第十話 天才外科医の成れの果て
薄暗くどこか無機質な部屋を、天井の照明がぼんやりと青白く照らしている。
部屋の中央には一台のベットが置かれていて、その周りには医療器具らしき物が乱雑に置かれている。
一見すると手術室に見えるが、この部屋全体に充満する機械油や金属の匂いが、そして砂埃にまみれたその部屋の床が、その目測を大きく否定していた。大量の血液がベッドを滴り、床へとこぼれ落ちていくのを見れば、この場所で行われているのが医療ではない事が明白に分かった。
医療器具に混じって、明らかに医療に使われないであろう工具類や、使いかけの機械部品が散らばっているのだ。
綺麗な黒髪と、黒のグローブ、そして白衣の切れ間から見えるぴったりとした黒のボディースーツ。それらは無機質な彼女の表情や性格を、体現しているように思える。
白衣を着た一人の女は、ベッドに横たわる人を弄くり回していた。生身の人間の体の中に、機械を無理矢理埋め込んでいるのだ。
被験体の腕や首の皮膚は切り広げられ、人体の内部構造が剥き出しになっている。それらは人工的な筋肉に置き換えられ、彼女はさらにそれらの間に、黒く歪な機械部品を移植していく。
女の表情は無機質かつ無感情であったが、工具を扱っているその手付きに、微かな興奮と高揚が感じられた。
手術室には鳴り響かないであろう工具の駆動音が、ただっぴろい部屋の中に反響する。
「ああ、っがあがが!」ベッドに縛り付けられた男は、それに呼応するかのように意味不明な悲痛の叫びをあげていた。「あがあいぐがが、が、が……」
そして、駆動音が鳴り止むと同時に、叫び声は小さくなっていく。やがて男は事切れたように、ぴくりとも動かなくなった。
「……また、失敗した」彼女は誰に届く事もない言葉を、虚空と目の前の被験体に向けて放つ。
「まだ、終わって、ない」彼女が人差し指をぴんと立てると、黒く艶やかなグローブに覆われた指先から、一本の注射針のような構造が飛び出した。
「……起きろ、まだ終わってない」無表情を貫いていた女の口の端が、歪な微笑を描き出す。
そして彼女は、人差し指を、男の首筋にぐっと差し込んだ。
「あ、あ、あがああ!」男は息を吹き返したかのように、また怯えと苦痛に満ちた叫びを吐き出し始めた。
悲鳴が響き渡る中、工具の音が重なる。
部屋の金属製の扉が勢いよく開かれる。その衝撃で部屋の隅に置かれていた棚が、がしゃりと音を立てた。
「入るぞ」と低い男の声が聞こえた。
ドアの外から、白く長い髭を蓄えた古風な服装の男が入ってきた。顔の皺としわがれた声、真っ白に染まった髪の色から察するに、彼は初老ほどの年齢になるのだろうか。
「追加のモルモットだ」そして、男は背負っていたもう一つの人形を、地面にどさりと落とした。
「相変わらず、汚ない部屋だな」梟のように鋭い眼光で部屋全体を見渡した。「少しは整理したらどうだ」
彼の見渡した部屋の薄暗い隅には、使い古されて事切れた被験体達が山のように置かれていた。遊び飽きた人形を、部屋の隅に投げ置き、そのまま忘れてしまう子供の部屋のような有様であった。一つ違うのは前者の人形は人間大である事くらいだろうか。
「……面倒くさい」女は一瞬手を止めて、白髪の男に言った。「被験体の追加、ありがとう、ストリクス」
「それはいいんだが」ストリクスと呼ばれた老紳士は、部屋の隅に寝転んでいた人形の一つを拾い上げた。「早いところ、コラヴァスを直してくれ」
コラヴァスと呼ばれた抜け殻は、すらりとした体と緑色の艶やかな髪を持っていた。老紳士がうなだれる人形の髪を掴んで持ち上げると、通常は目があるはずの部分に、闇のように暗い眼窩がぽっかりと空いていた。切れた電子ケーブルや目が入っていたであろう名残が見受けて取れ、この人形は機械の目を埋め込まれていたであろう事が分かる。
手足は本当の人形のように、力なく重力に引っ張られてだらりと垂れている。服は来ているのだが、乱暴に扱われているのだろうか、はだけているのは当たり前で、所々が銃弾により穴が空いていた。
「電子義眼は繊細で面倒……だから」白衣の女は口を尖らせて、なおも無表情を取り繕いつつ言った。「人格基盤を入れるのも手間がかかるの」
「天才外科医のラグリスさんなら、二日で出来るだろ」ストリクスは物言わぬ人形をベッドの横に捨て置いた。「とりあえず使えるようにしてくれ。ガジェインとブレイルを失って、こっちも仕事が手に負えねえんだ」
「……まぁ、やっておく」ラグリスはちらりと、地面に横たわる人形を見た。「動けばいいんでしょ」
「ああ、最悪定点観測か軽度の戦闘にできればいい」ストリクスはこつりと革のブーツを履いたつま先で人形を突いた。「とにかく一体でも動ける機械人間が必要だ」
そう言うと老紳士は静かに、踵を返して部屋から出て行った。
一人残されたラグリスは、診察台の上に横たわる男の体を押し出して、奥にずるりと落とした。力を失っていた男の体は、一切の抵抗なく床にぴたりと叩きつけられ、彼の体から流れ出た血液の海に浸った。
ラグリスはふぅと大きく息を吐き出し、代わりに緑髪の人形を診察台に引っ張り上げた。
それから周りに散らばる人形達の山へ歩み寄り、必要な部品を漁り始めた。文字通り山のように積まれた、息をしていない人型を為した機械を掻き分けていく。
猟奇的なまでの光景を前にした彼女の表情は、感情の起伏もない無機質な物であった。むしろ人形達の苦痛に歪んだまま固まった表情の方が、それぞれ豊かな表情を浮かべている。ラグリスにとってこの機械の山は、食卓に並ぶ粗末な食事よりも、人が死んでいく様よりも見慣れた光景なのであった。
医師として多くの人間の治療を任されていたラグリス。人間を救い、負傷した体を治していた彼女は、いつしか人体に機械を埋め込む技術に魅せられていた。
人体改造、機械化手術。それらは彼女の仕事から趣味になっていたのだ。機械が好きだった訳でもない。ただ彼女は、人間という種を改良する事に興味を見出した。
機械技術と医療の融合の結果、人体の各部位を武器に変換する事ができるようになった。その結果、人間は人間を超越した存在へと成り果てようとしている。




