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キレイな夢が終わる時

作者: れきしょ

 昼前に起床し、パソコンを立ち上げ、動画サイトを開いて、無為に一日を過ごす。

それが当たり前の生活になったのは、いつからだったろうか? 少なくとも、中学生の頃にはその兆候はでていたように思う。ズルズルと、底なしの沼に引き込まれるように堕落していった。

今では立派な十九歳、高校中退の引きこもりニートだ。ハハッ、笑えねぇ。

 いつかは社会に出ないといけない。そんなことはわかっている。わかっている、つもりだ。

ただ、気力がでない。体を動かしたくない。

中学では、テニス部に所属していた。あのときあんなに動き回れていたのが不思議なくらいだ。

死ぬほど辛かったけど、あの三年間は楽しかった。

引退試合はどうだったろう。笑っていたのか、泣いていたのか。……覚えてないな。

 昔の思い出に浸りながらニュースサイトを巡回していると、一つの記事が目に飛び込んできた。

『天才子役、夢を語る』そう書かれた記事は、今話題の天才子役が、新作映画の制作発表で将来の夢を話すという当たり障りのない内容のものだった。

「夢、か……」

 無意識に口から零れた言葉に釣られ、そのタイトルをクリックした。

…私は将来、お医者さんになりたいです、か。今成功してるんだから、役者を続ければいいのに。

少し笑いながらニュースを読み進める。

私は、お医者さんになって病気で苦しむ人達を笑顔にしてあげたいです。

……これは、満点の答えだろう。誰からも批判されることのない、完璧な答え。

だが、実際はそんなことは有り得ない。有り得る筈がないのだ。

人の為だけに働く人なんて、殆どいない。大多数の人間は私利私欲の為に生きている。

小学校で擦り込まれた、農家の人は、私たちのためにお米を作ってくれている、という言葉。

フン、と軽く鼻を鳴らす。農家の人達は、俺たちの為に働いているワケじゃない。

何故米を作るのか。答えは簡単だ。自分達が生きていく為に米を作るのだ。

米を売って、金を得るため、自分達のために米を作る。米を売る場所など、何処でもいいのだろう。

 …………まただ。これで何度目だ。

引きこもりの時期が長引くのにつれ、ひねくれた考え方をすることが多くなった。

その度に軽い自己嫌悪に陥る。ひねくれ者にはなりたくない。

 ディスプレイに映る子役の笑顔をじっと見つめる。その笑顔は真っすぐで、どこまでも純粋な笑顔だった。こんな笑顔を昔、見た覚えがある。心に刻み込んだはずのそれは、とても朧げで――――

「夢、か」

 今度はしっかりと、声に出す。久々に聞いた自分の声は、思ったよりも低かった。

ブラウザを閉じ、パソコンをシャットダウンして、万年床となった自分の布団に倒れこむ。

枕元の時計を見ると、短針は数字の5を示していた。まだ夕方か。今寝てしまうと夜に眠れなくなる。

そんなことを一瞬考えたが、自嘲気味に笑い、掛け布団を被る。自分にとって、朝も昼も夜も関係ない。

また明日も、そしてこれからも同じような日々を過ごすのだろう。

俺は今、死んでいるのか。それとも生きているのか。そんなことを考えながら、眠りについた。




「純くん! 純くん!」

「なーに? そんなに慌てて、どうしたの?」

「見て見て、ホラ、カブトムシ!!」



 ガバッ、と掛け布団を跳ね除ける。心臓が、体内でせわしなく振動している。

「あれ……」

 目を擦りながら、時計を確認する。九時四十分。思ったより寝ていないようだ。

「さっきの……」

 布団から立ち上がり、薄暗い部屋の中を見渡す。月の光はおろか、太陽の光すら差し込まない部屋は、いつもと同じで、これといって変わっているところはなかった。

 もう一度布団に座り込み、さっき見た光景を思いだす。

夏の、日差しの強い公園に居た、青い少年と白い少女。白い少女は満面の笑みで、自分が捕まえたカブトムシを少年に見せ付けている。公園、日差し、白い少女。あぁ、この光景を、俺は覚えている。Tシャツを着た少年は、小学生のころの俺に違いない。

