死別け屋さん-シワケヤサン-
「死別け屋」
それは死神たちの職場。主な業務内容は害虫や害獣などの駆除ではあるが、それはあくまで表の話。
では、その裏はと言うと…。
「ふぁ~あ、今日も人来ねぇなぁ~…。」
古びたソファーにもたれかかってあくびをする。口元に無精髭を生やし、しわくちゃの喪服に身を包む見るからにだらしない男。彼の名は死神番号666、通称「ミロク」である。
「たまに来る客はどいつもこいつもやれ害虫駆除や、近所の害獣駆除ばっか。いいかげん本業らしく人間様の魂をガーッと刈り取ってがっぽり設けたいもんだ…。」
「まぁまぁ、いいじゃないっスかー、ゴロゴロできるし。」
と、けだるげに本来は来客用のものであるハズの小綺麗なソファーに土足で寝転び、携帯ゲーム機からカチカチと音を鳴らし、黒いパーカーと紺のジャージズボンを着用する少女。名は死神番号217、通称「ニーナ」である。
「おいガキ、何度も言ってるだろ。そっちのソファーは客用なんだから土足で寝転ぶなって。」
「えぇ~、別に客来ないしいいじゃないっスかぁ…。それにウチにはニーナって名前があるんすよ。何度も言ってるでしょ。」
とは言いつつも、ソファーから身体を起こし立ち上がる。そして今度はミロクのすぐ後ろに立った。粗くまとめられたポニーテールが少し揺れる。
「…おい、クソガキ。何故俺の後ろに立つ。」
「決まってるじゃないっスか。そこどいてもらうためっスよ。」
「いや、どくわけな…」
「問答無用!」
細身な身体から考えられないほどの怪力でソファーが傾く。ミロクは驚きのあまり体を動かすことが出来ず、そのまま机に額がぶつかるように転んだ。
ニーナはというと何事も無かったかのように今度は古いソファーに寝転び、パーカーのポケットから再び携帯ゲーム機を取り出した。
事務所の中をゲーム音だけが響く。しばらくすると頭を打ち付けたままの状態で気を失ったかのように固まっていたミロクがゆっくりと顔を上げる。手で顔を抑えているがその様子から怒りがこみ上げているのがよく分かる。
「このクソガキッ!!!俺を誰だと思っていやがる!お前の先輩死神だぞ!!」
「あー寒い寒い。年功だけ重ねて実力と実績が無い死神に限ってそういうこと言うっスよねー。寒いわー。」
「くっ…、確かに同期と違って実績は少ないがそれはワケがあって…」
「あの…」
扉の向こうから声がする。が、今の二人の耳には入らない。
「えぇ~?どんなワケがあるんすか~???言わないと分かんないっスよ~???」
言葉に詰まるミロクにニーナがニヤニヤと嘲笑を浮かべる。
「あ、あのぉ…」
もう一度声を出す。が、やはり二人の耳には届いていない。
「と、とにかくだ。お前はもっと先輩を尊敬するということをだな……」
「あのぉ!!!!すいませんが!!!!!!」
痺れを切らした扉の向こうの人物が声を荒げる。二人の声を遮る程の大声に驚いた二人は扉越しに女性のシルエットがあることにようやく気付く。
「うわぁぁぁぁぁ!!!!申し訳ありません!!!!少々お待ちください!!!!!!」
大声を上げて驚くミロク。その大声に続けて驚いたニーナは思わずゲーム機を落としてしまった。ニーナはそれを拾おうとしたがその手をミロクはガッと掴んだ。掴んだ腕の強さと表情から怒りや焦りが見える。
「おいクソガキ、お客様をお迎えしろ…っ。俺はお茶とお菓子を持ってくる…っ。」
そう言うと返答も待たずして事務所の奥へとそそくさと向かった。
小声で「ちょ、先輩そんな無茶な…っ…。もう…。」とぼやきながらも被っていたフードを脱ぎ、服装を整え、さりげなく落ちたゲーム機を近くの棚にしまう。久々の来客に緊張している自分を落ち着かせるために深呼吸を一度して、女性が待つ扉を開けた。
扉の向こうには長袖のセーラー服と膝あたりまでのスカートを履いたショートボブの女子学生が困惑した表情で立っていた。制服からして近所の有名な女子高の生徒だろうと察する。彼女は何度も「すみませんでしたっ!」と謝罪の言葉とともに頭を下げた。
「ああああ…!こちらこそ申し訳ないっス…じゃなくて、ございませんでしたっ!!今案内しますっ!!」
慣れない営業用の話し言葉にところどころ詰まりつつも手で長机の表面をパッパッと掃い、彼女を来客用のソファーへ案内する。
奥の部屋から戻ってきたミロクはトレイに三人分のお茶と何種類かの市販のお菓子を乗せ「申し訳ございませんっ!」と何度も繰り返しながらトレイを長机の上に置く。
「いやはや、先程はお呼びになったにもかかわらず、気付かず誠に申し訳ありません!少し喧嘩に…いえ、討論をしていたもので・・・あ!どうぞどうぞお掛けください。」
女学生は丁寧に「失礼します」と言って、ソファーに浅く腰掛ける。その隣に同じように腰掛けようとするニーナをミロクはキッと睨むと、それに気づいて不服そうな顔でミロクの横に座った。
「それで、本日はどのようなご用件でしょうか。うるさい近所の犬?それともベランダに急にできていた蜂の巣?我々はどのような生物でも駆除いたしますよ!」
「私の駆除して欲しい生物、それは…」
「それは…?」
女性は少し考え込み、しばらくしてから意を決したかのように二人を見つめ、口を開けた。
「人を…ある人を殺して欲しいのですが」
「ある人を…殺して欲しい…?」
ミロクが眉間にしわを寄せる。確かに彼は高価値である人間の魂を求めているが、いざそのような依頼が来ると若干退いてしまう性分であるため、今回も一歩後ろに下がるような心持ちである。
「…一応聞いておきますが、我々がそのような依頼も受け入れているという情報は一体どこで?」
「たまたまSNSで見たんです。『死別け屋という駆除業者は本来、人殺しの依頼を引き受けている闇業者だ』…と」
「なるほど、SNSですか。」
念のために情報源は聞いておく。自分たちの本業に関しての情報がどこから流出しているかを知っておく必要があるからだ。
「そういえば貴女のお名前と年齢は?」
「はい、私の名前は『桂木 佳奈』です。年は16歳です。」
ニーナが隣で「カツラギ カナさんっスね…」と小声で呟きながらメモ帳に記す。ミロクは質問を続ける。
「桂木さん。それで、貴女の殺して欲しい人というのは…?」
彼女、桂木は少し顔を俯かせた。額に少し汗が滲む。
しばらくの沈黙の後、彼女はコップに入ったお茶を一口飲んで唇を潤わせるとその口を開けた。
「私の親友を…『芥川 ひなこ』を殺してくださいっ!」
「…っ!?」
二人は息をのんだ。通常、死別け屋全体で来る本業の依頼の多くは夫の浮気相手や脅し相手など依頼者にとって恨みや妬みのような負の感情を持つ相手が多い。つまり、今回の『親友』という対象は異例である。無論、彼らにとっては初めての内容だ。
ミロクは流れる汗をハンカチで拭う。
「桂木さん、申し訳ありませんが何故その方を殺して欲しいのかが我々には皆目見当がつきません。ですので良ければ話せる範囲で理由をお話してもらってもよろしいでしょうか」
桂木は少し考え込んだ後、うなづく。
「ええ、わかりました。ではかいつまんで話します」
あれは今日のような木枯らしが吹く去年の秋でした。先ほども言いましたが私には『芥川 ひなこ』という近所に住む幼馴染の親友がいます。
ひなこは幼いころから病弱で、すぐに体調を崩しちゃうような子でしたが、それでも普段は元気いっぱいで私にとっては『太陽』のような存在でした。
ある日、私たちはいつものようにいったん帰宅してからまた集まろうと約束をした後の事です。
「キャーーーーーー!!!!」という悲鳴が聞こえたんです。それもひなこの家のすぐそばで。
私は嫌な予感がしました。あの叫び声はまさかと。
いや、きっと気のせいだろう。何かの聞き間違いに違いない。あの声はきっとひなこの声じゃない!そう自分に言い聞かせながらも、不安で早くなる鼓動に呼応するかのように私は悲鳴の聞こえる方に向かって足を進ませていました。
声のした場所は見覚えのある場所、ひなこの家の近くにある暗くて狭い裏路地でした。
そこで私は見てしまったんです。無残な姿のひなこを……。
話の途中で佳奈が耐え切れずに喉元を抑えてヒューヒューと呼吸困難を起こし、ソファーの上に倒れた。
ミロクが急いで救急に連絡をする間、ニーナは持っていたハンカチを桂木の口元に移動し、そのまま抱え上げて奥にあるベッドへと連れていき、救急車が来るまでの間彼女を寝かせた。
病院に着くと、そこにはすでに桂木の両親らしき人らが正門玄関の前に立っていた。担架が降ろされ、彼女の母であろう人物が運ばれていく彼女に付き添いながら病院内に姿を消す。残された父であろう人物に救急隊員がミロクが救急車内で話した事の顛末について説明している。
二人はそれを黙って見ていることしか出来なかった。
冬の訪れを感じさせるような少し肌寒い病院の屋外、説明を聞き終えた桂木の父のガタイの良い大きな身体がゆっくりと二人の方へ向かっていく。
「この度はうちの娘がご迷惑をおかけしまして誠に申し訳ございませんでした。」
二人に深々と頭を下げ、謝罪をする。
それに対して「いえいえ、こちらこそお父様やお母様にご心配をおかけ誠に申し訳ございませんでした。」と頭を下げるミロク。ニーナも続いて頭を下げる。
「それで、何故うちの娘があなた方の元にご訪問なさったのでしょうか」
疑問に満ちた眼で彼らに尋ねる。ミロクとニーナの二人はしばらくお互いに目を合わせて頷く。
「はい、そのことについてですが、こちらには例えご両親だろうと他言無用の下で仕事をさせて頂いているもので基本何も言うことはできないのですがそうですね…。我々から言えることは“人生相談”と言ったところでしょうか。ええ、我々はそれも生業としているもので…。」
ミロクは咄嗟に噓をついた。バレるか?とも思ったが相手に疑ってる様子は無さそうだ。
「なるほど、そのようなお仕事の方でしたか。…てことはやはり、内容は“あの事”に関して何でしょうか」
「あの事?」ニーナが尋ねる。
「ええ、娘は恐らく『女子高生連続婦女暴行事件』及び『女子高生連続殺人事件』についてではないでしょうか?」
ミロクが目を見開く。
「はい、恐らくはその通りだと思います。事件名まではおっしゃってはいませんでしたので確証は得られませんが。」
「やはりそうでしたか…。既に聞いたかもしれませんが娘には『芥川 ひなこ』という近所に住む幼いころからのあの子の親友がいたのですがね、彼女もその事件の被害者だったんです。幸か不幸か死亡にまでは至ることなく、その、未遂ではあったみたいですが…。」
桂木の父が言葉に詰まる。ガタイの良い身体がどこか震えているように見える。
しばらくの沈黙の後、桂木の父は震える唇を開けた。
「相当怖かったのでしょう。あの子は…ひなこちゃんはそのショックに加え、元来身体が弱かったこともあってか1年以上経った今でも病院で目を覚まさないのです。なのでそのことを娘は今でも後悔しているようでして…。『家まで一緒に付いて行ってあげれば良かった』『そもそも私が誘わなければこんなことにならなかったのかもしれない』等と家でも度々言うのです。」
父の目から滴が零れる。
「どうか、私の娘を助けてやってください!お金なら私もいくらでも払います!私たちは娘のあんな顔をもう見たくはありません!!」
「どうか…どうか…」と父がミロクに抱き付き、泣き崩れる。震える大きな体格はさっきまでとは違ってどこか小さく見え、まるで小さな子供の様だった。ミロクはすがりつく彼をゆっくりと離す。
「…わかりました。その依頼、我々が引き受けます。ですので安心してください。依頼料は後払いで大丈夫です。今は娘さんを労わってあげてください。」
先ほどまで曇り空だった空の隙間から光が差し、ミロクとニーナに降り注ぐ。光を浴びるその姿は『死神』と言うにはあまりにも神々しく、さながら『天使』の様だった。
「ああ…ああ…、ありがとうございます…っ!」
桂木の父は天を仰ぐかのように跪き、何度も彼らに礼を述べる。ミロクは「いやいや、まだ依頼は完了してないんですから」と苦笑いしつつ、彼の手を取り、立ち上がらせる。
