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猫死神さんと命日まで  作者: 島地 雷夢
エピローグ
31/40

切妻瑞貴の死亡からその後

 切妻瑞貴は公式に死亡したが、世間では行方不明者扱いとなっていた。

 切妻が死亡した十一月四日から音信不通となり、それが三日も続くと流石に事件に巻き込まれたのではないかと彼が所属していたクラス内で囁かれ、それでも文化祭をズル休みしていたのを恥じていて電話に出ないだけとも思っていたが、文化祭最終日から四日もズル休みを継続する人間とは思えなかった。

 そこで切妻の住んでいたマンションに数奇屋や紅など、交流が深い者が切妻邸に赴いたが、呼び鈴を鳴らしても出ず、鍵は掛かったままであった。直ぐ様担任教師にその事を告げると、担任教師は切妻の親類――この場合は叔父家族に連絡を取った。丁度その電話をすみれが取り、血相を変えて急いで切マンションへと向かった。

 切妻邸の前にいた彼の同級生に忙しなく挨拶をすると、懐から合鍵を取り出した。すみれは切妻邸の合鍵は彼が高校一年生になってここに戻って来た時には既に所持しており、勝手に入ろうと思えば入れたのだが、それは切妻が望んでいないと感じていたので未使用のままであった。また、切妻と以前よりもよい関係となったので合鍵を使う必要も無くなり、今後も使う事は無いだろうと思っていた。

 しかし、状況は一変した故に急遽使用する羽目になった。勝手に開けて入るのは気後れするが、数日前に和解をしていたのでそれくらいならば怒られないだろうと踏み、また、中で倒れているのではないかと言う心配が頭を過ぎったので躊躇いというものが生じず、合鍵を使って邸内に入った。

 そこはもう生活していた、としか言えない空間となっていた。

 妙に空気の籠った部屋は全体的にほんの少しだけだが埃が表面を覆い、洗濯機には衣類が入れられたまま、流しには水に浸けたままの食器があり、冷蔵庫には調味料以外の食材が入っていなかった。家の中には十一月三日の夕刊分までの新聞しかなく、同級生の一人が一階にあるレターボックスを確認しに行くと新聞や広告が本日分までぎっしりと押し込められていた。ゴミも市の指定ゴミ袋に入れられて回収日に出される事もなくぽそりと置かれていた。切妻の部屋は本が山のように積まれたままの状態を維持していたが、ベッドにはやはり人が寝ていたという証明になる温もりは一欠けらも感じず、本の山が無情に重圧を掛けてきた。

 この状況から、切妻は十一月三日の夜から四日にかけての間にいなくなった事になる。そうなると、もう警察に連絡を入れた。

 翌日十一月八日の新聞に『仙原市の男子高校生失踪』という記事で載った。記事の端に生前の切妻の写真が貼られ、見かけたら連絡をしてくれという旨が文末に添えられていた。

 それから一ヶ月。十二月七日。

 切妻に関する情報は全く来なかった。もしかしたら一ヶ月前に仙原市で遭った誘拐殺人と同じようになってしまっているのではないか? という疑念が切妻の関係者の頭を過ぎり始めて三週間以上経過していた。

 そんな中、美耶は報告書を書いていた。

 報告書とは、切妻瑞貴の死ぬまでの過程。いや、正確には死んだのではなく消滅した。その消滅までの過程を記したものだ。

 半霊とは言え怨霊側の存在となってしまった者は怨霊討伐課の死神に討たれる運命にある。

 しかし、軽度の怨霊化ならば元の生きた状態に戻れる可能性もあったのだが、切妻のように完全に怨霊側となってしまったのならば元に戻す事は即ち恨み辛みを他者にぶつける事と同義になってしまうので討伐せざるを得なかった。

 討伐すれば霊は消滅してしまう。しかし存在を更生していた霊気自体は消滅する事は無く、あの世へと流れ込む。流れ込まれた霊気は一定量集まると凝縮し、新たな霊となり、この世で生を受ける。

 転生とは違い、前世の記憶というものはふとした拍子に思い出される事は無い。それ以前に、前世の記憶を持たない。霊気には記憶を保管する機能は無いのだ。記憶を保持するには霊として構成されていないといけない。なので霧散した霊気が寄り集まって出来た霊は既視感は持たない。

