第4話 森が燃えるとき、魔女は泣いた
——平穏は一瞬で灰になる。
帝国の炎が悪意となって森を焼いたとき、ナナは初めて『失う痛み』を知った。
——
ナナとトキの平穏な日々が、その後もしばし続いた。その中で、相変わらずナナに積極的に懐くトキの態度に振り回されつつも、まるで家族のように穏やかで、満ち足りた日々が流れていた。
普段と違う事といえば、少しお師匠様の外出が増えた事。それは、これまでの師匠と弟子だけの時間との差であったが、トキが傍にいることで、ナナは独りになる事もなく、その事を何気なく見過ごしていた。
ある日の夕刻、ナナは夕飯の支度をしていた。そばには、トキが今日もナナを見守っている。
「今日の夕飯は、何ですか?」
「今日は、森のキノコと兎肉のシチューよ。昨日、一緒に採りに行ったでしょ?」
ナナは振り返りながら、穏やかにトキへと話した。
二人の間には、もう仲の良い姉弟のような、家族のような、そんな親密な空気が流れている。
「楽しみだなぁ。ナナさんの料理、ほんっとーに美味しいし」
「トキはくいしんぼだからね、おかわりあるからしっかり食べなさいね」
「食いしんぼは、ひどいやぁ。ナナさんの料理が美味しいから、つい食べ過ぎちゃうだけです」
そういって、口をとがらせるトキ、その顔を見て、ナナはつい吹き出してしまった。
「あはは、なーに?その顔。まぁ、褒めてくれたのは嬉しいよ。さっきも言ったけど育ち盛りなんだからしっかり食べなよ。あたし、腕を振るっちゃうからね」
—— 幕間 ——
そんな柔らかな空気に包まれた館から離れて、ウリルは、今日も森に出ている。
「また性懲りもなく、森に分け入ってくるとは、やはり狙いはあの子だろうね。困った事だよ。帝国とやらの馬鹿者の仲間なら、あれだけの力を掘り出して得ていながら、もっと強大な力を望むのか」
ウリルは、迷いの森から逃げていく、不審な男達を、木立の中から見つめていた。
「この結界から出てしまっては私は力を十全に振るえない。所詮、古代人と絆のない魔女は、半端物なのかねぇ……」
そんな述懐が、深い森の中に消えていった。
—— 幕間 ——
森の外れで不穏な空気が流れる頃、そこから北に離れた帝国の駐屯地では、まったく異なる空気が流れていた。
帝国、それは古代魔法文明の首都跡地に起こった100年ほど前に建国された小国が始まりだった。
そんな帝国の辺境の基地が、森の北にあり、ひときわ立派な建物の奥まった部屋に、その男はいた
司令室らしき立派な椅子に腰をかけ、考え事をしながら、独白をしている。
「帝国が、四方を敵に囲まれながらも戦ってこれたのは、遺跡から発掘できる遺物より生み出される空船という力を大量に準備できたからだ。」
そう言って、男は基地に停泊している4隻の空船の雄姿を窓から眺めた。
「そして、辺境といえど、ここも前線の一つ、なんとか手柄を立てて中央に戻らねば、辺境で燻るには惜しい。この私には、もっとふさわしい舞台があるはずだ」
プライドの高そうな男は、そう独り言を言っていると、扉がノックされる。
「入りたまえ」
礼をして、副官らしき若い男が入ってくる。
「大佐、新しい報告が入りました。少年を見失った森は、現地の民によると、魔女の棲む森とよばれ、中に入ろうとしても、必ず戻ってきてしまうと有名だそうであります」
大佐と呼ばれた軍服の偉丈夫は、冷たい眼で部下を見て、こう言った。
「だから?」
「はい、これ以上の兵の派遣は無駄ではないかと具申いたします」
そうまだ若い副官が上申する。
「で?」
「はい、以上であります」
