命の価値観
「ねぇ、美耶ちゃん」
「何、桜?」
「これって大丈夫なの?」
「大丈夫だね」
美耶が大丈夫と言うのだから大丈夫なのだろう。九重はほっと胸を一撫でして安心する。
何に安心したのか?
目の前にいる烏三羽に、だ。
切妻達は現在本館前に急遽設置されたベンチに腰を掛けている。そんな彼等の足元には烏が三羽逃げもせずにじっと見ているのだ。切妻を。
この烏達の足は色素が薄くて向こう側が透けて見えるのだ。詰まる所この烏三羽は霊である。
「あ、食べた」
切妻は烏達にたこ焼きを与えるとがつがつと啄ばんでいく。動物霊だからといってもなんら動じていないのだった。というか餌付けしていた。そんな様子を見ている九重は美耶に確認をとる。
「にしても、この烏ってもしかして」
「うん。一昨日彼が埋めた烏達だね」
そう言って美耶はたこ焼きにがっついている烏達のうち一羽の頭を指で軽く撫でる。
「やっぱり。という事はこの烏ってこの世に未練とかがあるから残ってるの?」
自分も死んだ事を否定していたのでこの世にいる。もしかしたら同じような理由でこの世に残っているのかな、と思ってみたりする。
「ううん。この子等が残ってる理由はそうじゃないよ」
「あれ? そうなの?」
だったら何故この世にいるのだろう? と疑問符を頭上に浮かべる九重。美耶は端的に告げる。
「うん。この子等は守護霊だから」
「へ?」
素っ頓狂な声を出してしまう九重。
「守護霊って?」
「憑りついたものを守護する霊」
「いや、それは分かるよ。分かるけど、何を守護してるのかなぁって」
「彼」
そう言って切妻を指差す。そんな彼はたこ焼きをもう一箱烏等に与える。それに躊躇いも無くがっつく三羽烏。
「へっ!?」
まさかの事実にびっくり仰天する九重。
「えっと、どうして?」
九重の疑問は美耶に向けていたものだが、三羽烏のうちの一羽が頭を上げてがぁ、と一鳴きする。
「ふんふん、成程ね」
美耶は頷きながら納得する。どうやら彼女は烏の言葉が分かるらしい。流石は死神になる為に十二年も勉学に励んでいた猫だ。多生物の言語も理解する知識を得ていたようだ。
「何て言ってるの?」
ただの死霊である九重には烏語は分からないので美耶に通訳をお願いする。
「彼にお墓を作って貰ったかららしいよ」
何でも見ず知らずの自分達の死骸をわざわざ枝から外し、それぞれの翼と足も一緒にして埋めてくれた事に感謝しているそうだ。人間にここまでして貰ったのは初めてで、何か恩返ししたくて三羽で会議をした結果守護霊にある事を決意したそうだ。そして五分前に無事憑りついて守護霊となった次第である。
「守護霊ってそんなに簡単になれるものなの?」
「想い自体が強ければ死霊なら条件クリアすればどんな霊でもなれるよ」
美耶曰く。守護霊になる為には以下の条件が必要になってくる。
その一:憑いているものに恩を感じている事。
その二:何かしらの想いが強い事。
その三:霊気が一定以上ある事。
その四:憑いているものに守護霊が存在しない場合、または既に憑いている守護霊の承諾を得る事。その代り、憑りつく対称の承諾は必要無い。
これ等の全てが必要となってくる。
「因みにこの子等の場合は三羽で一つの守護霊として機能するように工夫してるね。そうする事によって足りない霊気を底上げしてる」
底上げした霊気は素の状態での九重の二倍はある。この程度が守護霊になる為に必要最低限の霊気だ。
「あと、この子等が守護霊になった事で彼は久しぶりに守護霊憑きになったね」
「守護霊憑きって?」
「言葉の通り、守護霊が憑いている人とか建物とかの事」
この世に存在するものは全部が全部守護霊が憑いている訳ではない。それは守護霊になる条件が原因でもある。恩を感じないものには誰も憑こうとしないのだから。
「成程。……あれ? 美耶ちゃん今さ久しぶりって言わなかった?」
「言ったよ」
「それって瑞貴さんは昔守護霊が憑いてたって事?」
「うん」
首肯する美耶。
「その守護霊って今はいないの?」
「いないね」
「何で?」
「霊気を使い果たしたからだね」
「霊気を……?」
「そう。守護霊はね、自力では霊気が回復しないんだよ。だから霊気の低い死霊は守護霊になれないの。そして霊気を使い果たした時点で守護霊はあの世に強制送還されるんだよ」