 転生と討伐の違いはそこだけ。前世の記憶を有する方法か、そうでないか。

 結果は変わらず、世界というものは常に一定のバランスで動き続けるように構成されている。人がどんなに足掻いても。死神がどのように対処しようと。世界は不変で不滅だ。

 そんな不変の世界でも、切妻は一人の結果だけを変えようとして動いた。

 完全に怨霊側の半霊となってしまった切妻瑞貴は怨霊であった死霊佐沼義武を庇って死んだ。佐沼の恨み辛みを全て我が身に注ぎ、佐沼が怨霊として討伐される代わりに自分を怨霊として討伐させた。

 それが切妻瑞貴の死。

 一人の霊を討伐させずに転生させ、己を転生させずに討伐させる。

 怨霊を庇って死ぬなぞ記録には無かった。いや、怨霊の執念を利用して自身の恨みも対象者にぶつけようとし、身を挺して怨霊を守って死んだ者は現在よりも霊を視認出来る者が多かった千年前には幾人といた。これ等の事例は全て私利私欲の為に行われた事だが、切妻の場合は私利私欲なぞ皆無だった。

 他人の為。

 知り合った少女を殺した相手の為。

 自分を殺そうとした相手の為。

 無関係な三羽の烏を殺した相手の為。

 自分の死を記録する死神を傷付けた相手の為。

 初めて佐沼と相対した時には助けようとは思わなかった。次の日に九重を殺した相手だと分かると許す気も無かった。

 しかし、そんな考えも死ぬ前日、再び佐沼と遭ってしまった時に変わった。

 正確には、佐沼のナイフが切妻の肩に深々と刺さった時に。

 その突き刺されたナイフから佐沼の歩んでいた人生の一端が流れ込んできた。佐沼にとって、ナイフで相手を傷つける事は恨み辛みをぶつける事。その恨み辛みに乗じて記憶も流れ込んできたのだ。九重と美耶もナイフで切りつけられたので記憶が流れ込んできていた筈だが、この二人は傷を受けた瞬間に意識を失ってしまった。意識が無ければ、いくら記憶を流されようと見る事は出来ない。ここでいう記憶とは、所謂映像なのだから。

 切妻が垣間見た記憶は、佐沼が高校二年生の時の記憶であった。

 その記憶の中で切妻は佐沼の目で見ていた景色を当事者目線で見ていた。

 佐沼の目には一つのバケツが映っていた。そのバケツには水が入っていたのだが、見事に全部ぶちまけられた。

 佐沼に向けて。

 そのバケツは下に転がっていた訳ではなく、同学年と思しき生徒が掴んでおり、中身を笑いながら彼に浴びせ掛けていたのだ。バケツの水を佐沼にぶっ掛けた生徒の後ろには更に数人の生徒がいた。その生徒も笑っていた。口元を歪め、醜悪に、蔑むような目で、佐沼を指差して、笑っていた。

 端的に言えば、佐沼は虐めに遭っていた。

 高校生の頃からの情報であるが、佐沼は気の弱い性格をしていたようだ。内向的であり、自ら進んで人と交わらず、殆どの時間一人で学校生活を過ごしていた。

 それ故に、虐めの対象となってしまった。

 高校一年生の頃は直接的な暴力を受けてはいなかったが、身に覚えのない佐沼にとってマイナスなイメージを抱かせる噂を幾つも流され誹謗中傷を受けたり、それが原因で私物を隠されたり無視されたりした。完全に孤立してしまっていた。平日はほぼ毎日一人でいるようなものだったから立場はあまり変わらなかったと言えば嘘になるが、それでもその噂が虚実だと言い返す事もせず、教師や両親にも言わなかった。例え自分が言っても誰も信じてくれないのだと勝手に自己完結してしまって。

 そのように自分に自信が無かったが故に、高校二年生になると肉体的な暴力を受けた。五月頃にクラスメイトの男子に気に入らない、というだけで殴られたのが始まり。そこから伝播していくかのように佐沼を直接的に虐めるクラスメイトが五人にまで増えていった。

 昼休みには人気の無い旧校舎に連れ出されて腹、胸、顔面等を殴られ、蹴られる。それに飽きると傷を冷やすという名目で冷たい水をぶっ掛けられる。放課後になると校舎裏で同じような事をする他、ガムテープで手足と口を止めて一日放置という事もあった。また、教科書を破られたり、鞄の中に廃棄物を入れられたり等、肉体への暴力以外もどんどんエスカレートしていった。恐喝をして金を巻き上げたり、万引きを強行させたり、その他筆舌し難い行為を受けていた。

