決断
切妻はカガチに頼んで自宅に負傷し意識を失った美耶と九重を運ぶのを手伝って貰った。
現在は切妻の部屋で横になっている。カーとラーとスーに様子を見て貰っている。
「さて、俺はもう行くぞ」
カガチは運び終えると直ぐに出て行く。
「もう大丈夫だろう。霊気が回復してきている」
切妻を安心させるかのように、カガチは二人が横になっている方へ指を差す。
そして玄関の扉を閉じていく。
「まずは、下僕に怨霊の居所を占わせるか」
そんな事を呟きながら。切妻は礼を言えずに別れてしまった事に後悔している。折角助けて貰ったのだから、ここに移動しているうちにでも礼を言っておけばよかったのだがその時は美耶と九重の心配で頭の中が一杯であったので他に気を向ける余裕なんてなかったのだ。
傷口は塞がったものの霊気が多量に流出してしまったので人間で言う危篤状態。霊気が回復するまでは安心出来ないと運びがてらカガチに言われたのだ。何かの拍子で無意識下で霊気を消費してしまう場合があるそうだ。
切妻はカガチに守護霊以外の霊は霊気が消失すると存在自体が消えてしまう事を告げられた。
死神でも霊気が完全に無くなると消滅してしまう。
美耶と九重の存在が消失してしまう事が怖かった。なので家に着き、霊気の回復がみられるまで張りつめていた。
礼を言えなかったが、漸く安心出来た。今度カガチにあったらきちんと礼をしようと心に留める切妻であった。
しかし、もう会う事は無いだろう。
彼には時間が無い。無さ過ぎる。
切妻はリビングに行き、ガラステーブルの上の置時計で時刻を確認する。
「八時……か」
切妻は今日コンビニで買ってきた食料を食卓に置き、冷蔵庫から食材を取り出して夕飯を作り始める。メニューは予定通りに固焼きそばと大根の味噌汁、卵焼きと目玉焼きだ。
中華麺は油で揚げるのではなく、多めの油を敷いたフライパンの上に乗せ、押し付けて焼く。ある程度そうやって焼き目がついたら裏返す。焼き終えたらそれだけを大皿に乗せる。
次に餡かけを作る。先ずは野菜を適当に切って先程のフライパンで炒めていく。この時、味噌汁用の大根も切っておき、水を張った鍋に投下し火を点ける。
野菜がある程度炒まったら顆粒タイプの鶏ガラ出汁と片栗粉を水で溶き、野菜にかけていき、ダマにならないように混ぜる。この餡かけは食べる直前にかけるので深皿に別に分けておく。
鍋に鰹出汁の素と味噌を投下して味噌汁も完成。残すは卵焼きと目玉焼き。これは美耶と九重の二人が起きてから作り出そうと料理の手を休める。
焼きそばにラップをして、今のうちにシャワーを浴びに行く。
着替えを持って洗面所兼脱衣所で服を脱ぎ、浴室のドアを開いてノズルを回す。最初は冷水が流れるので温水になるまでは浴槽に流していく。
手で触って温かくなったのを確かめ、全身を濡らして洗っていく。
洗い終え、浴室から出てタオルを出して体を拭き、髪を乾かしてリビングへと戻る。
美耶が起きていた。
「もう大丈夫なのか?」
切妻は驚いてタオルをその場に落とし、駆け寄る。
「うん。平気」
美耶は頷くが、表情は暗い。
「……御免ね。守り切れなくて」
ぽつりと呟く。
「いや、それよりも死神さんが無事でよかった」
切妻は胸を撫で下ろす。心配事の一つが減ってよかったと安堵する。
「そう言えば、家にいるって事は助かったんだよね? どうして助かったの?」
「それは……」
切妻は美耶が切り伏せられた後の顛末をぽつぽつと語っていく。
「……そう、カガチが」
「知り合い?」
「私と同期なの。戦闘特化の蛇の死神で怨霊討伐課に所属してて、上司と大喧嘩して現世に左遷させられたって聞いてたけど、まさかこの近辺にいたなんて」
