第十一話 戦いの跡地
「じゃあ行こっか」アーリはバイクの横に鞄をぶら下げた。「これなら今晩中には、山を越えられるはずだよ。超えて少し行ったら川があるから、今日はそこで野営しよう」
ミリナは胸のガンホルダーに二丁の拳銃を仕舞い、アーリのライフルを肩から背負った。「うん、私は準備できた」ミリナはアーリの後ろの座席に跨った。「いつでも行けるよ!」
「銃弾は何発あってもいい、持っていけ」バレントは箱に入った弾丸を鞄の中に突っ込んだ。「……決して無理をするな、危険だと思ったら戻ってこい」
「大丈夫ですよー! 私がいますから」ミリナはとんと胸を叩いて見せた。「ご飯は作りますから、空腹で無理はする事はないですからー!」
「それは安心だ。それに比べて私は、バレントが作る不味い飯を食わなきゃいけんからな」ループはすこし冷やかし気味だ。「お前が帰ってくる頃には、餓死しているかも知れんぞ?」
「大丈夫だ、鼠の肉なら腹一杯食べさせてやる」バレントもすっかりいつもの調子を取り戻しているようだ。
「なるべく早く帰ってきてくれ」ループはわざとらしく懇願するように言う。「街が壊滅するより前に、私が死んでしまうぞ……」
アーリはバレントとループの冗談を言い合うのを見て、なんだか安心感を覚えた。この調子なら安心して旅立てると思った。
夕暮れ後に家を出発したアーリとミリナは、オクトホースなら超えるのに一日掛かる北の山を、光子二輪のおかげもあってか数時間で超えられた。薄暗い森の中でも、バイクのフロントライトが、前方を昼間のように照らしてくれる。速度も一定を保ち、オクトホースのように疲れないという利点もあった。山の斜面でも、ハンドルを捻りさえすれば、十分に速度を保って登っていける。
怪物達の襲撃もなく、彼女達の北への旅は順調であった。一度道に飛び出してきたトライテール・フォックスが、バイクに驚いて失神しかけた程度だ。
所々で川や池などを探し、休憩と停泊を挟みながら北を目指す。
行程は簡単だ、方位磁石を頼りに、ただ一直線に北へと進めばいい。それに方向を見失ったとしても、北方調査隊の通った痕跡を追っていけばいい。
ほとんど人が踏み込んでいない未開の地を、三十匹のオクトホースの群が通る事など滅多にいないからだ。現に今もなお、地面に刻まれた無数の蹄の跡が、虚しくも残されていた。
調査隊が五日をかけてたどり着いたはずの湿地林に、彼女達は三日で到着することができた。先程までの深い森とは違い、木々はまばらであった。
腰ほどまで水に沈んでいると聞いていた地面だが、どう高く見積っても、くるぶしほどまでになっている。一週間ほどの間で水嵩が下がったのだろうか、これぐらいならばバイクで通過するのは簡単だろう。雨期を抜けた後で良かったとアーリは思った。
「聞いてはいたけど、かなり酷い……」アーリは目の前の光景を目にしバイクを止めて、呟いた。
感覚を研ぎ澄ませたアーリの耳にも、周囲で動いている怪物の姿は捉えられなかった。周囲からは、風を受けて波立つ水面の音と、どこか遠くでぱきりと折れた木の枝の音ぐらいであった。
「近くには例の怪物はいないみたい」アーリは周囲を見回しながら言った。
「ちょっと調べておく?」ミリナはバイクから降りながら言う。「怪物について何か分かるかもしれないし」
腐った生物や木の匂いが周囲に充満し、羽虫達がかなり活発に飛び回っている。言うまでもなく、生物の死体やその一部だったであろう肉片がまばらに転がっている。
自然の摂理に破れた怪物達の死体や骨などが、森の中に転がっている事など良くある事だ。これらの肉片が元々人間だということを置いておけば、狩人のアーリとミリナにとって、見慣れた光景であった。
彼女達はブーツが濡れるのも構わず、地面を覆う水の中へ踏み入れた。水面下の泥が靴底に食らい付き、歩くたびに撹拌された土の中に沈んでいくような錯覚を覚える。
「歩きづらーい」ミリナは重たくなった足を持ち上げて見せた。「オクトホースでも逃げるのは難しかったみたいだね」
「鋭い刃物で切られたような断面だね」アーリは怪物による咬み傷を受けた死体を観察した。「グリフォンの爪で引き裂かれても、こうはならないはず。報告書にあった怪物の顔についてる牙みたいなのは、包丁ぐらい鋭いかな」
「戦う事になるなら、接近戦は避けないとね」ミリナは横から覗きこんで言った。