「強制送還されるとどうなるの?」
「直ぐに転生してこの世に新たな生を受ける。それだけ」
「そう。……霊気を使うのはどんな時に?」
「主に憑いているものを守る時だね。彼に憑いていた守護霊の場合は交通事故から彼を守る為に全霊気を使ったみたい」
交通事故とは七年前の切妻の両親が亡くなった事故の事だ。切妻が生き残ったのはただ運がよかっただけでなく、守護霊が全力を持って守った事も起因する。
「でも、この子達は霊気を使い果たさなくても直ぐに守護霊じゃなくなるね」
「どう」
して? と紡ぎかけた口を九重ははっとして閉じる。その理由を彼女は知っているからだ。
三羽烏が憑りついている切妻瑞貴は明日死ぬのだ。
比較的和やかな日常が続いていたので忘れがちになるが、美耶の本来の仕事は切妻の死に方を記録するというものだ。その為に彼女は彼と一緒にいる。そして切妻が死ねば美耶もあの世に戻る。守護霊となった烏達は守る対象がいなくなると霊気の残高に関係無くあの世に強制送還されて転生される。
それが定め。
もしかしたら死神の美耶ならば切妻の死を回避させる事も出来るだろう。しかし彼女は絶対に動かない。対象を守るのは今日までで、明日はただ傍観するだけ。それが死神美耶の仕事なのだから。
九重は切妻を見る。明日死ぬであろう彼の横顔は全く曇っておらず、出会ってから変わらない普通の表情だった。彼は死ぬ時は死ぬと割り切っている。なので死に対して恐怖を抱いていないし、未練なぞも持たないのだろう。
「よし。お前らの名前はカーにラーにスーだ」
明日死ぬ予定の切妻は三羽烏に名前を付けてたりする。流石に九重はずっこけた。二つの意味で。一つはいくら割り切っているからといって緊張感が無さ過ぎる事。もう一つはネーミングセンスが限りなく安直というかお前考えて名付けたのか? と思われるものだったからだ。
「「「がぁ」」」
三羽烏が声を揃えて鳴いた。
「気に入っているみたいだよ」
「本当にっ!?」
我が耳を疑う九重だった。
「君達も本当にいいの!?」
取り乱した九重はつい烏達に確認してしまうのだった。
「「「がぁ」」」
「いいって」
美耶が通訳する。
「因みに目が大きいのがカーで、嘴が細いのがラー、リーゼントっぽくなってるのがスーな」
切妻はそれぞれを指差しながら個体名称を固定していく。
「で、こいつ等は何でここにいるんだ?」
「あれっ!?」
三羽烏が守護霊になったから名前を付けたのだと思っていた九重はまたずっこける。どうやら彼はカーとラーとスーは餌目当てでやってきた死霊だと思っていたようだ。そして戯れていた為に美耶と九重の会話は耳に入って来なかった御様子だ。
〜説明中〜
「あ、こいつ等俺の守護霊なのか」
「そういう事だよ」
たこ焼きを奪い合う烏達を眺めながら感慨深く頷く切妻。
「まぁ、残り少ないけどよろしくな」
切妻は敢えて自分の命が長くない事を隠しもせず、辛い顔もせず、至って普通の表情、普通の声音で三羽烏に向けて片手を挙げる。
「「「がぁ?」」」
カーとラーとスーは何が残り少ないのか分からずに揃って首を傾げている。
「あと、守護霊になったお前達に言っておく事があるんだけど」
「「「がぁ?」」」
「別に俺を守らなくてもいいからな」
切妻の一言に三羽烏含め、美耶と九重も彼を見る。彼等の周りにある空気だけが変わっていく。
「ん? どうした?」
疑問符を頭頂部に浮かべながら切妻はそれぞれの顔を見る。空気の変化には気が付いていないかのような表情をしている。
「あの、瑞貴さん」
雰囲気に耐え切れず、九重が声を出す。
「何だ?」
「どうして守らなくてもいいって言うの?」
「だって、俺は明日死ぬからな」
「「「がぁ!?」」」
カーとラーとスーはここで漸く守護霊として憑いた人物が明日死ぬ事に気が付く。
「「「がぁがぁ!?」」」
「『どういう事ですかっ!?』って言ってるけど」
美耶が三羽烏の代弁を行う。
「言った通りだ。明日死ぬから別に無理して守ろうとしなくていいって言ってんの」
『『『がぁ!』』』
「『死ぬんだったら尚更守りますよ!』って」
「いいからいいから。やるだけ無駄だし」
「無駄って……」
