I want hold your hand
隆と律子はタカヒロの文化祭のゲストとして出る事となる
二人はあの時と同じように桜の樹の下で毎日のように練習をした。
「律子、高いとこ音取りにくいか?ギターでカバーしようか?」
「タカ?忘れちゃったの?」
「ん? 」
「俺は弾く、お前は歌う。カバーも何もないだろって
ずっと前に?私言われたのよタカに。 」
「そんな事、言ったっけな?」
「言ったわよ。」
「なんか俺、昔は酷い男みたいだなー 」
「違うわ。それだけいつも本気だったし、あなたは情熱的だったのよ。
そんなとこに 惹かれたのよ。 」
「そっか?」少し照れる隆だった
「律子、アンプに繋いでマイク通してやってみねえ?」
「タカ。・・・ありがとう」
二人は仲良く自転車に二人乗りをしながらゆっくりと、ゆっくりと
そして、時には押しながら律子の店に向かう。
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隆がチューニングする間 律子はカウンターに入り、グラスを拭いている
拭いたばかりの照明に照らされた輝いたグラスを律子は手に持ち
グラス越しにステージの隆を見た。
此処に立ちながら、こんな光景を何回、いや何百回と想像した事だろう。
拭いたグラスを溜息と共に置き、そんな事もずっと繰り返してきたのだ。
何もかもが今の律子には夢のようだった。
拭き終わるとカウンターの椅子に座りなおし 律子は小さいステージの上の隆を今度は肉眼で眺めてみる。
隆は輝いていた。 相変わらず咥え煙草をしながらだが、ご機嫌にギターに触れている
あなたのそのギターを弾く斜めからの角度が堪らなく私のみぞおちあたりをさらってくの。
ギュンとして快感の中の不快な違和感が体全体を侵食してゆく。
心の琴線は貴方に刔られ(えぐ)られるように私はいつも倒れそうになった。
カッコイイだとか素敵などという陳腐な言葉では片付けられなかった 。
軽くチューニングを終えた後
隆は Jeff beck の<哀しみの恋人達>を弾いた
泣きのギター。哀愁を帯びた隆の音が律子を呼ぶ
「律子、横に来いよ。」
マイクを通した隆の野太い低い声が店に響いた
隆はギターにマイクを近づけ律子のマイクも大体の高さを合わせた
カウンターからステージ迄のほんの数歩だった
足が震えた ドキドキと鼓動が聞こえるようだった
律子は自分の胸に手を当てトントンと
『落ち着くのよ 律子 』
アンプのラインとマイクのラインが交差する、そんな何気ない情景でさえ今の律子には新鮮だった
そしてそこに、今、目の前に隆がいる。
律子は足が竦んでいた。
「お母さん。行ってらっしゃい。 お母さんの胸に秘めていた気持ちを吐き出すのよ。」
娘の佐紀子に背中を押され、我が店の小さなステージにと 今上がろうとしている。
天井から吊された五つ程の小さなスポットが煌々と舞台を照らした
奥のPAブースには義理の息子が立つ
律子に向かって親指を立てる
みんなが見守っていた。
カウンター、小さな丸テーブルも金曜日だからか、そこそこ人が入っていた。
隆が軽くカウントしイントロを弾く。
緊張していた律子の顔が一瞬にこやかになった。
隆が弾いたイントロはTHE SUPREMESの<you can't hurry love>だったからだ。
その曲は二人が毎日の練習の後に立ち寄った駄菓子屋でかかっていたBGMだった。
その店の店主が大好きで駄菓子屋には似つかわしくないウッドタイプの大きなステレオから流れていたものだった。
律子はその曲が大好きになり隆の前でいつも口ずさんでいた。
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「お前の声ではダメだな。SUPREMESが泣くぜ?律子、お前の声は透明感があって色で言うなら水色だ。
布で言うなら綿だ。」
「何それ?酷くない?水色はまあ、いいわよ。綿って何よ。吸水性はあって丈夫??絹みたいにけして上品でないって事かなぁー!!」
「お前が大人になってそうだな色は翡翠色、布で言うなら麻だな。それくらいになったら俺がギターで弾いてやるから。そん時に歌えよ。」
「相変わらずだね。なんか気分悪いし!」
「律子さん怒りましたか?」 「当たりまえだし!」
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遠い昔の会話を思い出した。
律子は嬉しかった。
「やっと許しがいただけましたか?隆さん?」
一気に緊張が解けた律子は隆の横の椅子に腰掛け隆に言った。
隆は口元を上げニコっ笑い、再びイントロを弾く
[ I keep waiting
I keep waiting But it ain't easy_________________________
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you can't hurry love NO,you just have to wait
私は待ち続ける でも簡単な事じゃない_____________恋は焦らないで 待たなくちゃ だめ ]
PAに立っていた息子は佐紀子と顔を見合わせ「お義母さんの歌、初めてかもしれない・・」と。 呟く。
律子の声と隆の音がハコの中の空気を変えた
グラスを持つ客たちはグラスを置いた。
年老いた男が勢いに任せ、店のオーナーと即席ユニットを組んだであろうステージだと少なからず何人かの客は思っていた
若い客に至ってはステージに背を向けながら酒を煽り仲間と他愛もない話に夢中になっていた
しかし、隆の年に似合わない見事な指使い。
心が音に、音が心に乗っかった心地いい音色でガンガンと掻き鳴らした。
客、いやオーディエンスは一つになっていた。
なんの打ち合わせもないまま律子は歌い続け隆も弾き続ける。 二人は時々目を合わす
最後まで完璧に弾き 律子も歌いあげた。
ネクタイを外したサラリーマンや学生たちはノリの良い曲ながら恍惚として聴き入っていたのだ。
年齢からは想像が出来ないほどの完璧だった二人にオーディエンスは大きな拍手を贈った
「有り難うございました。」隆はそう挨拶をする。
律子は涙で声が詰まっていた。歌いながら歌詞と待ちつづけた自分がオーバーラップしたのだ。
隆は分かっていた。
律子もまた分かっていた。
敢えて
<HEY JUDE>を歌わなかった事を。
照明が一旦落ちBGMに変わる。
ステージを降りる時、隆の手は律子の手を優しく握りしめていた。