そして、白いワンピース姿の少女はきっと、「日和ちゃん」

 名前を呟くと、一気に懐かしい記憶が甦ってきた。

俺は、なんで今の今まで彼女を忘れていたんだろう。俺に、夢を与えてくれた少女だったのに。


 彼女との出会いは、ありふれたものだった。保育園から小学校に上がったとき、家が近所だからという理由で、一緒に小学校に通うようになった。なんでも、彼女は引っ越してきたばかりで、まだ友達が一人もいなかったのだそうだ。俺はただ単純に、友達ができて嬉しいと思ったのを覚えている。

最初は塞ぎこみがちだった彼女も、次第に笑顔を見せるようになった。

俺は彼女が笑ってくれたのが嬉しくて、もっと笑って欲しいと、彼女と色々な場所に遊びに行った。

元々内向的だった彼女は、俺以外の子と遊ぶことも無く、その笑顔も俺だけにしか向けなかった。

 そんなある日、俺と日和ちゃんとで、近所の公園に遊びに行った。

暑い夏の日で、地面を焼く強烈な日差しと、太陽光を受けてきらめく白いワンピースが印象的だった。

日和ちゃんのワンピース姿を初めて見た俺は、カチコチに緊張してしまっていた。

「えへへー、似合う?」

 目を細めながら感想を求めてきた日和ちゃんに対し、俺は曖昧な返事しか返さなかった。

いつもと違う雰囲気の彼女は、少し年上に思えたし、とてつもなく綺麗だった。

彼女は、そんな俺の曖昧な返事に満足してくれたようで、小さく笑うと俺の手を引っ張って駆けだした。



 懐かしい。あの時の日差しも、土の匂いも、日和ちゃんの微笑みも、全てが鮮烈に甦る。

今の俺とは、別人みたいだな。そりゃ当然か。あの時の俺は、夢に向かって猛進してたもんな。



 それからも、日和ちゃんとの関係は変わることなく、月日は流れていった。

相変わらず日和ちゃんは俺以外の子に話し掛けようとせず、友達と呼べる存在は俺だけだった。

 俺達が小学五年になったある冬の日。その日の夕方、悲劇は起きた。

その日の夕飯は鍋だったらしい。材料が足りないことに気づいた日和ちゃんのお母さんは、日和ちゃんをお使いに向かわせた。駅前のスーパーまでは徒歩3分。そのスーパーまでは、何度も何度も歩いた道のり。

いつものようにお使いを終え、温かい鍋を囲み、一家団欒の時を過ごすはずだったのに。

そんな温かな光景は、実現しなかった。家からたった50m先で、日和ちゃんはよそ見運転の犠牲者となった。事故を目撃した人によって、救急車が呼ばれ、日和ちゃんは病院に担ぎ込まれた。

 病院からの連絡により、俺達は病院へ駆け付けた。そこで聞いた、医師からの宣告。

ーーー娘さんは、もしかしたら目を覚まさないかもしれません。

ーーー所謂、植物状態となっており、目を覚まさない場合は……

ーーー当病院としても全力を尽くしたのですが……

 そんなことは聞きたくなかった。あれほど憎悪の念に駆られたことはなかった。

言い訳を並べる医師と、謝罪を続ける運転手。両者を殺したくて殺したくて。でも、やっぱりそんなことなんてできなくて。俺に出来たのは、涙を流し、罵倒することだけ。何の生産性もない行動を続けたのは、自分を保つため。ベッドで死んだように横たわる彼女を見ていられなかった。



 それからの日々は、勉強の毎日だった。日和ちゃんを助けたい。その一心で必死に勉強した。

俺はアイツと違う。俺は、日和ちゃんを助ける医者になってやる。俺が、目覚めさせる。

必死こいて勉強して、進学校に進むため、内申点稼ぎの為に部活を始め、クラス委員になり、生徒会長にもなった。親に無理を言って塾にも通わせてもらった。頑張って、頑張って、頑張り抜いて、それでもさらに頑張った。事実、中学三年間はまるで完璧超人だった。全国模試でも常に順位二桁をキープし続けた。

