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怪物少女と狩人  作者: 遠藤 ボレロ
——北を目指して—— 第1章
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第六話 疑惑

 次の日、アーリとミリナは、朝から兵団の訓練に参加していた。訓練は通常通り行われたが、兵団長のジェネスではなく、兵士長による指導の元であった。


「どりゃああ!」兵士が少女に向けて木の剣を振り下ろす。

「ブラック・ガントレット」少女はそれを石のように硬化させた右腕で、その一撃を軽々と受け止めた。「やぁああ!」アーリは華麗な回し蹴りで、剣を持つ相手の手をなぎ払った。

 木製の剣が宙を舞ったかと思うと、よそ見をしながら話に興じていた、兵士の頭にまるで戒めのようにコツンとぶつかった。

「そこまで」兵士長が声を張り上げた。「各自一時間半の休憩を取るように」

「ハッ!」武器を下ろし、兵達が声を張り上げた。彼らは片付けをすると、そそくさと訓練所から出ていった。


 戦いに集中していたアーリも、ふっと息をついた。それから目隠しを外して、目を鳴らすと、兵士達の波に紛れて訓練所を出ていく。

「アーリちゃん、おつかれー」横から合流したミリナが、アーリに声をかけた。「今日はジェネスさん、いなかったね」

「たぶん、今日は代表を集めての会議かな?」アーリは額に滲む汗を拭いながら言った。「バレントも朝、行くって言ってたし」

「そっかー、偉い人も大変だねー」ミリナはどこか上の空だった。「昨日の晩御飯、美味しかったね」

「うん、だね」アーリは俯きがちに言った。


 会話はそこで途切れてしまった。二人とも何か別の事を考えていたのかもしれない。少なくともアーリはそうであった。今日の会議の結果がどうであれ、アーリはこの街を去る事を決めていたのだ。

 今日までの訓練で、彼女は明確な手応えを感じていた。外の世界がどうなっていても、どんなに厳しくても生きていけるという、無謀にも似た自信を得ていた。

 もしかしたら、ここに戻ってくるか分からないが、大切な人には最低でも何かを伝えて起きたいとは思っていた。

 少女が横を見ると、いつもは笑顔を浮かべているはずのミリナも、思いつめたような表情を浮かべている。アーリの考えを察したのか、どこか寂しさともどかしさが混じった色が見えた。

 ふと顔を見上げると、訓練所の出口から見える北の空を、黒い雲が覆い隠していた。その下に広がる薄暗い空間が、まるで巨大な怪物のように見えた。灰色の怪物は山を下り、森を覆い尽くし、彼女達の暮らす街へとその体を音もなく這いずらせている。街を食らい尽くそうとする怪物。誰かの大切な物を破壊する怪物。


 訓練所を出ていく兵士達が、割れた海を思い起こさせるように、不自然に左右へと分かれていく。出口からすぐの場所に、腕を組んで立っているジェネスがいたのだ。怒りの感情を浮かべた彼の風態を見てか、兵士達は彼の横を申し訳なさそうに抜けていく。誰もが彼の怒りの落雷に巻き込まれたくはないのだ。

 彼女達を見つけるなり、ジェネスは小さく首をくいと傾けた。

「……会議の結論を伝える」ジェネスの口調は、淡々とした物であった。「付いて来い」

 彼の表情には精神的、そして肉体的な疲労の色が見えた。目の下に隈ができており、昨夜はよく眠れなかったのが容易に見て取れる。表情から察するに、天井裏で鼠が会合を開いていて眠れなかった訳でない事は分かった。

 昨日はなかった目元の皺は、きっと会議で怖い顔をし続けていた為にできたものだ、とアーリは思った。調査隊の報告とそれに対するアーリの見解を聞いたバレントが、黙っているはずもないからだ。

