第二十一話
夏前の日差しは柔らかく、食事を取る二十人ほどの男女の上から注ぐ。先週までの雨季だったというのが嘘のようだ。
何の目的で建てられたのか分からない巨大な橋の下には、それでも柔らかな風が吹いていた。日陰に入れば、涼しく快適な生活が送れるはずだ、とアーリは思った。
「先ほどは物騒な歓迎をしてすまなかった。我々は見知らぬ人間を信じた結果、全滅する事は出来ないのだ。ナインズを知っている君らなら分かってくれるだろう?」
「はい」とアーリは短く答えた。「私達も警戒していましたので……」
「セシリーちゃんがいなかったら、会わないで何処かへ行ってたかもしれないねー」ミリナは運ばれてくる鶏肉に、目を煌めかせながら言った。
「……そうか」男は目の前にある肉を指で千切って、娘の口に放り込んだ。「名乗るのが遅れたな、俺はレイゴだ。この亡命者グループのリーダーをしている」男は脂まみれの手で顎髭をさすった。「たしか、君達の名前は……アーリとミリナ、だったな」
「はい」アーリが続ける。「さっきも言いましたが、私とミリナさんは南にある街から来ました」
「時間に余裕はある。話は飯を食いながらしよう」レイゴはゆっくりと頷き、アーリの前に置かれた肉を手で示した。「口に合うか分からないが、遠慮しないで食ってくれ
取り分けられた鳥のグリルと付け合わせの炒ったクルミは、湿らせた葉っぱの上に置かれていた。
雨季の間にぐんぐんと成長したであろう植物が、地面のほとんどを覆い尽くしている。まるで蜘蛛の巣をこそぎ取って、ぐちゃぐちゃに丸め、もう一度広げたような模様を地面に描き出していた。
太陽の熱によって温められたそれらの匂いは、鼻が曲がるほど強烈で青臭かったが、鶏肉の臭みをとる香草だと思えば、辛うじてだが我慢できた。
アーリが周囲の臭いを肺の中いっぱいに吸い込んでいるのを見て、レイゴが話し掛けてきた。
「すまんな、こんな所で食事をさせて」彼は娘に鶏肉を食べさせながら、申し訳なさそうな表情になった。「だが、我々にできる最大の歓迎だと理解してほしい」
アーリは大きく横に首を振った。「私達は森の中に住んでいるし、狩人だから外で食事するのには慣れてます」
「そうそう!」ミリナは切り分けられた鶏肉にがぶりと噛み付いた。「ほへほ、ほひひいへす!」
彼女はそう言いながらも、味付けに満足いかなかったのか、鞄をガサゴソと漁って瓶入りの塩を取り出した。小さな半透明の粒をひとつまみすると、上から鶏肉にかけた。
「それは……塩か?」男はミリナが取り出した物を見て、少し驚いていた。「君らの街はかなり発展しているのだな」
「メトラ・シティには塩はないんですか?」アーリは気になったことをそのまま聞いた。
「ない訳ではない。ただ入手するのはかなり困難だ」レイゴは悲しげに首を振る。「高い金を払うか、クイーンズから盗むか、それともクイーンズの誰かに気に入られるか」
「……使いますかー?」ミリナは瓶をそっと差し出した。
男は一瞬驚いたが「少し悪い気もするが、君らに甘えよう」というと瓶に手を伸ばし、ひとつまみして、鶏肉に振りかける。
「ご飯、貰いましたからねー!」ミリナはにっこりと笑いかけた。
レイゴはまず娘の口に、そして自分の口に放り込んだ。数十回、もしくはそれ以上にゆっくりと味わうように咀嚼した。
「おとーさん、おいしいね!」セシリーが父親の顔を見上げていう。
「ああ、本当だな」レイゴも娘に笑いかけた。
楽しそうに食事をしている親子を見て、アーリは自分が子供だった頃を思い出す。胸の内から、懐かしさと嬉しさが一度に混み上げてくる。
美味しい物を家族で共有する時間は、幼い頃から一番好きな時間であったのだ。バレントが遠征で帰らない時は、少し寂しい思いをした事もあった。
今目の前にいるレイゴとセシリーの関係は、どうにも自分にとって無関係な物には思えなかったのだ。
「ちょっと、みんなに分けてくるね」ミリナは立ち上がると、塩の瓶を取ってグループの人々の元へと走り出した。「アーリちゃんはお話聞いてて!」
きっとミリナも、アーリと似た感情を持ったのかもしれない。きっと彼女も自分の師であり、父代わりのナーディオと、同じような時間を共有していたはずだ。
見ず知らずの女に駆け寄られて、少し戸惑う人々もいたが、彼らは塩を使わせてもらうと
次第に顔を綻ばせていく。見ず知らずの人間であろうと、美味しい物を前にすれば、打ち解けれるのだ。
レイゴはその光景を横目に見て、満足げに微笑んでいた。
「……ますます、君らに感謝をしなければな」
「いえ、こちらこそ」アーリは少し気恥ずかしそうに答えた。「私達はメトラ・シティに行きたいんです。そこでクイーンズを壊滅させないと……また攻撃されるんです。だからその……なにか情報を得られませんか?」
「なるほど」レイゴは難しい表情を浮かべた。「一つ聞きたいのだが、君はどこでメトラ・シティという名前を聞いたんだ?」
「私の母親からです。お母さんは北に街があって、そこにはクイーンズの拠点があるって——」
「そうだったか、信じられない偶然があるものだ……!」レイゴは何かを理解したように、数回頷いた。「……君の母親はメルラ・レンクラーだな」
「お母さんを知ってるんですか?」アーリは愕然をそのまま描き出したような表情をしていた。
「ああ、彼女がいなければ、私達が亡命する事は不可能だったんだ。メルラさんはクイーンズの手下だったが、彼らに隠れて物資や情報を流してくれた。君のその力の事も、彼女から聞いていたんだ、もちろん先程まで完全には信じていなかったがな」
「お母さんがそんなことを……」なんだか喜ばしい気持ちになった。
自分の母親はどれだけ苦しい状況においても、他人の為になろうとしていた。機械の体になろうとも母親は優しく、人間らしい人間であったのだと、確証を持つことができたのだ。
クイーンズ・ナインズに見つかれば、破壊されるどころでは済まなかっただろうに。それでも自分を投げ打って、他の人を助ける母親。悲しさはどこかへ行き、代わりに誇らしさを覚えた。
「そのバイクもメルラさんの物だろう」レイゴはアーリの少し後ろを指差した。「……もしかしたら盗んだか、殺して奪ったのかと疑っていたが」
「お母さんは……」アーリはそこで言葉に詰まる。
「死んだ、のか」レイゴはアーリの表情で察したのだろう。「あの人はクイーンズに抵抗しようとしていた」
「……だから、私はお母さんの為にもナインズを倒さなきゃいけないんです」ふっと顔をあげる。
「私の知っている事を全て話そう。それが私のできる最大の手助けになればいいが……」レイゴはコクリと頷き、決意した表情を向ける。「私個人としては、助けになってやりたいが……」彼は周りの仲間を一瞥する。「セシリーも、仲間も安全な場所へ送り届けなければ、いけないのでな」
「はい、私もここまで通ってきた道のりと、街を仕切っているジェネスさんへの手紙は用意します。私からだと言えば、きっと歓迎してくれるはずです」




