の奴等に作って貰え」
無慈悲に言い放つのであった。わざわざそんな事の為に来るんじゃない、とカガチの眼が訴えていた。
「いや、それもそうなんだけどね。出来れば最後まで訊いて欲しいんだけど」
「何だ?」
カガチはぶっきら棒に訊いてくる。
「霊具開発課の人に頼んで作ってみて貰ったんだけどさ、あまり効果が無さそうなんだよね」
「何に効果が無いんだ?」
「見て貰った方が早いかも」
そう言って美耶がポケットから一つの藁人形を取り出した。顔の部分には『試作品』と書かれた紙が貼られている。
「怨霊の恨み辛みをぶつける感覚って、霊気を他者に流し込むのと大体同じだよね」
「あぁ」
カガチは頷く。
恨み辛みというのは自分の中で生じた感情であり、普通ならば感情という物質として存在しないものを他者にぶつける事は不可能なのだ。
しかし、怨霊はその恨み辛みを物質――正確には気体のような状態に出来る特異な性質を持ち合わせており、物質化した恨み辛みを対象にぶつけて恨み辛みの移動を行っているのだ。
霊気も同様に気体のような状態であり、それを他者に流す事によって受け渡しを行うのだ。それ故に、恨み辛みをぶつける事と、霊気の受け渡しは似ているのだ。
「でね、試しに私がこの藁人形に霊気を流すと」
美耶が藁人形に手を翳し、霊気を流し込む。すると藁人形はうっすらと白く発光し、そして一秒にも満たないうちに破裂してしまう。
「こういう風に破裂しちゃうの」
「確かに藁人形では意味ないな」
美耶が藁人形に流し込んだ霊気の量というのも、それ程多くは無く、一般的な死霊の霊気量の百分の一の量を流し込んだだけで破裂してしまったのだ。
因みに、美耶の霊気量は一般死霊の二十倍で、本来のカガチならば百倍である。
怨霊に至っては成りたてならば平均して一般の死霊の十倍程度の霊気量で、恨み辛みの量もほぼ同量である。
カガチは床に落ちた藁人形の欠片を摘まみ上げながら溜息を吐く。
「あまりにも霊気を留めておけないのは置いておくとしても、耐え切れずに破裂するのは駄目だな。破裂してしまったら、ぶつけられた恨み辛みが怨霊に戻っていくぞ」
恨み辛みは行き場を失ってしまうと、その恨み辛みを生成した怨霊の下に戻っていくという性質もある。この性質があるので怨霊を討伐してしまったとしても恨み辛みは残留せず、無となって消え失せていくのだ。
また、恨み辛みをぶつけられて怨霊になってしまった死霊、もしくは怨霊側になってしまった半霊が消滅した場合にはその限りではなく、ぶつけられた恨み辛みはその時点ででぶつけた側のものからぶつけられた側の恨み辛みに変換され、ぶつけられてなってしまった怨霊や半霊が消滅して、その怨霊と半霊を結果的に作った怨霊が消滅せずに存在していたとしてもその怨霊には恨み辛みは戻って行かないのだ。
藁人形の場合はあくまで溜め込むだけなので変換される事は無く、破裂して恨み辛みが流出してしまえば、恨み辛みをぶつけた怨霊の元へと戻っていってしまうのだ。
「だよね。でもこればっかりは霊具開発課でも改善出来なくて」
そう言って美耶はポケットから更に藁人形を参体取り出した。それぞれの頭には『マーク?』『参号機』『フォースチルドレン』と書かれた紙が貼りつけられている。
「何だ? この『フォースチルドレン』って? 別に誰かの子供じゃないだろう」
カガチは訝しげな眼を『フォースチルドレン』の藁人形に向ける。
「さぁ? 私も知らないよ。こればっかりは霊具開発課の人の趣味だし」
美耶は肩を竦めながら、この三体にも同様に霊気を流し込んでいく。
数字が大きくなるにつれて流し込める量の最大許容量は増えたが、許容量を超えると破裂してしまうのだ。
「……と、言う事なの。だから、カガチに頼んでるの」
そう言って美耶はカガチを見る。
この同僚は左遷されてから陰陽道を習ったようなのだ。
どうも左遷されて直ぐに人を助けたようで、その人というのが陰陽道を生業としていたようで、助けた代わりに自分にも教えてくれというか教えろといって習い始め、半年で完全習得したそうなのだ。
