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猫死神さんと命日まで  作者: 島地 雷夢
最終日――残り0日――
29/40

暴走

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 咆哮を発したまま、美耶は佐沼へと跳びかかる。牙を剥き、まさしく獲物を狩るネコ科の動物のように。

 佐沼は避けようと行動する前に。いや、避けようと考える前に。避けようと脊髄反射で動こうとする前に結果として避けていた。

 風圧に負けて飛ばされた。

 いや、この場合は衝撃波とでも言うべきか。頭上から迫り来る美耶は目にも止まらぬ速さで跳びかかっていたのだ。それ故に、獲物を仕留めようとしたが結果的に獲物を遠ざけるような真似をしでかしてしまっていた。

 しかし、完全には避け切れておらず、衝撃波によって吹き飛ばされた佐沼の左足に美耶は接触していた。

 暫し空中を舞い、地面に接触して勢いを殺せず滑走する。方向によって薙ぎ倒された木が自然のクッションとして五本ばかり折れた所で漸く止まった。

 佐沼はよろよろと蠢き立ち上がろうとしたが左足が地面に接する前にバランスを崩してつんのめる。

 そしてその原因に気付く。

 佐沼の左足――正確には腿の中程から下は無く、骨が露出し肉を抉られたように消失していた。

 噛み千切られた。

 美耶は大きな顎を上下運動させている。咀嚼をしている。

 噛み千切った佐沼の肉塊を呑み込む事は無く、毛玉を吐き出すような自然な仕草で地面に吐き出す。決して気分のいいものではない粘着性のある音を出しながら地面に落ちたそれは美耶の周りを蠢く青白い炎によって燃やされる。煙を出さず、灰さえも残さない程に徹底的に焼き尽くしていた。

 佐沼は顔を歪ませ、無くなった左足をちらりと見る。

 霊気が流出していない。

 本来ならばこれ程までの外傷を負えば必ずどす黒い霊気は流出しているだろう。

 しかし、霊気が流れ出るような事は無い。

 佐沼は昨日よりも変化をしており、それにより霊気のコントロールも一段階、いや、二段階は上がっている。つまり、いくら傷を負ったとしても、傷口から霊気を流れ出さないように体内に留める術を向上させたのだ。

 なので、いくら外傷を負おうとも霊気が枯渇して消失するという心配が無くなった。

 しかし、それは裂傷等身体の部位を損なわない傷に限っての事だ。

 失った部位にも当然の事ながら霊気は流れていた。佐沼が失った部位は左足。そこに流れていた霊気は決して多くは無いが完全に消えてしまった。霊気を回収するにしても、灰も残らず燃やし尽くされてしまったので回収のしようが無い。

 いや、例え燃やされなくとも霊気の回収は不可能だった。

 左足に通っていた霊気の全ては美耶が吸収してしまっていたのだから。

 原理は食事と同じ。焼いた肉を噛み締めれば肉汁が溢れてくる。焼いてはいないがこの場合肉汁は霊気であり、美耶は霊気だけを吸収し、何の価値も無いと判断した肉塊は焼却処分した。

 吸収された霊気は美耶の霊気と混ざり合い、馴染み、溶け合う。これにより、美耶の霊気の量が増えた。

 増えたからと言って外見が変わる事は無い。

 増えたからと言って強くなっている訳でも無い。

 だが、それは違う。強くはなっている。しかし、この場においては関係の無い事だ。

 美耶は暴走している。

 理性の箍が外れてしまっている。

 制御不可能。

 自分が今何をしているのか全く持って理解していないのだ。

 なので、いくら強くなろうが関係ないのだ。

 結局は、本能の赴くままに行動するしかない獰猛な獣と成り果ててしまっているのだから。

 目の前の獲物を狩るという、単純明快なアクション。

 それが今の美耶が取る行動。

 美耶は佐沼に視線を戻して再び跳びかかる。

 加減なぞ知らず、先程の失敗を繰り返す。

 何度も。

 何度も。

 しかし決定的に違うのはそれ等には佐沼の回避行動も含まれている事だ。回避する意思が見受けられる。衝撃波により吹き飛ばされながらも、美耶に接触すまいと身体を捻ったり、折り曲げたりをしている。

