祭りでの得意と不得意
「さて、何処を見て回るか」
午後一時を少し回り、一時間ばかしの休憩に入った切妻は屋台エリアで周りを見渡しながら呟く。因みに休憩が終われば和服喫茶での仕事が待っているので着替えてはおらず、着物姿のままだが、流石に襷と割烹着は外している。
「死神さんと九重は何処行きたい?」
隣に立つ美耶と九重の意見を聞く事にする。彼はこういう場であまり積極的に見て回ろうとはしないのだ。大食いチャレンジとかがあれば別だが。
別に楽しくない訳ではないのだ。祭りでは実際に屋台で食べ物を買って食べながら歩き、射的をして、水ヨーヨーを釣り、型抜きをするのは何時もはしない事なので新鮮でいいとは思う。でもそれは友人に誘われたりして連れ回されながらしていたのだ。自分から行くのではなく、他人に選択権を委ねてその選択で楽しんでいる。人生の中で祭りではずっと他人の好みに任せていた為に積極的に見て回ろうとう気持ちが湧いてこないのだ。なのでこの場で美耶と九重がいるのは僥倖だろう。
「私はあれやってみたいっ」
切妻の手を握って指の差す方向へと向かう美耶。その顔は目をキラキラと輝かせ、わくわく感が醸し出されている。種族:猫の死神美耶にとっては祭りは初めてなのだ。見るもの殆どが未知のもので溢れている。今は尻尾は生えていないが、生えていたら天高くピンと立っていた事だろう。九重ははしゃぐ美耶の様子に微笑みながら切妻の隣を歩く。
切妻達がまず訪れたのは屋台と同じく屋外に出している店で水ヨーヨー釣りだ。水に溶けやすい紙で作られた紐の先に曲げた針金を括り付け、水ヨーヨーのゴムについている輪っかに引っ掛けて釣るという至ってシンプルな出し物だ。因みに一回百円となっている。妥当な値段だろう。
「ねぇ、お金」
美耶が切妻が着ている和服の袖を軽く引っ張って軍資金を要求する。美耶と九重は現金を持っていないのだ。この世で生きている訳ではないので必要が無いのだが、今回はそれが仇となっている。せがまれた切妻はポーチから財布を取り出して千円を渡す。この千円が本日美耶が使える全財産だ。ただし食べ物は別だ。食べ物の金は切妻が一括で払う。それは少しでも文化祭を楽しんで欲しいという思いからきている。九重にも千円を渡し、九重は「ありがとう」と礼をする。
「一回お願いしますっ」
美耶は勢いよく千円札をカウンターにいる男子生徒に突き付け、千円を受け取った男子生徒は弟妹を相手にする時のように朗らかに笑いながらお釣りの九百円と針金付きの紐をを渡す。
「えっと、コツ教えて」
流石に初めてなので切妻と九重に教えを乞おうと眼差しを向ける美耶。
「やり方はね、この針の先を紐の先端にある輪っかに引っ掛けて釣り上げるの」
九重が動作も交えてやり方をレクチャーする。
「ふんふん」
「で、釣る時になんだけど、絶対に紐の部分をあまり水に浸けちゃ駄目」
「どうして?」
「この紐は水にとっても弱くて、浸けちゃったら壊れちゃうの。浸けて直ぐはまだ大丈夫だけど、それでも時間が経てば脆くなって切れて終わり」
「成程ね」
「最後に、釣る時は出来るだけ輪っかが水面近くにあるものを狙う事」
「それって水に濡れにくいからだよね?」
「その通り」
美耶の頭を撫でる九重。その光景をカウンターに駐在している男子生徒は微笑ましい光景だと和んでいる。
「じゃあ、やってみるっ」
美耶の挑戦が始まった。
指先で紐を摘まみ、輪っかの間に針を通そうとする精密動作の最中は手が震えて中々上手く入らない。それがこれの醍醐味でもある。美耶は水ヨーヨーが浮いているビニールプールに顔を近付けて沈んでいる輪っかの位置をなるたけ正確に測ろうとする。
ここだという位置で針を落とし、刹那の瞬間には輪っかに引っ掛けようと軽く動かす。が、上手く引っ掛からず輪っかの端に当たって中には入らなかった。
「うにゅぅ」
再度挑戦。今度はゆっくりと輪っかの中心へと針を泳がし、完全に中に入ったのを確認してから釣り上げようと引っ張る。ゆっくりの動作の御蔭で見事に針の先が輪っかの中心に入り込み、釣り上げる事に成功する。
「やっ」
ぷちっ。
「た……」
無情かな。水ヨーヨーが持ち上がるのと同時に紐が切れた。輪っかに通すまで紐を水に浸け過ぎたのが敗因だ。一度目で引っ掛かっていたならば無事に水ヨーヨーをゲットしていた事だろう。喜びから一転して無表情になる美耶。彼女の視線は落ちて水面に波紋を発生させた水ヨーヨーに向けられている。
「……もう一回」
美耶は視線を外さないまま百円硬貨を男子生徒に渡し、紐を受け取る。
