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猫死神さんと命日まで  作者: 島地 雷夢
最終日――残り0日――
22/40

最後の夜に――その一

 美耶は切妻の生気を感知しようとしても出来なかった。

 有り得なかった事だ。死亡記録課の死神は記録対象者と感覚をある程度共有しているので、切妻が生気を体内にとどめて外に出さないようにしても感知は可能だ。

 その筈なのだが、美耶は切妻の生気を感知出来ず、何処へ行ったのか分からない状態にある。

 生気を感じられなくある場合が二つある。

 一つは感覚を共有している対象者が死亡してしまった場合。しかしこれならば感じる気が生気から霊気に変わるだけなので補足は可能だ。現在は切妻と思しき霊気も感じていない。なので彼はまだ生きている確率が高い。それに死んで霊になっていて成仏か消滅していたとしてもインターバルがあるので少しくらいは感じていないと可笑しい。

 死んでいないのに生気を感知出来ないこの状況はもう一つの場合が当て嵌まる。それは意図的に感覚の共有を断ち、生気を外部に出さないようにする事。共有を断ち切られて生気を隠されば、さしもの死神も居場所の特定は困難となる。感覚共有の切断はやり方さえ分かれば記録対象者からも可能な程容易なのだ。切妻がどうやって死神との感覚の共有を断つ方法を知ったのかは分からない。そして恐らく偶然なのだろうと思うが、それよりもまずは彼の居所を突き止める事が最優先事項だ。

「っ!」

 切妻の部屋へと駆けて入り、三羽烏に頼る事にした。三羽烏は彼の守護霊だ。守護霊は守護対称の位置を常に把握出来るように死亡記録課の死神と同じように感覚を共有している。なので烏に頼んですぐに切妻を見つけようとしたのだ。

 しかし、それすらも叶わないと知る。

「霊気が、回復してる……?」

 守護霊の霊気は決して自然回復しない。回復するには他者から霊気を分け与えて貰わなければならない。けれども、布団を掛けて眠っているカーとラーとスーの霊力は回復している。美耶は霊気を分けていない。九重は分けられる程に回復もしておらず、現在は意識を失っている。ならば彼女の同僚のカガチが三羽の烏に霊気を分け与えたのかというとそうでもない。霊気を分けたのなら三羽からカガチの霊気を感じ取れないといけないが、そんなものは微塵も無い。三羽烏の霊気は三羽烏そのものの霊気しかない。それに、ほんの僅かずつだが現在進行形で回復していっているのだ。

 つまり、カーとラーとスーは守護霊ではなくなったのだ。

 守護霊でなくなる方法は、守護霊自身が自分の意思で解任する事が一つ挙げられるが、それはほぼ有り得ない。守護霊は守護対称を守りたいという強い想いからなるので自ら任を解くなぞしない。

 もう一つ、守護霊でなくなる方法がある。それは守護対称が強制的に守護霊を解任させる方法だ。手順がいくつかあるが、これもやり方さえ分かれば誰でも簡単に行使出来る。しかしこちらも普通ならば行わない。自分を守ってくれる守護霊をわざわざ解任する事は余程の馬鹿か阿呆くらい。

 切妻瑞貴はそんな余程の馬鹿か阿呆に当て嵌まった。

 因みに言えば、この守護霊になる方法を参考にして死神は対象者との感覚を共有している。なので解く方法も似通っているが、同じではない。

 偶然で片方が解かれたとしても、もう片方も解かれるという事にはならない。あくまで参考にしたに過ぎないので似ているが全く異なる方法なのだ。

 例えるならばガスレンジと電磁調理器の関係に似ている。両方とも熱するという結果を生み出すがその方法は全く違う。ガスレンジはガスを点火して生み出した炎で調理器具を炎熱で熱して調理をするのに対して電磁調理器はコイルに流す電流を金属製の調理器具に流して自己発熱させる誘導加熱を用いる。

 似ているけど構造が違う。

 それ等の二つがほぼ同時期に解かれた。これは意図的にとしか考えられない。

 切妻瑞貴は自らの意思で霊との感覚共有を断った。

 一つを解いたからと言って、構造自体が違うので一つ目の解除方法を応用しただけではもう片方も一人で解けない。偶然で解ける事はあるだろうが、一つ目の解き方に固執すればする程その偶然は遠ざかり、解除出来る確率は0へと近付いていく。

 なので、似ているが異なる二つを解くにはそれ等の構造を正確に知っていなければならない。両方の構造を正確に知っている者は確かにいる。美耶もその一人だ。死神という存在は霊関係の事も熟知しているのだ。