「とりあえず、期限は1週間を目途に行動します。あ、私の電話番号もありますので何かあればコチラにお掛け下さい」
そう言いつつ電話番号と名前をメモ帳に走り書きで書き、それをちぎって渡す。
「では、私たちはこれで。娘さんにもお大事にとお伝えください。」
ミロクはニーナを連れてその場を後にする。桂木の父はその姿が見えなくなるまでずっと眺めていた。
「ミロクさん、良いんすか、あんなに豪語しちゃって。」
帰り際に手配していたタクシーの中でニーナが訪ねる。
「仕方ねぇだろ、親父さんにあんなに泣きつかれたら…。それに、依頼はもう引き受けちまったしな。」
ミロクが頭を掻きながらやれやれと窓の外を眺める。外はすっかり晴れた青空が通り過ぎ行く街を照らす。
「で、どうするんすか。これから。」
「そうだな。とりあえずはこの例の事件について調べるか。何か解決策があるかもしれないからな。」
「でも調べるってどこで?警察にでも聞くんすか?」
「バーカ、んな無駄なことしねぇよ。アイツに聞くんだよ、アイツ。」
ニーナは少し考えこむ。そしてしばらくの沈黙の後、ハッとしてから少し嫌悪感を抱いた。
「アイツって、もしかしてあのオバサンのとこっスか?ウチ、苦手なんすよねあの人…。」
「その『おばさん』っての、本人の前では絶対に言うなよ。アイツ、キレるとホント厄介だからなぁ。この間だってちと冗談言っただけで眉間に弾丸撃ち込まれそうになったし。まぁ俺らに実弾は効かねぇんだけれども。」
「まぁミロクさんはデリカシーゼロっスからね。仕方ないっスよ。」
そう言って嘲笑するニーナの頭を「デリカシーゼロで悪かったな!」と軽く叩いた。
一度、事務所にまで戻ると、「留守番は任せた。」とニーナだけを降ろし、運転手に次の場所を伝えてからそそくさとその場を後にした。ニーナはあの女に会わずに済むという安堵感と名状しがたいモヤモヤとした感情を抱えながら事務所のカギを開けた。
「ふぅ、やれやれ。やっとうるせぇのがどっか行ったな…。」そう呟く声を聞いて運転手が尋ねる。
「先ほどの方は娘さんですか?」
ミロクはしばらく目を瞑りながら頭をかく。
「俺がそんな年に見えるか?せめて妹ぐらいにしてくれよったく…。俺はアイツの保護者代わりだよ。色々あってな…。」
ミロクの表情が少し曇る。事情を察した運転手が「あ、そうでしたか。申し訳ありません。あまりにも親子のように仲が良く見えたもので…」と言うと、その表情はさらに曇った。
終始無言のまましばらくすると、目的地である都内の高層ビルの一角にタクシーが止まると「あぁ、すみませんねぇ、ちょっと踏み込んだ話をしちまって」と申し訳なさそうに謝る運転手に「いや、謝るのはこっちさ。俺も勝手に重くなって悪かったな」と返し、財布からタクシー代を払う。
「釣りはいらねぇから今日のわび代として貰っといてくれや」とタクシーを背に片手だけを挙げ、その場を後にする。
15階建ての高層ビル。その階層の全てを占める場所の14階に目的の人物がいる。
「D-コーポレーション」
それは国内でも大手の保険会社であり、知らない人はほぼないぐらいの知名度を誇っている。
だが、それはあくまでも死別け屋同様『表の事業の一つ』に過ぎない。この会社のメインの裏事業は、死分け屋の業務管理及び物資提供である。その中でも『業務用重火器研究開発課』に所属する死神番号727、通称『ナヅナ』はここの責任者である(とは言ってもここは彼女しかいない)。ミロクはその彼女に用があってここに来たのである。
「おーい、ナヅナいるかぁ~。いなけりゃまた勝手に武器持ってくぞ~。いても持っていくけど。」
「あぁもう!また勝手に来て…。アナタにはアポを取るという社会人のマナーは無いのかしら…っ。」
「まぁまぁ、そう固いこと言いなさんなって」と近くにあった資料の束を無理やりどかし、椅子としての本来の責務を果たせるようになったオフィスチェアーに腰掛ける。
「おいおいおいおい、ここの課は客人に茶をださんのかね?いかんなぁ~、そういう配慮がなってないからお前はいつまで経っても結婚できねぇんだ――」
そう言い切る前にお茶の入った湯飲みが空を切り、彼の眉間と衝突する。飛び散る緑の熱された液体を浴びながらミロクは湯飲みと一緒に地面に倒れた。
「うおっっっ!!!!!!あっっっっっつ!!!!!!なにすんだお前!!!!」
「あらごめんなさい、つい手が滑っちゃって…。」
「ついで手が滑るワケないだろ…ったく、お前には常識というものが無いのか。」
「アポ取らないやつに言われたくないわ。ほらさっさとシャワー浴びて。そんな姿で相談なんかされたくないから。」
そう言いながらシャワー室に指をさすナヅナに「誰のせいだと思ってんだ…。」「なんで眉間ばっか…。」等と小声で文句を垂れ流しつつ、シャワー室へと向かった。
シャワーから上がり、バスタオルで体を拭いていると扉の向こうから「スーツ乾くまでの間、そこにある私のバスローブの代えでも着ていてちょうだい。」というナヅナの声に従い、ミロクはバスローブを羽織った。バスローブからは彼女と反して洗剤の心地良い香りがする。
「…で、アタシに用って何?またつまらないことだったら今度こそぶっ殺すわよ。」
お茶を入れなおしたナヅナがミロクの座る方に向かう。ミロクはお茶を口にそそぐと、例の事件について話す。
「…という事だ。なんか知らねぇか?」
ナヅナは「やれやれ」と言わんばかりに両手を挙げ、首を横に振った。
「まったく、アタシを情報屋か何かと勘違いしているのかしら。まぁいいわ。調べてあげるからアンタはどっかで隠れて着替えて頂戴。絶対に隠れてよ。アタシ、汚いのは苦手な潔癖主義だから。」
赤いアンダーリムの眼鏡を掛けるナヅナを横目にミロクは「この部屋を見て潔癖に思えるっかっての」と言いそうにはなったが何とか押し殺し、資料の山の裏でスッカリ乾いた仕事着である喪服に着替える。
カタカタカタとキーボードを打つ音が鳴る中、カチャカチャとベルトを締めながらミロクは不意に尋ねた。
「そういや、前から気になってはいたんだが、どうしてお前はそんなに事件とか事故とかのニュースを調べてんだ?」
モニターに映る画面を見つめながらナヅナは答える。
「決まってるでしょ。即座に対応できるようにするためよ。ニュースや新聞なんかをチェックして『次はどんな道具が必要とされるだろうか』『アンタらの職場にどんな依頼が殺到するだろうか』とかを予測して、それに瞬時に対応することが出来るようにコッチでも事前準備をしておく…この仕事の基本よ、基本。」
「へぇ、やるじゃねぇか。じゃあ、今回の事件も余裕で見つかったろ?」
「ええ、話を聞いたときにあらかた予想はついていたから思いのほか早く見つかったわ。ホラ、着替えたなら早くコッチに来て。」と手招きする彼女の方へと向かった。
「この記事を見て。」とナヅナが画面に指をさす。そこには例の事件について記されていた。
「犯人は未だ逃走中で被害者は全員、当時高1~高3の女子高生。その大半が酷い事…まぁあらかた予想はつくとは思うから言わないでおくわ。まぁその後、首を絞められて殺害されてるわ。ただ一人を除いてね。」
「その一人って…。」ミロクが察する。
「そう『芥川 ひなこ』。アンタが今回の依頼でやらなきゃいけない相手よ。」
ミロクの見開いた目を見つめながら続ける。
「まぁ後のことはアンタの方が知っていると思うけど…それで、他に知りたいことは…?」
「犯人は、犯人は誰なんだ。」
ナヅナが左人差し指でブリッジを抑えながら答える。
「いい?これはまだ確定じゃなくてあくまで情報の一環なんだけど、驚かないで聞いて。」
ミロクがゴクリとつばを飲み込む。
「…と思ったけどやっぱり気が乗らないから言わない。」
「はぁ!?」ミロクが拍子抜けた表情で顔をゆがませた。
「んなふざけたこと言ってる場合じゃないんだよコッチは。俺たちは一刻も早く依頼を達成しないといけないんだって…っ。」
「じゃあ今すぐそのひなこちゃんがいる病院に行って始末すれば良いじゃない。そうすればアンタの仕事は完遂するでしょ?」
図星に刺さったのか、ミロクは眉を下げ、口をつぐむ。それを見てナヅナはほくそ笑んだ。
「…って言ってもまぁアンタのお人よしにできるハズがないわよね。じゃあ“コイツ”のテスターになってくれるなら教えてあげても良いわよ。」
そう言いつつ、机の一番下の引き出しの中から少し小さめなジュラルミンケースを取り出す。中を開けるとそこには眼鏡のような物が入っていた。
「コレは?」とミロクは尋ねる。
「これは霊体を可視化する眼鏡よ。アンタのとこニーナみたいな霊体をまったく見ることができなかったりする死神や、見ることができてもハッキリとは見えなかったりして業務に支障をきたす死神のために開発した代物よ。まぁまだ実験段階だからこれを実用化するためにも、アンタのとこのニーナにテスターになってもらいたいってワケ。」
「どう、乗る?」と半ば強制的ながらも、犯人の情報も欲しいし悪い条件でもない。「ああ、乗ってやるよ。」ミロクは首を縦に振った。ナヅナの表情がパッと明るくなる。
「さっスがアタシのモルモット…じゃなかった、友人ね!じゃあ、実験頼んだわよ~。」
ナヅナが眼鏡の入ったジュラルミンケースを押し付けようとする。が、ミロクはその腕をつかんだ。ナヅナの額に少し汗がにじむ。
「テメェ…、うやむやにしようとしたってそうはいかねぇぞ。」
腕を握る手が段々と強くなる。
「犯人は誰なんだ。ええ?約束だろ??」
少し声のトーンを落とすミロクに、やれやれといったような表情のナヅナは掴まれていた腕を無理やり引き離す。
「アンタってホントお子様ね。そんなんだからモテないのよ。」
「おいおい、今度は俺がその眉間に風穴ぶち込んでやろうか。」
ナヅナは「おぉ~、怖い怖い」と言いつつ、ポケットからボールペンと小さなメモ帳を取り出し、何かを書き始め、そのメモ用紙の一枚を千切り、ミロクに手渡した。
「そこのメモに犯人の名前と住所、それに職場を書き出しておいたから参考にしてちょうだい。まぁこの男をどうするかはアンタ次第だけど、くれぐれもアタシから聞いたとかは言わないでよね。確証は持てないし色々とめんどくさいから。」
渡されたメモを見て、ミロクは茫然とした。そこに書いてある名前に聞き覚えがあった。
「おい、ここに書いてある犯人の名前って…。」
「そうよ、その犯人…――
“桂木 総一郎”は依頼人“桂木 佳奈”の父親よ。」
ナヅナの研究所からでた頃には日もすっかり暮れ、真っ暗な夜になっていた。ミロクは犯人の正体に未だ実感が持てず、困惑していた。
「まぁ、ソイツに関してはアンタの仕事的には直接関係ないわけだし、アンタの懐が痛まないなら別に無理してどうこうしなくてもいいんじゃない?」
帰り際にそうは言われたものの、やはりどこか納得いかない。モヤモヤとした気分のままバス停の方へと向かおうとすると、すぐ目の前に黒いパーカーのフードを被っているニーナが、スマートフォンを片手に操作しながら、電柱にもたれ掛かるかのように佇んでいた。
「ニーナ…。」ミロクが口ずさむ。
「あ、ミロクさん。」自分を呼ぶ声に気づいたニーナはスマートフォンをパーカーのポケットにしまう。
「お前、待ってたのか。」
「ええ、事務所の掃除が終わってもなかなか帰ってこないし何だか落ち着かなくて…とは言っても、ついさっき着いたばっかなんすけどね。てかミロクさん、なんか昼間と比べて元気ないっスね。あのオバサンと何かありました?」
「あ、ああ。それはだな…」
バスを待つ間、ミロクは研究所でナヅナと話していたことを全て伝えた。
「なるほど、それでミロクさん落ち込んでたんっスね。まったく、人が良いのやら何やら…。」
続けて「ウチへの扱いは雑なクセに…」と小声でぼやくが、ミロクには聞こえていなかった。
「それで、どうするっスか?」
「え、どうするって…。」
「決まってんでしょ。その桂木パパさんを始末するかどうかってことっスよ。ウチは殺す方に賛成っスけど。」
ミロクはまた頭を抱え込む。こういう時に限って迷ってしまうのが彼の悪いところだ。
