人騒がせなトランク
実を言うと、金曜日とは平日の最終日であるが本来なら今日と言う日付は休みであったのだ。
理由は簡単。創立記念日だからだ。それに土曜日、日曜日、で三連休。体を休める筈だったのだが、この高校は十一月の初めの土日に文化祭を行うので三連休は有り得なかった。そして折角の創立記念日である金曜日も翌日の準備の為に強制召集日と化してしまったのだった。生徒の半分以上は「休みをくれ!」と嘆き悲しんだが時間が経つにつれて「文化祭で休めなかった分楽しもう」と思考回路を流れる感情パルスの巡りを変えたのであった。
正直言えば三連休になって欲しかったと嘆いていた切妻は現在教室の机と椅子を西校舎へと運んでいる最中だ。
南校舎にある進学科一年の教室は三つとも使用するので使わない備品を西校舎の一階へと運んでいるのだ。東校舎の備品は同校舎の六、七、八階の当日立ち入り禁止となるエリアの教室と廊下に置く事になっているので普通科と進学科で備品置き争いは起きないでいる。
階段の上り下りが面倒な東校舎にいる普通科の準備と比べて、南校舎の生徒は移動距離に辟易する。だって微妙な丘下って微妙に距離の離れている西校舎に机椅子を運ばなきゃなんねぇんだもん。だそうだ。要は面倒臭いだそうだ。
因みに言えば、今回の出し物で使う机と椅子は十にも満たない。なので運ぶ数が他の組に比べて多いのだった。まぁ、一人一セット持って行けば負担は軽くなるのだが進学科一年の半分は西校舎の四階に保管していたお化け屋敷と和服喫茶の準備物を取りに行っているので負担は減らない。むしろ準備物を取りに行く担当になったクラスメイトの方が負担が多かったりする。階段という地味に足に来る移動場所が増えた事によって。
備品は生徒の机椅子の他にもチョークに黒板消し、黒板消しクリーナー、教卓、掃除用具入れ、その中身等がある。一人では運べないものもあるので複数人で協力しては西校舎へと輸送する。
そんな中で一つだけ謎の備品が存在していた。
「……こんなのあったんだ」
切妻と同じく備品運び担当となっていた数奇屋が興味を引かれながらそれに手を伸ばす。
掃除用具入れの後ろに存在しており半年以上もの間一年三組の面子の視界には入らなかったそれ。
「ほぉ〜〜」
手に持ったそれを空高く掲げて感嘆の声を漏らす。さながらその様子は神の啓示によって赤子を授かった羊飼いのようにも見える。
「スキヤキ、何やってんだ?」
机を運び終え、他の備品も運ぼうと教室に戻ってきた切妻が彼に声を掛ける。
「何って、見ての通りだが?」
さも当然のように答える数奇屋。
「それが分からないから聞いてるんだ」
で、と切妻は改めて問う。
「お前は備品も運ばずに何やってんだ?」
数奇屋は改めて答える。
「細長いトランクを掲げて眺めていただけだが?」
掃除用具入れの裏にあったもの。それはトランクだったのだ。それもやけに細長い。縦五十センチ、横二十七センチで厚さがたったの五センチ。一体何を入れて旅行に行っていたのだろうか謎である。いや、そもそも旅行に使用するトランクなのかも怪しい。因みに中身がぎっしり詰まっている所為か結構重かったりする。
「そこにいると雑巾掛けの邪魔になるぞ」
そう言って黒板近くを指差す切妻。自分の仕事が終わったクラスメイトは雑巾をバケツに入っている水に浸して絞っている最中だ。黒板と床を綺麗にする為に磨き上げるのだ。因みに要領の悪い事にお化け屋敷と和服喫茶の準備物は廊下で鎮座している。拭き終わってから運べばそのまま設置準備に持って行けたものを。そこは指示したクラスリーダーの裁量が少し足りなかったのだろう。
「運ぶんだったら早く持ってけ」
周りを確認し、持って行く備品が無い事を確認した切妻は雑巾を手に取り水を含んで絞り、黒板を磨いていく。