 そして高校三年生の夏。

 佐沼は耐え切れなくなった。ここまで我慢したのは忍耐強いの一言では済まされない。壊れている。狂っている。そう表現した方がいいか、もしくは壊れて逝ってしまったか、狂って逝ってしまったのだという表現がいいか。どちらにしろ、佐沼はもう普通ではなくなっていた。普通と言う感覚が分からなくなっていた。

 そんな状態でも教師や親に虐められていると言っていた。だが、教師は真面目に取り合おうとせず、親に至っては自分で何とかしろと傍観するだけであった。警察にも通報しようとしたが、そこまでの行動しなかった。味方が一人もいない状況で精神は磨り減らされ、やつれていった。頬の肉はこそげ落ちたように無く、眼は少しだけ窪んだように見え、隈が消えぬ程濃く浮き出ており、見るからに不健康な身体であった。

 そんな彼は家から包丁を一本持ち出し、鞄の中に入れて登校した。

 その日の昼休み。何時ものように旧校舎のトイレに連れて行かれた時に行動に出た。

 懐に忍ばせていた包丁を両手で掴んでがむしゃらに振り回し、相手を切りつけた。切り傷を負った相手は悲鳴を上げながらトイレから出て行った。佐沼は包丁を握り締めながらを追い掛けた。その姿を多数の生徒に目撃され、教師に伝えられた。駆けつけた教師に即職員室に連行されそうになったが、佐沼はその教師もつい切りつけてしまった。

 佐沼は数人の教師に取り押さえられて職員室に軟禁された。

 そこで記憶の中の映像は途切れた。

 佐沼のその記憶を見たからこそ、切妻は行動に出た。

 まずはカガチに連絡を取り、佐沼義武の過去を調べて貰った。電話で承ったカガチは『下僕』と二手に分かれて調べていった。

 『下僕』は佐沼の通っていた高校、大学を。カガチは勤めてた会社、自宅に赴き、そこで残留していた思念を掻き集め、それ等を統合させ、佐沼の歩んだ軌跡を再構成させ、それによって分かった佐沼の過去を切妻に知らせた。

 普通でなくなった佐沼は職員室で軟禁させられ、二、三日外に出されなかった。

 最悪な事に、この事件は佐沼が自殺するまで隠蔽された。

 事件とは、佐沼が同級生を切りつけた事。佐沼が異常なまでに過度な虐めを受けていた事。それを関わった生徒と親、教師に口止めさせた。金を支払ってまで。

 理由は利己的なものであり、高校の評判を落としたく無かったから。

 たったそれだけの理由で。体面を保つだけの理由で佐沼が関わった事件は公にされなくなった。

 佐沼が同級生を切りつけた事で、両親は彼を完全に見捨てた。見放した。そんな子供に育てた覚えはないと、身勝手な理由で。自分の息子が助けを求めていた時には見て見ぬ振りをしていた者が発する言葉とは思えなかった。少しでも愛情があれば、佐沼を庇おうとしたのかもしれないが、結局は自分達の汚点として佐沼を見るようになった。

 それ以降、佐沼の高校生活は完全に孤立した。虐めは起きなくなったが、それは暗に彼に関わると碌な目に遭わないという意思が垣間見えていた。担任教師ですら、彼だけは面談を除外してしまっていた。

 佐沼にとって唯一の救いは、警察沙汰にならなかった御蔭で、普通に大学入試を受けられ、普通に大学へ進学し、商社に勤める事が出来た事だろう。

 大学生活では、高校での出来事を忘却の彼方とまではいかないまでもある程度忘れる事が出来る時間だった。

 しかし、商社に勤めると、上司からパワーハラスメントを受けるようになる。無理難題なスケジュールを課せられ、食事を奢らされ、肉体、精神、金銭的に負担が重なって行った。

 高校時代を思い出してしまった。直りかけていた精神が、治りかけていた傷跡が抉られてしまった。

 入社して二年で事件は起きた。

 上司のパワーハラスメントに耐え切れなくなった佐沼は上司の首を絞めた。そして手に持っていたハサミを上司の胸に振り下ろそうとした。それを見た同期の同僚が不味いと思い、彼を羽交い絞めにして、ハサミが振り下ろされるのを阻止した。

