プロローグ
十月も終わりに差し掛かっている。明日からは十一月だ。
今年の十月も終わろうとしている中、切妻瑞貴はマンションのリビングに設置されているソファに横になってぼぉ〜〜っとしていた。
十代半ば。最寄りの地下鉄から五駅向こうにある高校に通う少年。性別は男の癖に髪の毛が異様に長い。平安時代の女性貴族かっていうくらいに長い。流石に前髪は目に掛かるから邪魔なのだろう、適当に切られているが他は自然の状態にしていれば直立の姿勢でも床に触れる。なので彼は後ろ髪を頭頂よりも少し低い位置で一房に纏めている。また、そんな髪の長さと中性的な顔立ちプラス名前から女子に間違えられる事もあるが何故か本人は気にしていない。現在の彼の恰好は学校のブレザー制服を脱いで部屋着であるジャージ一式に身を包んでいる。
そんな切妻はぼぉ〜〜っとしながらも色々と思考を巡らせていた。
週の丁度真ん中にぶち当たっている水曜日。あと二日学校に行けば休みである土曜日が待っている。でもこの二日間が結構長くてしんどいと分かっている。もう学生として十年は過ごしているのだから。そう思う切妻であった。けど今週は土曜日にも学校があるのだが深くは考えていない。
しかし、今週は特例で土曜日もあるのだが、彼が小学校低学年の頃は普通に土曜日も授業があった。午前中だけであったので小学生にとってのお楽しみである給食も無い。そんなカリキュラムで学校に行くのが面倒だな、と思ってた矢先に政府により『ゆとり教育』が導入され、土曜日授業が無くなった。
しかし、それと弊害して授業内容のハードルが下がってしまい小学校で台形の面積はおろか円周率を3.14からおおよそ3に変更され、計算能力に著しく前世代に後れをとる事になった。また漢字も読めない者が多発、四字熟語を間違って覚えるなんて始末であり(認知されているものでは汚名挽回と名誉返上。正しくは汚名返上と名誉挽回である)、国語力にも難を示している。
代わりに小学校から英語の授業が導入されグローバル化を促進させようという動きがみられるが、大体の子どもは英語が嫌いである。日本語に慣れてしまったら英語の文法は面倒と思ってしまう。向こうの人からすれば日本語の方が難解であると大多数が感じている事なのだが、そこはそこ。それはそれ。
しかし英文法は嫌いでも英語の単語自体は人気があると思われる。特撮ヒーローの必殺技は大体横文字で表記される。必殺技を和訳して日本語に直すと何処か間抜けな感じがする。しかし英語にすると何故が締まりがある。それに、英単語で言った方が格好いいと日本人は思っている。英語圏の人からは微妙な反応をされそうだが、それが現代日本における英語の現状だ。
「……けど、なぁ」
切妻は学校帰りに寄った全国展開中のハンバーガーショップの書いてあった英文を思い出す。
『AER YOU HANGRY ?』
大いなる間違いが存在している。まず『AER』ではなく『ARE』だ。変な間違いをしている。それに何だ『HANGURY』とは。普通は『HUNGRY』だ。日本人が英単語を間違える時の典型的なパターンだ。
日本人は英単語をカタカナで覚えているので本来Uの所を発音からAにしてしまう間違いが多い。このスペルミスもだ。しかも英文法として全部大文字表記も可笑しい。いや、向こうでも全部大文字で書かれる場合があるが、大抵は最初の一文字だけ大文字だ。
よって、この文は『Are you hungry ?』が正しい。
「英語勉強し直せよ」
と、某ピエロがマスコットキャラクターのハンバーガーチェーン店が販売している物よりも数倍の値段で購入したハンバーガーを店内で頬張りながらぼやいた。味はよかったのだが常識が欠けていると呆れたのだった。しかも今のゆとり世代では無い人物が立ち上げたであろう店なのだから、こういった間違いにはすぐに気付けよ。というか、他の店員も気付けよ。と心の中で呟くのであった。
そんな切妻は親切にもハンバーガー店本社に先程「英語間違えてるぞ」という旨の手紙を書いてポストに投函してきた。これで直すだろう。少なくとも切妻はそう思っている。
キンコーン。
リビングに呼び鈴が鳴り響く。インターフォンのスピーカー部分から流れるそれは最近の電子音らしさの欠片も無く、昔からある呼び鈴そのものを彷彿とさせる音色である。
切妻は起き上がってソファから体を離すとインターフォンに向かわずそのまま玄関へと赴いた。彼はインターフォンを何時も使わない。受話器を取っていちいち確認するよりも面と向かって確認した方が手間が一つ省かれると考えているからだ。
彼は玄関扉のチェーンを外し、鍵を開錠して扉を開ける。
「どちらさん?」
視線の先には一人の少女がいた。歳は切妻と同じくらいであろう。頭一つ分小さい身長で、目尻がつり上がり活発そうな印象を受ける。閉じた唇の隙間から二本の八重歯の先端が覗かせている。
さぁ、ここで一つの疑問が浮上した。
(誰? こいつ? 本当にどちらさん?)