 跳びかかる毎に地面が抉られる。

 跳びかかる毎に土砂が巻き散る。

 跳びかかる毎に轟音が鳴り響く。

 回避行動を自ら取らせている時点で美耶は佐沼を仕留める事は出来ない。まして、佐沼自身も回避をしているのだから掠りもしなくなる。

 しかし、それは現在に限った事だけであり、時間が経つにつれて状況は変わっていくものだ。

 それは衝撃波によって結果的に吹き飛ばされる所に原因がある。

 吹き飛ばされれば、何かにぶつかる。それも、決して弱くは無い。強く、生身の人間ならば即死の威力を持って。

 吹き飛ばされれば、地面に落ちる。肺の中の空気を全て排出させられ、一時的に身動きが取れなくなる。

 そのような事が繰り返させられれば、いくら怨霊と言えども参る。

 体力ががりがりと音を立てて削られていく。

 傷が数を増やし、山積みにされていく。

 動きが見るからに鈍っていく。

 佐沼の表情に苦悶の色が浮かんでいく。

 回避ではなく、ナイフ状の指を少しでも引っ掛ければ怪我を負わせる事は出来るのだろう。しかし、それは己の指を犠牲にして与える傷である。あまりにも釣り合わない。美耶は跳びかかってくるのでナイフ状の指を美耶に向けるだけで自ら傷を広げにいくのと同じであるが、それを幾度繰り返したとしても美耶は止まらない。倒れない。佐沼はそれを察知している。

 僅かに戻った理性で。

 怨霊になりながらも、恨み辛みを他者にぶつける為だけにこの世に留まり続けている死霊に落ちながらも、自分の死を受け入れずに死んだ事を誰かの所為にして考える事を放棄しながらも。

 佐沼は、切妻の心臓に指を突き立てた瞬間に、切妻に恨みをぶつけた事により、ほんの僅かだが、それこそまさにパーセンテージで言えば一パーセントにも満たないものであるが。人間であった頃に持っていて、怨霊に成り果てた際に消えた理性が戻ったのだ。昨日標的としていた切妻と九重を切りつけても戻る事が無かった理性。それが今日になって戻った。

 その理性が、暴走してしまった者にいくら小さい傷を負わせても止まる事は無いと訴えてくる。

 なので佐沼は反撃をしないでいる。

 しかし、このままでは佐沼は体力が底を尽き、やられるだろう。

 だが、決して諦めている訳ではなかった。

 佐沼の体力は削られているが、同様に美耶の体力も減っていっているのだ。

 暴走故の加減知らず。

 常に全力で。

 リミッターなぞはぶち壊して。

 美耶は跳びかかっている。跳びかかる事しかしていない。

 一回。もう一回と跳びかかっていくにつれて、美耶は肩で息をし始めていく。

 佐沼は美耶のガス欠を待っている。

 根比べ。

 体力の消耗度からして言えば、佐沼の方に分があった。

 受動的に回避を取る佐沼。能動的に跳びかかっている美耶。佐沼にはダメージと言う形でも体力を消費しているが、それでも美耶のオーバーワークより消耗度よりも少ないのだ。

 なので、佐沼は美耶の動きが止まるまで反撃をしないでいる。

 理性が戻ったが故の思考。切妻の心臓に指を突き立てる前では到底出来なかった事だ。もし理性を取り戻していなければ自滅も苦とせずにぶつかっていっていたであろう。理性が無ければ二、三度で消失していた事だろう。

 美耶が三十程跳びかかった所で、着地に失敗し、倒れ伏すように地面に野垂れた。

「ハァ、ハァ、ハァ……」

 息が荒く、立つ事も儘ならない状態。それでも佐沼からは視線を外さないでいる。

 佐沼はむくりと立ち上がると、二つに裂けている右腕を奇怪に動かし、指を鳴らしながら右足だけで素早く美耶へと近付く。美耶程ではないが、常人では到底逃れる事の出来ない速度で持って距離を詰め、運動エネルギーを利用して前方へと突き出している右手の切っ先を美耶の顔面に向けて突き刺そうとする。

 右手の指が美耶の額に触れるか触れないかの際で佐沼はくの字に折れ曲がり真横に吹き飛んだ。吹き飛ぶ寸前に佐沼の脇腹が奇妙に拉げ、背骨が粉砕される音を響かせていた。

 佐沼が急に吹き飛んだのはやはり美耶が原因である。

 美耶は前足を無造作に薙いだのだ。それが見事に佐沼の脇腹にクリーンヒットしたのだ。

 佐沼に貫かれそうになった瞬間、美耶の本能が佐沼を遠ざける為に行った行動だ。

 それは意味があった。

 木の株に合計で四度当たるまで地面を滑走していた佐沼は黒い靄を口から吐き出していた。

 美耶の一撃はダンプカーの衝突よりも威力があり、一点集中に近い形で受けてしまったのだ。それは内臓にまで衝撃を伝えていた。いくつもの内臓が破裂し、そこから霊気が漏れ出す。未だに自分の身体と接続されている内臓の霊気は外に漏れ出さ無いように制御しているが、断絶してしまった内臓から漏れ出す霊気を遮断する事は出来なかった。