学校が終われば病院に行き、日和ちゃんに話しかける。何度も、何度も。死にそうなくらいキツい毎日だったが、一度もしんどいと思ったことはなかった。今、この瞬間の努力が日和ちゃんに繋がると信じていた。

 それは愚かなことだったのだろう。馬鹿みたいに盲信して、子どもみたいに猛進して。

努力は報われるとは限らない。努力は、裏切られる。それはもう、あっさりと。いとも、簡単に。

中学三年の秋。その日、日和ちゃんは、目を覚ますことなく、この世を去った。

脳死として片付けられた。元々、あまり裕福でなかった日和ちゃんの家族は、既に日和ちゃんの治療費を払えなくなっていた。そして選んだのは最悪の選択。

 間近に迫った受験の対策のため、塾に長時間拘束されていた帰り道、いつものようにお見舞いに行った。

目をつぶっていても辿り着けるくらいに通いなれた通路。リノリウムの床を大股に進む。

いつもと同じ通路。いつもと同じナースステーション。いつもと違う、病室。

日和ちゃんのベッドの回りで、彼女の両親が泣き崩れていた。そのとき、俺はすぐに状況を理解した。

外された呼吸器。一の字を描く心電図。甲高い電子音。傍らに立つ医師とナース。トドメは、医師の一言。

「10月20日午後9時32分、雪村 日和さんの死亡を確認しました」

「おい……おいおいおい!! どういうことだよ!? 説明しろよ!!」

「ごめんね……純くん……ごめんね…!」

「なんで! なんで謝るんだよ!?」

 その時、俺は初めて日和ちゃんの両親に怒鳴った。しかもタメ口で。それほどに俺は混乱していたのだ。

いや、混乱していたと言うには語弊がある。頭の中では、日和ちゃんが死んだことを理解していた。

ただ、日和ちゃんの死を認めたくなかった。周りに当たり散らし、現実から目を逸らしていた。

「答えろ!! おい、答えろよォッ!!」

「い、いえ、ですから、日和さんは、さ、先程お亡くなりに…」

「う、ぁ。あああああぁぁぁああぁあ!!」

 どもりながら話す医師を、叫びながら殴りとばした。

傷害罪。その三文字が頭をよぎるが、そんなことはどうでも良かった。

勿論そんなことをして病院に留まれるはずもなく、俺は即座に病院を追い出された。病院からの帰り道、ふらふらと自転車を漕いで帰った。日和ちゃんが、死んだ。その事実は容赦なくのしかかってくる。

 それでも、家になんとか辿り着き、そのまま床へ倒れ込んだ。両親は、居ない。

おそらく、おそらくだが、病院に行っているのだろう。中学校に上がってから疎遠になったとはいえ、仲が悪かったわけではない。両親も、病院からの連絡を受けたはずだ。今頃、彼等は何を思っているのだろう。



 日和ちゃんがこの世を去った次の日、葬儀が行われたが、俺は出席しなかった。

次の日には告別式もあったが、俺はそれさえもすっぽかした。ずっと、ずっと、自室に籠もっていた。

そこからは、悲惨な道のりを転がり落ちていった。

 夢は、潰えた。医者になって、日和ちゃんを目覚めさせるという夢が。

夢を無くし、希望も無くした俺に、意志などなかった。高校になんて行きたくなかった。最早、何の魅力もなかったから。だが、今までに積み上げてきた実績と、周囲の期待が邪魔をする。

言われるがままに、有名進学校を受験し、トップの成績で合格した。新入生代表の挨拶も務めたが、それさえも両親の考えた言葉を読み上げるだけ。自分の意思は遂に介在することはなかった。