「……なぁ、瑞貴」
「何だ?」
「これちょいと拭いてくんね?」
そう言って数奇屋はトランクを突き出す。埃塗れなので確かに一度は綺麗にした方がいいだろう。そう思った切妻は言われた通りにトランクの表面を磨いていく。
「サンキュー」
磨き終えると雑巾は真っ黒になった。反対の面を使えばまだ拭き掃除は可能だが気持ち的にリセットしたかったのでバケツに突っ込んでじゃぶじゃぶと洗う切妻。
「じゃあ、開けてみるか」
「開けるのか」
綺麗になったトランクを床に置いてストッパーを解除する数奇屋。雑巾がけの邪魔になっているが気にしていない。
「お?」
「ん?」
ついでに切妻も中身を確認する。
薄っぺらくて細長いトランクに入ってたものとは――
「「見なかった事にしよう。確実に誤解される」」
刹那で閉じてストッパーを掛け直す。異口同音でそう呟き、互いに顔を見合わせて頷き合い、更には固い握手を交わす。
「何が入ってたの?」
実はずっと傍にいた九重がきょとんとしながら切妻に質問する。当然の事ながら死霊なので一般人の数奇屋には見えていない。因みにちゃんと美耶もいる。美耶の姿も以下略だ。
「何も入ってない」
ポーカーフェイスで嘘と分かる否定をすると、そのトランクを持ち上げて数奇屋に渡す。
「スキヤキ。取り敢えずこれ西校舎に持ってけ」
ずずいと自分に差し出されるトランクをずずいと押し返した。
「いやいや、これは瑞貴が持ってってくんねぇか?」
もうトランクには興味を持っていないようだ。数奇屋が切妻に頼むが、
「いや、俺は黒板拭かないといけないからな。お前が持ってけ」
無理矢理押し付けて雑巾片手に知らん顔で黒板掃除を再開する切妻。
「いや、それは俺がやっとくから。行って来い」
雑巾を奪い取り、トランクを彼の頭の上に乗せる数奇屋。
「だから、お前が行けって」
トランクを突っ返す切妻。
「瑞貴が持ってけよ」
更に突っ返す数奇屋。
「お前が行けよ」
「お前こそ行けよ」
「お前が」
「お前が」
因みにこのやり取りの間で二人は全く怒っていない。どちらかと言えば自分が責任を負いたくないからこれを持って行きたくない。そういった理由で押し付け合いを始めていたのだった。
もし、これを持って行く途中でストッパーが壊れて中身が流出してしまった場合、それを運んでいた人物に疑いの眼が向けられてしまうのだ。そう、確実に。
「「お前が」」
遂にはハモってしまった二人。
「何してるんですか?」
廊下からそんな二人の様子を見ていた一組のクラスリーダーの紅が怪訝そうな顔をしていた。因みに切妻と数奇屋は教室中の視線を集めていたりもする。
「「何にもしてない」」
ハモりながら見え見えの嘘を吐く御二方。同時に首を横に振る。
「嘘言わないで下さい。で、そのトランクは何ですか?」
と紅は教室に入ってきて切妻と数奇屋の手で挟まれたトランクを指差す。
「それは……」
言い淀む数奇屋。切妻に至ってはもう諦めの表情が浮かんでいる。
「ねぇ、美耶ちゃん」
「何、桜?」
「私あんな顔した瑞貴さん初めて見るんだけど」
「私もだよ」
会って三日が経過した美耶と九重には、切妻は殆ど表情を変えないと分かっていた。喜怒哀楽は表現するが顔ではなくどちらかと言えば声でだ。しかし声も然程感情的に荒げたりはしない。傍から見れば何が起きても動じない男だと見られるだろう。
しかし、現在の切妻の表情には明らかに諦めという色がついている。二人にしてみればレアな顔だった。死神や幽霊を目の当たりにしても表情に変化が出なかったのだから余程の事なのだろう。
そして美耶と九重の思考が行きつく先はというと。
「「あのトランクに何が入ってるんだろう?」」
トランクの中身に興味を持ったのだ。