とそう副官が言うと、大佐は顔を歪め、吐き捨てるように言った。
「この、無能めが!」
その強い勢いに反射的に副官は頭を下げる。
「も、申し訳ございません」
「いいか?よく覚えておき給え。出来ない理由を並べるだけなら、誰にでもできる。何かうまくいかない事があるなら、別の代案を出したまえ、それが参謀となるものの役目だ」
そう、冷たく言い放つ。
「しかし、魔女の統べる土地は不可侵、リスクが大きすぎて他の手立てと言いましても……」
そう言って副官は口ごもってしまう。
「簡単だよ。いいかね?森に入ると迷わされるんだ。なら、森がなければいい」
「森がなければ……ですか?」
「そう、迷信に怯える愚民どもの真似を我々帝国がする必要はない、森が邪魔なら、全部燃やしてしまえばいいのだ」
そう大佐は、地元の民も、副官でさえも嘲笑うように、顔を歪めて、楽しげに言った。
「基地に備蓄されている炎の魔玉を揃えて、この基地に配備されている空船すべてに積み込ませたまえ、大至急だ」
「は、はい、わかりました!」
飛び出すように副官は部屋から出ていく。
そして、兵達の待つドッグへ向かうのではあるが、最初こそ、逃げるような勢いで急いでいたものの、だんだん、その足取りは重かった。
副官は歩みを止めると、周りを見回し誰もいない事を確認した。そして、小さな声で呟いた。
「……魔女を敵に回して、本当に、大丈夫なんだろうか……?」
誰も答えなかった。
空船の整備員たちが無言で炎の魔玉を積み上げる。手袋の中の手が震えている。
風はないのに、旗がかすかに揺れた気がした。
乗員達の小さな不安と。命令一つで無茶な作業をさせられ、休む間もなく、出動させられた小さな不満を抱えながら、準備ができた4隻もの空船は、森を目指して飛び立っていく。
「周りの地域は調べて、残るはあの森だけだ、『古代の血』必ず手に入れ、陛下に捧げるのだ。それこそが帝国軍人の本懐」
そう訓示する大佐であったが、「そして私は中央に戻って、こんな辺境へ飛ばした馬鹿な上役どもにとって変わるのだ」と、その本音は心の中でのみ、叫ぶのであった。
——
「なにかしら、空に大きな魔力……」
そう言うと、北の空からせまる圧力を感じたナナは、急いで外に出て空を見上げる。
突然出て行ったナナをおいかけて、トキも外にやってきた。
「空になにか飛んでる」
その視線の先を追ったトキは、それを眼にすると、震えるように言った。
「あれは帝国の空船……僕を探しているんだと思います」
遠くの空に光りが見えたかと思うと、一隻の空船から、火柱が地上に向かって降り注いだ。
「も、森が燃えてる、わ、私たちの森が……」
そう言うとともに、悔しさと悲しさが胸の奥で溶け合い、熱い涙になって頬を伝った。
遠くの空が炎に染まる中、突然、突風が吹き抜ける。
すると、二人の前に、駆鳥を二頭つれた、ウリルが忽然とそこに佇んでいた。
二頭には、鞍と、荷物が積まれている。それはこの世界で一般的な乗り物として使われている生き物である。
「お前達、これで南のエルシアへ向かいなさい。そこで大きな湖に住んでる魔女サリルを訪ねるんだ。ナナ、あんたの姉弟子だよ」
そう言葉をかけた後、ウリルは懐から二つの揃いのペンダントを取り出す。
「二人とも、これをかけておいき。変化のペンダントだ、外の人と同じに見えるようになる、あんたたちは外じゃ目立ちすぎてすぐに追っ手がかかるだろうが、それをつけていれば大丈夫だ」
「お師匠さまなら、あんなやつら、どうにかできるんじゃないんですか?」
そうナナが尋ねる。
