後編
スザンナ・ヴェーラは自殺する。
そして、その遺書を残す。
すべて滞りなく。
……ちょっとした私の、元婚約者と家族への意趣返しも含む。
それと同時に私の公な死は『必要な事』でもあった。
「これが、私……、ではなく、スザンナ・ヴェーラの第二王子や、その婚約に関してのすべてを告発する遺書です」
王宮の者達が着る制服に身を包み、髪の毛は編み込んで帽子に隠した。
化粧は目立たぬように地味にし、王子妃・伯爵令嬢だった面影を感じさせないようにしている。
「……そう。よく出来ているわね、スザンナ」
私の婚約破棄に関する一連の報告を受け入れているのは2人。
一人はこの国の第一王子であるアトキンス殿下。
もう一人は、その婚約者である隣国の第二王女、アレクサンドラ様。
「けれど本当に良いのかしら?」
「勿論です。アレクサンドラ様。私は、表舞台に咲こうとは思いませんし、伯爵家に帰るつもりもありません」
愛などない家族関係だ。
元より家族としての親愛は、とうに王家に売り渡されたようなもの。
「ただ、私が望むのは」
たった一つ。
「……彼と共に過ごす未来を」
彼。彼だった。
名前はない。今は。
「……それが普通の家族として、ではなくてもかい?」
アトキンス殿下が問う。
「はい。それは望みません。私の親類縁者に信用できる者などおりませんし、私は彼の仕事を誇りに思います」
「そう、か……」
私が望む『彼』とは、どのような人物なのか。
今、室内には私、スザンナ・ヴェーラと、アトキンス殿下、アレクサンドラ様しか居ない。
けれど。
「……出てきてくれ」
「──ハッ!」
彼は、その場に突然に姿を現した。
彼は、高度な隠蔽魔術を身につけた、王家の影。
それも現国王の、ではなく。
前王からアトキンス王太子殿下に直接引き継がれた者の一人だった。
王子が2人生まれた王国。
いくら正式に訴えても婚約時代の私の扱いが改善されなかった点や、平然とカルメル殿下の婚約解消に許可を出した時点で、今の陛下は有能とは言い難い。
前王は、現王の愚鈍さや、それを継いでしまった第二王子の存在を危惧していた。
だからこそ直接、アトキンス殿下に『王家の影』を引き継いだのだろう。
……王族を影ながら守り、その手足となって働き、時には黒い事もする王家の影。
けして華々しい仕事ではない。
地味で地道な仕事も多々あるだろう。
だけど必要な存在だ。
「影の隠蔽術を見破れる才能は、捨て難いからね。僕としては有難いんだ。
……スザンナが『王家の影』になってくれる事は。
アレクサンドラも君になら気を許せるだろうし。
僕というよりも彼女を影から支えてあげて欲しい」
「はい。アレクサンドラ様の影となりましょう。身代わりも毒味もこなして見せますよ」
……私には公にはしていない才能があった。
一つに、それは隠蔽魔術に関わる才能。
これは術を習ってから初めて理解した事だけれど、私が姿を眩ませると王家の影達でさえ私を見失う。
また私は生まれながらに隠蔽魔術を見破る感覚と視覚を持っていた。
その才能のお陰で『彼』を見つけたのだ。
いつもアトキンス殿下の後ろに控える彼。
時々、カルメル殿下とのお茶会に現れては、じっと私を見守り続けた彼。
カルメル殿下との婚約者の為のお茶会は、長らくすっぽかされていた。
だから、茶会の席にはいつも私一人で座る。
なおかつ私が不参加を表明すると怒るのがカルメル殿下だった。
ただ無為に過ごす為に拘束される時間。
そんな私を無言で見つめ続ける彼に、いつも気付いていた。
私はある日、そんな彼に声を掛けてみたのだ。
「いつも私を見ていてくれる貴方。
どうかしら? 私とお茶をしてくださらない?」
「……!?!?」
姿を隠している筈なのに、ばっちりと視線の合った彼の驚き顔は、私の宝物だ。
彼は茶会の席には着かなかったけれど、話し相手にはなってくれた。
私の方から聞き出した事もある。
唇を読ませず、声を聞かせず、他者に知られずに話す方法とか。
そして気付いた。私には『影』としての才能があった。
隠蔽魔術だけではない。
毒に対する耐性も生来から強いと判明した。
奇しくもそれが分かったのは、カルメル殿下の『ハズレ婚約者』として毒殺されかかったのが原因だった。
……毒を盛られた時、あのままでは殺されるのだと思った。
周りは信頼できない。
側妃様も、婚約者も、家族も信じられなかった。
だから自らで危機に対抗する術を身に付ける必要があった。
『彼』は自らの立場をその時は明白にしなかったけれど、私を監視する必要がある人間など限られているし、話した場所は王宮内だ。
だから、王子妃繋がりでコンタクトを取ったアレクサンドラ様に色々と話を聞いて貰って、彼の存在に漕ぎつけた。
『王家の影』という存在への興味。
そして表での私の立場の劣悪さ。
さらに見え隠れしていた私の、影としての素質と才能。
……私が『彼』と同じ道へ進むようになるのは、時間が掛からなかった。
王家の影もまた人だ。
その特性から誰でもなれるワケではないし、厳しい訓練も必要となる。
年齢を重ねれば代替わりや、新入りを確保しなければならない。
見込みがあり、思想に問題なく、身分が確かであれば勧誘して増やす事もある。
多くは子供の頃から他に行く宛てもない者達を育てるのだけれど。
私のように貴族に生まれ、家に帰らなくなった者も王家の影になる場合がある。
