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猫死神さんと命日まで  作者: 島地 雷夢
最終日――残り0日――
28/40

本性


 それは、今から十三年前の事である。

 美耶はこの世に生を受けた。

 しかし、生を受けてから僅か二週間で終わりを迎えようとしていた。

 美耶は飼い猫の子としてではなく、野良猫の子として生まれ落ちた。

 それが原因であったとも言える。

 それが原因でなかったとも言える。

 しかし、野良であったが故に生じやすくなってしまった事だけは確かであった。

 子殺し。

 雄が雌に子を産ませようとする際、別の雄との間に生まれた子を食い殺す事。

 別に雄だけが子を殺す訳ではない。飼い猫の場合、生まれたての子を飼い主である人間が近付き、見ているだけで子を産んだ母猫は子を取られると恐れ、自らの手で食い殺してしまう。野良猫の場合であると、餌を探している間に人間の匂いがついてしまった子を母猫は育児放棄をしたり、またやはり食い殺してしまう。

 子殺しは猫だけではなく、ライオン等のネコ科の動物、猿、熊、栗鼠、海豚、蜜蜂、鳥類等多くの種で行われている。理由は様々であり、子を全滅させ雌を発情させる。外敵に食べられるのならば自分達で食べた方が建設的という行動。群れにおいて自分を受け入れさせる為に子殺しを行う。

 今回の場合は雄が雌に自分の子を産ませようとした際に生じたものだ。

 母猫がこの為に餌を探しに行った時に、ある雄猫が美耶と、共に生まれた兄弟達の目の前に現れた。

 美耶を含め、子猫達は即座に逃げ出した。だが、幼体と成体との体格差は埋まる事は無く、直ぐ様追いつかれる。

 一方的な虐殺であった。

 雄猫は手近にいた一匹の子猫の首に噛み付くと、骨ごと肉を噛み千切り、咀嚼をして呑み込む。子猫の首からは鮮血が噴出して事切れる。

 最初に仕留めた一匹に集中するのではなく、二、三回肉を抉ると次の獲物へと牙を向ける。

 一匹。また一匹と雄猫の餌食となる。死へのカウントダウンは着実に迫っていく。

 美耶と兄弟一匹が残り、次の犠牲はどちらかになるだろうという時に母猫が血相を変えて戻ってきた。

 恐らく、時々刻々と増す我が子の血の匂いを嗅ぎ取って餌を諦めて戻ってきたのだろう。

 母猫は我が子を守る為に雄猫に噛み付いた。雄猫も噛み返す。

 地面を転がり、互いに傷をつけ合いながら、血を流しながら噛み付く事をやめない。雄の当初の目的は雌に我が子を産ませる事であったが、それはもう忘れ去られてしまっている。今では自分に仇なすものは誰でも構わず殺すつもりでいた。

 その結果、重傷を負いながらも母猫を倒してしまう。自身の子を産ませる筈であった相手はぴくりとも動かなくなった。

 なので、もう美耶達を襲う必要性というものが無くなった。

 しかし、雄猫はふらつきながらも美耶の横にいた子猫の頭に齧り付き噛み砕いた。

 それはある種の意地であるのかはたまた倒した相手が子猫達の親とは気付かなかったのかは不明だが、危機は全く持って去っていなかった。

 そして、美耶の首元にも雄猫の牙が立てられ、深々と突き刺さる。このまま先に逝った兄弟達と同じように肉を抉られ、血を噴き出す筈であった。

 雄猫が噛み千切ろうと顎に力を加えた時に、ぴくりとも動かなかった母猫は瞬時に起き上がり、雄猫の喉元に食らい付き、最後の力を振り絞って気管支を切断した。

 雄猫は断末魔とも取れる声で鳴き、無理矢理首を振って母猫を引き剥し、美耶を放してよろめきながら去っていく。

 美耶は助かった。しかし助からない。

 美耶の母猫はもう二度と動く事は無かったからだ。これからは天涯孤独で生きていくしかない。しかし、生後二週間で独り立ちはとても不可能である。

 いや、その心配も無かった。

 美耶は肉こそ抉られる事は無かったが、傷跡は深く、血がだらだらと流れている。成体ならまだしも、成熟し切っていない身体では耐えうるだけの体力を有しておらず、また傷による痛みと出血で立ち上がる事は出来なかった。