 美耶は携帯電話を直ぐ様取り出して電話帳に記載されている同僚に電話をする。その同僚もまた死神であり、霊関係の事柄を熟知している。

 コールが静まり返った記録対象者の部屋に鳴り響く。美耶はそのワンコールが積み重なる毎に眉間に皺を寄せ、携帯電話を持つ指に力を籠め、苛立ちを募らせる。

 十を超えるコールが続き、時間は掛かるが霊気を探知して直接赴こうと画策し始めた時、漸く彼女の同僚――カガチが電話に出た。

『何だ? 今忙し「教えたのはカガチでしょっ!?」……』

 彼が出るのと同時に美耶は吠えた。その声の大きさで三羽烏は起き出して何事かと慌てて飛び出したり首を振りまくっていたりする。

『……何の事だ?』

 至って落ち着いた素振りのカガチ。その様子に美耶は更に苛立ちを波立てる。

「惚けないでよ! 教えたんでしょ!」

 つい握り拳を作り、眉を引くつかせて声を荒げる。訊くがカガチが教えたと確信している。切妻は美耶以外にカガチしか他の死神を知らない。なので切妻が二つを解除したのはカガチが教えたからだと絶対の自信を持って断言出来る。この問いは言わば相手の言質を取って否定させないようにして一方的に文句をぶつける為の条件付けを意味している。

『何を? 誰に? それを言わなければいくら同期の俺だって分からないぞ』

「死神との感覚共有と守護霊の解除方法っ! それを……あの人に教えたでしょ!」

『あの人って?』

「あの人はあの人だよ!」

『……お前なぁ。その代名詞が誰を差してるのか俺には分かんないだろ』

「……っ」

 ここで美耶は黙ってしまう。別に彼女の記録対象者が切妻だとカガチも分かっている。なので彼の名前を言ってもいいのだが、美耶は切妻の名前を口にしたくないのだ。切妻に初めて死ぬと言った時にしか、彼の名前を言っていない。それ以外は声に出す時や心の中で呟く時でさえも切妻を指す場合は『君』であったり『あの人』であったりだ。

 名前とは、とても大切なものだ。個人を個人足らしめる重要なピースの一つであり、ピースの一つ一つを繋げ合わせる接着剤のような役割も果たしている。同じ名前はいくつもある。しかし、同じ意味での名前は無い。名前によって個人の纏う雰囲気は変わり、個人と一緒になる事で名前には世界に一つしかない意味を得る。そんな名前を呟く事で、呟いた相手を連想する。呟いた相手との思い出を脳裏に浮かばせる。呟いた相手に対する感情が様々な感情の渦巻く心の海から止めどなく溢れてくる。

 もし美耶が切妻の名前を呼んでしまえば抑え切れなくなる。死の宣告をする時は全身全霊を持って抑え切れたが二回目からは絶対に抑え切れず、美耶は切妻を助けようと奔走しただろう。しかし奔走した所で直ぐに抑制が掛かり、動けなくなる。それでも動こうとすれば最悪の場合は別の死神による担当替えだ。担当を外れる事は彼女は望んでいない。今の彼女も助けられる事なら助けたいとは思っているが、仕事を優先せねばならず、それ故に思考の幾許かは死の瞬間に立ち会う事こそが今の自分に出来る最良の事だとしている。

 それはあくまで思考。本能ではない。本能は思考によって制御され、思考が掻き消えれば本能は赴くままに暴走する。本能による暴走によって死の瞬間に立ち会う事が出来なくなるのは嫌であった。

 だから、美耶は切妻瑞貴を名前で呼ばない。

 それが種族:猫で死神の美耶の抱いている決意。

 助ける事が出来ないのであれば、せめて死の間際には一緒にいる。

 触れると割れてしまう泡のようにとても淡く儚い。それでいて決して形崩れる事のない鋼鉄のように固く力強い。そんな矛盾を一緒くたに孕んだ決意。

 その決意を曲げる気は無い。なので美耶はカガチに対して無言を貫いている。

「…………」

『……はぁ』

 カガチから溜息が漏れた。

『もういいや』

 それは美耶から誰を『あの人』と言っているか、という事に対しての諦め。決して質疑の進行がこれ以上見込めず一方的に断ち切ろうとする意志ではない。

 カガチは美耶が言う『あの人』を切妻だと予測はしていたし、十中八九そうなのだろうとも思ってもいた。それでも切妻の事を名前で呼ばない事に疑問を抱いて先程のような物言いをしたのだが、押し黙ってしまった事から触れてはならない部分だと悟る。悟ったが故にその赤く腫れあがった傷口のような部分に足を踏み込まずに話を進める事を選んだ。