水の中に落ちている人間や馬の体の一部は、ずたずたに引き裂かれ、斧で二つで断ち切られたかのように綺麗な断面図であった。
死体に美しいと形容するのは間違っているのだろうが、自然界に通常存在し得ないほどの切断面は、その形容詞が一番ふさわしかった。
アーリはこれを見て、怪物の大きさを今一度想像し、小さく身震いをした。それと同時に怪物に対処する方法を思い浮べようとしたが、能力による抵抗は大軍に対しては難しいだろうと思い至るのみであった。
「アーリちゃん、こっちみて!」
「ん?」アーリが振り返るとミリナが手をこまねいていた。
近寄ってみると、ミリナが泥の中を掻き分けて、黒い物体を引っ張り上げていた。
「怪物の一部かなー?」ミリナが手にしていたのは、湾曲した鉄板の様なものであった。
「たぶん、甲殻の一部だね」アーリがコツコツとそれを叩いてみる。
五センチほど分厚い外殻は、炎熱式剣の攻撃を受けて切り取られた物だろう事は、容易に見て取れた。確かに鉄の様な強度を持ってはいるが、鉄板の様に音が響く事はなく、鈍い音が響くのみだ。表面は精錬された鉄のようにつやつやとしていて、陽の光を反射し、覗き込んでいる彼女達の顔を映し出している。
内側に付着していたであろう肉片は、泥の中の微生物達に分解されて、微塵も無くなっていた。
人間をこれだけ綺麗に裁断できる、しかも五メートル以上の怪物だ。それが巻き起こした惨状を目の前にしても、アーリはその存在を未だに信じきれていなかった。半信半疑のまま周囲の状況を見渡すが、骨に付いた肉片とそれらが纏っていた服や革の鞄ばかりが、そこいらに残されているだけであった。
「これだけ分厚ければ、銃弾が効かないのも納得できるねー」ミリナはそれを見て能天気に言った。
ミリナは腿の横に差していた炎熱式ナイフを抜き、スイッチを入れ、黒い外殻に刃を入れてみる。こびりついた泥をも溶かしながら、熱を帯びたナイフが怪物の体の一部だったものに切り込んでいく。
「炎熱式だったら攻撃は効くみたいだねー」ミリナは真っ二つになった外殻をアーリに見せた。「でも、近づいたら危ないし、遭遇したら逃げた方がいいかもねー」
「少し変だと思ったんだけど……」アーリはもう一度周囲の状況を見渡した。「調査隊の人の着てた服とか鞍なんかはあるけど、武器と防具は無いんだよね。鉄とかは普通なら残っているはずなのに」
「ほんとだー、確かにそうだね」ミリナも言われて気が付いたようだ。「……鉄を食べる怪物なのかな? それだったら殻が硬いのも説明がつくよー」
「その可能性もあるけど……」アーリはそこで首を傾げた。「あるいは誰かが持って行ったかだね。むしろそっちの方が有り得る気がする」
アーリは自分の父親エレンボスが残した書物の中に、このような怪物の記述が無いのを知っていた。勿論刃物を顎に持つ生物など微塵も知らないのだから、その食習慣がどの様なものかも知らないのだが、図鑑には鉄を食べる怪物など載っていなかった。
「うーん、アーリちゃん頭いいね」ミリナは殻を捨てて言った。「私だけだったら、絶対に鉄を食べる怪物だと思ってたよー」
「もちろん、クイーンズ・ナインズが作ったか、ここ周辺に生息していた原生生物の生き残りの可能性もあるけどね」アーリは付け加えるように言った。「とにかく、遭遇しない様に注意して進もう、遭遇しちゃったら……なんとか回避したいね」
「いこー!」ミリナはナイフを仕舞って、バイクへ向かう。「早くここを抜けて、濡れてない地面でお昼ご飯にしよーよ!」
「どれくらいで抜けられるか、分かんないよ?」アーリは少し冗談交じりに言う。「もしかしたら、このままずーっと沼地かも」
「えー、それは嫌だなー」
彼女達はそんな冗談をいいながら、気持ちを落とさずに奥へ進んでいく事を決めた。バイクに乗り、湿地帯の奥、さらに北の方角へと進む。街へ降り注ぐ事になる脅威を振り払うためには、進まなければいけないのだ。
ここから先は北方調査隊の進んでいない場所になる。街の人間はおろか、森で迷った子供ですら、この先には踏み込んでいないだろう。
未開の地を進むため、アーリは一層細心の注意を払い、バイクのハンドルを握る。
取り残された物言わぬ肉塊達は、ただ静かに水と泥に塗れて沈んでいく。それらは時の流れと共に、自然の中へと帰っていくのだろう。だが、彼らが脅威に立ち向かったという栄光は、人々の中で語り継がれていく。
アーリは彼らの犠牲が、自分達に情報を与えてくれるという事に感謝した。