陰陽道では霊具や符、呪具の作成も行うのでその部門のエキスパートでもある。
陰陽道に携わった経験のあるものが霊具開発課の死神や、自分の知る限りの範囲内にはいなかったのだ。
なので美耶は死神で陰陽師な同僚に頼った訳なのだ。
「で、破裂しない藁人形ってない?」
「無いな」
カガチは美耶の言葉をいとも容易く両断した。
「藁人形ってのは呪いを掛ける為の物でもあり、呪いを返す為の物だ。呪いを掛ける場合は一旦藁人形に呪いを移し、壊す事で呪いを掛けた対象に向かうようにする。呪いを返す場合も同じように、呪いに掛かった奴の呪いを全て藁人形に移し替え、破壊して返す。と言った事をする。だから藁人形は基本的に壊れるように作らなければいけないんだ」
「そっか……」
美耶は猫耳を下に垂らし、肩を落として落胆する。
今の所、恨み辛みを生きている者、死んでいる者以外にぶつけられるものがこれしかないのだ。また一から探すというのもちょっときついものがある。なので美耶としては出来るだけこの藁人形をどうにかして使いたいのだ。
「ん? ちょっと待って」
美耶は待ったのポーズをして額に指を当てる。
「今、カガチは基本的に壊れるようにしてるって言ったよね?」
「言ったな」
その言葉を訊いて、美耶には少しだけ希望が見えてきた。
「って事は、壊れないように作るって事も出来るの?」
「いや、それは無理だ。藁人形はどうやったって壊れるようにしか作れない」
美耶はその言葉に再び肩を落とす。
同僚はこういう気に掛かる事を言う時があり、大抵そこを突っ込めば次に繋がる展開へとなっていったのだ。なので気に掛かる部分を指摘して状況が変わらない返答を貰った美耶は落胆度が一割増だった。
「しかし、後付けで壊れないようにする事は可能だ」
そんな落胆している美耶にカガチはしれと大事な事を言ってのけた。
「それを先に言って欲しいな!」
耳を立てながら美耶はカガチに喰ってかかる。
期待させて付き落として、は勘弁願いたいのであった。
「正確には壊れないじゃなくて、破裂寸前で遮断し、それ以上はぶつけられないようにする方法だ。」
カガチはギムネマチャを飲み干して、マフラーを外しながら立ち上がる。
「方法を教えるから、あとは自分でやれ。今の俺じゃ絶対に出来ないからな」
「絶対に?」
「あぁ。これは結構霊気を使う方法だからな。今の俺では無理だ」
「成程」
美耶は納得する。確かに今のカガチの霊気量は自分よりも遥かに劣り、下手をすれば一般の死霊よりも下かもしれないくらいの霊気しか持っていない。そんな状態で実演して貰ったのならば、最悪霊気量が足らなくなって昏睡してしまう可能性が出てくる。
「藁人形は霊具開発課の奴等が作ったこの『フォースチルドレン』を大量生産させとけ。恐らく、この藁人形の許容量以上は無理だろうからな」
そう言いながらカガチはついて来い、と部屋を後にするのであった。美耶は慌てて後について行く。
移動した先は台所であった。
「あれ? どうしたのカガチ?」
台所を掃除中であったらしい、カガチ曰く下僕の少女は頭に疑問符を浮かべている。
「上行って藁人形を一つ持ってきてくれ」
「分かった」
カガチのいきなりの言葉に少女は疑問を持たずに素直に従い、二階へと上がって行った。
「で、今からお前にやって貰いたい事はだな」
コップに水を並々と注ぎながらカガチは美耶に説明を始める。
「このコップの水にひたすら霊気を流して循環させろ。霊気量は最初の藁人形に流した量の百分の一を一定して流し続けろ」
「え? それだけ?」
霊気を使う、とはそう言う意味なのだろうか? と美耶は少しだけ肩透かしな気分になってしまった。なにせ、今の状態のカガチが拒んだのだからどんな無理難題をやらせられるのかと内心不安に思っていたのだが、ただ霊気を流して循環させるだけなぞ、美耶にとっては朝飯前であった。
「あぁ、それだけだ。その代り、これはかなり時間が掛かる。普通は陰陽師ですらやらないマニアックな方法だからな」
「時間ってどれくらい?」
精々三十分くらいだろう、と美耶はたかをくくっていた。
「五時間」
「五時間っ!?」