「しかし俺にはあの人が罪を犯した人間には見えなかったのだがなぁ…。娘だけじゃなくて娘の親友のタメにもあれだけ泣けるような人だったし。」
ニーナの表情がいつもとは違い、重くなる。その眼光はいつもよりも鋭い。
「ミロクさん、あまり人間を信用しすぎるのもどうかと思うっスよ。人間ってのは平気で嘘をつく生き物っス。確かにあの人は泣いてはいましたが、その話を聞いてからだとなおさらその中に“別の感情”があるように見えました。」
「別の感情…?」
「そうっス、別の感情っス。ウチらが依頼を受けた時に向けたあの表情が、娘を苦しみから解放できるかもしれないからというよりは、自分の罪を吐くかもしれない被害者をウチらを利用して始末できるからというように見えたっス。まぁあくまでウチの推論っスけどね。」
「なるほどな…。だが、もしあの父親を殺したところでその後はどうする?佳奈さんやそのお母さんが残されてしまうだろ。それに現実的な話、世間体もあるだろ。あの人を殺したら誰が面倒を見てくれるんだ?」
イライラと頭を掻きだすニーナ。ミロクのすぐ人に考えをゆだねるとこが嫌なようだ。
「それを考えるのがあんたの仕事でしょ。」
「俺だってなぁ…。」と反論しようとする途中で「もういいっス。ウチはウチなりにやらせてもらうっス。」と捨て台詞のように吐いて、地面を蹴り上げるかのように踵を返した。
「あっ!おい待てっクソガキ!!」と叫ぶもバスを待たずにその姿はすぐ人混みの中に消えてしまった。
「チッ、逃げ足だけはホントはえーなアイツ…。」
ため息をつき、胸ポケットから1本の煙草を取り出そうとする。が、その腕を青白く、しなやかな腕に掴まれた。
「ナヅナ…。」
「まったく…、ビルの下で痴話喧嘩しないでくださる??アタシの研究所にまで響いていたのだけれど…?」
黒のトレンチコートを着たナヅナが左手の甲をあごまで持っていき、ウェーブのかかったブロンド色の髪をたなびかせながらどこかの名門のご令嬢かのような口調でミロクを煽る。
「痴話喧嘩ではないが大声を上げたことに関しては…、スマン。悪かった。」
「あら、えらく素直なのね。まぁ響いていたのは嘘でたまたまアンタたちを見かけたからなのだけれど。それよりどうしたの?珍しいじゃない。」
「まぁ、ちょっと痛い所突かれてだな…。」
ナヅナは何となく察した。
「なるほどね。まぁアンタのことだからどうせまた、一人で決められない~!なんて言ってたんでしょ。」
人差し指を指しながらナヅナはグイっと近づいた。あの後入浴でもしたのだろうか。シャンプーやボディソープのようないい香りが鼻をくすぐる。
「いい?何度も言ってると思うけど、アンタ等の仕事は特に『依頼主の私情に近づきすぎるのは厳禁』よ。確かに仕事内容柄、依頼者の私情と関わることは多いのかもしれない。でも、それでも依頼者は依頼者であり、他人なのよ。父親を殺すかどうかなんてアタシには関係ないけど、そういうのは警察とか裁判所とかが受け持つ仕事だわ。」
返す言葉がない。ミロクはそのまま口を閉じてしまった。ナヅナが腕を組みなおす。
「とりあえず、アンタ等の今の仕事は『芥川 ひなこの始末』よ。父親についてはその後!分かった?分かったなら返事ッ!」
「あーっ、分かったっ。分かったから近づいてくんな。」
またもや詰め寄られる圧力に圧倒され、仕方なくうなづく。
ナヅナは「分かればよろしい。」と、ミロクから離れた。
「で、今日はどうせ帰っても気まずいだけでしょ?飲みにいくわよ。アタシがとっっくべつに奢ってあげるから。」
“奢る”という言葉にミロクは食いつき、さっきまでの沈んだ様子から一転して明るい表情になった。
「マジか!!気前がいいな!!じゃあさっそく行くかぁ!!」
意気揚々とズンズンと先に進むミロクに「まったく、さっきまでの暗い顔はどこに行ったのかしら…。」と半分呆れつつも、少し笑みを浮かべて後に続いて少し早歩きで追いかけた。
目が覚めるとミロクは見覚えのあるキレイな方のソファーの上で寝転がっていた。身体の上には猫柄でオレンジ色のブランケットがかかっている。時計の短針はちょうど12時頃を指す。
「あっ…、俺いつの間に…って、イツツ…。頭いてぇ…。」
重い身体を起こし、二日酔いの頭痛で頭を抱える。そんな彼のすぐそばに水の入ったコップがコンと置かれる。
「お酒を飲むことがダメとは思いませんが、飲みすぎは良くないですよ。ミロクさん。」
自分を覗き込む顔。この顔に憶えがあると思いながらも「すまない。」とコップを手に取り、ぼんやりとしながら水を口に含む。
「アレ、お前…。」
意識がハッキリとした瞬間、飲み込みかけていた水が噴出した。
「アンタ…いや、あなた様は桂木佳奈さんっ!!!???」
その少女はまごうことなき桂木 佳奈であった。幸いなことに吹き出した水はかからなかったものの、それまでの自分の様子を思い出し、苦悶する。
「申し訳ありません!!!!!!お客様にこのような醜態を見せてしまって!!!!水なんかも持ってきていただいて!!!!吐いちゃいましたがっ!!!!!!!」
何度も謝りながらソファーを拭く二日酔いの男を見て、佳奈は思わず微笑む。
「いえ、大丈夫です…!酔っぱらった人のお世話をするのは得意なんで。」
隣であたかも当然かのように一緒に拭いてくれる彼女に、ミロクは目を丸く輝かせた。
「うう…、ありがとうございます。アイツもこれぐらいのことをしてくれたら…。」
という自分の言葉と共にふと昨晩の出来事が頭をよぎる。
「すみません、うちのクソガ…助手はどこへ行ったかはご存じないですか?」
「いえ…、私は今朝、急に呼ばれて『自分はやることがあるのでこの人のことを頼みます。』としか言われてないので…。すみません。」
やることがある。昨晩に言っていたことを思い出し、悪い予感がする。
「『ウチはウチなりにやらせてもらう』…。アイツまさか…っ!」
ミロクは冷たい汗をかきながら着たままだった服を軽く整え、ナヅナから受け取っていたジュラルミンケースをもって出かける仕度をする。
「ミロクさんっ!?急にどこへっ!?」
慌てた様子の佳奈を尻目に「急用を思い出しました!お客様に頼むのはお門違いで申し訳ありませんが、留守番をお願いします!」とだけ言い残し、その場を後にした。
タクシーに乗り、昨日の病院まで向かう。移動中は慌てた様子を隠し切れず、何度も足を組みかえたり、汗を拭きとったりしていた。携帯にも何度も連絡はしたが反応はなかった。
病院にたどり着くとあらかじめ桂木から聞いていたひなこがいる病室まで急ぎ足で向かい、[303 芥川 ひなこ]と書かれた病室の前に立ち、服装を整えた。
扉を開ける。室内ではベッドで寝息をたてるひなこの前にニーナが立っていた。
「おいクソガキ、どうするつもりだ」
「決まってるじゃないっスか、お仕事っスよ。」
予感は的中した。ニーナは今にもひなこを始末しようとしていたのだった。その目に迷いはない。
「依頼主に隠してか?そいつはルール違反って知ってるよな?」
そう、死別け屋は決して報酬さえ払えば問答無用で殺すわけではない。執行する際には依頼主本人も同伴し、その行く末を見届けなければならない。それがこの仕事の絶対の規則であり、殺し屋とは違う理由の一つでもある。
「…今回は特別っス。今始末しなければこの子は、ひなこちゃんはまた襲われるかもしれない。ならそれまでに依頼を完了し、綺麗なままで終わらせる。…そのほうがこの子のタメっスよ。」
「ハァ…これだからガキは困るんだよなぁ…。」
ミロクはジャケットの内側から黒いハンドガンを抜き出す、両側面のスライドには死神の鎌のようなデザインが刻み込まれている。
「お前まだ、人間の幽体離脱って見たことなかっただろ。そこのケースに入ってる眼鏡かけてちゃんと見ておくんだな」
ニーナは訳も分からず言われるがままにケースの中にある眼鏡をかける。が、特に変わった様子もなく疑問が積み重なるだけだった。
そんな様子に見向きもせず、銃口をひなこの眉間に向け、呪文のような何かをしばらく唱えてからその引き金を引いた。
バンッ!
耳をつんざくような銃声が病室中に響く。ニーナは目を見開き体を少し震わせた。
「フン…俺が銃で撃つとこなんてもう何度も見ただろ。それに見てみろ。まだ死んじゃいねぇよ。」
再びひなこの方を見る。すると視界には嘘のような光景が広がっていた。
ベッドに横たわる『ひなこ』とはまた別にすぐ傍には立ったまま目を閉じる半透明の『ひなこ』の二人がいた。まるでドッペルゲンガーのように。
「それが幽体離脱だ。お前は今まで俺が何も考えずにただ撃っているだけに見えていたかもしれんがこの銃は本来1発目の弾で魂を抜き出し、それから2発目の弾でやっと幽体離脱した魂に撃ちこむ。それが正しい使い方だ。」
口をぽかんと開けている。この短い間での出来事が多すぎて頭の理解が追い付いていない。
「まぁとりあえずお前は手を出すな。後、佳奈さんも呼んでおけ。代わりの留守番はナヅナにでもやらせておけばいい。」
無言で頷くと、頭の整理も兼ねて電話をかけるために病室を後にする。
「さて、そろそろ起きてもらいましょうか。芥川ひなこさん」
そう口にすると幽体離脱したひなこの目がゆっくりと開く。丸く黒い瞳に光が差す。
「初めまして。私は死分け屋のミロクと申します。本日はご依頼がありま――」
「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
ミロクの声を遮るほどの絶叫。一瞬にして黒い瞳から光が消える。彼女の止まったままだった時間が動き出したのだ。
「落ち着いてくださいひなこさん!ここは病院です!今貴女を襲おうとした人はここにはいません!!ですので安心してください!!」
叫び声は止まない。それどころか彼女の魂の姿は下から徐々に黒く染まっていくように見える。
「チッ、幽体離脱したまま怨霊になろうとしている…!このままじゃヤバイな…。」
何か打開策はないかと考える。しかし、今の状況下で彼の頭の中で考えられる策は一つしかなかった。
「強行策になるがこれしかねぇか。」
絶叫が響き続ける中、再び小さく呪文を唱え始めるミロク。すると徐々に彼の足元から黒い渦のようなモノが現れる。黒い渦はやがて形状を保ちだし、しばらくして彼の背丈ぐらいの高さになる。
黒い渦から作られたものは禍々しい形状をした大鎌だった。
「やれやれ、こいつは疲れるからあまり使いたくは無かったが…。まぁ、仕方ねぇか。」
片手で柄を握り、一度真上に上げてから地面に強く振り下ろす。すると地面からゴーンと、晩鐘を告げる鐘のような、鈍く響く音が部屋中に広がった。鐘の音は彼女の叫び声と黒く染まりつつある魂を一時的に抑えた。
「落ち着いてください。貴女は怨霊になってはいけない。今、佳奈さんがこちらに来ます。それまでどうか、お気を確かに。」
「か…な……。」
親友の名にハッとするひなこ。どうやら冷静さを取り戻したようだ。黒く染まりつつあった場所もいつの間にか元に戻っていた。
やれやれ、本格的に使うことはないかと、ミロクは安堵して大鎌から手を離すと、再びそれは黒い渦となって消えた。
ドアが開き、落ち着いた様子のニーナが入ってくる。連絡を終えたようだ。
「事務所の件はナヅナさんが引き受けてくれたっス。貸1みたいっスけど。後、佳奈さんもすぐに病院に向かうみたいっス。」
ミロクは「そうか。」とだけ言葉を返してから耳元まで顔を寄せ、「鐘の音は聞こえたか」と小声で尋ねたが、ニーナは特に何も聞こえなかったと首を横に振った。
「そうか、ならいい。後は依頼主が来るのを待ちながらひなこさんの話を聞くだけだ。」
ひなこの方に視線を移すミロク。彼女は少し落ち着いたようで自分の肉体を見つめながらベッドに腰を掛けている。
「私の肉体が…。これが幽体離脱…。」
落ち着きながらも困惑した様子でブツブツと一人言を話す。その様子をうかがいながらもミロクはそっと彼女に近づいた。
「改めまして、私は死分屋をやらせてもらってますミロクと申します。本日はご依頼がありましてここに参上しました。それでその依頼者と依頼内容なのですが…」
話の途中でひなこが彼の存在に気づき、深々と頭を下げた。
