第1話:その「処方箋」は、ゴミ箱に捨てられた
「――リリアーナ・ランドール。貴様との婚約を破棄し、この国から追放する!」
王立アカデミーの卒業パーティ。
シャンデリアが輝くホールの中央で、
第一王子エリオットの声が冷たく響き渡る。
彼の隣には、私の妹であるシェリルが、
勝ち誇ったような笑みを浮かべて寄り添っていた。
「殿下……。理由をお伺いしてもよろしいでしょうか」
私は静かに問い返した。
公爵令嬢として、そして未来の王太子妃として、感情を殺す訓練は受けている。
だが、胸の奥では精霊たちが「悲しい、苦しい」と騒ぎ立てていた。
「理由は明白だ! 聖女を輩出するランドール家の娘でありながら、
貴様は魔力測定で『ゼロ』を叩き出した。我が国の繁栄を支える聖女の座は、
強力な光魔法を持つシェリルにこそふさわしい!」
周囲の貴族たちから、嘲笑の入り混じった囁きが漏れる。
「魔力ゼロの公爵令嬢か」「精霊の加護もない欠陥品だな」
その視線は、まるで汚物を見るかのようだった。
「お姉様、ごめんなさい。でも、魔力のないお姉様が王家に嫁ぐなんて、
国の恥ですもの。その汚い『メモ帳』も、もう必要ありませんわね?」
シェリルが私の手から、一冊の古い手帳を奪い取った。
それは私が幼い頃から、精霊たちの声を聞いて書き留めてきた『処方箋』。
この国の土地が枯れないよう、精霊たちが何を求め、
何を嫌がっているかを記した、命よりも大切なもの。
「やめて、シェリル。それは……」
「こんなゴミ、いりませんわ!」
シェリルが指先から火球を放つ。手帳は一瞬で燃え上がり、
灰となって床に散った。
エリオット王子が追い打ちをかけるように告げる。
「魔力も持たぬ無能が、精霊の声を騙るなど片腹痛い。
貴様が『呪いを吸い取っている』などという出鱈目も聞き飽きた。
貴様がいなくなれば、この国はもっと清らかになるだろう!」
……ああ、そうか。
彼らは何も分かっていない。
私が毎日、どれほどの毒素を精霊から預かり、この身で浄化し続けてきたか。
あの手帳が、どれほど繊細なバランスでこの国の自然を繋ぎ止めていたか。
「……分かりました。仰せの通り、今すぐこの国を去ります」
私は深く頭を下げた。
その瞬間、私の体を覆っていた目に見えない「檻」が外れるのを感じた。
私が無理やり押さえ込んでいた「国の淀み」が、私の指先から離れ、
王城の深淵へと帰っていく。
(さようなら、エリオット殿下。さようなら、お父様……)
背後で、突然シャンデリアが不吉に揺れたが、私は一度も振り返らなかった。
降りしきる雨の中、私は馬車もなく、たった一人で国境の森を歩いていた。
浄化をやめた私の体は、驚くほど軽い。魔力ゼロと判定されたのは、
私の全魔力が「浄化のフィルター」として使われていたからに過ぎない。
(お腹空いたな……。どこか雨を凌げる場所があればいいのだけど)
その時だった。
森の奥から、圧倒的な「死の気配」が漂ってきた。
精霊たちがパニックを起こし、耳元で絶叫している。
『痛い! 苦しい! 飲み込まれる!』
『助けて、リリアーナ! 誰かが死んじゃう!』
私は声に導かれるように、茂みをかき分けた。
そこには、漆黒の甲冑を纏った男が倒れていた。
彼の周囲だけ、草木が黒く枯れ果て、大気が歪んでいる。
「……近寄るな……。触れれば、お前も呪われる……」
男が呻くように言った。
鋭い眼光。
呪いの影響で肌には黒い紋様が浮き出ているが、
その顔立ちは驚くほど整っている。
隣国の若き皇帝、ジークハルト陛下だ。
噂では、強すぎる魔力の暴走による「死の呪い」にかかっている、
らしいが……。
私は彼の胸元に手をかざした。
「……何をしている……。死ぬぞと言っているのが聞こえないのか……?」
私はふっと微笑む。
そして、ポケットに残っていた最後の一粒の「飴」を取り出す。
手帳は焼かれたが、配合はすべて頭に入っている。
「陛下、これ。呪いじゃなくて、ただの『精霊の便秘』ですよ。
この飴を舐めれば、すぐスッキリしますから」
「……は? べんぴ……?」
唖然とする皇帝の口に、私は強引にハーブ味のキャンディを放り込んだ。
その瞬間。
森を覆っていた黒い霧が、嘘のように晴れ渡った。