『確かに、俺が教えた』

「……何で教えたの?」

 一度沈黙した御蔭で冷静さが戻ってきた。なので美耶は落ち着いた口振りで訊く事が出来た。

『死神の記録対象者だからな。まぁ、知っておいてもいいだろうという判断のもとに教えた』

 カガチは事の顛末を話していく。

『大体三時間くらい前に切妻瑞貴から電話が来た。内容は死神との感覚共有の解除、守護霊との関係の解除、生気を内部にとどめて外部に漏れださないようにする方法、霊を視認出来るようにする方法、あとは生気を使って何か出来ないかと訊かれたな』

 美耶はカガチの言葉から一つ納得した。

 切妻の生気を感じないのは死んだからではない。切妻は自分の意思で外部に漏れ出す生気を抑え込んでいるのだ。しかしそれは美耶を逆に不安にさせた。今日と言う日付で何時死ぬか分からないのにそんな事をされては死んだ瞬間なぞ把握しようがない。

 それに生気を隠せるという事は霊気も隠せるのだ。生気と霊気の関係は生きている者が有する気か死んでしまった者が有する気かの違いでしかなく、根本的には同じなのだ。なのでもし切妻が死んでしまっても霊気を隠す場合があるのだ。そうなると生から死へと移行する際に気が外に漏れ出すインターバルを無くして気を隠し通す事もあり、手掛かりの無いままちまちまと捜し回るしか見つける方法が無い。

 そのような事が起こり得るので、美耶は怨霊に狙われた切妻に生気を隠す方法は教えず、代わりに自分の霊気で彼の生気を覆い隠していたのだ。

「……生気を使用して出来る事は教えたの?」

 美耶は焦燥感に駆られながらも、少しでも情報を得ようと動く。今のままではほぼ確実に切妻を見つけられない。雲隠れを決め込んだ相手は自分の足跡を辿らせないように入念な準備をしてから決行する。

 今回は入念な準備なぞ出来る時間は無かったので情報を獲得する方法が残されている。それがカガチに質問する事であり、彼が切妻に何を答え、教えたのかを把握すればある程度は切妻の行動を予測する事が出来るようになる。故に猫の死神は蛇の死神に訊き出す。

『教えたな』

「何を教えたの?」

『自分の身を守る簡単な術を一つだけだ。他にも攻撃系統のものや索敵系統のものもあると言ったが切妻瑞貴は守る術だけを教えてくれと言ったので本人の意思を尊重した』

 生きている者でも霊と同じように気を使って色々な事が出来る。その典型的な例が魔術師や陰陽師、仙人、それに超能力者だ。昔は沢山いたのだが、科学の発達と共に次第に鳴りを潜め、人々の記憶から消えてしまった。現在は気を使って非科学的な現象を引き起こせると認知している者は極僅かで、行使する者となると更にその数を減らす。

「具体的にはどんな術?」

『生気の密度を上げて部分的に身体強度を上げる術だ。陰陽師や魔術師でもないただの人間が使える守りの術はそれしかないからな。けど、本業が扱う場合と違ってかなり出来の悪いのになるだろうが』

 それでも、切妻にとってはとても重要で必要な物であった。それは自分の身を守る為に使うのではなく、別の用途に使用する為に。なので出来の良し悪しは関係ない。きちんと身体強化が出来るかどうか。そこが一番重要な部分。普通の人ならばまず強化出来ないだろう。

 しかし、切妻は先日霊気を操る死神――美耶や守護霊であったカーとラーとスー、それに怨霊佐沼が行った霊気の放出、変換、隠蔽を自身の目で見て、実際に肌で感じたのだ。生気と霊気は同じ。それを理解していれば誰かの手解き、助言があれば身体の強化は可能だ。切妻は柔軟にありのまま起こった事は受け入れる性格をしているので時間もかけずに習得出来るだろう。

 教えられた術を使えると予測した美耶だが、性格上自分に使用して死を回避しようとしてるのではないとは分かるがそれを何に使うかまでは分からずにいる。普通の人間と思考回路が若干異なるが故に分からない。行動の予測をしようとしてもただ守りの術だけでは予測しようがない。

 結局、手詰まりに陥ってしまった。情報を得ても分からず仕舞い。もう地道に捜していくしかない。

 普通ならここで諦めてしまうだろう。しかし美耶は引っ掛かりを覚えていた。

「……ねぇ、カガチ」

『何だ?』

「あの人に教えた理由、まだあるでしょ?」

 それは一種の賭けでもあった。

 同期であったから分かった違和感。

 部署は違うが顔を合わせる事も多く、話す機会も少なくは無かった美耶とカガチ。親しい間柄とまではいかなくても何の隔たりも無く話し合える関係。

 だからこそ、美耶はカガチが切妻に教えた理由を語る時に少しだけ考えたような声を訊いたから引っ掛かりを覚えた。彼は「まぁ」と言った。それは普通の会話でも合間合間に呟かれるであろう音。もし美耶がカガチとあまり良好な関係を築いていなければ引っ掛かりを覚えなかっただろう。