華々しくはなくても、貴族としての知識が活かされる事もある職場だからだ。
「……スザンナ。君に求める事は、王家の影としての仕事もある。
アレクサンドラを陰から支えてくれる女性になる事も大きい。
そして、それだけではない」
「はい。存じております。だから私は『彼』を望みます」
私に求められる役割。
それは……彼との子供を育む事。
一般の貴族家での信頼できる家令、使用人の子供が欲しい……みたいな話だ。
貴族令嬢と共に育つ、使用人達の子。
令嬢の絶対的な味方として教育され、育つ侍女、使い。
すべてでなくとも王家の影でもまた、そういう存在が求められる。
それに、影の『表向き』な立場の偽造も必要だ。
名もなき男や女として過ごす者も必要だが、表向きの身分を疑われない者もまた必要。
……私の場合、伯爵家をそのまま利用するのでは信用がない。
だから一度、すべての身分を捨てる。
そして平民として『彼』と夫婦になり、表向きの家族を作る。
裏では『王家の影』として働き、アトキンス殿下とアレクサンドラ様の為に動く。
……それは、まったくの理想の生活だった。
「ふふ。王家の影に惚れる令嬢だなんて、ね」
「よくありませんか? アレクサンドラ様」
「いいえ。スザンナ。好きよ、そういうの。影としての働きはして貰うけれど。
……夫婦としても、キチンと過ごしなさいね」
「……はい」
「もちろんです、アレクサンドラ様」
と。
彼は私の手を握ってくれた。
ドキンと胸が高鳴る。
カルメル殿下には感じたことのない感情。
(……ああ、これが恋心なのね)
令嬢らしい華やかな結婚式などない。
だから書類上の結婚だ。
王子とその婚約者の承認を以て私達は今日から夫婦として認められた。
「ふふふ」
一人ぼっちのお茶会で見つけた、隠れんぼさん。
私は、王家の影を愛してしまったのだ。
そして私は彼と同じ影になった。
「ところで」
「うん?」
「……カルメル殿下が私の事を好きだったと、彼が言うのですが。冗談ですかね?」
「あー、それか」
アトキンス殿下は困ったような顔で曖昧に微笑んだ。
「探らせた情報を、総合的に判断……女性視点からも見て貰うに。
我が弟ながら、拗らせた恋愛観を抱えている様子だ」
「……つまり?」
「見立ては正しいよ。カルメルはスザンナに執着していた。女性としての好意を抱いている様子だ」
「……アレで、ですか?」
と、思わず疑問を口にする。
これは許して欲しい。
本当に疑問なのだ。アレで? と。
「うん。……ただし、女性として好意があってもスザンナの身分や己の身分は気に食わないらしい。
公爵令嬢との恋愛にもしっかり精を出しているよ」
「つまりは……?」
「……自分は公爵家に婿入りをして公爵になり、その上でスザンナを愛人として囲い込みたかった。
…………んじゃないかな」
「…………」
私の顔は、いつになく凍りついていたかと思います。
婚約解消したのに妙な態度だったのは、そういう腹積もりだったから?
ないない……。
「それであの態度」
「たぶん、カルメル殿下はキミに縋って欲しかったんじゃないか?」
「……殿下のどこに私が惚れる要素があったのか。それを教えて欲しいぐらいですね」
まぁ、それはもういい。
スザンナ・ヴェーラは表向きは死ぬ事になる。
それも私自身の身に起きていた事実を元に、アトキンス殿下とアレクサンドラ様の治世に邪魔になる者達を糾弾する形で。
カルメル殿下に王位継承争いに参加する資質はないでしょう。
……醜聞極まる『元婚約者スザンナの自殺』を乗り越えて民や貴族からの求心力を得られるのなら評価を改めるが。
もう『ハズレ婚約者のスザンナ』が彼の足枷になる事はない。
自らの資質をまざまざとアトキンス殿下と比較され、カルメル殿下自らが『ハズレ王子』だと証明する番だ。
私と彼は、結婚初日だからと別の王家の影や近衛に2人の貴人の護衛を任せ、新たな身分を得て、王宮の外れに部屋を得た。
平民の家並に小さい、いくつかの王宮で働く者達が集って住む場所。
家ではなく、いくつかの部屋の集合体を、一家族ごとに割り当てられた屋敷……のような場所だ。
外と中の出入り口は家庭ごとにあるし、防音もされている。
平民の使う宿で、宿内の部屋だけでキチンと生活が送れるような施設……と言えば伝わるかしら?
「……ここに、今日から住むのね」
「王宮の部屋からこんな場所だけれど。いいのかい? スザンナ」
「勿論。ふふ。とても狭いわね? でも、だからこそ貴方との距離が近くて良いわ」
「……キミは、とても変わっているよ」
私は、もう伯爵令嬢ではない。
第二王子のハズレ婚約者でもない。
これからは王宮で夫婦で働くただの使用人。
そして裏では……『王家の影』になる。
「これからも苦労するかもしれないけれど……」
「いいの。苦労なんて慣れているわ。私は、貴方が傍に居てくれるなら他の何も望まない」
「……スザンナ」
と、彼の手を取り、寄り添う。
……そう言えば私達、もう夫婦の結婚初夜だったわね。
これは……不味いかしら?
でも良いわ。
これが私の選んだ道なのだから。
私は王家の影。
名も身分も捨てた身だけれど、あえて言うわ。
──スザンナ・ヴェーラは影ながら彼を愛している、ってね。
令嬢×王家の影、パターン。
なくはないけど、あんまり見ないので。
スザンナのユニークスキルは高度隠蔽術と毒耐性でした。