「行かなきゃだめみたいだね」ミリナは少し残念そうであった。「カルネのお昼ご飯、食べたかったんだけど」

「……途中で会ったら、謝っておかなきゃね」アーリは半ば呟くように言った。

 噴水広場を通ると、そこには案の定カルネがいつも通り待っていたのだが、彼女達がジェネスに呼び出されているのを見て、何か察したような、少し悲しげな表情に変わった。

 ミリナは通りざまに、ごめんねと口の動きだけで伝えた。


「んでだ、結局どうするんだ?」続いたのはドレッドヘアーで浅黒い肌の大男、一番街の代表クルスであった。「俺はまだアーリちゃんを行かせる時じゃねぇって思うぜ。まだ十五の女の子の背負わせる責任の重さじゃねぇだろ?」

「その意見は分かりますが……」続いたのは三番街の代表だ。「じゃあ、また兵士を送るって事ですか?」

「負けを取り返す為に、その倍をベットするのはいい考えだ」ヒルトが話に乗ってきた。「三十死んだんなら倍の六十、それでダメなら百二十、あるだけ掛け続けてやればいい」

「……兵士の命は掛けの対象じゃねぇんだ」怒鳴りつけるように言ったのは、しかめっ面を浮かべていた二番街代表のロッドだ。「もし攻め入られた時の防御が薄くなるんだ」

「んじゃあ、どうするっつーんだよ?」六番街のヒルトが食ってかかる。「敵が攻めてくるのを股開いて待ってればいいってのか?」彼女はロッドをぐっと睨みつけた。「あぁ? なんとか言えや、お前が作った機械人形がポンコツで街を守れねーんだろ?」

「と、とりあえず、落ち着いてください」八番街の代表が今にも飛び掛かりそうなヒルトをなだめた。「ジェネスさんの意見を聞きましょうよ」彼は如何にも弱々しくも、紳士的な口調であった。

「どうやら、丁度ぉ、来たらしいわよぉ」ねっとりとした口調で言ったのは、五番街の名デザイナー、リリアンナだ。彼、もとい彼女はベリーショートの金髪に派手な羽の装飾の付いた服を来ている。


 彼女達はジェネスに付いていくと、昨日と同じ中央街(セントラル)主要集会所(メイン・ホール)内の会議室に付いた。中へ入ると、焦げ臭い煙草の煙が、外へと漏れ出していた。そしてそれにきつい香水の匂いと、むさ苦しい男達の匂いが混ざり合っていた。


 中では八人の男女が各々険しい表情を浮かべ、彼女達の到着を待っていた。中にはバレント、ロッド、そしてクルスとアーリ達の顔馴染みの姿もあった。

「……来たか」いの一番に呟いたのはバレントだ。彼はちらりと横目でアーリ達を一瞥すると、納得の行かないといった表情に変わり、俯いて小さく首を振る。

 街に住んでいない彼だが狩人協会の最古参であることと、類稀なる実力者として周囲からの推薦——バレント本人はどちらかと言えば押し付けだと言っている——を受けて、七番街の代表者となっていた。


「やっとお出ましかい。この部屋の重っ苦しい雰囲気で窒息して死ぬかと思ったよ」そう言ったのは、歓楽街である六番街の代表ヒルトであった。彼女はこの部屋で煙草を燻らせている。「こんなにむさ苦しい所にいるくらいなら、酔っ払いのゲロを浴びたほうが百倍増しさ、早く決断しようじゃないか」

 彼女は艶やかにうねる黒髪が印象的な女性で、喋らなければ美しいのだが、今喋った通り口が悪い。露出の多い黒のレザー服から覗く彼女の肌は、白く艶めく真珠のように綺麗であった。彼女がこの会議に参加する事は全くと言っていいほど無い事なのだが、今日参加しているのは彼女の気まぐれか、それとも事態の重大さを物語っているのかのどちらかであろう。


