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怪物少女と狩人  作者: 遠藤 ボレロ
——北を目指して—— 第1章
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第七話 別れ

 会議はその後も数時間に渡って続いた。だが最初の一時間で、アーリが北方へ行くことは、ほぼ可決されていた。残りの時間は渋るバレントを説得するためだけに設けられた時間であった。

「……本当ならば、兵士達を同時に派遣するべきなのですが」ジェネスは腕を組んだまま言った。

「なら、俺が付いていけば——」

「お前は狩人協会を束ねる責任があるだろう。何かあったらお前が指示を出さなければいけねぇんだぞ?」ロッドがバレントの言葉を遮った。「アーリちゃんを信じろ。お前が育てた子だ、怪物程度にやられるはずもない」

 

 きっとバレントも心の中で分かっているはずだ、とアーリは思った。街に暮らす人々と、アーリ自身の命を天秤にかけた時、重たいのは必ずと言ってもいいほど圧倒的に前者であろう。

 家族であっても、その天秤を逆方向へと傾ける事はできない。アーリが例え十人いたとしても、例え本当の肉親と子供の関係だったとしても。バレント一人にはその決断を下せないのだ。自分の子供であり、絶大な力を有する少女の行く末は、個人で決定するには強大すぎるのであった。


「アーリ、本当にいいんだな?」バレントは最後に問いかけた。

「うん、私が決めたんだ」少女はそう短く、一切悩む事なく返した。「街のみんなが安全でいる事が、私の幸せだから」

「……そうか」バレントはそう言うと、小さくため息を吐き出して、席を立ち外へ出ていく。途中でアーリの肩をぽんと叩いた彼の手は、暖かく。

 少女が見た彼の横顔には、寂しさと愛しさが複雑に混ざり合った表情を浮かんでいた。しぶしぶながら、バレントも自分の父親としての感情と、街を守る狩人の長としての責任に折り合いをつけたように見えた。


「これで決定だな」ヒルトは椅子を倒さんばかりに勢いよく立ち上がる。「また呼び出されない事を祈ってるよ」彼女は吐き捨てるように言い残し去っていく。

 残されていた残りの代表者達も、会議は終わりだと思い思いに席を立ち、会議室を後にした。

「後で工房に寄ってくれ、バイクの件だ」ロッドはそうアーリに言い残して、のそのそと歩くエレパーベアのように歩いて出て行った。


 ここに残ったのはアーリとミリナ、そしてジェネスだ。

「それで、いつ出発可能だ?」ジェネスは二人に問いかけた。「決まった以上は早急に手を打ちたいのだが」

「……今晩にでも。バレントの気が変わらない内に」アーリははっきりと答えた。「母が乗ってきた乗り物をロッドさんに預けています。それを受け取って、準備を整え次第、出発します」

「こちらからはあまり援助はできないが、食料やその他必要な物を買うための金は出す。少し待っていてくれ」ジェネスはそう言うと、部屋から出て行った。


 そして、アーリはちらりとミリナを見た。「ミリナさんは本当に付いてきてくれるの?」

「もちろんだよー」頷いたミリナは、いつもの調子を取り戻したようだ。「アーリちゃん一人じゃ心配だし。私だって一人でクイーンズ・ナインズを倒したんだから、きっと頼りになるよー」

「うん、ミリナさんもいるんだったら心強いよ」アーリはこくりと頷いた。

「ジェネスさんにお小遣いもらったら、食料買いに行こうー」と言ったミリナの腹がぐるぐると唸った。「……お腹すいちゃったね」

「あとでカルネに会いに行こっか」


 彼女達は戻ってきたジェネスから、袋に入った金数十万グランを受け取ると、三番街へ出向いた。どれほど長期間の旅になるのかわからないが、食料はできるだけ常備した方がいいだろうと思ったからだ。彼女達はできるだけ保存ができる食べ物を、鞄いっぱいに買い込む事にした。

「サクラマスの缶詰と、トマト缶と干し肉と……後何がいるかなぁ?」ミリナは膨らんでいく背中のカバンの重さを確かめながら楽しそうに跳ねている。

「じゃがいもとかは茹でたら食べれるし、保存も効くからいいよね」アーリは頬に人差し指を当てて、上を見上げた。「うーん、パンは三日以上は保たないから少しだけなら。後はちょっと高いけどお米とパスタを買い込んでいこっか」アーリは札束をポケットに押し込みながら言った。「肝心の水は、川があればなんとかなるよね。ボトルもいくつか買っていこう」

「おー、パスタとトマト缶があれば……!」ミリナは目を輝かせている。「それにマスの缶詰と合わせて美味しいのが作れそー!」


 彼女達は三番街の店という店を周り、手当たり次第に食料や必要な器具を買い込んだ。ぱんぱん膨らんだ鞄は、行商人が背負っているものよりも大きくなっている。左右に大きく膨らんだその様は、ギガスクァーレル——体長五十センチほどの大きな栗鼠のような怪物で、さらに巨大なものは、木の幹ごと木の実を食い尽くすという——が頬袋に木の実を詰め込んでいるようであった。

 アーリは鞄の中に最後買ったものを詰め込むと、それを勢いよく背追い込んだ。

「……う、重い」アーリは重たい荷物で、若干ふらつきながら言った。「買い込んだし、カルネの所、行こっか」.