「あ!先ほどは申し訳ありませんでした!ちょっと気が動転して…。」
「いえいえ、たまにあることなので!」と諭すように返す。無論、それは嘘で彼がその事例に遭遇したのは実際には片手で数えるぐらいしかない。
「で、依頼者とその内容なのですが…」
続けて話そうとするとまたしても話を遮られた。今度はニーナだ。珍しく真剣な表情である。
「依頼者は桂木 佳奈。アンタの親友っスね…です。そして依頼内容は…」
たどたどしい敬語ではあるものの、事務所で佳奈が話した内容をそのまま伝える。その間、ひなこは黙ってその話をしっかりと聴いていた。
「ああ、かなちゃんが私のために…。」
少し涙ぐむような表情を見せるひなこ。彼女はそのまま、事件当日の日のことを話し始めた。
「私にとってはついさっきのことなのですが、佳奈ちゃんと一旦別れた後、自分の家に向かっていたんです。でもその途中で…」
言葉が詰まる。ミロクは「別に無理して話していただかなくても。」と諭すが「いえ、佳奈ちゃんが話してくれたのだから私も。」と少し震えながらも話を続けた。
「私はその途中で“ある人”とたまたま会ったんです。私はその人のことを知っていたので何気なく挨拶をしたのですがそこで急に手を引っ張られてすぐ近くの路地裏に連れていかれて…」
話の途中で魂だが過呼吸になるひなこ。
「落ち着いて!もう話さなくていい!」と彼女を抱きかかえようとするミロクに「来ないで!!」と叫び、その気迫で彼を押しのけた。
「ごめん…なさい。また思い出して…。」
彼女の足元が再び黒く染まろうとしている。「またか…。」と頭を抱える。ニーナはその一連の出来事をただ黙って見ていることしかできない。
彼女のひざ元辺りまで黒く染まろうとしていたその時、ガララ!と勢いよく扉が開く音がする。
そこには息を切らして開けた扉に手をかける佳奈がいた。
「佳奈さん!ちょうど良いところに!何も聞かずこの眼鏡をかけてくださいっス!」
突然のニーナの気迫に驚きつつも受け渡された眼鏡をかける佳奈。すると目の前に黒く染まりつつある自分の親友の姿を目の当たりにした。
「ひなこ…。えっ、これって…。」
困惑の表情を隠せずに混乱する佳奈に「すみません!今のひなこさんを抑えられるのは貴女だけなんです!」と焦った様子で叫ぶミロク。分からないながら少しずつ状況を飲み込んだ彼女は静かに頷いた。
「落ち着いてひなこ!私よ!佳奈よ!!」
「か…な……?」
少し落ち着きを取り戻したのか。腰あたりまで黒く染まったところでその進行は止まった。
「そうよ!だから落ち着いて!!」
黒く染まった部分が少しずつ元に戻っていく。
「かなちゃん、どうしてここに…あっ、そっか…。」
ひなこが何かを察したかのように微笑む。
「確か死別け屋さんっていうのは依頼主が望んだ人や生き物を殺すんですよね?で、その際に依頼主は見届けないといけなくて…。」
ミロクが「よく知ってましたね。」と返すと「ええ、以前調べたことがありますから。」と、どこか申し訳なさそうに答える。
「ひなこ。ごめんね、あの時何も助けられなくて。」
ううん、と首を横に振るひなこ。どこか晴れやかで穏やかな表情だ。
「かなちゃん、そんなに自分を責めないで。あれはきっとどうしようにもなかったんだよ。だからかなちゃんは悪くない。悪いのは…」
「佳奈。やはりここに来ていたか。それにお二人も。」
先ほどの娘と同じように息を切らして病室に来た男性。それは佳奈の父であり、一連の事件の犯人である可能性が高い“桂木 総一郎”だった。
「桂木さんのお父さ…」
ミロクが彼に話しかけようとしたその時、すぐ後ろで先ほどまでとは段違いの禍々しいオーラを感じ取った。
「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」
もはや咆哮と言う方が正しいぐらいの叫び。抑えきれなかった恐怖と絶望が黒き衣となってひなこを包み、遂には彼女の姿が一切見えなくなってしまった。
その異常事態は霊体を視認できないニーナや総一郎でも察知できるぐらいに空気をしびれさせ、今にも窓ガラスが割れそうなくらいにガタガタと音を立てていた。
佳奈はというと、ひなこの突然の咆哮に驚きと恐怖を隠し切れず、尻もちをついて2~3歩後ろに退いた。
「チッ、とうとう怨霊化してしまったか。」
ミロクが先ほど同じく呪文を唱え始め、黒い渦から再び鎌を精製する。
「こうなったからにはもう取り返しがつきません。佳奈さん、貴女が許可をするなら私は迷いなくこの鎌を振るいます。よろしいでしょうか。」
返事はない。どうやらここにきて迷っているようだ。
「ミロクさん、私どうすれば…」
言葉を言い終える前に黒く禍々しいツタのような触手が佳奈を襲おうとする。
しかし、その寸前でミロクが両手で持った鎌を縦に大きく振るうことでその触手は寸前の所で分断された。
「許可をください!このままでは我々どころか、この病院にいる全員が怨霊に飲み込まれ、全員が怨霊になってしまう!!」
怨霊は人を襲う。だがミロクら死神は本来、怨霊に襲われることはあっても怨霊になることはないのだが、被害を最小限に抑えるためにあえて嘘をついた。
怨霊と化したひなこの猛攻は止むことはなく、雄叫びを上げながらいくつもの触手を全員に向けて放つ。そしてそれらをミロクが切り裂く。そのような攻防を繰り返す中、佳奈は迷っていた。
確かに最初に依頼したのは自分ではあったが、いざ魂としてのひなこと話してしまったことで再び自分の中で揺らいでいたのだ。本当にひなこは殺されるべきなのかと。
「選べない…。選べないよひなこ……。」
たまらず地面に座り込み、涙を流す佳奈。その心の弱さが怨霊の勢いをさらに加速させた。
「ぐあああああ…っ!!」
佳奈とその父、ニーナを守り続けているミロクのスーツが斬れて血が流れる。もはや立っているだけでも精一杯だ。
「ミロクさん!もう無理っス!それ以上攻撃を受けると死ぬっスよ!!」
珍しく焦った表情を見せるニーナ。だがミロクはそれを良しとはせず、首を横に振った。
「いや、依頼主の最終確認が取れてからやるのがこの仕事の手順だ…っ。それを捻じ曲げるわけにはいかねぇ…。」
苦しそうに表情を歪めながらも口元がニヤリと歪む。心配させたくないからか、それともまだ余裕があるという気持ちの現れか。そこから表情が変わることなく攻撃を耐え続ける。
「佳奈さん!許可してください!このままじゃミロクさんが…みんなが…っ。」
「そうだ佳奈!依頼したのがお前だとするのならば、決断をしなさい!」
ニーナと共に佳奈の父も佳奈に訴える。しかし、彼女の耳には届いていない。もはや彼女はひなこのことしか考えられていなかった。
「私…私…っ。」
不意にこれまでのひなことの記憶が蘇る。
休み時間のくだらない話。放課後の誰もいない教室で恋バナに盛り上がった時、初めてひなこに家に招かれてお泊り会を開催してもらったとき…
そのどれもが大切な時間であり、揺るぎない日常であった。そしてその日常はこれからもずっと続くものだと思っていた。
だがそれは記憶の海へと消え、もう取り戻すことはできない。そうわかっているハズなのにどこかまだ救いがあるのかもしれない。そんな望みがわずかに残り、迷いを加速させる。
しかし時間はそれを待つことはない。刻一刻とミロクが追い詰められていく。
「助けて…助けて!“ひなこ”!」
思わず怨霊と化した彼女の名前を呼んだその時である。あれだけ雄たけびを上げ、猛攻を繰り広げていたひなこが突然攻撃を止め、置物のように固まった。
『…な…ちゃ……。』
「え…?ひな…こ?」
佳奈の頭の中で聞き覚えのある声がする。朗らかで、陽だまりのように優しく、暖かい声。その声はまさしく怨霊と化したハズのひなこのものであった。
『かなちゃん、ありがとう。でももういいんだよ。少しだけでもまたかなちゃんと話せて私、嬉しかった。だからもう大丈夫。』
「ひな…こ……」
また涙が溢れる。しかし、その涙は「迷いの涙」ではなく「決意の涙」であった。
「ミロクさん、お願いします。ひなこに…私の『親友』に安らぎをお与えください。」
涙を拭い、決意の眼差しでミロクに訴えかける。ミロクは頷いた。
「最終確認をいただきました。では、職務を遂行させていただきます。」
刃を下側にして構えなおす。それからまた呪文を唱え始めた。
刃に少しずつ夜桜のような色に輝き始め、やがて妖しくも美しい光を纏い大きな刃となった。
「彼の名を芥川ひなこ。彼の魂にひと時の安らぎが訪れんことを祈る。職務執行。」
巨大な刃は下から大きく縦に振りかぶり
ひなこを切り裂いた。
黒い衣は二つに切り分けられると、触手と共に剥がれ落ちながら虚空に消え去った。
「ひなこ…。」
剥がれ落ちた跡から彼女の魂の姿が横たわっていることに気づく。その魂は少しずつではあるが消えかかっていた。
「今ならまだ間に合います。さぁ、最期に何か会話してみてはどうでしょうか。」
ミロクが優しく問いかける。
「なら私も…」と総一郎が見えないながらもひなこの魂に近付こうとするが「アンタにはちょっとこっちで話があるっス。」とニーナがそれを無理やりに止め、ミロクと3人でその場を後にした。
「ひなこ、分かる?私よ、桂木佳奈よ。」
病室の床に倒れているひなこに触れようとする。でも私の手はスッとひなこの身体をすり抜けた。
そっか、こっちのひなこは魂だから触れられないんだった。てことは私はひなこに声をかけることしかできないんだ。ホント無力だなぁ私。
「かな…ちゃん?」
目を開けたひなこが私を見つめている。何だかとても眠たそう。
「そう、佳奈だよ。私、ひなこに色々と言わなきゃいけないことがあるの。」
多分もうすぐひなこの魂は消える。その前に全部言わなくちゃ。謝らなくちゃ。
「ごめんねひなこ。あの時私が誘わなければこんなことにはならなかったのに。怖い思いをしなくてすんだかもしれないのに。」
あの日のひなこの姿は今でも覚えている。
無理やりに引き裂かれた制服、辺りに散らばるボタン、いくつものアザ。ヒューヒューと虫の息で両手で首元を抑えるひなこの姿は今でもトラウマとして強く残っている。
「謝らないでかなちゃん。あんなこと誰も予想しなかったもの。確かに怖かったし今でも震えるけどそれはかなちゃんが悪いわけじゃない。悪いのは…」
「私のお父さん…だよね?」
ひなこにひどいことをした犯人、それは私の父だった。
それを知ったのはついさっきのことで、電話でニーナさんが教えてくれた。
でも驚きはしなかった。なんとなく分かってはいたから。ただそれまで疑惑だったのが確信に変わっただけだった。
やけに昏睡状態のひなこに気をかけていたり、毎日ネットニュースや新聞を睨むように見つめ、たまに電話をかけては通話相手に怒鳴りつけることもあった。お酒を飲む量が増えたのもその頃からだった。
それらは全て自らの“保身のため”であり、ひなこに気をかけていたのは目を覚ました際に自分が犯人であるとバレたくなかったから、通話相手に怒鳴っていたのは自分が疑われていたからだろう。そして何より、私たち家族にバレるのが怖かったからに違いない。
情けない父だ。私と同じぐらいの女子にたくさん手をかけて、バレないようにあの手この手で隠す。父親として、いや、ヒトとして失格だ。
そんな人間に実質殺されたひなこのことを思うと無念でしかない。とても悔しい。
「本当にごめんなさい。あんな父親のせいで辛い目に合わせて…。」
「だから謝らないでかなちゃん。このままじゃ私、悲しくてあの世に行けないよ…。」
「じゃあここにいてよ!ここにいてまたあの時のように一緒に遊ぼうよ!!ひなことは行きたいとこややりたいことがまだまだたくさんあるんだ!」
分かってる。これはただのわがままだ。「あの世に行けない」というひなこの言葉に付け込んだ私の甘えであり本心だ。
やっぱりひなこには死んでほしくない。死別け屋さんに依頼したのは自分なのに、ホントずっと矛盾してて自分勝手。これじゃああの男と変わらない、腹が立つ。
「かなちゃん…。私こそ本当にごめんね?でもやっぱりダメ…かな。」
…ッ!