「左遷って」
カガチは何をやったのだろう? と疑問に思うが恐らく足を踏み入れてはいけないような気がする。まさに藪から蛇が出てくるが如く。なので切妻は美耶に訊くのをやめた。
「あ、同期ならカガチさんの電話番号とか分かる?」
「分かるけど何で?」
「助けて貰った礼を言えず仕舞いだったからさ。電話口だけでも礼を述べようと思って」
「そう」
美耶は自身の携帯電話を取り出して電話帳を開き、赤外線通信でカガチの番号を切妻の携帯電話へと転送する。
「ありがと」
「いえいえ。後で私もお礼言っとかないと」
美耶は携帯電話を仕舞い、軽く伸びをする。すると腹の虫が鳴った。
「お腹空いたな」
「先食べるか? それとも九重が起きるまで待つか?」
「あ、その事言うの忘れてた」
「ん?」
「桜なんだけど、明日の朝まで起きそうにないと思う」
美耶は切妻の自室のある方を見ながら告げる。
「それって霊気を失ったからか?」
「うん。人間で言う血液が大量に無くなったからね。私の霊気でかさ増ししてなかったら多分消えてたよ」
その一言に切妻の肝が冷えた。そしてあの時一般人に見えるように出来ないか? という問いかけをした過去の自分に感謝した。
「私があげた分の霊気は無くなって、桜自身の霊気が少しだけ残ってる状態なの。だから回復に時間が掛かるんだよ。……私の霊気が充分回復してたなら分けてあげられたのにな」
美耶は悔やみ溜息を吐く。
「死神さんは今霊気はどれくらいあるんだ?」
「大体四割。 四割あれば起きて体を動かすのに支障が出ないの。それ以下でも一応活動は出来るけど動作不良とか息切れとかになって、一割切ってたら意識も保ってられなくなるの」
「それってどの霊でも同じなのか?」
「うん。でも能力によって変動はするみたいだけど」
成程、と切妻は納得する。
「じゃあ、飯にするか。死神さんはこのレジ袋持って俺の部屋に行っててくれ」
切妻はコンビニ商品の入った袋を美耶に渡す。
「いいけど、何で君の部屋?」
「カーとラーとスー用。あいつ等に差し入れって事で持ってって欲しい。俺は目玉焼き作るから」
本当は九重への謝罪品だったのだが、消費期限的には今日中に食べた方がいいと見たので頑張ってくれた三羽烏に送ろうと思ったのだ。因みにこの中には三羽烏が所望した生卵も入れてある。
「分かった」
美耶はレジ袋を持って切妻の部屋へと向かう。
切妻はキッチンに赴き、先程作っていた料理を温め、目玉焼きを作っていく。ターンオーバーは失敗する確率が高いのでサニーサイドアップに仕立て上げる。
「渡して来たよ。『ありがとうございます』だって」
美耶は戻ってきて料理を運ぶのを手伝う。
「礼を言うのはこっちなんだけどな」
カーとラーとスーがいなければ九重は助からなかっただろう。切妻としては感謝してもまだ足りないくらいだった。
「じゃあ食べるか」
「うん」
席について手を合わせいただきます、と言って食べ始める。
食事の時間は切妻と美耶は無言だった。出会って初めての時の食事でも多少なりとも会話はあったのだが現在は料理の感想すらも言葉として外部に発信せずに黙々と食べ進めている。
無言の食事は三十分も経たずに終わった。
「「ごちそうさま」」
二人揃って合掌し、食器を下げて洗っていく。洗う時も無言だった。
洗い終えると二人はリビングのソファに並んで腰かけた。
「……あのさ」
美耶が切り出した。別に食事時は重たい空気ではなかった。洗い物の時も同様だ。それでも美耶は無言を貫いていた。言いたい事はあるが、それは今言うべきではなく、話し始めれば言ってしまうかもしれないという不安があったからだ。それを察知した切妻も自分から話しかけようとはしなかった。