再度チャレンジ。美耶の目には妥協など許さない闘志に燃え上がる炎が宿っていた。たかが水ヨーヨー如きに、と思われるかもしれないが初めての挑戦だったので何としても一個は手に入れたかったのだ。
針の先を水面に浸け、真上から見下ろして輪っかの位置へと移動させる。周りに浮いている標的以外の水ヨーヨーは視界に映る邪魔物でしかないので紐を振って退ける。空間が開け、輪っかの位置が分かりやすくなり、今度は一気に下ろして一気に引き上げる。二度目ともあり一発で引っ掛かったので無事に成功――
ぷちん。
――しなかった。
悲しいかな。標的の周りにあった水ヨーヨーは表面が濡れていたのだ。なので退かす際紐に水分を含ませてしまったのだ。今回の敗因はそれが原因である。
「…………」
悔しさから表情がほんの少しだけ歪み、目尻に涙が溜まっていく。
「もぅ……一回」
泣くのを堪えながらもう一枚百円玉を渡す美耶。再三のチャレンジだ。
しかし二度ある事は三度ある、という諺の通り三回目の失敗をしてしまった。それが限界だった。
「…………ひぅ」
肩を小刻みに上下させ、涙が零れ落ちた。
「何で……取れないの……っ?」
泣き崩れるのは難とか止まっているが時間の問題かもしれない。このままだと情緒不安定の状態で四回目のチャレンジに乗り出すかもしれない。そうなると百パーセント失敗する。そしてダムが決壊するだろう。
「お嬢ちゃん。ほら、残念賞」
それを感じ取った男子生徒が水ヨーヨーを一つプールから取り出して残念賞として美耶にあげようとする。本当なら一回目の失敗の後にでも渡そうと思っていたのだが間髪入れずに二回目を促したのでタイミングを逃してしまっていたのだ。因みに同じ人が連続でチャレンジして失敗しても渡す水ヨーヨーはたったの一個だけだ。そうしないと水ヨーヨーの減りが早くなってしまうのだ。
「要ら……ない」
美耶は首を振って受け取りを拒否する。意地でも自らの手で釣り上げたい。そんな意思の籠った涙目であった。
「も……もういっ」
「すみません、一回お願いします」
美耶が出そうとしていた百円をそっと押し戻し、九重が千円札を渡す。
「さ、くら?」
「これ以上お金減っちゃうと、この後大変だよ」
にっこりと笑いながら美耶の頭を優しく撫でる。
「私が代わりに取ってあげるから」
お釣りと紐を受け取った九重は顔を引き締め、目を少しだけ細めてプールを見る。その目は正に真剣そのもの。サバンナで肉食獣が草食獣を狙う鋭い眼差しだ。
そして動いた。
狙いをつけたゴムの輪っか目掛けて迷いも無く針を投下し、一秒も経たないうちに引き上げる。針の先には輪っかが引っ掛かっており、水ヨーヨーが空中で揺れている。九重はそれのゴムを素早く掴んで針から外し、紐に掛かる負荷を極力無くして再びプールに投下する。直ぐに引き上げて二個目をゲット。更に針を水に沈めて上げて三つ目を手に入れた所で紐に限界が来た。三個目の水ヨーヨーを手に取った瞬間に針が紐から外れてプールに落下した。
「まぁ、三個あれば充分だよね」
九重は手に入れた水ヨーヨーの一つを美耶に渡す。
「桜凄いっ!」
美耶は渡された水ヨーヨーを突っ返す事無く受け取り、涙目ながらも賞賛の眼差しで九重を見る。
「確かにな。よく三個も取れたもんだ」
切妻も素直に感心している。彼の場合はじっくり観察してから初めて一個取れればいいくらいの腕前だ。なので早業で三個も取れる九重は凄いと思っている。
「昔、ちょっと頑張った成果かな」
そう言いながら手に持っていた水ヨーヨーのうち一つを切妻に差し出す。
「ん?」
「瑞貴さんも、はい」
「ありがと」
切妻は水ヨーヨーを受け取ってゴムを中指に掛ける。
「昔頑張ったって言うと、弟さんの為とか?」
「御名答」
九重は頷く。
「小学校の頃までは縁日とかでヨーヨー釣りや金魚すくいがあると宗太は絶対やりたがってね。でも宗太ってば紐やポイの紙をずっと水に浸けたままで動かすから直ぐに破れちゃってさ、母さんに何回もねだってまた失敗の繰り返し」
当時の事を思い出して薄らと笑う九重。
「流石に母さんは三回目以降は駄目って言ってね。それでもあれが欲しいって駄々捏ねて泣きじゃくってさ。しかも店の人から貰うのは嫌だって言うし。だったら宗太の代わりに私に取って貰いなさいって母さんが宗太に言ったの。宗太はそれならいいって言うから私が代わりにやってさ」
言われた当初は九重も上手くは無かったので失敗を繰り返していた。しかし泣きはしなかった。泣きじゃくっている弟の為にも頑張らなければという心に突き動かされて一ヶ月練習をした。そして別の縁日で見事弟の代わりに金魚をすくい、水ヨーヨーを釣り上げたのだ。
