第8話:泥を這う元・聖女と、見向きもしない皇妃
帝国の巨大な城門の前に、数人の浮浪者のような一団が辿り着いた。
かつての豪華な衣装はボロ布となり、顔は汚れで黒ずんでいる。
それは、崩壊した王国から逃げ出してきたリリアーナの父である公爵と、
妹のシェリルだった。
「リリアーナ……リリアーナを出せ! 私はあの子の父親だぞ!」
「お姉様! 私よ、シェリルよ! 助けなさいよ、この薄情者!」
門番の兵士たちに追い払われながらも、彼らは必死に叫び続ける。
そこへ、一台の白銀の馬車がゆっくりと城門を通りかかった。
帝国の紋章が刻まれた、皇妃専用の馬車だ。
「リリアーナ! おお、我が娘よ!」
公爵が馬車に駆け寄ろうとするが、
周囲の精霊たちが一斉に拒絶の風を巻き起こし、彼を泥の中に叩きつける。
馬車の窓がゆっくりと開き、中からリリアーナが顔を出した。
その隣には、彼女の肩を抱くジークハルト陛下が、
ゴミを見るような冷徹な眼差しで彼らを見下ろしている。
「……リリアーナ。お前の父だ。悪かった、私が間違っていた!
お前がいないと、領地も家も、精霊の怒りでめちゃくちゃなんだ!
今すぐ戻って、また『処方箋』を書いてくれ!」
「お姉様ぁ、私、お腹が空いて死にそうなの! お姉様の得意な、
あの美味しい飴を作ってよ!」
泥にまみれて泣き叫ぶ二人。
かつてリリアーナを「魔力ゼロのゴミ」と呼び、
大切にしていた手帳を焼き捨てた面影はどこにもない。
リリアーナは、感情の消えた瞳で彼らを見つめた後、静かに口を開いた。
「……お父様、シェリル。今の私にできる『処方箋』は、もうありません」
「な、なんだと……!? 意地悪を言うな!」
「意地悪ではありません。私が処方していたのは、精霊たちの『悲しみ』でした。
でも、あなたたちが私を捨てた時、精霊たちは悲しむのをやめて、
怒ることを選んだんです。私に、彼らを止める権利はありません」
リリアーナがそっと窓を閉めようとすると、
ジークハルトがその手を制し、公爵たちに宣告した。
「二度とこの娘に近づくな。次はない。……衛兵、
この者たちを国境の外へ放り出せ。帝国の土を汚すな」
「ひっ、あああああ!」
引きずられていく家族の声を聞きながら、
リリアーナは一度も後ろを振り返らなかった。
閉ざされた窓の向こうで、彼女はジークハルトの胸に顔を埋める。
「……辛いか?」
「いいえ。……ただ、少しだけ、雨の匂いがしなくなったなと思っただけです」
ジークハルトは彼女を強く抱きしめ、
その柔らかな髪に何度も口づけを落とした。
「これからは、君の周りには花の香りと私の愛しか置かない。約束しよう」
馬車は、祝福の光に包まれた皇宮へと進んでいく。
背後には、自業自得という名の闇に取り残された者たちの、
絶望だけが残っていた。




