第三話 新たな異変
食事を取り終えるとアーリとミリナは、午後の訓練開始まで、ベンチに寝転がって体を休めた。空腹が満たされた満足感と暖かい日差しが、心地よい微睡みを与えてくれる。全回復とまではいかないが、少しは体力を回復できた。
彼女達は休憩を終えると、訓練場に戻り、午後の射撃訓練の準備をし始めた。銃の手入れに弾丸の確認と補充といった具合だ。
内容は訓練場の奥に的を並べ、端から端に向けて銃を撃つという訓練だった。実戦で手間取らないように、銃の扱いになれるだけの基本的な訓練であった。的は人間大の大きさで、百メートルほど離れた位置からの射撃が可能だ。
狩人であるアーリとミリナにとっても、様々な銃器を使えるようにするために、大事な訓練だ。
「射撃の訓練を開始する」ジェネスが手を振り上げると、一列に並んだ兵士達が一斉に銃を構えた。「撃て!」
号令に合わせ、兵士達が一斉にライフルの引き金を引く。火薬の炸裂音と共に、硝煙が一斉に立ち上る。彼らは銃口を上げ、ほぼ同じような動作でリロードすると、また構えて撃ち始めた。
アーリ達もその兵士集団に紛れ、射撃の練習をしていた。アーリは弾倉式のライフルを、そしてミリナは銀色に輝く二丁の拳銃を的に向けて撃つ。
彼女達が扱う銃は、自称天才武器職人ロッドが作った最新型のもので、連続で撃つ事が可能であった。訓練に通い始めて顔馴染みになった兵士達も、これには少し興味があるようで、時折見せてくれ使わせてくれとせがまれるほどだ。
入り口から一人の兵士が入って来て、慌てたようにジェネスの元へ駆け寄った。青ざめた顔色から察するに、いい報告を持って来た訳ではないようだ。
ジェネスは駆け込んできた兵の報告を、腕を組みながら訝しげな表情を浮かべて聞いていた。だが、すぐに声を張り上げる。
「射撃やめ!」ジェネスはその兵に気付くと、射撃を止めさせた。「本日の訓練は終了する。片付けを終えた後、各自休息を取るように」
アーリはふぅと肩を撫で下ろし、ライフルの安全装置を掛けた。ちらりと横目でジェネスが報告を受けている様子を見た。兵士は少し怯えた様子で、何かを小声で話しているが、口の動きから察するにかなり事細かく、なにかについての詳細を話しているようだ。
「どうしたんだろー?」ミリナは拳銃を腰のホルダーに差す。「なんか慌ててるみたいだね」
彼女達のすぐ近くにいた兵士が、それを聞きつけて喋り出す。
「あの人は、北方調査隊の一人だぜ。なんでも今度は北の方角を調査して、資源やら居住地を確保する計画らしいぜ」彼は饒舌に喋っていたが、そこで止まって考えた。「しっかし、調査から戻って来たんだろうが……かなり早い帰還だ」
「へー、北方調査隊かー」ミリナはのんきに言った。
「かなり早いって」アーリはすこし首を傾げて聞いた。「その調査隊がいつ戻ってくるか知ってる?」
「あー、どうだったかなぁ……」兵士は顎に手を当てて考え込んだ。「たしか、あと二週間は先だったはずだが、詳しい日付は覚えてねぇな」
「二週間も早く戻って来たってことかー。食料食べ過ぎて、お腹すいちゃったのかな?」ミリナは調子を崩さない。
「それにしては、あんなに慌ててるのは少し変じゃないかな」アーリの表情は少し強張っている。「何か予定外の事があったんじゃ……」
アーリの目線の先にいたジェネスが、ちらりと彼女の方を見たかと思うと、声を張り上げた。
「レンクラー、ミリナ! 付いて来い」彼は冷淡な眼差しを向けていた。
彼の表情から察するに、決して良い報告でなかった事が分かった。さらに自分達が呼び出され、北方に関する調査結果を聞かされるのであれば、クイーンズ・ナインズとメトラ・シティに関連する情報なのであろうと、アーリは理解した。
「行こ、アーリちゃん」ミリナはゆっくりと歩き出す。
「う、うん……」不安げな顔を浮かべたアーリであった。
無言ながら、苛立ちのオーラを放つジェネスの背中に付いて行き、彼女達は中央街の中で、一際大きな煉瓦造りの建物へとたどり着く。
かなりの敷地面積を有するこの場所は、元々この街を統治していたルークズ・オーソリティーのために建てられた、豪華絢爛な邸館と集会所を兼ねる建物であった。その組織がバレント・レンクラーによって解体された後は、九つに別れる街それぞれのリーダー達が集まって会議をする場や、市民達が集まって団欒できる場所、家を失った者達の一時的な住居、そして事務手続きを行う役場的な役割にも利用されている。
ジェネスが案内するままに、たどり着いたのは住人会議の行われる会議室であった。彼はどさりと一番奥の席に座ると、首だけでアーリとミリナに入れと合図する。
「好きな所に」ジェネスは苛立ちを覚えているのか、短く不機嫌そうに低い声で言った。
どこでもいいから座れという意味だろう。