そう、切妻はこの少女と面識を持っていない。この瞬間が初めて相対したのだ。
しかも彼女の恰好は独特のセンスをしていた。
黒いパーカーにジーンズ。それにスニーカー。年頃の女子なのだろうからもう少し御洒落に気を遣ったらどうか? そう思えてしまう程にどちらかといえば男子よりのファッションであった。
しかもこの少女はフードをすっぽりと被っており不審者感が半端無い。けれども切妻はその不審者然とした恰好よりも服装のある一点に目が行っていた。
正確には頭。より正確に言えばフード部分。
獣耳なのだ。少女の被っているパーカーフードは獣耳のような突起が存在している。これがある御蔭で不審さは減少し、男性寄りファッションから一応女性ファッションにクラスチェンジが出来ている。
そして背後で揺らめく紐のような物が視界に入る。体の位置をずらして確認するとそれは尻尾であった。昔尻尾のアクセサリーが流行ったがそれとはまるで違う。意思があるようにふらんふらんと蠢いている。最近のアクセサリーは進化したのだなと感心する切妻。
あと、首にはチョーカーが巻かれているが、それはまるで飼い猫に取り付けるような物だ。何せ、某御長寿アニメの飼い猫がしている首輪と同じように鈴が取り付けられている。犬は鈴付きの首輪なぞしない。なのでこの少女は猫を目指してこの格好をしているのだろう。
しかし、だ。何故少女が切妻邸を訪ねてきたのかが分からないままである。
そこで切妻は無言で玄関先に立つ少女について考えた。
彼女の恰好。
猫耳フード。
尻尾。
鈴付き首輪。
今日と言う日付。
時間帯。
それらのワードが今、彼の頭で一本の線で結ばれた。
「ちょっと待ってろ」
切妻は玄関扉をストッパーで閉まらないように固定し、キッチンへと向かう。
そこで彼は小袋を持って少女の元へと戻っていく。
「ほら」
切妻は手に持った小袋を少女に渡す。少女はきょとんとしてそれを受け取る。その袋の口は赤いリボンででラッピングされていた。
少女は袋を開けて中身を取り出す。それはクッキーであった。形は南瓜であったり鍔広の帽子であったり蝙蝠を模した物であった。
それらは本日の為に昨夜切妻が作ったお菓子であった。しかも結構凝っており、南瓜は南瓜ランタンのように目と口が色分けされており、帽子は皺の模様を再現、蝙蝠はデフォルメであるが目も翼の皮膜もばっちりと再現されている。
今日は十月三十一日。それも晩方。
ハロウィンだ。
切妻はこう考えた。
今日はハロウィンだから、この少女は各家庭に赴いてお菓子を貰っているのではないか? と。それを裏付けるように仮装しているようにも見えたからだ。一般人は猫耳フードのある衣類は着るかもしれないが決して自立型の尻尾アクセサリーは身に付けないからだ。なので切妻は少女の恰好を仮装を断定した。
故に、悪戯をされないようにお菓子を上げたのだった。今日学校に持って行った分が余ったのが幸をなした。
「じゃあ、頑張って他の家からもお菓子を貰えよ」
そう言って切妻はストッパーを外し、扉を閉めようとする。
しかし、少女は扉を掴んで阻止する。
「何だ? まだ欲しいのか?」
「違うよ」
漸く少女が口を開いた。それは透き通るように綺麗で、もしこの声で歌っていたら暫くはそれだけに集中したくなるような声質であった。
「違うって?」
「君に言わなくちゃいけない事があるの」
少女の目は切妻のそれをしっかりと見据えている。
少女は告げる。
「切妻瑞貴。君はあと四日後に死ぬ」
――切妻瑞貴。命日まで残り四日。