 周りには兄弟と母親の死骸があるだけ。

 血の匂いが充満する空間であり、死の気配が濃厚な場所と化していた。

 助けが無い限り、美耶は確実に死を迎える。

 しかし哀しきかな。二週間しか生きていない美耶にはこれから自分が死ぬ事を理解していない。襲われる恐怖は体験したばかりであり、最後の一匹となったが故に襲われる恐怖という感情は骨身に染み渡って理解をしていた。だが死への恐怖は分からなかった。死を理解するのには時間は足りず、幼過ぎた。

 刻一刻と瞼が閉じていく。美耶にとってはただ眠くなってきたのだという勘違いでしかないが、それは命の灯火が消えかかっているという事。

 瞼が完全に閉じる前に、首元を圧迫させられ、身体を持ち上げられた。

 美耶は少しだけ目を開いて辺りを見渡すと、一人の人間の子供が自分の首を小さな両手で握っているらしい事が分かった。

 握られている事で先程体験したばかりの襲われる恐怖が甦り、子供の手から逃れようと力無くよたよた動く。しかし、その程度では振り解ける訳でも無く、子供の手はしっかりと首に握られたままだった。

 このまま子供が力を籠めれば、美耶の首はいとも簡単に折れてしまうだろう。

 けれども、子供はそれ以上力を籠めなかった。圧迫は感じるが、呼吸を行うのに支障が無いくらいの力加減であった。

 美耶はそれに気が付くときょとんとした顔を一瞬だけ見せ、子供からは敵意を感じない事が分かった。

 敵意を持たないのに何故自身の首を握るのだろうか? そういう疑問を持つが明確な答えが出ずに終わった。

 美耶は人間の子供に首を握られながら眠る様に息を引き取った。

 子供は美耶の身体が動かなくなり、重く感じた時にこの子猫は死んでしまったのだと幼いながらも理解した。

 子供が美耶の身体をゆっくりと地面に横たわらせる。その動作中に美耶は死霊となり、生前の身体から抜け出す際に子供から発せられた心の声が美耶に響いた。

『たすけてあげられなくて、ごめんなさい……』

 涙を溜める子供の心の呟きに美耶は一瞬だけ首を傾げるが、分からなかった。

 子供は泣きじゃくりながら、美耶と兄弟、そして母猫の死骸を自身の服と手が血に塗れる事を気にせずに一所に集め、拾った木の枝で穴を掘り、その中に一緒に埋め、最後に掘るのに使用した木の枝を突き立てて去って行った。

 美耶には子供が行った行為の意味は分からなかった。

 暫し死骸が埋められて盛り上がった土を眺めていると、天からの使いがやって来た。

 いや、天からの使いではなく、死神であるが。

 猫の形をした死神は美耶を成仏させようとここにやってきた。

 死神の言葉は理解出来た。なので美耶は先程の子供が心の内で呟いた言葉の意味を死神に尋ねた。

 死神の答えに美耶は子供が何故自分の首を握っていたのかを理解した。

 子供は美耶の首から流れ出る血を止めようとしていたのだ。

 近くで遊んでいたが、尋常ではない猫の鳴き声が聞こえてきたのでそちらへと向かった。

 そうしたら、凄惨な空間に入ってしまった。

 子供であるなら、普通ならば恐怖で泣きじゃくりその場にしゃがみ込んでしまうか、一目散に逃げるのが常である。

 しかし、その子供は泣きはしなかったし、しゃがみ込む事も逃げる事もしなかった。

 まだ生きている猫を探したのだ。血の匂いが充満する場所で。

 そして、美耶を発見した。が、首からは血が流れ続けており、それを止めようにも子供には自分の服を裂いて血止めに使う知恵も、仮に血止めに使ったとしても締め加減が分からずに絞め殺してしまう危険性があった。

 なので、子供は絞める感覚が分かるように自分の手で猫の首を、血を止めるようにして握ったのだ。

 美耶はどうして親でもない、兄弟でもない、ましてや他種族である自分を助けようとしたのか分からなかった。が、理由が分からなくとも一つの気持ちが浮かび上がってきた。

 自分を助けようとした人間の子供に何かしてあげたい。

 その気持ちを感じ取った死神は美耶を成仏させずに、一度自身の所属する企業『株式会社SHINI−GAMI』へと連れて行き、親切心からか幼い美耶にこれから取れる選択肢を色々と吹き込んだ。