ひなこの身体が眼鏡をかけててもところどころ見えないぐらいに薄く透明になっていく。
「ねぇ、聞いて…。かなちゃんにはきっとこれからいろんな出会いがあると思う。それこそ前に話していた王子様のようなカッコいい人とか。だからかなちゃんはその出会いを大切にしてね。そしてたまにでいいから私のことを思い出してくれたら嬉しいな。」
「やだ。やだよぉ…、もうひなこと離れたくない…っ。」
涙が流れる。今日で何度目だろう。一度流れると止まらない。次から次へと目の奥から涙が溢れる。
けど、そんな涙を誰かが拭ってくれた。確か昔もこんなことが…。
「泣かないでかなちゃん。かなちゃんはもう昔の泣き虫佳奈じゃないでしょ?」
そう。私はまだ幼い時、ちょっとしたことでもすぐに泣いちゃうような泣き虫だった。でもその度にひなこがその涙を拭いてくれた。
え?てことは今、私に触れたのは…
「うん、そうだった。私、あの頃より強くなったんだった…!」
涙を拭ってくれたひなこの右手を握りしめる。何も感じないはずなのにどこか温かくてあの時と変わらない優しい手だ。
「じゃあきっと大丈夫。かなちゃんにならできるよ…!」
ほとんど透明なっていくひなこ。私はその身体をギュッと強く抱きしめた。
「私がんばるよ!最初はひなこのことを引きずってちょっとダメかもしれないけど、でもきっといつかはいろんな人と出会って、仲良くなってく!だからもう大丈夫だよひなこ!」
「うん、わかった!私もあの世から見守ってる!だから…」
「だから、またね。かなちゃん!」
あの日から一週間が経過した。
桂木総一郎はその後、警察に逮捕され、佳奈とその母は当面の間、親戚と暮らすこととなった。
父が捕まったということで佳奈がイジメられるのではないかとミロクは危惧していたが、思いのほかそんなことはなく、むしろ以前よりもクラスメイトと良好な関係をとれているようだ。
それを聞き、安心しているところでミロクはある事を思い出した。
「あ、そういや報酬もらってなかったな。まぁいいか、今回は執行前に事故でダメだったということで。」
アイスバーを齧りながら街中を歩くミロク。その隣でシーナは「まったく、どこまでお人よしなんすかねぇこの死神は。」と文句を言いつつも少し頬を緩ませていた。
「あ、そういやあの時病室である意味騒いでたのになんで誰も来なかったんスカね?」
ミロクがフフンとドヤ顔をしてみせる。
「それはだな、俺が病室に入る前に呪文を込めた塩を撒いておいたからだ。」
「へ?塩っスか??」
「ああ、呪文を込めた塩が結界代わりになって外に響かないようになっていたのさ。人間が葬式の帰りに自宅の前で精塩死別け屋」
それは死神たちの職場。主な業務内容は害虫や害獣などの駆除ではあるが、それはあくまで表の話。
では、その裏はと言うと…。
「ふぁ~あ、今日も人来ねぇなぁ~…。」
古びたソファーにもたれかかってあくびをする。口元に無精髭を生やし、しわくちゃの喪服に身を包む見るからにだらしない男。彼の名は死神番号666、通称「ミロク」である。
「たまに来る客はどいつもこいつもやれ害虫駆除や、近所の害獣駆除ばっか。いいかげん本業らしく人間様の魂をガーッと刈り取ってがっぽり設けたいもんだ…。」
「まぁまぁ、いいじゃないっスかー、ゴロゴロできるし。」
と、けだるげに本来は来客用のものであるハズの小綺麗なソファーに土足で寝転び、携帯ゲーム機からカチカチと音を鳴らし、黒いパーカーと紺のジャージズボンを着用する少女。名は死神番号217、通称「ニーナ」である。
「おいガキ、何度も言ってるだろ。そっちのソファーは客用なんだから土足で寝転ぶなって。」
「えぇ~、別に客来ないしいいじゃないっスかぁ…。それにウチにはニーナって名前があるんすよ。何度も言ってるでしょ。」
とは言いつつも、ソファーから身体を起こし立ち上がる。そして今度はミロクのすぐ後ろに立った。粗くまとめられたポニーテールが少し揺れる。
「…おい、クソガキ。何故俺の後ろに立つ。」
「決まってるじゃないっスか。そこどいてもらうためっスよ。」
「いや、どくわけな…」
「問答無用!」
細身な身体から考えられないほどの怪力でソファーが傾く。ミロクは驚きのあまり体を動かすことが出来ず、そのまま机に額がぶつかるように転んだ。
ニーナはというと何事も無かったかのように今度は古いソファーに寝転び、パーカーのポケットから再び携帯ゲーム機を取り出した。
事務所の中をゲーム音だけが響く。しばらくすると頭を打ち付けたままの状態で気を失ったかのように固まっていたミロクがゆっくりと顔を上げる。手で顔を抑えているがその様子から怒りがこみ上げているのがよく分かる。
「このクソガキッ!!!俺を誰だと思っていやがる!お前の先輩死神だぞ!!」
「あー寒い寒い。年功だけ重ねて実力と実績が無い死神に限ってそういうこと言うっスよねー。寒いわー。」
「くっ…、確かに同期と違って実績は少ないがそれはワケがあって…」
「あの…」
扉の向こうから声がする。が、今の二人の耳には入らない。
「えぇ~?どんなワケがあるんすか~???言わないと分かんないっスよ~???」
言葉に詰まるミロクにニーナがニヤニヤと嘲笑を浮かべる。
「あ、あのぉ…」
もう一度声を出す。が、やはり二人の耳には届いていない。
「と、とにかくだ。お前はもっと先輩を尊敬するということをだな……」
「あのぉ!!!!すいませんが!!!!!!」
痺れを切らした扉の向こうの人物が声を荒げる。二人の声を遮る程の大声に驚いた二人は扉越しに女性のシルエットがあることにようやく気付く。
「うわぁぁぁぁぁ!!!!申し訳ありません!!!!少々お待ちください!!!!!!」
大声を上げて驚くミロク。その大声に続けて驚いたニーナは思わずゲーム機を落としてしまった。ニーナはそれを拾おうとしたがその手をミロクはガッと掴んだ。掴んだ腕の強さと表情から怒りや焦りが見える。
「おいクソガキ、お客様をお迎えしろ…っ。俺はお茶とお菓子を持ってくる…っ。」
そう言うと返答も待たずして事務所の奥へとそそくさと向かった。
小声で「ちょ、先輩そんな無茶な…っ…。もう…。」とぼやきながらも被っていたフードを脱ぎ、服装を整え、さりげなく落ちたゲーム機を近くの棚にしまう。久々の来客に緊張している自分を落ち着かせるために深呼吸を一度して、女性が待つ扉を開けた。
扉の向こうには長袖のセーラー服と膝あたりまでのスカートを履いたショートボブの女子学生が困惑した表情で立っていた。制服からして近所の有名な女子高の生徒だろうと察する。彼女は何度も「すみませんでしたっ!」と謝罪の言葉とともに頭を下げた。
「ああああ…!こちらこそ申し訳ないっス…じゃなくて、ございませんでしたっ!!今案内しますっ!!」
慣れない営業用の話し言葉にところどころ詰まりつつも手で長机の表面をパッパッと掃い、彼女を来客用のソファーへ案内する。
奥の部屋から戻ってきたミロクはトレイに三人分のお茶と何種類かの市販のお菓子を乗せ「申し訳ございませんっ!」と何度も繰り返しながらトレイを長机の上に置く。
「いやはや、先程はお呼びになったにもかかわらず、気付かず誠に申し訳ありません!少し喧嘩に…いえ、討論をしていたもので・・・あ!どうぞどうぞお掛けください。」
女学生は丁寧に「失礼します」と言って、ソファーに浅く腰掛ける。その隣に同じように腰掛けようとするニーナをミロクはキッと睨むと、それに気づいて不服そうな顔でミロクの横に座った。
「それで、本日はどのようなご用件でしょうか。うるさい近所の犬?それともベランダに急にできていた蜂の巣?我々はどのような生物でも駆除いたしますよ!」
「私の駆除して欲しい生物、それは…」
「それは…?」
女性は少し考え込み、しばらくしてから意を決したかのように二人を見つめ、口を開けた。
「人を…ある人を殺して欲しいのですが」
「ある人を…殺して欲しい…?」
ミロクが眉間にしわを寄せる。確かに彼は高価値である人間の魂を求めているが、いざそのような依頼が来ると若干退いてしまう性分であるため、今回も一歩後ろに下がるような心持ちである。
「…一応聞いておきますが、我々がそのような依頼も受け入れているという情報は一体どこで?」
「たまたまSNSで見たんです。『死別け屋という駆除業者は本来、人殺しの依頼を引き受けている闇業者だ』…と」
「なるほど、SNSですか。」
念のために情報源は聞いておく。自分たちの本業に関しての情報がどこから流出しているかを知っておく必要があるからだ。
「そういえば貴女のお名前と年齢は?」
「はい、私の名前は『桂木 佳奈』です。年は16歳です。」
ニーナが隣で「カツラギ カナさんっスね…」と小声で呟きながらメモ帳に記す。ミロクは質問を続ける。
「桂木さん。それで、貴女の殺して欲しい人というのは…?」
彼女、桂木は少し顔を俯かせた。額に少し汗が滲む。
しばらくの沈黙の後、彼女はコップに入ったお茶を一口飲んで唇を潤わせるとその口を開けた。
「私の親友を…『芥川 ひなこ』を殺してくださいっ!」
「…っ!?」
二人は息をのんだ。通常、死別け屋全体で来る本業の依頼の多くは夫の浮気相手や脅し相手など依頼者にとって恨みや妬みのような負の感情を持つ相手が多い。つまり、今回の『親友』という対象は異例である。無論、彼らにとっては初めての内容だ。
ミロクは流れる汗をハンカチで拭う。
「桂木さん、申し訳ありませんが何故その方を殺して欲しいのかが我々には皆目見当がつきません。ですので良ければ話せる範囲で理由をお話してもらってもよろしいでしょうか」
桂木は少し考え込んだ後、うなづく。
「ええ、わかりました。ではかいつまんで話します」
あれは今日のような木枯らしが吹く去年の秋でした。先ほども言いましたが私には『芥川 ひなこ』という近所に住む幼馴染の親友がいます。
ひなこは幼いころから病弱で、すぐに体調を崩しちゃうような子でしたが、それでも普段は元気いっぱいで私にとっては『太陽』のような存在でした。
ある日、私たちはいつものようにいったん帰宅してからまた集まろうと約束をした後の事です。
「キャーーーーーー!!!!」という悲鳴が聞こえたんです。それもひなこの家のすぐそばで。
私は嫌な予感がしました。あの叫び声はまさかと。
いや、きっと気のせいだろう。何かの聞き間違いに違いない。あの声はきっとひなこの声じゃない!そう自分に言い聞かせながらも、不安で早くなる鼓動に呼応するかのように私は悲鳴の聞こえる方に向かって足を進ませていました。
声のした場所は見覚えのある場所、ひなこの家の近くにある暗くて狭い裏路地でした。
そこで私は見てしまったんです。無残な姿のひなこを……。
話の途中で佳奈が耐え切れずに喉元を抑えてヒューヒューと呼吸困難を起こし、ソファーの上に倒れた。
ミロクが急いで救急に連絡をする間、ニーナは持っていたハンカチを桂木の口元に移動し、そのまま抱え上げて奥にあるベッドへと連れていき、救急車が来るまでの間彼女を寝かせた。
病院に着くと、そこにはすでに桂木の両親らしき人らが正門玄関の前に立っていた。担架が降ろされ、彼女の母であろう人物が運ばれていく彼女に付き添いながら病院内に姿を消す。残された父であろう人物に救急隊員がミロクが救急車内で話した事の顛末について説明している。
二人はそれを黙って見ていることしか出来なかった。
冬の訪れを感じさせるような少し肌寒い病院の屋外、説明を聞き終えた桂木の父のガタイの良い大きな身体がゆっくりと二人の方へ向かっていく。
「この度はうちの娘がご迷惑をおかけしまして誠に申し訳ございませんでした。」
二人に深々と頭を下げ、謝罪をする。
それに対して「いえいえ、こちらこそお父様やお母様にご心配をおかけ誠に申し訳ございませんでした。」と頭を下げるミロク。ニーナも続いて頭を下げる。
「それで、何故うちの娘があなた方の元にご訪問なさったのでしょうか」
疑問に満ちた眼で彼らに尋ねる。ミロクとニーナの二人はしばらくお互いに目を合わせて頷く。
「はい、そのことについてですが、こちらには例えご両親だろうと他言無用の下で仕事をさせて頂いているもので基本何も言うことはできないのですがそうですね…。我々から言えることは“人生相談”と言ったところでしょうか。ええ、我々はそれも生業としているもので…。」
ミロクは咄嗟に噓をついた。バレるか?とも思ったが相手に疑ってる様子は無さそうだ。
「なるほど、そのようなお仕事の方でしたか。…てことはやはり、内容は“あの事”に関して何でしょうか」
「あの事?」ニーナが尋ねる。
「ええ、娘は恐らく『女子高生連続婦女暴行事件』及び『女子高生連続殺人事件』についてではないでしょうか?」
ミロクが目を見開く。
「はい、恐らくはその通りだと思います。事件名まではおっしゃってはいませんでしたので確証は得られませんが。」
「やはりそうでしたか…。既に聞いたかもしれませんが娘には『芥川 ひなこ』という近所に住む幼いころからのあの子の親友がいたのですがね、彼女もその事件の被害者だったんです。幸か不幸か死亡にまでは至ることなく、その、未遂ではあったみたいですが…。」
桂木の父が言葉に詰まる。ガタイの良い身体がどこか震えているように見える。
しばらくの沈黙の後、桂木の父は震える唇を開けた。
「相当怖かったのでしょう。あの子は…ひなこちゃんはそのショックに加え、元来身体が弱かったこともあってか1年以上経った今でも病院で目を覚まさないのです。なのでそのことを娘は今でも後悔しているようでして…。『家まで一緒に付いて行ってあげれば良かった』『そもそも私が誘わなければこんなことにならなかったのかもしれない』等と家でも度々言うのです。」