「何だ?」
「……大事な話、なんだ」
美耶が視線を切妻に向けず、声も平静を保つように努力はしているが若干震えていた。言いたくないのだろう。でも、言わなければいけない事なのだ。それは彼女にとっては身を引き裂かれそうになる程辛くて、酷で、耐え難い事で、このままの関係でありたいという儚い願いを打ち砕く無情な掟。
「……私は君の死を記録する為に一緒にいるって言ったよね?」
「ああ」
「死ぬ前日までは何があっても守るって言ったよね」
「ああ」
「明日からは――君が死ぬとされる日からは、私の仕事は君をただ監視するだけになる。死ぬ日になったら守る必要なんか無くなるの。その日に死ぬんだから守っては意味が無い。死亡記録課の死神はその日はずっと対象者の行動を見ているだけ」
だから、と美耶は息を少しだけ長めに吸う。
「君の生気を隠している私の霊気が切れてもあげる事が出来ない。そしてあの怨霊に襲われても絶対に助けない」
美耶にとってはどれだけ耐え難い事か。
彼女は死神になった理由は単純。
切妻瑞貴を守りたかったから。美耶は切妻と昔会っている。切妻は美耶の事を覚えていないかもしれない。それは美耶が自らを明かそうとしていないのもあり、あまりにも昔の事なので記憶が摩耗している筈だから。
切妻が忘れていたとしても、美耶は守りたかった。
守護霊になっても守れたが、自力で回復しない霊気が無くなれば強制的に転生させられて守れなくなる。
だから美耶は死神という道を選んだ。
死神ならばそれなりに力があり、霊気も回復する。
けれど、現実は残酷だ。
死神は会社だ。守りたいものを常に守れる訳ではない。規則があり、規律があってそれに拘束される運命にある。
規律は絶対。規律を守らなければクビ。クビとは強制的に転生させる事。
もし、彼女の配属が怨霊討伐課であったなら話は違っていただろう。
でも、死亡記録課に配属された。
あくまで、死に方を記録していく。
途中まで守って、最後は傍観するだけの部署。
恨んだ。転属を願った。
叶わず、美耶は死亡記録を取る為に切妻の所へ行く事になった。
それが運命。
酷い運命。
恨みたい運命。
悲しい運命。
いっその事、切妻を当日に守ろうとも考えた。
しかし、それは不可能。
彼を守ろうとすると、チョーカーが絞まり、行動の抑制を図る。チョーカーは抑制の為に与えられた物であり、規律を守らせる為の物でもある。
だから、美耶は切妻が死ぬ日、決して彼を守れない。
そして、切妻がどう死ぬかを大方知っているが故、余計に悔やまれる。
切妻瑞貴は霊を庇って死ぬ。
それだけならば過去にも例があったので珍しくもないが、予測が今までにない死に方をするとしたので記録の対象となった。
また、この死に方を切妻に話す事は出来ない。それは死の回避方法を教えるのと同義であるからだ。教えようとすれば、やはりチョーカーが絞まる。
「そっか」
記録対象者の切妻はそう零すと美耶の頭を撫でる。
「最後の仕事、頑張れよ」
彼はあくまで他人事のように、さも当然であるかのように、美耶を不安にさせないように気楽な感じで言う。
美耶は気が付いていないが、顔をくしゃくしゃに歪めて、涙を堪えている。その様子があまりにも痛々しかった。
「まぁ、今日はもうシャワー浴びとけ。水に濡れるのが苦手でも洗わないとな」
「……分かった」
美耶は頷き、緩慢な動作で浴室へと向かう。
切妻はリビングから美耶の姿が消えた事を確認すると、携帯電話を取り出し、電話帳からある番号を呼び出し、掛ける。
三回目のコールが鳴り終わる寸前で相手が出た。
『誰だ?』
