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森の魔女見習いは、光の少年に恋をした  作者: 國村城太郎
第二章 逃避行の灯と、迫りくる影

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第6話 灯の宿と、はじめての微熱

 触れた指先の温度が、

 恋と危機のどちらを呼ぶのか——

 この日、ナナはまだ知らなかった。



 ——

 二人旅が、数日過ぎたある日、風に乗って香ばしい香りが流れてきた。

 

 数日ぶりの人の匂いを嗅ぐ。風と一緒に、焼きたてのパンの香りが鼻をくすぐる。

 

 冷たい夜風ばかり吸ってきたナナの胸に、久しぶりに『暮らし』の温度が流れ込んだ。

 

「これ、パンの香りでしょうか?」

 

「そうね、この先に人里があるのね、危険もあるかもしれないけれど、食料など仕入れられれば嬉しいし、寄ってみましょう」

 

 ほのかな麦とバターの香りに案内されながら、二人はゆっくりと進んでいく。

 

 道の両側に、畑が広がり、時には牛が草を食み、豚が鼻をならす。そんな農村の風景の間の道を、たどっていく二人。ナナは、たくさんの命の発する魔力、生命の力を、森から出て初めて感じていた。

 

 すこしずつ家の密度が高くなり、そして小さな街が、二人の眼前にあらわれる。

 

 密集して建つ家々の前には、街道がそのまま続いており、この街道の周りに自然発生していった様子が伺える。

 

 二人は鞍からおりると、手綱を引きながら並んで進んでいく。

 

 道の両脇には、朝の市がたっていた。食料や簡単な衣服、日用品など、色とりどりの品物が、街を飾っている。

 荷物を運ぶ音や、物売りの喧噪が、森の外で一番の賑やかさを、ナナの耳に運んできた。

 

「そこいくお二人さん、黄色林檎の絞り汁はどうだい? 朝から気持ちがさっぱりするよ」

 

 そう言って、傍らの市で、果物の絞り汁を売っている農婦が、二人に声をかけてくる。

 

 三十絡みの女性は、麻で織られた質素な服に、頭にスカーフを巻いている。

 頭のスカーフはこの世界では、既婚者の徴だ。

 

 ナナがトキに視線を向けると、期待が顔に描いてあるようなわかりやすいわくわく顔をトキが見せている。

 こんなところはまだまだ子供だ、そう思いながらナナは懐から財布を取り出す。

 

「二杯おくれ、いくらだい?」

 

「ありがとう、一杯3ルムだけど、二杯なら5ルムに負けておくよ」

 

 陽に焼けた顔に、精一杯の笑顔を浮かべて、農婦は、ナナとトキに、黄色い液体の入った木杯を渡した。

 

「飲んだら入れ物は返しておくれよ、もしいれものもいるなら、5ルムずつ追加だよ」

 

「大丈夫、ちゃんと返すよ」

 

 そう言って二人は、道の脇によって、甘酸っぱい果汁を、飲み干す。

 

 口元に少し溢れた黄色い液体を見て、ナナはそっと指をのばし、トキの口元を拭った。

 

「ふふ、口から少し溢れてたよ」

 

 そう言って、黄色に塗れた指をトキの目の前に差し出す。

 

 それを見たトキは躊躇なく、その指を口に含んで、その果汁を舐め取った。

 

 トキの唇が触れた瞬間、一瞬息が詰まる

 

 唇の感触は、焚き火の夜よりもずっと近く、柔らかかった。

 

 ほんの一瞬なのに、世界が自分から隔絶されて、五感の全てが指先にしかないような気がした。


 

「——酸っぱくて甘くて、美味しいです」と笑う声が戻るまで、ナナは息を忘れていた。

 

 指に残る、少年の名残りと、その笑顔に、理由のないざわめきが胸を揺さぶる。

 

 すっと息を吸うが、火照りが胸から抜けない。

 

 そんなナナの動揺に気付く事もなく、トキは二つの木杯を持つと、農婦に返すためにナナの前から離れる。


 

 師匠の教えを思い出す。「魔女は自然と共にあれ。人と深く関わってはならない」だから心を落ち着けないといけない。でも、この指の温もりは——。

  

 ナナは息を吸い込み、気持ちを落ち着けようとする。

 けれど、指先に残った『あの温度』だけは、どうしても消せなかった。 

 

 

「今日はここで泊まろうと思うんだが、良い宿屋を知らないかい?」

 

 ナナがそう尋ねると、農婦はナナの格好をしげしげと眺めてから、答えた。

 

「お二人みたいなお嬢さんお坊ちゃんには少し釣り合わないかもしれないが、この先の広場を右に入って、少しいったところの左側に、『(ともしび)の宿』という宿屋があるよ、うちの姉が嫁にいった店でね、姉さんの料理は美味いって街でも評判だし、掃除は丁寧で、小さいけど、清潔で良い宿だよ。黄色林檎売りのハンナから聞いて来たと言っておくれ」