父の目から滴が零れる。
「どうか、私の娘を助けてやってください!お金なら私もいくらでも払います!私たちは娘のあんな顔をもう見たくはありません!!」
「どうか…どうか…」と父がミロクに抱き付き、泣き崩れる。震える大きな体格はさっきまでとは違ってどこか小さく見え、まるで小さな子供の様だった。ミロクはすがりつく彼をゆっくりと離す。
「…わかりました。その依頼、我々が引き受けます。ですので安心してください。依頼料は後払いで大丈夫です。今は娘さんを労わってあげてください。」
先ほどまで曇り空だった空の隙間から光が差し、ミロクとニーナに降り注ぐ。光を浴びるその姿は『死神』と言うにはあまりにも神々しく、さながら『天使』の様だった。
「ああ…ああ…、ありがとうございます…っ!」
桂木の父は天を仰ぐかのように跪き、何度も彼らに礼を述べる。ミロクは「いやいや、まだ依頼は完了してないんですから」と苦笑いしつつ、彼の手を取り、立ち上がらせる。
「とりあえず、期限は1週間を目途に行動します。あ、私の電話番号もありますので何かあればコチラにお掛け下さい」
そう言いつつ電話番号と名前をメモ帳に走り書きで書き、それをちぎって渡す。
「では、私たちはこれで。娘さんにもお大事にとお伝えください。」
ミロクはニーナを連れてその場を後にする。桂木の父はその姿が見えなくなるまでずっと眺めていた。
「ミロクさん、良いんすか、あんなに豪語しちゃって。」
帰り際に手配していたタクシーの中でニーナが訪ねる。
「仕方ねぇだろ、親父さんにあんなに泣きつかれたら…。それに、依頼はもう引き受けちまったしな。」
ミロクが頭を掻きながらやれやれと窓の外を眺める。外はすっかり晴れた青空が通り過ぎ行く街を照らす。
「で、どうするんすか。これから。」
「そうだな。とりあえずはこの例の事件について調べるか。何か解決策があるかもしれないからな。」
「でも調べるってどこで?警察にでも聞くんすか?」
「バーカ、んな無駄なことしねぇよ。アイツに聞くんだよ、アイツ。」
ニーナは少し考えこむ。そしてしばらくの沈黙の後、ハッとしてから少し嫌悪感を抱いた。
「アイツって、もしかしてあのオバサンのとこっスか?ウチ、苦手なんすよねあの人…。」
「その『おばさん』っての、本人の前では絶対に言うなよ。アイツ、キレるとホント厄介だからなぁ。この間だってちと冗談言っただけで眉間に弾丸撃ち込まれそうになったし。まぁ俺らに実弾は効かねぇんだけれども。」
「まぁミロクさんはデリカシーゼロっスからね。仕方ないっスよ。」
そう言って嘲笑するニーナの頭を「デリカシーゼロで悪かったな!」と軽く叩いた。
一度、事務所にまで戻ると、「留守番は任せた。」とニーナだけを降ろし、運転手に次の場所を伝えてからそそくさとその場を後にした。ニーナはあの女に会わずに済むという安堵感と名状しがたいモヤモヤとした感情を抱えながら事務所のカギを開けた。
「ふぅ、やれやれ。やっとうるせぇのがどっか行ったな…。」そう呟く声を聞いて運転手が尋ねる。
「先ほどの方は娘さんですか?」
ミロクはしばらく目を瞑りながら頭をかく。
「俺がそんな年に見えるか?せめて妹ぐらいにしてくれよったく…。俺はアイツの保護者代わりだよ。色々あってな…。」
ミロクの表情が少し曇る。事情を察した運転手が「あ、そうでしたか。申し訳ありません。あまりにも親子のように仲が良く見えたもので…」と言うと、その表情はさらに曇った。
終始無言のまましばらくすると、目的地である都内の高層ビルの一角にタクシーが止まると「あぁ、すみませんねぇ、ちょっと踏み込んだ話をしちまって」と申し訳なさそうに謝る運転手に「いや、謝るのはこっちさ。俺も勝手に重くなって悪かったな」と返し、財布からタクシー代を払う。
「釣りはいらねぇから今日のわび代として貰っといてくれや」とタクシーを背に片手だけを挙げ、その場を後にする。
15階建ての高層ビル。その階層の全てを占める場所の14階に目的の人物がいる。
「D-コーポレーション」
それは国内でも大手の保険会社であり、知らない人はほぼないぐらいの知名度を誇っている。
だが、それはあくまでも死別け屋同様『表の事業の一つ』に過ぎない。この会社のメインの裏事業は、死分け屋の業務管理及び物資提供である。その中でも『業務用重火器研究開発課』に所属する死神番号727、通称『ナヅナ』はここの責任者である(とは言ってもここは彼女しかいない)。ミロクはその彼女に用があってここに来たのである。
「おーい、ナヅナいるかぁ~。いなけりゃまた勝手に武器持ってくぞ~。いても持っていくけど。」
「あぁもう!また勝手に来て…。アナタにはアポを取るという社会人のマナーは無いのかしら…っ。」
「まぁまぁ、そう固いこと言いなさんなって」と近くにあった資料の束を無理やりどかし、椅子としての本来の責務を果たせるようになったオフィスチェアーに腰掛ける。
「おいおいおいおい、ここの課は客人に茶をださんのかね?いかんなぁ~、そういう配慮がなってないからお前はいつまで経っても結婚できねぇんだ――」
そう言い切る前にお茶の入った湯飲みが空を切り、彼の眉間と衝突する。飛び散る緑の熱された液体を浴びながらミロクは湯飲みと一緒に地面に倒れた。
「うおっっっ!!!!!!あっっっっっつ!!!!!!なにすんだお前!!!!」
「あらごめんなさい、つい手が滑っちゃって…。」
「ついで手が滑るワケないだろ…ったく、お前には常識というものが無いのか。」
「アポ取らないやつに言われたくないわ。ほらさっさとシャワー浴びて。そんな姿で相談なんかされたくないから。」
そう言いながらシャワー室に指をさすナヅナに「誰のせいだと思ってんだ…。」「なんで眉間ばっか…。」等と小声で文句を垂れ流しつつ、シャワー室へと向かった。
シャワーから上がり、バスタオルで体を拭いていると扉の向こうから「スーツ乾くまでの間、そこにある私のバスローブの代えでも着ていてちょうだい。」というナヅナの声に従い、ミロクはバスローブを羽織った。バスローブからは彼女と反して洗剤の心地良い香りがする。
「…で、アタシに用って何?またつまらないことだったら今度こそぶっ殺すわよ。」
お茶を入れなおしたナヅナがミロクの座る方に向かう。ミロクはお茶を口にそそぐと、例の事件について話す。
「…という事だ。なんか知らねぇか?」
ナヅナは「やれやれ」と言わんばかりに両手を挙げ、首を横に振った。
「まったく、アタシを情報屋か何かと勘違いしているのかしら。まぁいいわ。調べてあげるからアンタはどっかで隠れて着替えて頂戴。絶対に隠れてよ。アタシ、汚いのは苦手な潔癖主義だから。」
赤いアンダーリムの眼鏡を掛けるナヅナを横目にミロクは「この部屋を見て潔癖に思えるっかっての」と言いそうにはなったが何とか押し殺し、資料の山の裏でスッカリ乾いた仕事着である喪服に着替える。
カタカタカタとキーボードを打つ音が鳴る中、カチャカチャとベルトを締めながらミロクは不意に尋ねた。
「そういや、前から気になってはいたんだが、どうしてお前はそんなに事件とか事故とかのニュースを調べてんだ?」
モニターに映る画面を見つめながらナヅナは答える。
「決まってるでしょ。即座に対応できるようにするためよ。ニュースや新聞なんかをチェックして『次はどんな道具が必要とされるだろうか』『アンタらの職場にどんな依頼が殺到するだろうか』とかを予測して、それに瞬時に対応することが出来るようにコッチでも事前準備をしておく…この仕事の基本よ、基本。」
「へぇ、やるじゃねぇか。じゃあ、今回の事件も余裕で見つかったろ?」
「ええ、話を聞いたときにあらかた予想はついていたから思いのほか早く見つかったわ。ホラ、着替えたなら早くコッチに来て。」と手招きする彼女の方へと向かった。
「この記事を見て。」とナヅナが画面に指をさす。そこには例の事件について記されていた。
「犯人は未だ逃走中で被害者は全員、当時高1~高3の女子高生。その大半が酷い事…まぁあらかた予想はつくとは思うから言わないでおくわ。まぁその後、首を絞められて殺害されてるわ。ただ一人を除いてね。」
「その一人って…。」ミロクが察する。
「そう『芥川 ひなこ』。アンタが今回の依頼でやらなきゃいけない相手よ。」
ミロクの見開いた目を見つめながら続ける。
「まぁ後のことはアンタの方が知っていると思うけど…それで、他に知りたいことは…?」
「犯人は、犯人は誰なんだ。」
ナヅナが左人差し指でブリッジを抑えながら答える。
「いい?これはまだ確定じゃなくてあくまで情報の一環なんだけど、驚かないで聞いて。」
ミロクがゴクリとつばを飲み込む。
「…と思ったけどやっぱり気が乗らないから言わない。」
「はぁ!?」ミロクが拍子抜けた表情で顔をゆがませた。
「んなふざけたこと言ってる場合じゃないんだよコッチは。俺たちは一刻も早く依頼を達成しないといけないんだって…っ。」
「じゃあ今すぐそのひなこちゃんがいる病院に行って始末すれば良いじゃない。そうすればアンタの仕事は完遂するでしょ?」
図星に刺さったのか、ミロクは眉を下げ、口をつぐむ。それを見てナヅナはほくそ笑んだ。
「…って言ってもまぁアンタのお人よしにできるハズがないわよね。じゃあ“コイツ”のテスターになってくれるなら教えてあげても良いわよ。」
そう言いつつ、机の一番下の引き出しの中から少し小さめなジュラルミンケースを取り出す。中を開けるとそこには眼鏡のような物が入っていた。
「コレは?」とミロクは尋ねる。
「これは霊体を可視化する眼鏡よ。アンタのとこニーナみたいな霊体をまったく見ることができなかったりする死神や、見ることができてもハッキリとは見えなかったりして業務に支障をきたす死神のために開発した代物よ。まぁまだ実験段階だからこれを実用化するためにも、アンタのとこのニーナにテスターになってもらいたいってワケ。」
「どう、乗る?」と半ば強制的ながらも、犯人の情報も欲しいし悪い条件でもない。「ああ、乗ってやるよ。」ミロクは首を縦に振った。ナヅナの表情がパッと明るくなる。
「さっスがアタシのモルモット…じゃなかった、友人ね!じゃあ、実験頼んだわよ~。」
ナヅナが眼鏡の入ったジュラルミンケースを押し付けようとする。が、ミロクはその腕をつかんだ。ナヅナの額に少し汗がにじむ。
「テメェ…、うやむやにしようとしたってそうはいかねぇぞ。」
腕を握る手が段々と強くなる。
「犯人は誰なんだ。ええ?約束だろ??」
少し声のトーンを落とすミロクに、やれやれといったような表情のナヅナは掴まれていた腕を無理やり引き離す。
「アンタってホントお子様ね。そんなんだからモテないのよ。」
「おいおい、今度は俺がその眉間に風穴ぶち込んでやろうか。」
ナヅナは「おぉ~、怖い怖い」と言いつつ、ポケットからボールペンと小さなメモ帳を取り出し、何かを書き始め、そのメモ用紙の一枚を千切り、ミロクに手渡した。
「そこのメモに犯人の名前と住所、それに職場を書き出しておいたから参考にしてちょうだい。まぁこの男をどうするかはアンタ次第だけど、くれぐれもアタシから聞いたとかは言わないでよね。確証は持てないし色々とめんどくさいから。」
渡されたメモを見て、ミロクは茫然とした。そこに書いてある名前に聞き覚えがあった。
「おい、ここに書いてある犯人の名前って…。」
「そうよ、その犯人…――
“桂木 総一郎”は依頼人“桂木 佳奈”の父親よ。」
ナヅナの研究所からでた頃には日もすっかり暮れ、真っ暗な夜になっていた。ミロクは犯人の正体に未だ実感が持てず、困惑していた。
「まぁ、ソイツに関してはアンタの仕事的には直接関係ないわけだし、アンタの懐が痛まないなら別に無理してどうこうしなくてもいいんじゃない?」
帰り際にそうは言われたものの、やはりどこか納得いかない。モヤモヤとした気分のままバス停の方へと向かおうとすると、すぐ目の前に黒いパーカーのフードを被っているニーナが、スマートフォンを片手に操作しながら、電柱にもたれ掛かるかのように佇んでいた。
「ニーナ…。」ミロクが口ずさむ。
「あ、ミロクさん。」自分を呼ぶ声に気づいたニーナはスマートフォンをパーカーのポケットにしまう。
「お前、待ってたのか。」
「ええ、事務所の掃除が終わってもなかなか帰ってこないし何だか落ち着かなくて…とは言っても、ついさっき着いたばっかなんすけどね。てかミロクさん、なんか昼間と比べて元気ないっスね。あのオバサンと何かありました?」
「あ、ああ。それはだな…」
バスを待つ間、ミロクは研究所でナヅナと話していたことを全て伝えた。
「なるほど、それでミロクさん落ち込んでたんっスね。まったく、人が良いのやら何やら…。」
続けて「ウチへの扱いは雑なクセに…」と小声でぼやくが、ミロクには聞こえていなかった。
「それで、どうするっスか?」
「え、どうするって…。」
「決まってんでしょ。その桂木パパさんを始末するかどうかってことっスよ。ウチは殺す方に賛成っスけど。」
ミロクはまた頭を抱え込む。こういう時に限って迷ってしまうのが彼の悪いところだ。
「しかし俺にはあの人が罪を犯した人間には見えなかったのだがなぁ…。娘だけじゃなくて娘の親友のタメにもあれだけ泣けるような人だったし。」
ニーナの表情がいつもとは違い、重くなる。その眼光はいつもよりも鋭い。
「ミロクさん、あまり人間を信用しすぎるのもどうかと思うっスよ。人間ってのは平気で嘘をつく生き物っス。確かにあの人は泣いてはいましたが、その話を聞いてからだとなおさらその中に“別の感情”があるように見えました。」
「別の感情…?」