「カガチさんですか? さっき助けて貰った切妻瑞貴です」
相手はカガチ。蛇の死神。
『あぁ、お前か。俺の番号は三毛猫から訊いたのか』
電話番号の出処は美耶だと分かっているようだ。流石は同期。
「さっきはありがとうございました」
電話の向こうにいるカガチに頭を下げる。漸く礼を言えた事に切妻は軽く息を吐く。
『用件は礼だけか? ならもう切るぞ』
向こうも忙しいのだろう。何せあの怨霊――佐沼を討伐しようと動いているのだから。
「いえ、まだあるんです。今はそっちが目的で電話を掛けました」
切妻は居住まいを正す。
『目的?』
「はい。実は……」
その後約三十分、切妻はカガチに複数質問をし、カガチはそれに答えた。
『後は質問あるのか?』
「いえ、もう大丈夫です。貴重な時間ありがとうございました」
『別に』
「それにしても、初対面の相手によくそこまで答えてくれましたね?」
『それもそうだ。本来なら答えなくてもいい。だがお前は同僚の記録対象者だしな。ある程度は知っといてもいいと思ったから答えたまでだ。それと、お前の質問に俺が答える事に対する交換条件もあったからだろうな』
交換条件。これは切妻が即行で用意したものだが、思いの外効果があったようで、質疑応答はスムーズに進められたのだ。
「そうですか」
『じゃあ、もう切るぞ』
「はい、ありがとうございました」
ブツッと向こうから通話が切られた。
その七秒後にリビングのドアが開いて美耶が戻ってきた。
「死神さん」
切妻は美耶に近付きながら言う。
「今日はもう寝て、明日に備えたら?」
「え? あ、そうだね。でも、明日になったら寝ずに君を監視してなきゃいけないから今から寝るのもちょっと」
「大丈夫。俺が起こすから。それに仮眠でも取っといた方が身体が軽くなるんじゃない?」
「う〜〜ん、それもそうかな? じゃあ、お言葉に甘えて仮眠を取る事にするね」
そう言って美耶はソファに寝転がり、目を閉じる。
切妻は自室に戻って九重の様子を確認する。
「……健やかな寝息立ててるな」
峠は越えたのだろう。顔の色も元に戻っている。規則正しく呼吸をしているし、消滅の影は身を潜めたようだ。
「お前等も休めよ」
切妻はカーとラーとスーを九重の眠るベッドの上へと乗せ、撫でた後、布団を掛ける。せめてもの労いだ。
「「「がぁ」」」
気が張っていてそれが解かれたのか、三羽烏は揃って睡眠に入った。
それを確認して切妻は勉強机からあるものと紙片を取り出し、紙片にボールペンで文字を書く。その後部屋の隅に畳まれている寝具セットから毛布を一枚取り出して部屋を出る前に九重の頭を優しく撫でる。
「おやすみ」
部屋を出てリビングに戻ると、美耶が規則正しい寝息を立てていた。持ってきた毛布を彼女に掛ける。今の美耶は猫耳も尻尾も生やしたままだ。時折耳がぴくんと動き、尻尾がふらんと揺れる。
切妻は美耶の頬に軽く触れ、彼女の手に部屋から持ってきたあるものと紙片を握らせる。
そして、聞こえるか聞こえないかの声量で寝ている美耶に言った。
「……さよなら」
二時間後。
美耶が自分で起きると、切妻瑞貴はリビングにいなかった。
リビングを見渡していると、美耶は手に何かが握らされているのに気が付き、ゆっくりと開く。
手の中には、猫のプレートがつけられた貴金属のストラップが握らされていた。
そしてもう一つ握らされていた。
それは四つ折りの紙だ。美耶はそれを開いて中に書いてある文字を読む。
――死神さんへ――
九重とカーとラーとスーを怨霊から守って欲しい
――瑞貴――
美耶は跳び起き、家の中を隈なく捜す。
けれども、見付からなかった。
切妻瑞貴は彼女等の前から姿を消した。