「そうだねぇ、この館にある魔女の力を込めた結界の石。この周りであれば、私に叶うやつなんざいやしないさ。でもその強大な力の代償として、私はここを離れる事ができないんだ」
そう言って、ウリルは申し訳なさそうに二人に頭を下げた。
「それに、その子がいると、何がおこるかわからん、古代人と魔女の共鳴は、正しく使わないと大変な事になる、そう言い伝えられているのさ。だから、お前はその子を連れてお逃げ、いいかい? なるだけ、魔法はつかっちゃいけない、いいね」
「わかりました」
「ぐす、ぼ、僕のためにごめんなさい」
トキは泣きながら二人に謝る。
「あんたのせいじゃないよ、空を飛んでる愚か者ども、やつらが悪いんだ。あんたには何も罪はないさ、自分を責めちゃいけない、いいね」
そういうと、ウリルはナナとトキを強く抱きしめた。二人を抱きしめたウリルの手が、震えていた。
「ナナ、あんたは私が教えた中でも一番の弟子だったよ。だからこそ、魔法を使わず旅をしてご覧。それ以外の力もつけなくちゃいけない時期だからね。修行の旅に行くのが一年早くなってしまったねぇ」
「それから、トキ、あんたはとても良い子だ。これから何があっても絶対自分を責める必要はないよ。悪いのはまわりの大人だ。いいね」
抱きしめた手を緩めると、ウリルは二人にまた話しかける。
「二人とも仲良く、二人とも相手を信じて、相手を頼って、そして相手を助けて、そうやって旅をするんだ。さぁ、生きなさい、我が子たち」
ウリルは弟子たちを抱きしめながら、震える声で囁いた。
「ナナ、人を守ることと縛ることは紙一重なんだよ。でも、お前はきっと、守るほうを選べる子だね。」
そう語るウリルの表情は、母のように優しい。
「風はいつか嵐になる。けれど、お前なら制せるだろう」
そう言ってウリルは北に向かって、空を見つめる。
そして、ウリルの言葉が、ナナの胸に小さな痛みを残した。
「行こう、トキ」
ナナはトキを一匹の駆鳥に押し上げて鞍に座らせると、自分ももう一頭に飛び乗る。
二人は南へ向かって走る。
この先に何があるか不安にかられながら。
だが、トキはナナを信じていたし、ナナはトキを守ると心に誓っていた。
二人が去って、しばらく過ぎた頃、ウリルが、呟く。
「トキは私の結界の外に出たようだね、さてと、結界の中で魔女とやり合おうなんてね。勇気か無知か、果たしてどちらか、その力で証明してもらわないとね」
そう言いながら、ウリルはローブや帽子など、いかにも魔女風の衣装を脱いで身軽になり、また空を行く船を見つめた。
「さあ、愚かどもにはそれに相応しい、報いを受けてもらおうかね」
そう言うとニッコリと微笑む。その目には冷たい光しか宿っていない。氷のような微笑みだった。
そして、ウリルはその力を解放した。
事が終わった後、地上には砕けた一隻の空船と、傷だらけの船体を騙し騙し北へ戻る三隻の空船があった。
「魔女とは、何だ? あれは人ではない。あれは化け物だ……。金色の光に包まれたあの恐ろしい姿、やはり魔女には触れてはいけなかったんだ」
そう呟き、呆然として、床に膝をついた副官と、それを冷たく見つめる大佐がいた。
「こいつは、もう使い物にならんな」そう心の中で呟く大佐は、南へ走る二頭の駆鳥がいたという地上からの報告を聞き、空を往く船の中で、冷たく笑っていた。
大佐は地面に通信筒を落とす。それを拾い上げた、帝国の地上部隊が蠢いた。
何頭もの駆鳥が南に向かって進んでいった。
その先を走る二頭の駆鳥に乗る二人は、まだその事を知り得ることはなかった。
そして、南から吹く風を感じるナナの胸には、燃え尽きぬ森と師匠への想いが、静かに燻っていた。