「あ……そうだ、お昼ご飯食べてなかった」ミリナが自分の腹を撫でながら、物足りなそうに言った。「お腹すいちゃったよ、お弁当もらって食べないと」


 彼女達は二人で大きな荷物を揺さぶりながら、三番街の裏路地にあるカルネとその父ガーレルの営む店、スモークキッチン・ガーレルへ向かった。

 木を組み合わせてできたログハウスのような店構えのその店は、路地裏にひっそりと佇む隠れ家のような場所であった。アーリはこの店に来るたびに、森の中に一軒だけある自分達の家の事を思い出し、どこか居心地のよさを感じていた。家族がこの店を行きつけにしている理由が、今日にしてやっと分かった気がした。

 店の前に着くと、店内から溢れ出た煙が外へと漏れ出している。香ばしい炭の香りは肉に練り込まれた刺激的なスパイスの匂いをも含んでいた。ただ匂いを嗅いでいるだけで、空かした腹が絞り上げられるかのような感覚すら覚える。


 アーリは木製の扉を開き、中を覗き込む。他の客はどうやらいないようで、店主のガーレルも裏で仕込みをしているようだ。

「こんにちは」アーリが声を張り上げる。「カルネ、いますかー」

「おー、アーリちゃんかー」一瞬間を置いて、店主の少し老いを帯びた顔がキッチンから覗き返してきた。「カルネなら裏にいるよ、さっき帰ってきた」

「おじさん、ありがとー」横から顔をねじ込ませたミリナは、店が突き抜けんばかりの大声で礼を言った。


 彼女達は店のすぐ横にあるさらに狭い路地を通り、店の裏へと向かった。店と店の間にある薄暗い空間の中には、がっくりと項垂れているカルネの姿があった。バケツに山盛りになった芋の皮をもくもくと剥いていた。

「カルネ、ごめん、お待たせ」アーリは辿々しくひねり出すように、カルネに声をかけた。


 声をかけられて、彼はゆっくりと顔をあげる

「……またどっか行くんだな」表情は険しく、全て察しているようであった。「兵士の一人から聞いたんだ、北に行った調査隊が壊滅したって。だからアーリ達が行くんだろ。おかしいと思ってたよ、狩人が兵団の訓練を受けるなんてさ」

 彼の言葉からは友達を失いたくないという意志が感じられる。バレントが会議室を去るときのような、寂しげで、どこか儚げな、諦めにも似た表情を浮かべていたのだ。

 歯をグッと食いしばり、皮剥き用のナイフが折れそうなほど握りしめている。しかし、そこに怒りはなく、むしろ悲しみの高ぶりだけが垣間見えた。友達が居なくなってしまうという悲しみなのだろう。


 アーリは少し押し黙る。自分で勝手に決めた決断——街のみんなのためにやろうとしている事であるのだが——その結果が周りの人間を悲しませているのだ。 

 敵を薙ぎ払う為に振りあげたナイフが、親しい人間の心を傷つけている。迫り来る火の粉を防ぐ為の盾が、逆に彼らを苦しめている。


「そっか、聞いたんだ」アーリは俯きがちに言った。「……でも、行かなきゃいけないんだよ。私が行かなきゃもっと多くの人が——」

「そんな訳ない!」カルネは怒鳴りつけるように言った。「アーリ以外にも、もっと強い奴らはいるだろ。兵士だって、ジェネス兵団長だって。アーリの代わりにアイツらが行けばいいんだ! そうしたらアーリが危ない目に合う必要もないのに」


「……カルネ」アーリはそれ以上返事をする事ができなかった。

「カルネ、アーリちゃんは自分で行くって言ったんだよ」ミリナが横からなだめるように、叱りつけるように言った。「どれだけ悩んで、決断したか分かってるの?」

「だったらなんで、相談してくれなかったんだよ!」カルネは感情の高ぶりをそのまま吐き出す。「相談してくれてたら、もっと早く知ってたら、俺だって俺にできる最大限の手伝いをしたのによ!」

「ごめん、カルネは反対すると思って……」アーリはまだ下を向いている。

 正確には顔をあげる事ができなかった。


 彼らは薄暗い路地の中で、空気を吸うこともできないほど苦しい沈黙を保っていた。アーリもカルネも俯いたまま喋らない。ミリナも二人の関係を知っているからか、横からそれ以上口出しすることはなかった。


 だが、カルネがふっと立ち上がると、彼がいつもの布に包まれた弁当を持ってきた。

「……持ってけよ、俺が作ったんだ」重たい弁当箱を突き出してくる。「なるべく早く食べろよ」

「ごめんね、ありがとう」アーリはそれを受け取る。ずっしりとした重みが、彼女の右腕にのしかかってくる。アーリにとって、それは彼女自身が背負う責任の重さのように感じた。

「いつ出発なんだ?」気分を落ち着かせたカルネが聞いた。

「今日……だよ」アーリはまた申し訳なさそうに言った。「準備ができたらすぐにでも」

「そっか、絶対帰ってこいよ」カルネは真面目な口調で言った。「俺も料理の腕、磨いておく。帰ってきたら、すごいもん食わせてやる」

「楽しみにしてるね」アーリは俯きがちに頷いた。


 二人はそういうと、静かに別れた。

 一人は北の地で危険と立ち向かうために、そしてもう一人は己の技術を磨く為に。

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