 しかし、それなりの関係を築いていたからこそ、この「まぁ」には少しだけ考えた間のようなものと捉える事が出来た。あくまでようなものであるが、それでもこの現状を変えれるだけの何かがあると信じて前に進んだ。

『…………』

 カガチは沈黙する。が、隠しても意味が無いと思ったのだろうか、その沈黙も直ぐに崩落する。

『そうだ。他にも理由があったから教えた』

 賭けに勝った。しかしカガチの口から出た言葉に美耶は眉を吊り上げる。

『切妻瑞貴から交換条件が提示されたからだ。でも、それをお前に教える訳にいかない』

「どうしてっ!?」

 流石に納得は出来なかった。折角切妻に繋がるかもしれない情報を隠蔽されるのには腹が立った。

『お前に条件の内容を話さないでくれというのも条件の一つだからな』

 その言葉に煮えくり返っていた腸は氷を入れられたかのように急速に冷めていった。

 切妻によって先手を打たれていた。

 自分の足跡を辿らせないように。

 もう、打つ手はない。

 無理に訊き出す事は不可能。純粋な力では美耶はカガチに数段劣るし、涙を見せてもカガチは全く動揺しない。美耶は現段階でカガチに勝つ事が出来ない。なので無理矢理の方法は不可能だ。

「そう、分かった」

 美耶は通話を切ろうとしたが、電話の向こうから『待て』と制止させられた。

「何?」

『最終日なんだろうから、楽しめ』

 そう言ってカガチは一方的に切った。

 美耶はツーツーと鳴る携帯電話に視線を落とし、顔に陰を作りながら呟く。

「……何で、楽しまなきゃならないのよ」

 切妻瑞貴の生が終わる日――最終日。そんな日にどうして楽しまなければならないのか分からなかった。

 美耶は脱力し、心配そうに見つめる三羽烏を視界に捉えずに切妻の部屋から出てリビングのソファへと座る。その目は虚ろで視点が定まっておらず宙空を彷徨っている。

 もう、どうしようもないのか?

 ただただ、その言葉だけが彼女の脳内を駆けずり回る。

「…………あ」

 不意に、そんな声が漏れ出した。

 また引っ掛かりを見つけた。

 カガチの言葉に。

 カガチは何故「なんだろうから」という曖昧な表現を用いたのか? 彼は切妻が今日死ぬ事を知らなずに電話越しに本人から訊いたから? いや、それは無い。そうだとしても曖昧な表現は用いないだろう。本人が言うのだから断定でもいい筈だ。

 そこが引っ掛かる。

 引っ掛かったので考える。脳に設置されている情報の入ったいくつもの引き出しを開けては閉める。

 そして美耶は思い出した。

 最終日とは、切妻瑞貴の生が終わる日だけを指すのでは無い事を。

 文化祭。切妻が通っている高校の文化祭も今日が最終日だ。

 カガチはもしかして、そちらの方を指していたのではないか?

 しかし何故? そもそもカガチは文化祭なぞ知らない。

 けれども、ここでも切妻が教えたと推測すれば納得するが、それでも文化祭を楽しめと言った意図が掴めない。

 掴めないでいたが、暫しの熟考の末に辿り着いた。カガチが美耶に伝えたかった事を。

 切妻の通う高校の文化祭に行けば、彼に会える事を伝えたかったのだ。

 恐らく、条件の一つで居場所も教えないように言われていたのだろう。だから回りくどい方法で美耶に教えたのだ。

 それが真実かは分からない。けれども確証はある。

 カガチだって死神だ。死神は規律を守らなければならない。美耶は死亡記録の仕事を請け負っているので支障をきたしてはいけない。隠しもせずに切妻の居場所を教えれば済むのだが交換条件に反してしまう。なので敢えて遠回しで教えたのだろう。

 文化祭は陽が昇ってから始まる。今から行っても切妻には会えないだろう。

 美耶は今から探しに行く事はせずに、切妻の書き置き通りに九重と三羽烏が怨霊に襲われないように守るつもりでいる。

 カガチが切妻の居場所を知っているのであれば、今の所はカガチに任せようと思っている。自分の職務を全う出来ていないが、こんな事態になるとは予想していなかったのだ。事が終了してから同僚に彼の行動を子細訊く事にして、今は静かに時が流れるのを待つ。

 九重が目を覚ましたら文化祭へと赴こうと決意する。

 そして、切妻を見つけ出して文句を十でも百でも言うつもりでいる。

 理由はどうあれ、自分の前からいなくなった事を。




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