 ナナとトキは、変化のペンダントで、外の住人と同様の姿に見えているが、着ているものはそのままである。

 そして、名前もそのまま呼び合っていて何かあってはいけないと、リアナとリトという名前を人前では名乗ろうと約束していた。


 ウリルが縫った、魔女の布は、辺境では豪商や豪族が着ているような豪華に見えるしっかりしたものだ。

 目立たないように着替えも後で買いに行こうと、そうナナは考えながら、林檎売りに別れを告げた。

 

「ありがとう、行ってみるよ」


 街の喧噪に包まれながら、ナナはふと立ち止まる。


 人々の笑い声、パンを焼く匂い、どこかで鳴る鐘の音。――そこに、自分たちの居場所はない。

 

 でも、トキと二人でなら、どこにいようとそこが自分たちの場所だと思えた。


 

 ハンナに言われた通りに歩いて行くと、粗末な木の看板に、(ともしび)の宿という名前と、「旅人に、あかりと食卓を。」という小さな文字が刻まれている。

 

 石と木で出来た、二階建ての、扉の周りには、蔓草が絡まった緑のアーチがあり、扉の上には、鉄細工のランタンが使い込まれて黒ずんでいる。

 夜には、このランタンが光り、この宿の場所を知らせてくれるのだろう。


 ナナは、玄関の前にたって、「すみませーん」と声をかける。

 

 ドアをあけて、素朴そうで、そばかすを散らした、十代半ばの少年が顔を出す。

 

「いらっしゃいませ、お泊まりですか? お食事ですか?」

 

「ハンナさんに聞いてきたんだが、泊まりで、二人頼むよ、部屋は一つでいい」

 

「素泊まりなら一人60ルム、食事込みなら90ルムですが、どうされますか?」

 

「食事つきで、たのむよ」

 

「はい、あと、駆鳥(かけどり)は裏手の小屋にお願いします。そちらは一頭10ルム、そちらの餌はすみませんが自分でお願いします」

 

「わかった、ありがとう」

 

 二人は裏に駆鳥(かけどり)を繋ぐと、少年と一緒に宿に入る。

 

「父さん、お客さん二人、食事もお願いだそうだよ」

 

 少年が声を掛けた先に、厳つい顔で四十半ばの男が立っている。風雨に晒された巌のようないかつい顔に、古傷が見える。兵士あがりなのかもしれない、と思わせる体格である。

 

「わかった」

 

 一言だけ答えた父親は、そのまま作業を続けている。

 

 その風貌と体格に、追っ手の男達と同じ戦うものの空気を感じて、トキは少し怯えたような様子をみせる。

 

 ナナはそれに気付くと、そっとトキの手を握り、『大丈夫』と伝えるようにギュッと握った。

 

「あんた、もういつも愛想がないんだから」

 

 そう奥の台所から、ハンナさんによく似た四十絡みの女将が出てきて、二人に微笑んだ。 

「いらっしゃいませ、食事は、夕刻の一鐘(いっしょう)から、三鐘(さんしょう)の間に、食堂にきてくださいね。ミロ、お客さんを部屋に案内しておくれ」

 

 そう女将に伝えられると、二人は宿屋の息子ミロに案内されて二階の部屋に入った。

 

「わぁ、ひさしぶりにベッドで眠れますね」

 

 部屋には二つのベッドと小さなテーブルがあるだけだが、ハンナが言ってた通り、掃除が行き届いている。ベッドにかかっているシーツは、染み一つないとは言えないものの綺麗に洗濯されて、お日様の匂いがした。

 

 大きな荷物を置いて、二人は換えの目立たない服を買いに出掛ける。

 

 ナナもトキも、自分で服を選ぶというのは初めての経験。辺境の街には、それほど沢山の種類が手に入るわけではないが、それでもそれは、逃亡の旅の中で、二人の心をほぐしてくれる体験であり、二人は部屋にもどって着替えた後も、嬉しそうに笑い合った。

 

 トキが新しい服の裾を気にしながらくるりと回る。

 

「似合ってる?」と聞くその声に、ナナの心臓が小さくざわつく。


「うん……かわいいよ」と答えながら、唇の裏で自分の言葉に驚いていた。


 それを知らず育ってきたために、それが、恋慕の想いであるという理が、ナナにはない。

 

 だけど、それでも。この感情を大事に思う気持ちは、恋する少女と何も変わらなかった。

 

 師匠の声が頭をよぎる「人の情は、魔女を弱くするよ」

 

 だけど、この気持ちをもてあましながら、そして当たり前に、こんな時間をいつまでも過ごしていたかった。


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