「でも、トランクは瑞貴さんともう一方の手の間にあるから私達じゃ奪えないよ」
奪えば空中に浮かぶトランクの出来上がりだ。実際は浮かんでいないのだが見えない二人が持ち上げてしまえば浮かんでるも同然だ。床に置きっ放しであればストッパーを外して教室内にいる誰かのタイミングに合わせて開ければ偶然開いた事になって誤魔化せるのだが。
「……あっ」
美耶の頭上に電球が浮かびピコーンと光り輝く。
「私がちょっと開けてみる」
「どう」
やって、と続ける前に九重の表情が彫刻のように固まった。そして青褪める。
理由は玉突き事故を誘発しそうになった際に後頭部に突き付けられた指先に刃がある手袋を嵌めていたからだ。この手袋は最早九重桜にとってトラウマになっている。
「これを使って」
美耶は指先を器用に動かしてトランクのストッパーを外す。如何せんそちらに意識を向けていなかった為、切妻は気が付かなかった。
「そして後は」
手袋を外し、紅の背後に回って背中をポンと押す。
「きゃっ」
「危ない」
前のめりになりそうだった紅を切妻はまるでスタンバイしていたかのように素早く支える。
その結果。
「「あ」」
紅を支える為に手を離したので、トランクが静止状態を解除させられる。しかも美耶の御蔭でストッパーが外されていたので床に接触した瞬間に開いて中身が飛び散る。
「これって……」
中身を見た紅は言葉を無くす。いや、彼女だけではない。中身を見ようと動いた美耶に九重、その場にいた誰もが唖然としていた。時が止まったかのような静寂な空間で切妻と数奇屋は脱兎の如く逃げようと駆け出す。
しかし彼等の逃走にではなく別の何かを察知したクラスメイトの一人によって前後の扉を閉められ脱出は出来なかった。
「切妻君。それにスキヤキ君」
紅は床に散らばった中身の内の一つを手にして二人に問い詰める。
「これは何ですか?」
「見ての通りのものだけど?」
曖昧に答える数奇屋。というか曖昧にするしか出来なかった。
「ちゃんと答えて下さい。これは何ですか?」
紅は数奇屋の目の前にそれを一枚突き付ける。そう、枚という数え方をするので紙のような物だと推測出来る。というか紙だ。教室中に重く緊迫した空気が流れ出す。その理由はやはり床一面に散らばった紙が原因だ。
このように教室の雰囲気を変える紙ともなれば、例えば誰かの日記を記したルーズリーフノートだったり、誰かの恥ずかしい珍解答の答案用紙だったり、最悪のケースは女子が着替えている時に盗撮して現像した写真だったりするのだろう。
しかし、この紙はそのどれでもない。そのどれよりも破壊力があり、魅了するものがあり、正気でいるには押し黙るしかない存在だ。
で、それは何なのか? 答えは――
「福沢諭吉が印刷された高校生の財布に一枚あれば嬉しいこの国で一番価値のある紙幣」
目を閉じながら切妻が遠回りに応える。そう、一万円札なのだ。それも大量に。軽く百万円は超えるであろう枚数。一介の高校生が生で拝む事のない金額。魔力がある。未成年の精神を破壊する魔力が。未成年の心を魅了する魔力が。その紙幣達にはあるのだ。
「こ、これどうすんの?」
クラスメイトの一人が呟くように言った。
「やっぱり、警察に届けるとか?」
「でも、何て言えばいいんだよ?」
「そうよ。教室にありましたって言っても信じて貰えないかも」
「下手すると疑われるんじゃないか?」
「どっかの銀行から奪ってきたとか?」
「でも、もしかしたら未解決の銀行強盗事件で盗んだ金をここに隠してた……とかで見つけたって言えば何とかなるかも」
「いや、何とかならないから。ここ二十年で仙原市でそういった事件無いし」
「もういっその事、皆で山分けはどうだ?」
「馬鹿! バレたら俺等全員捕まんぞ!」