 佐沼は態勢を整えようと右足に力を入れようとするが、全く入らなかった。それ以前に、足を動かそうとしてもぴくりともしなかった。

 背骨を折られてしまったが故に下半身が動かなくなってしまった。死んで肉体を持たなくなっても、怨霊に成り果てても基本構造は人間のそれに酷似しており、性能自体も人間の延長線上で発達したものだ。なので人間と同じように脊椎が損傷してしまったら脳への神経伝達が阻害されてしまう。そのような事態に備えて別のパスを作り出していればこうはならなかったのだろうが、人間であり、恨み辛みにより理性を失って変化していった怨霊にはそのような思考は無理だ。

 状況は佐沼にとって絶望的だ。

 美耶が荒い息を口から吐き出しながら怨霊を睥睨する。しかし、四本の足で地面を踏みしてたままで近付こうとしない。それは近付く必要が無いからだ。

 もう跳びかかる事も出来ない程に体力を消耗してしまった化け猫は自分の周りで蠢く青白い炎の動きを制御する。

 蠢いていた青白い炎はぴたりと空中で制したかと思うと、全ての炎の先端が佐沼に向けられる。

 そして一斉に飛び出して行った。

 うねりながら炎は佐沼の身体に纏わり付く。――まるで蛇のように纏わり付く。纏わり付かれた箇所だけが炎上し、皮膚が焦げ落ち、肉が焼かれ、骨が消し炭となり、更に燃え残りのカスは後腐れも無く綺麗さっぱりと燃え尽くされた。

 炎に晒されなかった部分は頭部と首、右肩、胸、右腕だけだ。

 無様な姿に成り下がってしまった。

 佐沼は顔を引き攣らせて二つに裂かれている右腕で地面を漕いでこの場から脱出を図る。しかしそれはあまりにも無謀であり、無計画でもあった。

 いくら体力の残存量が少ないからと言っても美耶は歩けるのだ。右腕だけで這う速度と四足で歩く速度では差が生じる。それは勿論、歩きの方が速いという当たり前の事で生じる差だ。

 また、仮にこの場から脱出に成功したとしても、恐らくは、ほぼ確実にもう一人の死神カガチに霊気を捕捉され討伐される運命にある。現在の佐沼は身体の大半を失ってしまったが故に僅かな理性が刺激されよくない方向へと揺さぶられてしまい、霊気をコントロールする事に狂いが生じている。

 つまりは、霊気を隠す事が出来なくなっている。霊気を隠す事が出来なければ簡単に捕捉されてしまう。この怨霊が今日まで見付からなかったのは外界に漏れ出る霊気を遮断し、隠し通していたからだ。そのような事が出来なくなった今では、逃げ切る事は不可能だ。

 消滅は必至。

 美耶は逃げようとする佐沼に近付く。佐沼は逃げようと腕を伸ばして地面を掻く。美耶は一歩、また一歩と確実に距離を縮めていく。佐沼は精一杯距離を開けようともがくが、最早悪足掻きとしか見えない。

 死神は近付いて来る。

 怨霊の元へと。

 最後の一歩。

 その一歩は佐沼の胸に降ろされ、これ以上の足掻きは出来なくなった。

 肩で息をする美耶は口を顎が外れんばかりに上下に開く。

 獲物を見据えて。

 齧り付く。


「…………待、って……」


 齧り付こうとした瞬間、美耶の前足を誰かが言葉と共に弱々しく掴んだ。

 いや、この場合誰かという表現は適切ではない。この場には美耶と佐沼以外にはあと一人しかいない。

 切妻瑞貴。

 事切れたかのように見えた切妻はまだ生きていた。しかし、肌からは生を感じさせる程に血色はよく無い事が窺え、両の瞳はぶれており視界が定まっていない。血を止めどなく流し続けている。もう直ぐ死ぬ。それだけは誰が見ても分かる状態だった。

 切妻の制止に、言葉に我を失っていた美耶は動きを止めた。

 我を失っていても、獲物だけしか視界に捉えていなかったとしても、切妻の声は美耶に届いた。

 鮮紅色で塗り潰されていた美耶の瞳はじょじょに色を変え、最終的に人間形態の時と遜色ない彩色となった。

「……え」

 脳に直接響くような声。それは先程のように猛々しく咆哮していたものとは全く異なっており、切妻が訊き慣れた、歌っていたら暫くはそれだけに集中したくなるような美耶の声をしていた。

 化け猫の様相をした美耶の表情は獣の顔が抜け落ち、自然と目元に涙が溜まっていく。

 今の美耶は佐沼ではなく、心臓のあった位置に開いている穴を押さえながら立っている切妻しか見えていない。

 切妻は美耶の目の前で奇行に走った。

 転ばないのが不思議なくらいに力の無い歩みで佐沼の直ぐ傍まで来た切妻は膝を折って正座のように座り込む。

 そして佐沼の裂けた右腕を掴むと、表情を変えず、躊躇う事も無く、切妻は自分の腹にそれを突き立てた。

「…………え?」

 美耶には、理解出来なかった。




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