第十三話 新たな文明の痕跡
サーペント・フライの大軍の襲撃をくぐり抜け、彼女達は先程見えていた巨大な壁の近くにたどり着いた。壁ではあったが、五十メートルほどの長さに渡って、一部だけが残されているのみだ。
五メートルほどの入り口があるものの、回り込んでも中には入れるようであった。
周囲は木々に覆われており、彼女達の暮らしている街とは様相がかなり違っていた。人に手入れされている気配は一切ない。ひっそりと佇む人類が暮らしていた場所の痕跡を前に、街の西にあった砂の街での出来事をアーリは思い出していた。
アーリは感覚を研ぎ澄まし、周囲にいるかもしれない人や怪物の気配を探った。だが、小さな生物の匂いはするが、敵意を向けている様子はない。
「何もいる感じはしないよ、進んでみる?」少女は能力を解除しながら言った。
「それにしても何だろうこの場所ー?」ミリナは好奇の眼差しを周囲に、そして巨大な壁の中へと向けている。「あの青くてでっかいボールとか、何のためにあるのか分からないしさー。街だったのかなぁ」
ミリナが指差す先、大きく成長した木々の間には、直径四メートルはあらんかという巨大な風化してくすんだ青色の球体があった。それは四分の一ほど土の中に埋まっており、力なくただ風を受けてその場に置いてあるのみだ。
「あれは……なんだろうね?」アーリはそれを見ても、それが存在している理由が分からなかった。
「怪物の卵……、じゃないかー」ミリナは面白い物をみるような目でそれを眺めていた。
「……うーん」アーリは顎に指を当てて、うなった。「こっちに壁もあるけど、守るためっていう感じはしないよね。一応、報告できる事があるかもしれないし、休める場所を探しながら探索してみる?」
「おっけー!」ミリナは鞄を背負ってうきうきとした表情を浮かべている。「ご飯作る所も探さないとねー」
彼女達は巨大な灰色の壁の中へと入っていく。入ってすぐの場所には錆びてぼろぼろになった鉄のフェンスの一部が残されていた。それは時の流れとともに風化したようで、誰かの侵入を阻む機能は残されていない。
とはいえ、内部は相変わらず森のようで、入ってすぐの場所は広場になっている。地面は背の低い雑草に覆われていて、ところどころは木が生えているが、崩れた煉瓦造りの建物が広場を取り囲んでいた。
「なんだか、街、みたいだけど……」アーリは周囲の様子を探りながら言う。
「ぜーんぶ、屋根が吹っ飛んでるね!」ミリナは少し楽しそうだ。「……あれ、なにかな!」ミリナは少し先の方を指差した。
彼女の指の先には、金属でできた螺旋状の物体が上へと伸びている。
「なんだろう……?」アーリにはそのような物体に見覚えはない。「もう少し近づいて見てみる?」
「いこいこ!」ミリナはアーリの袖を掴んで、そちらへと走り出した。
「あ、ちょ、ちょっと。焦らないでも——」
二人は転がるようにその廃れた建造物群を走り抜けた。広い土地を占有していた役場らしき建物や、きっと物凄い金持ちが住んでいたであろう崩れた屋敷などの前を走り抜ける。それらの建物は蔦に巻かれ、改めてこの場所に人がいるはずのない事を教えてくれる。
アーリは若干の不安を覚えていたが、それよりも見た事のない物を目の前にした好奇心が優っていた。
近くに寄ってみると、鉄筋を組み合わせて立っている建物の痕跡だけが残されており、その周りには錆びた鉄片が地面に転がっている。
「なんだろー、結構でっかいね!」ミリナはその螺旋構造を見上げていった。「長い蛇みたいだなぁー」
空へと伸びて行かんばかりの螺旋状物体は、一本の太い金属で形作られている。それらは回転しながら伸びていったかと思うと、今度は下へと大きく下がり、かと思えば上へと伸び、弧を描きながらこの辺一帯の木々の間に伸びている。
鉄の線は地面から伸びる太い柱で支えられ、空中で自由自在にその体を伸ばしている。何とも不思議な芸術品か、それとも別の何かなのか、アーリ達が初めて対面する物体であった。
「……コースターって書いてあるね」アーリは薄汚れ、文字がいくつか落ちた看板を指差して言った。
当然アーリにも『コースター』という言葉に心当たりはなかった。唯一分かる事といえばは、それが金属でできた一本の湾曲する太く長い線で作られている事だけだ。
看板は黒く錆びていて、細い植物が巻きつき、その緑色が文字を浮かび上がらせている。かなり外れかけているようですこし風が吹くたびに、看板が小刻みに揺れてキィーキィーと音を立てていた。きっと植物が紐の代わりになって支えているのだろうなと、アーリは思った。
「それって、どう言う意味かなー?」ミリナも同じくそれを見上げるが、その言葉に心当たりはないようだ。
「私にもさっぱり分かんないよ……」アーリは大きく首を振った。「なんだかおっきい物ってだけかな」