「そうっス、別の感情っス。ウチらが依頼を受けた時に向けたあの表情が、娘を苦しみから解放できるかもしれないからというよりは、自分の罪を吐くかもしれない被害者をウチらを利用して始末できるからというように見えたっス。まぁあくまでウチの推論っスけどね。」
「なるほどな…。だが、もしあの父親を殺したところでその後はどうする?佳奈さんやそのお母さんが残されてしまうだろ。それに現実的な話、世間体もあるだろ。あの人を殺したら誰が面倒を見てくれるんだ?」
イライラと頭を掻きだすニーナ。ミロクのすぐ人に考えをゆだねるとこが嫌なようだ。
「それを考えるのがあんたの仕事でしょ。」
「俺だってなぁ…。」と反論しようとする途中で「もういいっス。ウチはウチなりにやらせてもらうっス。」と捨て台詞のように吐いて、地面を蹴り上げるかのように踵を返した。
「あっ!おい待てっクソガキ!!」と叫ぶもバスを待たずにその姿はすぐ人混みの中に消えてしまった。
「チッ、逃げ足だけはホントはえーなアイツ…。」
ため息をつき、胸ポケットから1本の煙草を取り出そうとする。が、その腕を青白く、しなやかな腕に掴まれた。
「ナヅナ…。」
「まったく…、ビルの下で痴話喧嘩しないでくださる??アタシの研究所にまで響いていたのだけれど…?」
黒のトレンチコートを着たナヅナが左手の甲をあごまで持っていき、ウェーブのかかったブロンド色の髪をたなびかせながらどこかの名門のご令嬢かのような口調でミロクを煽る。
「痴話喧嘩ではないが大声を上げたことに関しては…、スマン。悪かった。」
「あら、えらく素直なのね。まぁ響いていたのは嘘でたまたまアンタたちを見かけたからなのだけれど。それよりどうしたの?珍しいじゃない。」
「まぁ、ちょっと痛い所突かれてだな…。」
ナヅナは何となく察した。
「なるほどね。まぁアンタのことだからどうせまた、一人で決められない~!なんて言ってたんでしょ。」
人差し指を指しながらナヅナはグイっと近づいた。あの後入浴でもしたのだろうか。シャンプーやボディソープのようないい香りが鼻をくすぐる。
「いい?何度も言ってると思うけど、アンタ等の仕事は特に『依頼主の私情に近づきすぎるのは厳禁』よ。確かに仕事内容柄、依頼者の私情と関わることは多いのかもしれない。でも、それでも依頼者は依頼者であり、他人なのよ。父親を殺すかどうかなんてアタシには関係ないけど、そういうのは警察とか裁判所とかが受け持つ仕事だわ。」
返す言葉がない。ミロクはそのまま口を閉じてしまった。ナヅナが腕を組みなおす。
「とりあえず、アンタ等の今の仕事は『芥川 ひなこの始末』よ。父親についてはその後!分かった?分かったなら返事ッ!」
「あーっ、分かったっ。分かったから近づいてくんな。」
またもや詰め寄られる圧力に圧倒され、仕方なくうなづく。
ナヅナは「分かればよろしい。」と、ミロクから離れた。
「で、今日はどうせ帰っても気まずいだけでしょ?飲みにいくわよ。アタシがとっっくべつに奢ってあげるから。」
“奢る”という言葉にミロクは食いつき、さっきまでの沈んだ様子から一転して明るい表情になった。
「マジか!!気前がいいな!!じゃあさっそく行くかぁ!!」
意気揚々とズンズンと先に進むミロクに「まったく、さっきまでの暗い顔はどこに行ったのかしら…。」と半分呆れつつも、少し笑みを浮かべて後に続いて少し早歩きで追いかけた。
目が覚めるとミロクは見覚えのあるキレイな方のソファーの上で寝転がっていた。身体の上には猫柄でオレンジ色のブランケットがかかっている。時計の短針はちょうど12時頃を指す。
「あっ…、俺いつの間に…って、イツツ…。頭いてぇ…。」
重い身体を起こし、二日酔いの頭痛で頭を抱える。そんな彼のすぐそばに水の入ったコップがコンと置かれる。
「お酒を飲むことがダメとは思いませんが、飲みすぎは良くないですよ。ミロクさん。」
自分を覗き込む顔。この顔に憶えがあると思いながらも「すまない。」とコップを手に取り、ぼんやりとしながら水を口に含む。
「アレ、お前…。」
意識がハッキリとした瞬間、飲み込みかけていた水が噴出した。
「アンタ…いや、あなた様は桂木佳奈さんっ!!!???」
その少女はまごうことなき桂木 佳奈であった。幸いなことに吹き出した水はかからなかったものの、それまでの自分の様子を思い出し、苦悶する。
「申し訳ありません!!!!!!お客様にこのような醜態を見せてしまって!!!!水なんかも持ってきていただいて!!!!吐いちゃいましたがっ!!!!!!!」
何度も謝りながらソファーを拭く二日酔いの男を見て、佳奈は思わず微笑む。
「いえ、大丈夫です…!酔っぱらった人のお世話をするのは得意なんで。」
隣であたかも当然かのように一緒に拭いてくれる彼女に、ミロクは目を丸く輝かせた。
「うう…、ありがとうございます。アイツもこれぐらいのことをしてくれたら…。」
という自分の言葉と共にふと昨晩の出来事が頭をよぎる。
「すみません、うちのクソガ…助手はどこへ行ったかはご存じないですか?」
「いえ…、私は今朝、急に呼ばれて『自分はやることがあるのでこの人のことを頼みます。』としか言われてないので…。すみません。」
やることがある。昨晩に言っていたことを思い出し、悪い予感がする。
「『ウチはウチなりにやらせてもらう』…。アイツまさか…っ!」
ミロクは冷たい汗をかきながら着たままだった服を軽く整え、ナヅナから受け取っていたジュラルミンケースをもって出かける仕度をする。
「ミロクさんっ!?急にどこへっ!?」
慌てた様子の佳奈を尻目に「急用を思い出しました!お客様に頼むのはお門違いで申し訳ありませんが、留守番をお願いします!」とだけ言い残し、その場を後にした。
タクシーに乗り、昨日の病院まで向かう。移動中は慌てた様子を隠し切れず、何度も足を組みかえたり、汗を拭きとったりしていた。携帯にも何度も連絡はしたが反応はなかった。
病院にたどり着くとあらかじめ桂木から聞いていたひなこがいる病室まで急ぎ足で向かい、[303 芥川 ひなこ]と書かれた病室の前に立ち、服装を整えた。
扉を開ける。室内ではベッドで寝息をたてるひなこの前にニーナが立っていた。
「おいクソガキ、どうするつもりだ」
「決まってるじゃないっスか、お仕事っスよ。」
予感は的中した。ニーナは今にもひなこを始末しようとしていたのだった。その目に迷いはない。
「依頼主に隠してか?そいつはルール違反って知ってるよな?」
そう、死別け屋は決して報酬さえ払えば問答無用で殺すわけではない。執行する際には依頼主本人も同伴し、その行く末を見届けなければならない。それがこの仕事の絶対の規則であり、殺し屋とは違う理由の一つでもある。
「…今回は特別っス。今始末しなければこの子は、ひなこちゃんはまた襲われるかもしれない。ならそれまでに依頼を完了し、綺麗なままで終わらせる。…そのほうがこの子のタメっスよ。」
「ハァ…これだからガキは困るんだよなぁ…。」
ミロクはジャケットの内側から黒いハンドガンを抜き出す、両側面のスライドには死神の鎌のようなデザインが刻み込まれている。
「お前まだ、人間の幽体離脱って見たことなかっただろ。そこのケースに入ってる眼鏡かけてちゃんと見ておくんだな」
ニーナは訳も分からず言われるがままにケースの中にある眼鏡をかける。が、特に変わった様子もなく疑問が積み重なるだけだった。
そんな様子に見向きもせず、銃口をひなこの眉間に向け、呪文のような何かをしばらく唱えてからその引き金を引いた。
バンッ!
耳をつんざくような銃声が病室中に響く。ニーナは目を見開き体を少し震わせた。
「フン…俺が銃で撃つとこなんてもう何度も見ただろ。それに見てみろ。まだ死んじゃいねぇよ。」
再びひなこの方を見る。すると視界には嘘のような光景が広がっていた。
ベッドに横たわる『ひなこ』とはまた別にすぐ傍には立ったまま目を閉じる半透明の『ひなこ』の二人がいた。まるでドッペルゲンガーのように。
「それが幽体離脱だ。お前は今まで俺が何も考えずにただ撃っているだけに見えていたかもしれんがこの銃は本来1発目の弾で魂を抜き出し、それから2発目の弾でやっと幽体離脱した魂に撃ちこむ。それが正しい使い方だ。」
口をぽかんと開けている。この短い間での出来事が多すぎて頭の理解が追い付いていない。
「まぁとりあえずお前は手を出すな。後、佳奈さんも呼んでおけ。代わりの留守番はナヅナにでもやらせておけばいい。」
無言で頷くと、頭の整理も兼ねて電話をかけるために病室を後にする。
「さて、そろそろ起きてもらいましょうか。芥川ひなこさん」
そう口にすると幽体離脱したひなこの目がゆっくりと開く。丸く黒い瞳に光が差す。
「初めまして。私は死分け屋のミロクと申します。本日はご依頼がありま――」
「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
ミロクの声を遮るほどの絶叫。一瞬にして黒い瞳から光が消える。彼女の止まったままだった時間が動き出したのだ。
「落ち着いてくださいひなこさん!ここは病院です!今貴女を襲おうとした人はここにはいません!!ですので安心してください!!」
叫び声は止まない。それどころか彼女の魂の姿は下から徐々に黒く染まっていくように見える。
「チッ、幽体離脱したまま怨霊になろうとしている…!このままじゃヤバイな…。」
何か打開策はないかと考える。しかし、今の状況下で彼の頭の中で考えられる策は一つしかなかった。
「強行策になるがこれしかねぇか。」
絶叫が響き続ける中、再び小さく呪文を唱え始めるミロク。すると徐々に彼の足元から黒い渦のようなモノが現れる。黒い渦はやがて形状を保ちだし、しばらくして彼の背丈ぐらいの高さになる。
黒い渦から作られたものは禍々しい形状をした大鎌だった。
「やれやれ、こいつは疲れるからあまり使いたくは無かったが…。まぁ、仕方ねぇか。」
片手で柄を握り、一度真上に上げてから地面に強く振り下ろす。すると地面からゴーンと、晩鐘を告げる鐘のような、鈍く響く音が部屋中に広がった。鐘の音は彼女の叫び声と黒く染まりつつある魂を一時的に抑えた。
「落ち着いてください。貴女は怨霊になってはいけない。今、佳奈さんがこちらに来ます。それまでどうか、お気を確かに。」
「か…な……。」
親友の名にハッとするひなこ。どうやら冷静さを取り戻したようだ。黒く染まりつつあった場所もいつの間にか元に戻っていた。
やれやれ、本格的に使うことはないかと、ミロクは安堵して大鎌から手を離すと、再びそれは黒い渦となって消えた。
ドアが開き、落ち着いた様子のニーナが入ってくる。連絡を終えたようだ。
「事務所の件はナヅナさんが引き受けてくれたっス。貸1みたいっスけど。後、佳奈さんもすぐに病院に向かうみたいっス。」
ミロクは「そうか。」とだけ言葉を返してから耳元まで顔を寄せ、「鐘の音は聞こえたか」と小声で尋ねたが、ニーナは特に何も聞こえなかったと首を横に振った。
「そうか、ならいい。後は依頼主が来るのを待ちながらひなこさんの話を聞くだけだ。」
ひなこの方に視線を移すミロク。彼女は少し落ち着いたようで自分の肉体を見つめながらベッドに腰を掛けている。
「私の肉体が…。これが幽体離脱…。」
落ち着きながらも困惑した様子でブツブツと一人言を話す。その様子をうかがいながらもミロクはそっと彼女に近づいた。
「改めまして、私は死分屋をやらせてもらってますミロクと申します。本日はご依頼がありましてここに参上しました。それでその依頼者と依頼内容なのですが…」
話の途中でひなこが彼の存在に気づき、深々と頭を下げた。
「あ!先ほどは申し訳ありませんでした!ちょっと気が動転して…。」
「いえいえ、たまにあることなので!」と諭すように返す。無論、それは嘘で彼がその事例に遭遇したのは実際には片手で数えるぐらいしかない。
「で、依頼者とその内容なのですが…」
続けて話そうとするとまたしても話を遮られた。今度はニーナだ。珍しく真剣な表情である。
「依頼者は桂木 佳奈。アンタの親友っスね…です。そして依頼内容は…」
たどたどしい敬語ではあるものの、事務所で佳奈が話した内容をそのまま伝える。その間、ひなこは黙ってその話をしっかりと聴いていた。
「ああ、かなちゃんが私のために…。」
少し涙ぐむような表情を見せるひなこ。彼女はそのまま、事件当日の日のことを話し始めた。
「私にとってはついさっきのことなのですが、佳奈ちゃんと一旦別れた後、自分の家に向かっていたんです。でもその途中で…」
言葉が詰まる。ミロクは「別に無理して話していただかなくても。」と諭すが「いえ、佳奈ちゃんが話してくれたのだから私も。」と少し震えながらも話を続けた。
「私はその途中で“ある人”とたまたま会ったんです。私はその人のことを知っていたので何気なく挨拶をしたのですがそこで急に手を引っ張られてすぐ近くの路地裏に連れていかれて…」
話の途中で魂だが過呼吸になるひなこ。
「落ち着いて!もう話さなくていい!」と彼女を抱きかかえようとするミロクに「来ないで!!」と叫び、その気迫で彼を押しのけた。
「ごめん…なさい。また思い出して…。」
彼女の足元が再び黒く染まろうとしている。「またか…。」と頭を抱える。ニーナはその一連の出来事をただ黙って見ていることしかできない。
彼女のひざ元辺りまで黒く染まろうとしていたその時、ガララ!と勢いよく扉が開く音がする。
そこには息を切らして開けた扉に手をかける佳奈がいた。
「佳奈さん!ちょうど良いところに!何も聞かずこの眼鏡をかけてくださいっス!」
突然のニーナの気迫に驚きつつも受け渡された眼鏡をかける佳奈。すると目の前に黒く染まりつつある自分の親友の姿を目の当たりにした。
