第十七話 廃墟を後に
寝ていたアーリの頭上に生えていた木から、朝露がぽとりと垂れ落ちる。冷たい水滴が頬に落ちてきて、アーリは身震いと共に目を覚ました。空気は若干肌寒かったが、ジャケットを体にかけていたので平気であった。
大きく伸びをし、ふと焚き火を見ると火はすっかり消えていた。
すぐ横に寝ていたはずのミリナは壁に寄りかかって寝ていたはずだが、寝相で横に倒れたようだ。彼女は地面で丸くなって、まるでループが昼寝をしている時のように寝息を立てている。
感覚を張り巡らせ、周囲の音や匂い、風の動きを探ってみる。敵がいないか、怪物が近くにいないだろうかと調べるためだ。アーリは数秒間、気を張っていたが近くには敵や怪物はいないようだった。近くにいる生き物といえば、食べ物の匂いを嗅ぎつけた耳鼠が、瓦礫の隙間から鼻先だけを出し、いまかいまかと鞄の中に飛び込もうと模索しているくらいだ。
アーリはほっと胸を撫で下ろした。どうやらアラとクラも、他のナインズも今夜はなにも行動してこなかったようだ。
冷静さを取り戻したアーリは、瓦礫の隙間から飛び出している鼠の鼻先をツンとつついた。短く甲高い鳴き声を上げ、その可愛らしいピンクの鼻先が瓦礫の中へ戻っていった。
アーリはそれを見て、「ふふっ」と悪戯っぽく笑った。帰ったら鼠でも飼ってみようかと彼女は思った。
ループに感情があるのだから、そこら辺の鼠にもきっと何か感情があるかもしれない。オクトホースにも機嫌がいい日も悪い日もある。もしかしたらラットにも怒ったり泣いたりと、感情を表す事があるかもしれない。
昨日出会い戦ったあの少女の二人組なんかよりも、この瓦礫の中に隠れている鼠の方が、感情を持っているんじゃないかとアーリは思った。
ラットは小さな虫や木の実、死んだ怪物の死骸は食べるが、同じ種族を食べる事はない。クイーンズ・ナインズなんかよりもよっぽど、鼻先を小突かれて怯えるラットのほうが感情的で愛おしい存在だろう。
アーリはペンと何も書いていないノートを取り出し、ここまでの道のりと発見したものをメモし始めた。忘れないようにと言うこともあるが、もし自分が死んだ時、誰かが発見してくれるかもしれないという意味もあった。そうならない事を祈るばかりであるが——。
ほどなくしてアーリはミリナを起こし、さらに北を目指して出発する事にした。
「コースター」と名付けられた金属の巨大なモニュメントや、建てられた意図の分からない建造物の廃墟群が、バイクの速度が上がるにつれて小さくなって行く。
アーリ達には、結局あの場所がなんなのか分からなかった。もしかすると、街だったのかもしれないが、人が暮らして行くには農場や家の数が少ないように感じた。
そして彼女達が出発してから数分も経たないうちに、また別の崩れた建物群が見えてきた。煉瓦造りの建物が数件連続しているため、先ほどの場所と比べても、人間が暮らしていた名残があった。
崩れ落ちている煉瓦を飲み込もうと、植物達がその蔦を伸ばし、がたがたとした緑色の塊を作り出している。植物に絡みつかれた煉瓦は、雨やその根によってぼろぼろに分解され始め、長い年月によって土へと帰ろうとしていた
「また建物があるねー」ミリナが聞いた。「この辺は大きな街だったのかなぁ?」
「かもしれないけど……」アーリはふっと周りを見渡す。「ガジェインはメトラ・シティの周りには怪物もいなくて、食料も取れない状況だって聞いてたけど」
彼女達の周囲に広がっているのは相変わらずの森だ。それだけ食料に困っているのなら、この場所を切り開いて畑にでもすればいいのにとアーリは思った。
「この辺に住めばいいのになぁー」ミリナも同じことを思っていたようだ。
「なにか他の理由があるかもね、それもメトラ・シティに行けばわかるかもしれないね」アーリはバイクの速度を緩めながら言う。
