第49話 天弓の翼5
「できましたよおおおおピルッチューーー!」
グレーン国王の七つ首が、声高に叫んだカイムの姿を捉える。
「えっ!」
「あんの、ばっかやろ!」
ヨルゲンががむしゃらに斬りつけ、自分に注意を引きつけようとするが
「いや~な〜、よか〜〜〜〜ん!」
と足を向けてしまった。
「あらやだ、アタシったら! 戦えませんよおおおおおお! ピルッチュ!」
カイムはたちまちドロンと姿を消す。
グレーン国王は上半身が重いためそれほど速くないものの、走ればあっという間に魔法陣に到達してしまう距離である。
「あいつ、あとでおしおきだ!」
「まずい! 何とかして気を逸らさないと」
焦るシュカたちの視界に飛び込んできたのは、土埃に塗れたドレスだ。パニエも裾も乱れに乱れまくっている。スカートの脇を持ち上げ、必死に走ってきたことが分かる。
「お父様!」
脇には支えるようにハンスが従っており、背後からはケルベロスがグルルルと威嚇している。
「あ~はあ~~~~シーラ! 愛しの~シーラだあああ~~~~~~~」
実の娘に対して恍惚の表情を浮かべ、ぐりんと全ての首を向ける様子に、この場にいる全員が嫌悪感で吐きそうな顔をする。
血がにじむほど下唇を噛んだシュカは、判断を躊躇った。そこへ、汗と泥と血にまみれたヨルゲンがドン! と肩を小突く。
「シーラの覚悟、無駄にすんな!」
「っ、ジャムゥ、いくよっ」
命がけで注意を逸らすシーラ王女は気高く、それに付き添うハンスにもまた、騎士の誇りを感じた。
熱くなる目頭を手の甲でぐいっとぬぐい、シュカは頭の中に召喚魔法の手順を思い浮かべ、ジャムゥを導く。
「大丈夫だぞ、シュカ。ケルベロスもついてる」
「!」
「きっとうまくいく」
しっかりと握られたジャムゥの手のぬくもりが、温かく心強い。
前はシュカが子供をあやすようにしていたことが、今は――
「うん! ジャムゥ! 一緒に!」
ふたりはふわりと宙へ飛ぶと、魔法陣の中心に降り立つ。シュカの左手はジャムゥと繋いであり、右手で白刃のロングソードを上体の前に立てるように持った。
それから空へと掲げ、柄に煌めく竜石におでこをくっつけるようにする。
「「サットサンガ! タマス・プリティヴィー・ヴァジュラ・ヴァーユ!」」
ウルヒとルミエラの舞も、最高潮を迎える。
「「ナーガよ、我らに力を!」」
――ドン!
四色の光でできた柱が、青空を貫いた。
◇
独立都市ウェリタスは、魔法を学べるだけでなく、豊富な魔道具技術に支えられる最先端の都市として栄華を誇っていた。
あらゆる国から高額の授業料や寄付を募り、杖やローブ、魔法書や指南書を売り、豪奢な建物ばかりが軒を連ねる、いわば大都会だった。
「な、ぜ……」
それが今、上空を赤と青二体の竜が飛び回り、市民の生活用水をまかなう河川は氾濫し、街を大規模火災が襲っている。
都市ごと守護していたはずの魔法結界がとっくに破られていることは、一目瞭然だ。
逃げ惑う人々の流れを、ファルサは呆然と眺めるしかできない。
「なんだ、これは」
人々は竜を恐れ災害を恐れ、逃げるのに精いっぱいであり、恐慌状態に陥っている。
――ドンドンドンドン、ドンドンドンドン!