 それがその同僚にとって不幸な目に遭う行動であった。

 拘束から逃れようと遮二無二動き回る佐沼の手は、正確には手に持っていたハサミが、その同僚の脇腹に深々と刺さってしまったのだ。

 同僚は呻き、崩れ落ち、その拍子に傷口からハサミが抜け、血が噴出した。

 直ぐに救急車が呼ばれ、同僚は病院に搬送された。

 そして、佐沼は警察に連行された。傷害罪で逮捕された。

 裁判も行われたが、無慈悲な判決が下された。

 有罪。

 四年、牢の中で過ごす羽目になった。

 会社側が賄賂を検察、弁護士に渡していたのが決定的であり、商社は佐沼ではなく上司の味方をしたのだ。そして、脅されたか買収されたのかは分からないが、佐沼に刺された同僚も口裏を合わせていた。

 四年後。つまり今年に釈放された佐沼だが、もう完全に自暴自棄になっていた。

 もう何も信じられず、どうして自分がこんな目に遭うのか分からなかった。

 そして、自分がこんな目に遭うのだから、他の人も同じような目に遭うべきだと考えてしまった。

 それが偶然佐沼の近くを歩いていた九重桜に向けられてしまった。

 自動車を用いて自宅まで連行し、監禁した。

 そして一週間後に彼女の首に縄で作られた環を通し、首を絞めた。殺した。

 力無く身体のあらゆる場所が弛緩してしまった九重を見て、自分のしでかしてしまった事の重大さに気づいてしまった。

 人を殺す。心が壊れていても、精神が狂っていても、それが倫理的に行けない事は分かっていた。でも、してしまった。それも、自分とは全く関係の無い、赤の他人を。ただ自分の近くを歩いていた少女を。殺してしまった。

 佐沼は泣いて、哭いた。

 あまりにも押し潰されそうな程に自責した佐沼は死んでしまった九重の近くにこれ以上いては駄目だと考え、公園へと連れてそこに横たわらせ、自宅に戻り、ナイフで自身の腹を貫いて自殺した。それがせめてもの償いだと思って。

 だが、現実は償い所か死して尚、殺した相手を消滅させようとしてしまっていた。

 それが怨霊――佐沼義武であった。

 切妻は、佐沼は本心から九重を殺したくないのではないかと思い、命日にカガチと『下僕』の協力を得て、接触を持てた。

 そして、意思疎通を図り、本当はもう誰も傷つけたくない事を訊き出す事に成功した。

 そうと分かれば迷いは微塵も無かった。

 切妻は佐沼を怨霊と言う呪縛から解き放つ為に動いた。

 後の展開は、美耶がその場で見ていた通り。

 報告書を掻き終えた美耶は、それをデスクに置き、一息吐く。

 報告書を正確に掛けたのはカガチの御蔭である。カガチが切妻に記録媒体用の札を持たせていたのでそこから切妻の思念と行動記録を読み取る事が出来た。もっとも、解読するのに一ヶ月近く掛かってしまったが。

 美耶はパーカーのポケットから携帯電話を取り出し、そこに無理矢理つけられたストラップを眺める。

 切妻に貰った、美耶の宝物。

 もういない切妻。

 守りたかった。

 助けたかった。

 ただ――一緒にいたかった。

 そのような気持ちがあろうと、それが叶う事はもう二度と無い。

 だから、このストラップはある種の証明なのだ。

 存在が消えてしまった切妻瑞貴と共に過ごした過去は確実に存在していたのだと言う証明。自分よりも他人を優先してしまう彼が生きていたと言う証明。

 ある程度眺めて、携帯電話をポケットに戻し、報告書ともう一つ、別の書類を持って立ち上がり、美耶の上司が座って業務に勤しんでいるデスクへと赴く。

 美耶が持っている書類は新部署立ち上げの申請書。

 まずは、上司の許可と同意を貰わないといけない。

 第一歩。

 撥ねられるかもしれないが、美耶は撥ねられても何度も何度も食らい付く覚悟を持っている。


 もう決めたのだから。


 美耶と――切妻瑞貴と関わったもう一人と三羽でやれる事をやろうと、そう決め合ったのだから。




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