 それから一年。当然と言うべきか、俺は高校を自主退学した。

目標が無いのがどれだけ辛いことか。それを身を持って体験した。心の支えを失い、目標さえも見失った。



 そして時系列は現在に戻る。なんて。

夢を失った、なんて言えば聞こえがいいが、俺の場合は、単に夢を諦めただけなのだろう。

あろうことか、責任を日和ちゃんに押し付けて。現実からも、夢からも逃げて。

責任を押し付けた挙げ句の果てに、日和ちゃんのことを忘れようとしていた。

俺は、何て最低な人間なのだろう。もはや俺には、夢を追いかける資格なんてないのかもしれない。



 墓参りに行こう。

その考えが浮かぶのに、さして時間は掛からなかった。これはただの罪滅ぼしなのだろうか。

「いーや。違うよなぁ」

自分の考えを自分で否定する。これは一種のけじめの付け方だ。

 現在時刻、午後10時12分。墓参りに適した時間ではないが、それは仕方ない。割り切ろう。

墓地の場所は、覚えている。確か、二つ隣の町の外れだったはず。ここからだと、自転車で約二時間。

……引きこもりにはキツいぜ。文句は言えないんだけどさ。頑張るしかないか。

日和ちゃんの両親は、日和ちゃんがこの世を去ったその年、この町を出て行った。

今現在は、日和ちゃんの墓の近くに、アパートを借りて暮らしているらしい。彼等は今、何を思って生きているのだろう。もっとも、それを知る術は無いんだけども。流石に墓参りは欠かしていないだろう。



 ぬるい空気が身体に纏わりつく。自転車を漕げば幾分か涼しくなるだろうか。手持ちを確認する。自分の携帯と、中身の乏しい財布。とても墓参りに行くとは思えないほど手抜きの装備だが、これは厳密には墓参りではない。だからいいだろう。

 無理矢理な理屈で自分を納得させ、いざ行かんとペダルに乗せた足に力を込める。長らく乗っていなかった自転車からは、鉄の軋むような音が聞こえる。本当に大丈夫なんだろうか、この自転車は。ペダルを踏めば踏むほど、それに比例するように不安が増してくる。思えば、タイヤの空気も頼りない。

 際限なく湧き出てくる不安を吹き飛ばすように、ペダルを思い切り回す。肩で風を切るとは正にこのことではないだろうか。自分の後ろで風が渦を巻いているのも、簡単にイメージできた。



 墓地につく頃には、肩で息をし、脚はガクガク、帰りもあるのかとげんなりしたが、ひとまず無事にたどり着いたことに安堵する。

 日和ちゃんの墓は、思いの外簡単に見つかった。一つだけ花が添えられた墓石。そこには、腹立たしいくらい綺麗な字で「雪村家之墓」と彫られている。

 墓の前で棒立ちになり、その花を見つめる。

まだ真新しい花と時期から察するに、日和ちゃんの両親はこまめに墓参りに来ているようだ。これだけでも収穫はあった。次は、自分が楽になる番だ。



 「久しぶり、日和ちゃん

「最初に謝っておくよ。ごめんね。俺、夢から逃げてたんだ。

「日和ちゃんが死んじゃったから、って言い訳してさ。

「俺に夢を与えてくれたのは日和ちゃんだったのに。

「日和ちゃんっていう拠り所を失って、夢が叶わなかったときの痛みを恐れて。

「日和ちゃんが死んだとき、俺は安心したのかもしれない。

「夢が破れたときの痛みに怯えることがなくなったから。

「解放された、って勘違いしてた。

「日和ちゃんを、重荷に感じた日なんてなかったのに。

「ただ、馬鹿みたいに逃げてたんだ。

「自分が傷つきたくないから、そんなくだらない理由で。

「自己防衛の為に、夢を与えてくれた日和ちゃんすら忘れようとして。

「俺はさ、ほんとにどうしようもないクズ人間だ。

「人のために生きることなんて出来ないんだ。

「だから。だから。




 これからは、自分のために、しぶとく泥臭く生きていく。

最後の言葉は心にしまい込む。

人の役にたとうなんていう、キレイな夢は終わった。自分の面倒すら見切れないような人間に、そんな夢を持つ資格はない。

 さしあたっての問題は、就職だ。その前に高認をとったほうがいいかも。

なに、時間は山ほどあるんだ。ゆっくり、しっかり頑張ろう。

 



 ありがとう、日和さん。貴方のおかげで、これからも生きていけそうです。





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