「ひなこ…。えっ、これって…。」
困惑の表情を隠せずに混乱する佳奈に「すみません!今のひなこさんを抑えられるのは貴女だけなんです!」と焦った様子で叫ぶミロク。分からないながら少しずつ状況を飲み込んだ彼女は静かに頷いた。
「落ち着いてひなこ!私よ!佳奈よ!!」
「か…な……?」
少し落ち着きを取り戻したのか。腰あたりまで黒く染まったところでその進行は止まった。
「そうよ!だから落ち着いて!!」
黒く染まった部分が少しずつ元に戻っていく。
「かなちゃん、どうしてここに…あっ、そっか…。」
ひなこが何かを察したかのように微笑む。
「確か死別け屋さんっていうのは依頼主が望んだ人や生き物を殺すんですよね?で、その際に依頼主は見届けないといけなくて…。」
ミロクが「よく知ってましたね。」と返すと「ええ、以前調べたことがありますから。」と、どこか申し訳なさそうに答える。
「ひなこ。ごめんね、あの時何も助けられなくて。」
ううん、と首を横に振るひなこ。どこか晴れやかで穏やかな表情だ。
「かなちゃん、そんなに自分を責めないで。あれはきっとどうしようにもなかったんだよ。だからかなちゃんは悪くない。悪いのは…」
「佳奈。やはりここに来ていたか。それにお二人も。」
先ほどの娘と同じように息を切らして病室に来た男性。それは佳奈の父であり、一連の事件の犯人である可能性が高い“桂木 総一郎”だった。
「桂木さんのお父さ…」
ミロクが彼に話しかけようとしたその時、すぐ後ろで先ほどまでとは段違いの禍々しいオーラを感じ取った。
「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」
もはや咆哮と言う方が正しいぐらいの叫び。抑えきれなかった恐怖と絶望が黒き衣となってひなこを包み、遂には彼女の姿が一切見えなくなってしまった。
その異常事態は霊体を視認できないニーナや総一郎でも察知できるぐらいに空気をしびれさせ、今にも窓ガラスが割れそうなくらいにガタガタと音を立てていた。
佳奈はというと、ひなこの突然の咆哮に驚きと恐怖を隠し切れず、尻もちをついて2~3歩後ろに退いた。
「チッ、とうとう怨霊化してしまったか。」
ミロクが先ほど同じく呪文を唱え始め、黒い渦から再び鎌を精製する。
「こうなったからにはもう取り返しがつきません。佳奈さん、貴女が許可をするなら私は迷いなくこの鎌を振るいます。よろしいでしょうか。」
返事はない。どうやらここにきて迷っているようだ。
「ミロクさん、私どうすれば…」
言葉を言い終える前に黒く禍々しいツタのような触手が佳奈を襲おうとする。
しかし、その寸前でミロクが両手で持った鎌を縦に大きく振るうことでその触手は寸前の所で分断された。
「許可をください!このままでは我々どころか、この病院にいる全員が怨霊に飲み込まれ、全員が怨霊になってしまう!!」
怨霊は人を襲う。だがミロクら死神は本来、怨霊に襲われることはあっても怨霊になることはないのだが、被害を最小限に抑えるためにあえて嘘をついた。
怨霊と化したひなこの猛攻は止むことはなく、雄叫びを上げながらいくつもの触手を全員に向けて放つ。そしてそれらをミロクが切り裂く。そのような攻防を繰り返す中、佳奈は迷っていた。
確かに最初に依頼したのは自分ではあったが、いざ魂としてのひなこと話してしまったことで再び自分の中で揺らいでいたのだ。本当にひなこは殺されるべきなのかと。
「選べない…。選べないよひなこ……。」
たまらず地面に座り込み、涙を流す佳奈。その心の弱さが怨霊の勢いをさらに加速させた。
「ぐあああああ…っ!!」
佳奈とその父、ニーナを守り続けているミロクのスーツが斬れて血が流れる。もはや立っているだけでも精一杯だ。
「ミロクさん!もう無理っス!それ以上攻撃を受けると死ぬっスよ!!」
珍しく焦った表情を見せるニーナ。だがミロクはそれを良しとはせず、首を横に振った。
「いや、依頼主の最終確認が取れてからやるのがこの仕事の手順だ…っ。それを捻じ曲げるわけにはいかねぇ…。」
苦しそうに表情を歪めながらも口元がニヤリと歪む。心配させたくないからか、それともまだ余裕があるという気持ちの現れか。そこから表情が変わることなく攻撃を耐え続ける。
「佳奈さん!許可してください!このままじゃミロクさんが…みんなが…っ。」
「そうだ佳奈!依頼したのがお前だとするのならば、決断をしなさい!」
ニーナと共に佳奈の父も佳奈に訴える。しかし、彼女の耳には届いていない。もはや彼女はひなこのことしか考えられていなかった。
「私…私…っ。」
不意にこれまでのひなことの記憶が蘇る。
休み時間のくだらない話。放課後の誰もいない教室で恋バナに盛り上がった時、初めてひなこに家に招かれてお泊り会を開催してもらったとき…
そのどれもが大切な時間であり、揺るぎない日常であった。そしてその日常はこれからもずっと続くものだと思っていた。
だがそれは記憶の海へと消え、もう取り戻すことはできない。そうわかっているハズなのにどこかまだ救いがあるのかもしれない。そんな望みがわずかに残り、迷いを加速させる。
しかし時間はそれを待つことはない。刻一刻とミロクが追い詰められていく。
「助けて…助けて!“ひなこ”!」
思わず怨霊と化した彼女の名前を呼んだその時である。あれだけ雄たけびを上げ、猛攻を繰り広げていたひなこが突然攻撃を止め、置物のように固まった。
『…な…ちゃ……。』
「え…?ひな…こ?」
佳奈の頭の中で聞き覚えのある声がする。朗らかで、陽だまりのように優しく、暖かい声。その声はまさしく怨霊と化したハズのひなこのものであった。
『かなちゃん、ありがとう。でももういいんだよ。少しだけでもまたかなちゃんと話せて私、嬉しかった。だからもう大丈夫。』
「ひな…こ……」
また涙が溢れる。しかし、その涙は「迷いの涙」ではなく「決意の涙」であった。
「ミロクさん、お願いします。ひなこに…私の『親友』に安らぎをお与えください。」
涙を拭い、決意の眼差しでミロクに訴えかける。ミロクは頷いた。
「最終確認をいただきました。では、職務を遂行させていただきます。」
刃を下側にして構えなおす。それからまた呪文を唱え始めた。
刃に少しずつ夜桜のような色に輝き始め、やがて妖しくも美しい光を纏い大きな刃となった。
「彼の名を芥川ひなこ。彼の魂にひと時の安らぎが訪れんことを祈る。職務執行。」
巨大な刃は下から大きく縦に振りかぶり
ひなこを切り裂いた。
黒い衣は二つに切り分けられると、触手と共に剥がれ落ちながら虚空に消え去った。
「ひなこ…。」
剥がれ落ちた跡から彼女の魂の姿が横たわっていることに気づく。その魂は少しずつではあるが消えかかっていた。
「今ならまだ間に合います。さぁ、最期に何か会話してみてはどうでしょうか。」
ミロクが優しく問いかける。
「なら私も…」と総一郎が見えないながらもひなこの魂に近付こうとするが「アンタにはちょっとこっちで話があるっス。」とニーナがそれを無理やりに止め、ミロクと3人でその場を後にした。
「ひなこ、分かる?私よ、桂木佳奈よ。」
病室の床に倒れているひなこに触れようとする。でも私の手はスッとひなこの身体をすり抜けた。
そっか、こっちのひなこは魂だから触れられないんだった。てことは私はひなこに声をかけることしかできないんだ。ホント無力だなぁ私。
「かな…ちゃん?」
目を開けたひなこが私を見つめている。何だかとても眠たそう。
「そう、佳奈だよ。私、ひなこに色々と言わなきゃいけないことがあるの。」
多分もうすぐひなこの魂は消える。その前に全部言わなくちゃ。謝らなくちゃ。
「ごめんねひなこ。あの時私が誘わなければこんなことにはならなかったのに。怖い思いをしなくてすんだかもしれないのに。」
あの日のひなこの姿は今でも覚えている。
無理やりに引き裂かれた制服、辺りに散らばるボタン、いくつものアザ。ヒューヒューと虫の息で両手で首元を抑えるひなこの姿は今でもトラウマとして強く残っている。
「謝らないでかなちゃん。あんなこと誰も予想しなかったもの。確かに怖かったし今でも震えるけどそれはかなちゃんが悪いわけじゃない。悪いのは…」
「私のお父さん…だよね?」
ひなこにひどいことをした犯人、それは私の父だった。
それを知ったのはついさっきのことで、電話でニーナさんが教えてくれた。
でも驚きはしなかった。なんとなく分かってはいたから。ただそれまで疑惑だったのが確信に変わっただけだった。
やけに昏睡状態のひなこに気をかけていたり、毎日ネットニュースや新聞を睨むように見つめ、たまに電話をかけては通話相手に怒鳴りつけることもあった。お酒を飲む量が増えたのもその頃からだった。
それらは全て自らの“保身のため”であり、ひなこに気をかけていたのは目を覚ました際に自分が犯人であるとバレたくなかったから、通話相手に怒鳴っていたのは自分が疑われていたからだろう。そして何より、私たち家族にバレるのが怖かったからに違いない。
情けない父だ。私と同じぐらいの女子にたくさん手をかけて、バレないようにあの手この手で隠す。父親として、いや、ヒトとして失格だ。
そんな人間に実質殺されたひなこのことを思うと無念でしかない。とても悔しい。
「本当にごめんなさい。あんな父親のせいで辛い目に合わせて…。」
「だから謝らないでかなちゃん。このままじゃ私、悲しくてあの世に行けないよ…。」
「じゃあここにいてよ!ここにいてまたあの時のように一緒に遊ぼうよ!!ひなことは行きたいとこややりたいことがまだまだたくさんあるんだ!」
分かってる。これはただのわがままだ。「あの世に行けない」というひなこの言葉に付け込んだ私の甘えであり本心だ。
やっぱりひなこには死んでほしくない。死別け屋さんに依頼したのは自分なのに、ホントずっと矛盾してて自分勝手。これじゃああの男と変わらない、腹が立つ。
「かなちゃん…。私こそ本当にごめんね?でもやっぱりダメ…かな。」
…ッ!
ひなこの身体が眼鏡をかけててもところどころ見えないぐらいに薄く透明になっていく。
「ねぇ、聞いて…。かなちゃんにはきっとこれからいろんな出会いがあると思う。それこそ前に話していた王子様のようなカッコいい人とか。だからかなちゃんはその出会いを大切にしてね。そしてたまにでいいから私のことを思い出してくれたら嬉しいな。」
「やだ。やだよぉ…、もうひなこと離れたくない…っ。」
涙が流れる。今日で何度目だろう。一度流れると止まらない。次から次へと目の奥から涙が溢れる。
けど、そんな涙を誰かが拭ってくれた。確か昔もこんなことが…。
「泣かないでかなちゃん。かなちゃんはもう昔の泣き虫佳奈じゃないでしょ?」
そう。私はまだ幼い時、ちょっとしたことでもすぐに泣いちゃうような泣き虫だった。でもその度にひなこがその涙を拭いてくれた。
え?てことは今、私に触れたのは…
「うん、そうだった。私、あの頃より強くなったんだった…!」
涙を拭ってくれたひなこの右手を握りしめる。何も感じないはずなのにどこか温かくてあの時と変わらない優しい手だ。
「じゃあきっと大丈夫。かなちゃんにならできるよ…!」
ほとんど透明なっていくひなこ。私はその身体をギュッと強く抱きしめた。
「私がんばるよ!最初はひなこのことを引きずってちょっとダメかもしれないけど、でもきっといつかはいろんな人と出会って、仲良くなってく!だからもう大丈夫だよひなこ!」
「うん、わかった!私もあの世から見守ってる!だから…」
「だから、またね。かなちゃん!」
あの日から一週間が経過した。
桂木総一郎はその後、警察に逮捕され、佳奈とその母は当面の間、親戚と暮らすこととなった。
父が捕まったということで佳奈がイジメられるのではないかとミロクは危惧していたが、思いのほかそんなことはなく、むしろ以前よりもクラスメイトと良好な関係をとれているようだ。
それを聞き、安心しているところでミロクはある事を思い出した。
「あ、そういや報酬もらってなかったな。まぁいいか、今回は執行前に事故でダメだったということで。」
アイスバーを齧りながら街中を歩くミロク。その隣でシーナは「まったく、どこまでお人よしなんすかねぇこの死神は。」と文句を言いつつも少し頬を緩ませていた。
「あ、そういやあの時病室である意味騒いでたのになんで誰も来なかったんスカね?」
ミロクがフフンとドヤ顔をしてみせる。
「それはだな、俺が病室に入る前に呪文を込めた塩を撒いておいたからだ。」
「へ?塩っスか??」
「ああ、呪文を込めた塩が結界代わりになって外に響かないようになっていたのさ。人間が葬式の帰りに自宅の前で清めの塩を撒くところで発想を得た俺オリジナルのアイテムだぜ?」
ドヤ顔が止まらないミロク。ニーナは「なるほどっスねー。さすがミロクさんっスー」と適当に返事をして話を切り上げた。
またしばらく歩き信号の前で待っていると、ニーナが再びミロクに尋ねた。
「それで、この後なんかあるんすか、ミロクさん。」
「あぁ、これからこの前のナヅナへの貸を返してくる。面倒だけどな。お前は?」
「ウチは今から佳奈ちゃんの家で女子会っス!知ってたっスか?佳奈ちゃんけっこうゲーム上手いんすよっ!」
「ほう、いいじゃねぇか。晩飯いる時は連絡しろよ。じゃねぇと俺作らねぇからな。」
「分かってるっスよ~。じゃ、お先っス!」
街中を走り抜けていく背中を見送り、アイスバーのハズレ棒をゴミ箱に捨てるミロク。
「うぅ、さみぃ。やっぱ夏以外に外でアイス食うのよくねぇわ。てことで、早めにアイツの研究所に行って温まるかぁ。」
ポケットに手を入れ、早歩きで移動する。少し肌寒い風が彼と人込みの間をすり抜けていった。