「まだしばらくは時間が掛かりそう——」
ミリナがそう言いかけた時、彼女達の視界を遮った木々が途切れた。
広がる視界の中、彼女達の目に映ったのは広大な平原であった。なだらかな緑の大地が、見渡す限り広がっているのだ。見える範囲すべてがほぼ平らな土地であり、人間が暮らして行くには十分すぎるほどだった。
草原には崩れた建物が乱立していた。だが例に漏れず、それらはすでに建物としての役目は果たしていない。ほとんどが緑の糸に絡め取られていて、大地に捕獲され、地面の下へと引き摺り込まれているようであった。
しかし、いくつかは建物としての形を、なんとか保っているようだ。大工や建築に携わる者が数十名いれば、すぐに住めるようになるかもしれない。
中でも目を引くのは、石と金属でできた橋だ。地面から生えた石の支柱に支えられ、それは静かに平原の中央に佇んでいた。橋は途中で崩れ落ちていて、どこへ行き着くこともなく空へと伸びている。切断面からは、アーリ達が樹海の中で見つけた金属の棒が無数に突き出していた。きっとあれが橋全体を内部から支え、強度を出しているのだろう。
まだ完全であった頃の姿を想像すると、かなり長い橋だったのだろうと思える。二十メートルはあろうかという高さを誇っており、その上からの景色を想像したアーリは少し怖くなった。
アーリはゆっくりとバイクを止める。
どうやらそこには街の入り口らしく、ふと道脇の雑草の中を覗き込むと、色あせて錆びだらけになった鉄の看板が転がっていた。
「オル、ラン、ディ……オルランディだって、この街の名前」アーリはかろうじて読める看板の文字を読み上げた。
「アーリちゃん、聞いた事ある?」
ミリナの問いかけにアーリは首を横に振る。「本とかでもみた事ない名前だよ」
「うーん」ミリナは顎に指を当てて、唸っていた。
「なにか思い当たる?」
「師匠に聞いた事があったかと思ったけど……」ミリナも同じく首を横に振った。「思いついたのは、オイルなんたらって魚の缶詰と間違えたみたい」
「……行って、みる? 近くには怪物の気配がないみたいだし」
「行こっか! ちょっと怖いけど……」ミリナはバイクの後ろでコクリと頷いた。
「何があるのか調べておかないと、ジェネスさんに報告するために」アーリはゆっくりとバイクを走らせ始めた。
「あと、食べ物があるかもしれないよ!」ミリナは自分でそう言ったが、目を輝かせている。
「あっても腐った缶詰か、怪物の死体くらいだと思うけど……」アーリは冗談っぽく言う。「大きな建物が蔦に巻きつかれているなら、かなりの年数が経ってるはずだし」
「えー、じゃあ美味しい木の実とか、果物とかなってないかなー」ミリナは目を皿のようにして見回している。「それか肉付きの良い原生生物が生息してたりとかさ!」彼女は空に飛んでいる鳥を指差した。「あれとか! 原生の鳥類じゃない⁈」
「あれはフルート・コルンバだよー」アーリはちらりと空を見て言った。「一応食べられるらしいけど、ココットリスのほうが美味しいってさ。バレントが言ってた」
「うーん、そっかぁ……缶詰とかは飽きてきちゃったなぁ」ミリナはがっくりと肩を落とした。「帰ったらいっぱい美味しいご飯食べようね」
「でもパンはなくなっちゃったし、今日からはパスタとおこ——」
そこまで言いかけた所で、アーリは気配を感じ取った。
「どうしたの?」ミリナが問いかける。
「……人がいる」アーリはなるべく小声で言う。
火の匂い、肉と脂が焼ける匂い、そして数十名のそれぞれ違った匂い。
靴の音や衣服が擦れる音。話し声。
火を使って調理するという知性を持ち、服と靴を作って着るほどの器用さを持っている怪物がこの世にいるのならば話は別だが、明らかに人間がこの街に潜んでいるのだとアーリは確信した。
彼女はすぐに建物の影に入り、そこでバイクを停めた。