「うーん、砂の街にはこんなのなかったよねー」ミリナは螺旋を見上げて言う。「建物の一部だったにしては、ぐねんぐねんしすぎだしー。形だけ見たらヒルトさんが腕につけてるアクセサリーみたいだね」
「腕につけるアクセサリーにしては、大きすぎるでしょー!」アーリは小さく笑いながら言った。
アーリはコースターと呼ばれる奇妙な巨大建造物を前に少し悩んでいると、ミリナがその看板の先へと歩いていきはじめた。
「なんか奥にあるよ!」ミリナが何かを見つけて呼びかけてくる。
アーリが近くに寄ってみると、木の間に挟まった薄汚れた水色の物体を見つけた。所々の塗装が剥げており、その下からは錆びた金属が見てている。
木に挟まれて横倒しになっているが、どうやらそれらは数人が二列に並んで座れるもののように見える。
「なんだろーこれ!」ミリナは興味津々でそれに近づき、手で撫でてみる。「昔のベンチかなー?」
「それにしては変な形だけど……」アーリは歪な形をした物を前に考え込んだ。
しかし、やはり彼女の持ちうる知識の中に、このような物体の使い道も、製造理由さえも思い浮かばなかった。
「とりあえず、今日はこの場所を調べてみよっか」アーリは顔をあげてミリナをみる。「休むのにしても、この場所にクイーンズ・ナインズが潜んでるかもしれないし、とりあえず安全を確保しておこう」
「うーん……そろそろご飯にしたいね」ミリナは腹を数回撫で回した。
「じゃあ、この辺で少し休んでから探索してみよっか」アーリは鞄を下ろす。
周囲の木を拾って火を起こし、パンやスープなどの簡単な食事を済ませた後、彼女達は周辺をさらに探索してみる事にした。
空を走る歪な金属の線「コースター」の他にも、途中で折れた巨大な円柱や汚れた色鉛筆で描いたような「店」という看板がぶら下がる建物もあった。子供の落書きのような人の絵や像が、土と草の中に埋まっている場所も存在していた。
怪物や人間の形を模した像なども散見され、時折木の間から覗いている巨大な爬虫類系の怪物の姿に驚かされる事もあった。
それらは広範囲に渡っていて、歩いて回るだけでも一時間以上は掛かってしまった。しかもそれだけ歩き回っても、まだ全てを確認しきれていないのだ。何かを発見して数十歩あるけば、また別の面白いものに出会うといった具合であった。
だが、彼女達にとっては見た事のない物の連続であり、時間はあっという間に過ぎていく。なんだかアーリは自分が研究者になった気分で、この場所を楽しんでいた。
気づけば日が沈み始め、周囲は橙色に染まり始めていた。
「面白い物がいっぱいあったねー!」ミリナは途中で拾った不思議な造形をした絵を手に、すこし浮き足立つように言った。
「でっかいトカゲが木の間から覗いてた時は、びっくりしたけどね!」アーリは態とらしく目を大きくして言った。「何にも音がしないのに、ぐわーってこっちを見てるんだもん」
「アーリちゃん、驚き過ぎて咄嗟にライフル構えてたもんねー!」ミリナは驚いたアーリの真似をして見せた。「……でも、これだけ歩いたけど、この辺は危ない怪物はいないみたいだねー」
「うーん、確かにそうだね」アーリは少し考え、それから続ける。「調査隊の人達がすぐ近くで襲撃を受けたから、この場所にも怪物が生息してておかしくはないと思うけど……一切、怪物の痕跡はなかったよね」
「やっぱり水場に生息している怪物なのかなぁー」ミリナは顎に手を当てて、唸りながらも考え始めた。「その日は雨のあとで水嵩も増えてたみたいだし、水のある場所に移動する怪物なのかもね」
「それか、生息範囲がすごく広くて、今日はこの場所付近にいないっていう可能性もあるね」アーリも同じように考えてみるが、それ以上の可能性は見つからなかった。
情報を得ようにも、この場所には怪物の痕跡は周囲にほとんどなく、耳鼠の死体がたまに転がっている程度だ。どれだけ考えても仮説を立て続ける事はできるが、答えは出るはずもない。
「そろそろ寝るところを探そっか」アーリは暗くなり始めた周囲を見て言った。「って言ってもこの辺に寝泊まりできる所、なかったよね……」
「どこがいいかなー?」ミリナがきょろきょろと辺りを見回す。
薄暗くなり始めた不思議な文明の痕跡達が並ぶ森の中を見渡しても、近くには崩れた建物しかないのだ。どこを見ても木々と崩れた建物の一部が転がっていた。
「あそこでいいかな」アーリは一番崩壊の具合がゆるい建物を指差して言った。
壁のみが半分ほど残ったその建物の中に入ると、内部は外とほとんど変わらないが、風を少しばかり凌そうではあった。
アーリは壁際に鞄をどさりと置く。「ちょっとバイクを取ってくるから、火を起こしておいてくれる?」
「おっけー!」ミリナは早速薪を集め始めていた。「晩御飯も作っちゃうよー、今日はお米にしよー!」
「うん、じゃあ取りに行ってくる」アーリはライフルだけを背負い、外へ出ていく。「一応怪物の気配はないけど、気をつけてね」