「だったら、もうそこの林に埋めるとかする?」
そんなやり取りを繰り広げる。
切妻と数奇屋がこれを誰にも見られず、それに加えて自分が運んだと思わせないようにしていた理由がクラスメイト達によって紡がれる。
「さて」
「どうしたものか」
事を静かに収めたかった二人は思案する。
しかし妙案思い浮かばず。大量の一万円から発せられる魔力によって思考能力を大きく削られてしまっているのだ。
「取り敢えず、集めてトランクに戻すか」
問題は保留にして、このある意味で目の毒となる光景を一早く変えたかった。切妻だって人間だ。死ぬ時は死ぬと割り切っているが正常な人間だ。大金を前にして平静を保つのに苦労するのだ。異性の裸体では動じないが現在日本で生活に必要な物を目の前にすると体が疼いてしまうのだ。
なので彼は理性が木端微塵に吹き飛ぶ前に皆に号令をかけて拾い集める事にした。一応誰もくすねないように彼と紅が監視しながらの回収となった。
「……あれ?」
半分くらい集めた所で、一人の女子が声を上げた。
「どうしました?」
紅は傍に寄る。
「このお札……透かしが入ってないよ」
………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………はい?
全員フリーズ。
「え、本当ですか?」
誰よりも早く凍結解除がなされた紅が女子の持っていた紙幣を受け取って灯りに翳す。
「本当に透かしがありませんね」
その一言で、クラス内の誰もが集めた紙幣を手に取り透かしの有無を確認する。
「あ、無い」
「これも」
「これも」
「これもだ」
「全部無いんじゃないか?」
調べた結果。
全部透かしは無かった。つまり全て偽札だった。
コピーで大量生産されたものではないと分かっている。コピーならば誰もが気が付く。これは透かし以外を精巧に作った贋作だ。精巧に作るなら透かしも入れた方が偽物と分からないだろうに、と誰もが胸の内で呟く。
全員が釈然としない面持となる。
「……取り敢えず、偽札達をこのトランクに戻そう」
切妻がトランクを持ち上げ、直ぐに床に叩き付けた。その場にいた全員が切妻を見る
「ど、どうした瑞貴?」
数奇屋がいきなりの行動でびっくりして恐る恐る尋ねる。表情は何時もと変わらないが背後に揺らめく火炎を見た気がする。
「……トランクの中見てみろ」
数奇屋はトランクを拾い上げて空となった中を見る。
「っざけんな!!」
そして切妻と同じく床に叩き付けたのだった。こちらは怒りを顕わにしている。全員の視線は視線は数奇屋へと移る。
「スキヤキ君もどうしたんですか?」
「見てみりゃ分かるよ!」
そう言って数奇屋は紅の方へとトランクを蹴る。もうぞんざいな扱いだった。
紅は拾い上げて内側を見る。そして理由が分かって溜息を吐く。切妻と数奇屋が憤慨しているのはどうしてか? と問いかけてくる視線に彼女は答える。
「ここに書いてあるのが原因ですね」
紅はトランクの内側に書かれている文字を読み上げる。
「『馬鹿は引っ掛かる』」
全員から溜息を貰いました。
溜息で済んだのはいい。切妻と数奇屋に至っては責任を負いたくないあまりに擦り付け合いまで行ったのだ。それを『馬鹿は引っ掛かる』で終わらせられたら腸の煮えくり返る思いにもなるだろう。なのでトランクに八つ当たりをしたのだった。
この騒動の発端となったトランクは壊してゴミに出され、偽札はお昼休憩の時に担任教師の監修の下、裏の林で落ち葉と共に焼き芋を完成させる為に燃やされたのであった。
よく燃えたのであった。何人かは日本史の教科書に載っている『ほら、明るくなったろう』ごっこをしていた。
因みに美耶と九重は無表情で焚火の中へ次々と偽札を放り込んでいく切妻に同情の眼差しを送っていたりする。