しれっと述べたカガチに流石に美耶は驚いた。
五時間も霊気を流して循環させるとは、確かに並大抵の霊気量では耐えられないのだ。
ただ一分程度霊気を流して循環させる事は苦ではなく、三十分で疲労が出始め、一時間では肩で息をし始める。
霊気を流す事は放出と同義であり、五時間も流せばもうたってられないかもしれないのだ。
カガチが出来ないと言ったのは、本当の事のようだ。
「持ってきたよ」
少女が藁人形を片手に台所に戻ってきた。
「ご苦労。では掃除に戻っていいぞ」
「はいはい」
尊大なカガチの言葉を気に掛けず、少女は掃除に戻ったのだった。
カガチは受け取った藁人形をコップに入った水の中に全身を沈め、それを美耶に渡す。
「ここで注意が一つ。霊気を流して循環させる五時間の間は決して藁人形には霊気を流すな。流したらその時点で水を流れている霊気を連鎖的に吸収して破裂する事になるからな」
そんな注意を受けて、美耶はこれから五時間も霊気を流す事に溜息を吐きながら言われた通り始めるのであった。
で、一回目は一時間で藁人形に霊気を流してしまい失敗。
二回目は四時間持ったがそこで気が緩んで失敗。
三回目で何とか成功した。計十時間も霊気を流してしまっていたのだ。
若干昇っていた日が暮れて夜になってしまっていた。
もう、美耶には経つ気力が無かった。
「えっと、お疲れ様です」
少女が美耶を助け起こして椅子に座らせてくれた事に美耶はこの子は絶対にいい子だと確信した。
「まぁ、後は頑張れ。かなり非効率だけどな」
カガチは夕飯であるらしいビーフシチューを頬張りながら心無い言葉を同僚に投げつけるのであった。美耶はカガチは薄情な同僚だと思ってしまった。
「あの、夕飯食べていきます?」
少女の言葉に美耶は頷き、ビーフシチューを食べ、霊気が少し回復して歩けるようになってから株式会社SHINI‐GAMIに戻った。
そして直ぐに死亡記録課課長の芽菜のもとに行った。
「課長……今度こそ……」
美耶はふらふらしながらも怨霊成仏課の計画書を芽菜に渡す。
「いいよ」
芽菜は美耶が渡している途中で軽い感じにあっさりとOKをしたのであった。
「課長……即答ですか……」
「まぁ、予知で『今回はOK』って書いてあったし。だからこれは大丈夫」
そう言ってから芽菜は書類に目を通し始める。
「……うん、ちゃんと考える事は考えたようだし、これは後私の方から社長に出しておくわ」
芽菜は晴れやかに微笑みかけながら美耶にそう告げる。
「よ、よろしくお願いします……」
美耶は一礼して、この場を去ろうとする。かなりの疲労をしたので、早く帰って寝たかったのだ。
「あ、でも一つだけ、確認していいかな?」
しかし、去ろうとする美耶を芽菜は呼び止める。
「何ですか……?」
「この藁人形なんだけど、誰が率先して作るの?」
「あぁ、それは……」
美耶はぽつりと言う。
「藁人形自体を作るのは霊具開発課に頼みますけど、壊れないように調整するのは私メインで、部署が出来たらそこの課員全員で。部署が出来るまでは死亡記録課の死を予測する人達にやって貰いたいんですけど」
「……その心は?」
「ぶっちゃけ、死を予測するだけなら霊気をあまり消費しませんし、恐らく会社の中で一番暇な人達だと思うので」
「美耶、ちょっとそこで正座をしなさい」
美耶は疲れのあまり本音を暴露してしまい、直属の上司である芽菜に小一時間説教をくらった。
そんな説教をくらって三日後に、正式に怨霊成仏課の設立許可が下りた。
現段階ではまだ怨霊成仏課が出来ていないので、芽菜のは計らいで出来るまでは藁人形の調整をして貰えるように手配をしてくれる算段にはなったのが、仕事の分担としては、本音を言ってしまった美耶が一番の負担を強いられる事となった。
因みに、暇人と言ってしまった人に上司が含まれていたので給料にも影響が出て、少し減らされてしまったのであった。
しかし、美耶は気にしなかった。
これでやっと、守りたかった人、助けたかった人、一緒にいたかった人が存在していた事を行動によって忘れ去られないようにする事が出来るようになったのだから。