 そして、美耶は死神になる道を選んだ。

 十二年間死神になる為の勉強をし、勉強をしている最中に自分を助けてくれようとした人間の子供の名前を知った。

 切妻瑞貴。

 美耶はこの頃になると切妻瑞貴を守る為に死神になると決めていた。

 今から一年前。晴れて死神となった。美耶が希望していた部署ではなかったが死亡記録課に配属されたのだった。

 死神になってから一年後。

 皮肉にも、美耶は自分を助けてくれようとした人間の子供――切妻瑞貴の死亡記録を担当する事となった。


 刃に付いた血を滴り落としながら美耶は倒れてい身動き一つしない切妻を見ていた。いや、正確には見ていない。目の向きは切妻を向いてはいるものの、彼女の視界は何も映さず、ただ黒いだけの空間が広がっているだけであった。

(……何、で)

 切妻は佐沼を庇ったのだろう?

 どうして佐沼を攻撃しようとした自分を確認出来たのだろう?

 もう既に繋がりは断ち切れており、霊を見る事は出来ない筈なのに。

 どうして?

 どうして?

 どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして?

 分からない。

 全部が分からない。

 もう何も考えたくない。

 現実から目を逸らしたい。

 守りたかった人を切り裂いてしまった事から。

 守りたかった人を殺してしまった事から。

 守りたかった人を守れなかった事から。

 全部。

 考えたくもないし、目を逸らしたい。


 どすっ。


 何かを突き立てられるような音が鼓膜に響くと、美耶の視界は黒一色から現実へと引き戻される。

 そして現実を突き付けられる。

 先程の音は。

 目の前に倒れて動かなくなった切妻瑞貴に。

 昨日よりも変化した怨霊――佐沼義武が。

 鋭利な刃物と化した自身の指を一本。

 突き刺した音であった。

「あ」

 佐沼の指は切妻の心臓がある部分へと。

「ああ」

 深々と。

「あああ」

 刺さっていた。

「ああああ」

 まるで息の根を完全に止めるように。念には念を入れるように。佐沼は切妻の心臓を貫いた。

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!!!!!!!」

 美耶は天を仰ぎ、咆哮した。

 喉が震える。

 喉が壊れる。

 それに答えるようにして、美耶の首に巻かれていたチョーカーが独りでに外れた。

 瞬間、辺り一面が白一色に塗り潰される程の眩い光が美耶の身体から発せられる。

 佐沼は目を閉じたが、瞼越しにも光はしっかりと確認出来る程だ。このままでは目が焼けると思ったので両腕を使って眼球に入る光を遮断した。

 しかし、この光には熱というものは存在しなかった。ただ眩いだけで熱量が全くない自然界には決して存在しない光。

 美耶のしていたチョーカーが地面に音を立てて落ちる。それを合図に、光は徐々に光量を減少させていく。

 光が完全に消え去ると、美耶の姿は無かった。

 いや、美耶の姿はあった。

 しかしそれは、人間に猫の耳と尻尾を生やした姿ではなかった。

 巨大な化け猫。

 全長六メートルであり、純白の毛並だが、所々に茶と黒の斑が存在している。

 一口で人間なぞは簡単に呑み込める程に大きな顎には電柱のように太い牙がずらりと並んでいる。

 しなやかな筋肉に覆われた四肢は地面を踏み締め、爪と接触した地面や木の根が豆腐のように切れている様子を見ると剃刀よりも切れ味のよいのだろう。

 獲物を射抜くような鋭い眼は鮮紅色で塗り潰されており、理性の欠片なぞ感じさせない、本能の赴くままに行動するのだろう事が窺える。

 そんな化け猫の周りには縄のように細長い青白い炎が化け猫を守るように渦巻いている。また、脇腹の辺りには車輪のような青白い炎が回転している。

 火車。

 悪行を積み重ねた末に死んで逝った者の骸を奪い取るという妖怪。

 まさにそれを彷彿とさせる外観であった。

 この化け猫こそが、美耶の死神としての本性。

 死神美耶の本来の姿。

 規律に縛られる事の無い解放された身体。

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!!!!!!!」

 大気を揺るがし、周りに生えている樹木を薙ぎ倒し、地面に亀裂を生じさせる程の轟音。いや、美耶の咆哮は只人にさえ聞こえていた。

 我を失った美耶。

 この咆哮は怒りからか。

 悲しさからか。

 悔しさからか。

 嘆きからか。

 苦しみからか。

 誰にも、その意味は分からなかった。




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