「賢者様! お助けを!」
「賢者様! 魔法でお救いください!」
都市の中央、高い塔の最上階にあるファルサの私室前には、魔教連の高位魔導士たちが詰めかけ、分厚い樫の扉を叩いていた。
室内では、天井から吊るされたペンダントライトが揺れ、ガシャン、ガシャンとお互いの笠をぶつけ合っている。
バルコニーに出て街の様子を見下ろしていたファルサは、杖を振り強大な魔法を唱えながら、唐突に叫んだ。
「あははは、あはははははは! 終末、来たれり! 受け入れよ! 世界は、終わるのだ! あーっはっはっはっはっは!」
賢者が狂ったように放ち始めたあらゆる魔法を、空に居る竜たちは咆哮一閃で打ち消したり避けたりして――人々はようやく、自身の力で乗り越えなければならないことを悟る。
そんな絶望の最中、魔族の背に乗って戻って来た魔導士団が、ポエナの指揮のもと救助活動を迅速に開始したことで、幸いにも市民のほとんどは助かった。
一方、ゴゴゴゴと鈍い音を立てて、ウェリタスは街としての機能を失い、ようやく荒ぶる番の竜は姿を消した。
――後の書物には、こう書かれている。
『無窮の賢者』がひとときの栄華を誇った独立都市ウェリタスは、火竜と青竜の逆鱗に触れたことで、一瞬にして崩壊した。
魔族の助けによって市民の命が助かったことは、人間の魔族への関わりを劇的に変化させた、歴史的事実である。
今は主要街道の交わる土地の利を生かし、宿屋の主人たちが連合で治める宿場町として、かつての賑わいを取り戻しつつある。
同じような街の仕組みは広がりを見せ、王や皇帝の統治に頼らない自治区として成り立つ地域も、徐々に増えていった、と。
なお、無窮の賢者ファルサ・スローシュは、災害時の混乱に紛れて姿を消し、その消息は定かではない。
◇
光の柱が消えると、最初は黒い影。次に茶色、紫、最後に緑が目に入った。
『地の底から呼ばれるとは、思わなんだ』
「緑竜様!」
声のした方を見上げると、守護竜である緑竜が、三体の魔竜を従え上空を羽ばたいていた。
両翼を広げて飛び回る黒茶紫の獰猛な姿には、さすがのシュカも冷や汗を浮かべる。
『なんと悪しきものよ。賢者め……罪深いことを。さあ我ら世界の理の一部にて、流れを正そう』
『グアララララ』
『ギャース、ギャース』
『ガアアアアア』
緑竜の声に応え、三体の竜はシーラ王女――ハンスとケルベロスが必死に守っている――を追いかけていたグレーン国王を取り囲むように地へ降り立ち、翼を限界まで広げ動きと視界を遮った。
「おやぁ~~~~~?」
たちまち七つの首を傾げ、足を止めたのを見計らい、緑竜が上空から指示を出す。
『ウルヒ、風の結界で囲め』
「! はっ!」
『シュカよ……とどめは、そなただ』
「……はい!」
「オレも、一緒!」
「うん!」
シュカとジャムゥは、キースの柄をふたりで寄り添うように持った。
柄にはめ込まれた四色の竜石が、その輝きを増していく。
「キース! 力を、貸してね!」
シュカの耳に「ピルッ」と白鷹の声が聞こえた気がした。
――ゴオオオオオオオッ!!
取り囲んだ三体の竜と、上空から緑竜が、渾身のドラゴンブレスを放つ。
「うーわ、こいつはやべえええええ」
ヨルゲンがウルヒとルミエラの前に滑り込むように立ち塞がり、ふたりを背中に庇いながら眼前に『蒼海』を立てる。
「守ってくれ、愛剣!」
一方、ハンスも背負っていた大盾を地面に突き刺すようにして立て、背後にシーラ王女を庇う。
「今こそ、トロルの守護を!」
やがてドラゴンブレスが止むと、黒焦げになったグレーン国王が、竜の輪の中心でケタケタと笑っていた。
ぼろりぼろりと首が落ちるが、にゅうるりんっと音を立ててゆっくりと生え変わっている。
シュカとジャムゥは顔を見合わせて頷くと、竜の輪の中に歩いて入って行き、グレーン国王の胸の中心めがけて白刃の先端を突き入れた。
柄にはめ込まれた竜石が輝きを増すのと同時に、竜たちが咆哮を上げる。
足元から四色の光の柱が再び生まれ、白い刃をぐるぐると取り囲むように渦巻いていく。
すると、いつの間にか上空に火竜と青竜も姿を現し、赤と青の光も加わった。
勇者と魔王が握るロングソードからは白い光が発せられ、黒茶紫緑に青赤白が加わった『七色の光』が終末の獣を覆い隠していく。
「あぎゃあ~~~~~~~! い~だ~い~~~~~あああ~~~~~~!!」
光の中心で、にゅるりにゅるりと生え変わっていたはずの首は、ぼたぼたと地面に落ち、黒焦げの肉体はボロボロと崩れ去っていく。
「あああ~~~~きえちゃう~~~~~~~あああ……」
シーラは、絶命していく父の姿を目に焼き付けてから、空を仰いだ。
目に溜まっていく涙を落とさない。落とす資格がない――か細い背中がそう言っているようで、ハンスは抱きしめたくて仕方がないのをかろうじて我慢する。
「くうん」「ばふっ」「わおん」
「はは、ありがとうケルベロス」
代わりに、黒い三つのふわふわした頭をこれでもかと撫でてやった。
――青空を突き刺す虹の柱を残して、終末の獣は灰塵に帰した。
粉々になった灰は、ウルヒの風に巻き上げられ、キラキラと消え去っていく。
「おわ、った?」
「おわったぞ」
シュカとジャムゥは、手の中に在った剣がなくなっていることに気づいた。
「キース?」
ふたりが空を仰ぐと、皆もそれにつられて顔を上げる。
――虹の柱の周りを、六体の竜と白い鷹が、大きな翼を広げて、羽ばたいていた。
お読み頂き、ありがとうございます!
明日のエピローグで完結となります。
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