「それ以来、宗太が三回失敗したら私が代わりにやるようになったの。宗太が自分で取れるまでやったなぁ」
「因みにやったのはどのくらいだ?」
「宗太が幼稚園入ってからだから……五年くらいかな」
「結構やってたな」
「まぁね。でも縁日限定だから回数はそれ程でもないよ。確か二十回くらいかな」
そんな出来事があったので、三回失敗して泣いた美耶の姿を見たら当時の宗太に重なり、母性本能、というか姉性本能が久々に刺激されて代わりに釣った、という次第である。
美耶は貰った水ヨーヨーをばしんばしんと上下させてにっこり笑っている。
「桜っ。ありがと!」
目はまだ赤いがもう泣く事は無い。嬉しそうに水ヨーヨーで遊んでいる様子にカウンターにいる男子生徒はほっと一安心している。
「じゃあ、次行くか?」
切妻の言葉に美耶は頷いて水ヨーヨー釣りの店の前を後にする。
次に向かったのは輪投げの屋台だ。テントで囲まれたスペースにはお菓子や縫いぐるみ、ソフビの玩具が青いビニールシートの上に鎮座している。一回で貰える輪の数は五本で二百円と少し高めの設定だ。投げる位置も遠めとなっている。
「一回お願いしますっ」
二百円をカウンターにいる女子生徒に渡して輪を五つ貰う。
「桜、これのやり方は?」
「これは輪っかを投げて、奥の方にある賞品を輪っかの中に入ればいいの」
「それだけ?」
「それだけ。輪っかの中に入った賞品は自分の物になるの」
「分かったっ」
美耶は輪を持って構える。九重は心配そうにその様子を見ている。先程の水ヨーヨーの敗退を見てしまった為不安で一杯なのだ。全弾不発に終わって泣き出さないかを。因みに九重は輪投げに関しては助けられない腕前だ。
彼女はあくまで水ヨーヨー釣りと金魚すくいをある程度出来る腕前を持つだけで、その他の出店でやられているものもそつ無く出来る訳ではない。特に射的や輪投げなどは腕前が悪く、運よく一つに当たればいいというレベルだ。端的に言えば下手くそなのだ。なのでフォローは無理なのだ。
美耶はまずは手前のチョコ菓子に狙いを定める。
投げる。
輪の中心に入る。
「やったぁ!」
美耶は満面の笑みで飛び跳ねる。九重も笑顔が零れる。
「よし、もう一回」
二個目を投げる。
大き目のポテトチップスの袋を手に入れる。
「やぁあ」
三個目を投げる。
猫の縫いぐるみを手に入れる。
「そりゃあ」
四個目を投げる。
パーティー向けの大袋ポップコーンを手に入れる。
「うにゃあ」
最後の一個を投げる。
置時計を手に入れる。
五投全て命中(?)。百発百中だった。因みに回数を重ねる毎に狙う賞品はどんどん遠くにあるものを狙っていたりする。
「えっと……上手いね」
九重は呆然としている。水ヨーヨー釣りの敗退からは想像もつかない様子だと思っている。
「まぁね。目測で距離測って命中させるのは大丈夫なんだよ」
得意満面で美耶は語る。元々は猫なので獲物を狩る時は距離を正確に測り、そこに最適な歩数で素早く距離を縮めて捕まえるようにしていた。死神になった後は距離の目測に加えて道具を使えるようになったので飛ぶ相手でも仕留めやすくなったのだった。動く相手を仕留めていた(一応現在進行形で)美耶にとっては動かない対象を狙い撃つのは容易いのだ。
まぁ、この結果もただ投げるだけだったからであり、射的だったなら狙いを外していただろう。なにせ銃なぞ使った事が無いので。もし今現在射的をやっていたならばまた泣きじゃくりそうになっていたかもしない。
「もう一回お願いしますっ」
狙い当てた(?)商品を受け取ると美耶は笑っている女子生徒(ただし内心は焦っている)に五百円玉を渡してワンモアしようとする。
「いや、次行こう」
しかし切妻が美耶の五百円玉を取り上げて回れ右をさせて屋台を後にする。このまま続けていけば(持ち金的に投げられる回数は十回だが)確実に店側の金銭的にちょいと高めな賞品をごっそり持って行かれてしまっていた事だろう。彼が美耶のワンモアをやめさせた事で女子生徒は心の内で安堵していた。
遠ざかる切妻と美耶を追って九重も屋台を後にする。
「ねぇねぇ」
「何だ?」
「今度はあれやりたい」
美耶が指差す先にあるのは射的屋であった。十発二百円。五発百円と幟に書いてある。それを見て九重は目を伏せて美耶の肩に手を置いた。切妻は何も言わなかった。
そして射的を行い美耶の軍資金が底を尽き、涙目になったのは言うまでもない。