 全員の視線が部屋の入り口に立っているジェネス、そしてその後ろに付くアーリとミリナに向けられる。

 重苦しく張り詰めた沈黙が流れる。鍾乳洞にいるのかと錯覚するほどに、じっとりとした空間であった。

 そして数秒の静寂を破り捨てるように、少女が声を張り上げる。

「私が行きます」アーリが彼女の心の内を吐露し始めた。「私が北に行って、怪物達を倒してきます。兵士の人達をこれ以上失いたくありませんし、これ以上街に危険が迫るのを待っているのも嫌なんです。だから私が行って、北にある敵の街を探して、敵を倒します」少女は真面目な表情であった。「私一人なら兵士十人分の力があります、それも目隠しで。私一人の命で、街が安全になります」


 先ほどまで議論を繰り広げていたその場の全員が、彼女の放った熱意に気圧されたようだ。


「私は彼女を北方に送り込む事に賛成です。むしろ彼女以上の適任は、いないとまで思っています」ジェネスが全員に向けて言う。「この少女は類稀なる力を持つ人智を超えた存在。怪物の力を操ることができるのは、皆さんもご存知でしょう」彼が一晩悩んで出した決断は、賛成の二文字であった。「そして敵も、こちら側が彼女を送り込むとは予測していないでしょう」

「いい案じゃなぁい」リリアンナが両手を叩きながら言った。「この子、強いんでしょ? 見た事あるわよぉ、怪物相手に一人で勝っちゃうんでしょ?」

「兵士百人分ねぇ……」ヒルトは市場で野菜を選ぶ時のような、若干の訝しみと品定(ひょうてい)を含んだ眼差しをアーリに向けていた。「なんだか知らんが、そのガキが行くってんならいいんじゃないのかい?」ヒルトは煙草を皿に押し付けると、すこし投げやりにそう言った。

「勇敢な少女じゃのう」と四番街で本屋を営む老人が、しわがれた声で漏らした。

「一人の犠牲で街が助かるってんなら、街の防衛にも人は避けるってか……」クルスは観念し、諦めたように呟いた。「悪い案じゃねぇがよ、一人の子に頼りきりなんてなぁ……」


「だめだ」バレントは断固として言い切った。「アーリを危険に晒す事はできない。俺は反対だ」彼は腕を組んで、しかめっ面を浮かべているだけだ。

「お前がアーリちゃんを心配しているのはわかるが、これ以上の適任はいないんだ」バレントの横に座っていたロッドが言った。「アーリちゃんなら、兵士百人分以上の動きができる。お前が一番知ってるんじゃないのか? お前が信じてやらねぇで、誰が信じてやるんだ」

 ロッドがかけた優しくも厳しい事実を含んだ言葉に、バレントは小さく首を振るばかりであった。きっと彼も心の中では、何が一番大事か理解しているのだろう。だが、家族を危険に晒すという行動を、父親としての人格が許せなかったのだろう。


「俺だってアーリちゃんの事が心配だ。だがな、本人がこう言っているんだぞ」ロッドが追い打ちをかける。「でも、お前も分かってんだろ、アーリちゃんじゃなきゃ、あいつらとはまともに渡り合えない。いくらお前でも無理だ、それ位あいつらとやり合ったお前なら分かるはずだろ」


「そうですよ、バレントさん!」アーリの後ろでミリナが続けた。「もし心配なら私も行きますから。私が絶対に連れて帰りますから」

 彼女は両手で握りこぶしを作っていた。彼女の表情からは、その言葉が本心から口を突いて出たことが分かった。彼女も昨日から、アーリと同じくらい悩んでいたのだろう。語気は彼女のいつものほんわかとした口調からは考えられないほどで、数倍は力強かった。


「バレントがなんと言おうとも、他の皆さんが許可していただければ、私は行きます」アーリがきっぱりと言い放った。

 名前を出されたバレント本人は驚いていた。幼い頃から育ててきた少女が心の内側で育んできた確固たる意志と決意、責任の大きさを理解していたという事実にであった。

 少女はこれを言った事に、一切の躊躇や後悔はなかった。


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