切妻はまるで他人事のようにさらりと言う。自分の生が消えようとしているのに無関心過ぎる。いくら死を受け入れているからと言ってもこれはあんまりだ、と九重は思う。自分の命を何だと思っているのだと疑ってしまう。
「死ぬ運命にある命を助けようとする事程、労力の無駄使いな事は無いし。そこに労力を注ぎ込むんならもっと有意義で意味のある事に使った方がいいし」
「…………」
「生き物は何時かは絶対死ぬんだ。これは確定されて、覆されない決められた事象だ。生き物が生き物である所以だしな。それに死が各々に訪れる違いはたかだか早いか遅いかだけの話だろ」
「…………っ」
「だからさ、死ぬって分かってんなら仕方無いって事で抗わずに素直に受け入れて死ぬのが筋だと」
「っ!」
ぱしんっ。
乾いた音が響く。
切妻は頬は赤く腫れている。
限界だった。
九重が切妻に平手打ちをしたのだ。
「……瑞貴さんは」
九重は身体を震わし、拳を固く握って、切妻の目を見据えて言う。
「瑞貴さんは死ぬ事を認めてるけど、それに抗いたい、もっと生きたいって気持ちは無いの!? 確かに死ぬ事は絶対だよ! 他の人との死の違いは訪れるのは遅いか早いかのしかないよ! でもさ、少しでも長く生きたいって思わないの!? 世の中にはまだ生きていたいって人がごまんといるんだよ! 飢えに苦しんでたり、大怪我を負ったり、難病に侵されたりしても、懸命になって少しでも長く生きようと頑張ってる人がいるんだよ! そんな人を前にして今言ってた事を言えるのっ!?」
頬に涙が走る。目が赤く充血していく。それでも九重は涙を拭く事もせず、切妻に面と向かって言い続ける。
「瑞貴さんならそんな人を前にしたら今のは言わないって分かってる! 今のは自分の命の事だからあんな風に言えるんだと思うよ! でもさ、あんまり軽々しく死ぬ事を受け入れたとか仕方無いとか言わないでよ! 潔い事だよ、だけど潔過ぎるんだよ! 自分の命に対する価値基準が低過ぎるんだよ! 可笑しいよ……っ! 自分以外の命には貴いって感じてるのに……! どうして自分の命には同じ価値を持たないの……!? 何で、何で……っ!」
嗚咽を漏らしながら九重は最後に一言切妻に告げる。
「何で瑞貴さんが死ななきゃならないのっ!?」
それは九重の本心から漏れ出した叫びだった。
彼女は切妻の為人を共に過ごしてきて分かっていた。故人を敬い、命を無作為に消す所業を許さない。死んだ者、死んだ者の親族の悲しみ、愁いなどの心でざわつく波を少しでも和らげようと行動を起こす。そんな事を平然とした態度でやっていくのだ。納得出来なかった。九重も彼の優しさに触れた一人だからなのかもしれないが納得出来なかった。どうして彼なのか? 彼でないといけない理由があるのか? ついそう思ってしまう。
九重は涙を一気に拭うと東校舎の方へと走って行った。
「桜っ!」
美耶は切妻を一瞥し非難の視線を浴びせた後、九重を追いかける。
「「「…………」」」
カーとラーとスーは切妻を心配そうに見上げている。心配そうにしているのは彼が叩かれたからではなく、何時も以上に表情が無くなっていたからだ。三羽烏はそれを見て取って心配しているのだ。
「……悪い、お前等も九重を追い掛けてくれないか?」
切妻の言葉に三羽烏は戸惑いを見せたが、渋々といった感じで後を追い掛ける為に飛んで行く。
一人になった切妻。彼は周りで祭りを楽しんでいた人達から非難の視線を浴びながら誰に聞かせるでもなく、抜け落ちた表情に何かを堪えるかのような色を付けて、ぽつんと呟く。
「(……こう言っとかないと、巻き込むだろ)」
切妻は予想している。自分の死に方を。
恐らく、彼は怨霊に殺される。
今は美耶の霊気を身に纏っている為、怨霊に切妻の所在が分からないようにされているが、それも夜には美耶の霊気が消え、所在が分かるようになる。彼は怨霊に狙われている。霊気が切れるタイミングからして十中八九、怨霊によって殺される。
怨霊に襲われる際、美耶と九重、それに三羽烏が巻き添えにならないように、敢えて先程のような物言いをしたのだ。
彼女等の安全の為に。
わざと。
切妻瑞貴は危険な目に遭わせたくない為にああ言ったのだ。
携帯電話で時刻を確認し、休憩がそろそろ終了すると分かった切妻はしっかりとした足取りで和服喫茶へと戻って行った。