「はい」アーリは静かにそう言うと、部屋に入ってすぐの席に座った。
ミリナもこの時ばかりは、アーリのすぐ隣の椅子に腰掛けた。
ジェネスが放つ威圧感に気圧され、アーリから話を切り出すのは憚られた。普段は陽気でおしゃべりなミリナですらも、この時ばかりは静かにしていたのだから、この空気の中でアーリになにかを喋り出す事は不可能であった。
沈黙は一分ほど続いた。だが、俯いていたジェネスが顔を上げて、話を切り出してくれた。
「お前らも見ただろう、先ほど慌てて入って来た兵士は、北方調査隊の一人だ。メルラ・レンクラーの話に出てきたメトラ・シティという北の地の存在を確かめるために、派遣した三十人からなる部隊。勿論、本当の目的は隠して、北に生活圏を伸ばすための調査だと伝えてあった」ジェネスは淡々と続けた。「そして、戻って来たのは、あの兵士一名のみ。見た事もない怪物の大軍に襲われ、奴以外の隊は全滅したそうだ」
「全滅って……」アーリはそこで少し黙ってしまった。
「ああ、兵団の中でも選りすぐりの三十名」ジェネスは続けた。「最新型の弾倉式ライフルと、炎熱式近距離武器を装備していた。これがどう言う事か分かるか?」
普通の怪物ならば——例え三メートルを越す大型のエイプロスであっても——熟練のハンターが二人いれば倒せてしまう。訓練され、統率の取れた兵士達三十人もいれば、エイプロス十頭が一斉にかかって来ても余裕を持って対処できるはずだ。
「北に行くのはかなり危険、ってことですねー」ミリナはあっけらかんと言った。
「……まぁ、簡単に言えばそうだろうな」ジェネスは若干呆れたように、ため息を付いた。「報告によれば、全滅したのは街を出て五日目。地面が水に覆われた森の中で、蛇のような体を持つ巨大な怪物数十体と接敵したらしい」
「蛇のようなって……」アーリが聞いた。「蛇じゃないけど長い体の怪物って事ですか。一体どんな怪物が」
ジェネスは、調査員が書いたであろう、ぐしゃぐしゃになったメモを取り出して読み上げた。
「体を畝らせ移動するが、胴体の両側から無数の脚が生えていたらしい。脚を動かし、地面を這うように移動する全長三メートルほどの怪物。黒い塊が連なったような体を持ち、目は衰えているのか、確認できなかった。さらに怪物の共通点である、頭部から生え出す水晶が見当たらなかったそうだ」ジェネスは大きくため息を付いた。「なにより通常の弾丸、及び雷電弾、火炎弾の効果はなく、氷結弾は足止め程度にしかならなかった。彼らは炎熱式での対抗を試みるも、鋼鉄のような肌を持っていて数体を退ける事で、どうにか数名の脱出経路を確保しようとした。結果、一名のみが怪物の包囲網から脱出の後に帰還、だそうだ」
「銃弾が効かない怪物ほど硬く、脚がいっぱいあって、体が連なっている……」アーリはそこでうーんと悩み始めた。
アーリは狩人としての知識と、怪物の生みの親である父親が書き残した本の内容を思い返す。だが、その知識の中にそのような特徴を持つ怪物は、思い当たらなかった。それでいて巨大だと言われても、何も思い当たる節はない。
「鋼鉄のような肌って……」ミリナは少し悩んでから続けた。「もしかして例の機械怪物ですかねー? 銃弾も通さないし、水晶が見えなかったって、それっぽいですよね」
「確かにその可能性はある。それは同時にクイーンズ・ナインズが怪物を生み出している可能性を示唆している」ジェネスは静かに言った。「俺の考えすぎだといいのだが……最悪の事態は想定しておきたい。そのために君達を呼んで意見を聞きたかったんだ」そう言うとジェネスは立ち上がった。「この話は、バレントや街の代表者達を交えて、対策会議を開く事にする」
未知の怪物との遭遇、そしてそれを作り出しているかも知れないクイーンズ・ナインズという組織。彼女達とその友達や仲間が暮らすこの街に、また暗雲が立ち込めようとしているのかもしれない。
その話を聞いたアーリは、北の方角から漂ってくる、悪意にも似た感覚を覚えた。ナイフを喉元に突き立てられているような、それでいて水の中で溺れていくような不吉な息苦しさであった。
また大勢の人が死んでしまう。その言葉が脳裏に浮かび上がった時、アーリは膝の上で拳をグッと握りしめていた。
「あ、あの」アーリは部屋を出て行こうとするジェネスを呼び止めた。「私、北に行きます。訓練に参加してたのは、街を守る為、そしてお母さんを殺したクイーンズ・ナインズを倒す為です」
突然の事に、驚いたミリナは、目を丸くしてアーリの顔を見た。「あ、アーリちゃんそれは——」
「その申し出は……検討させてくれ」ジェネスはミリナの言葉を遮った。「アーリ・レンクラー、お前の怪物の力は強大だ。誇張ではなく、我々がクイーンズ・ナインズに対して抵抗しうる切り札、この街の希望の光だ」
「それなら今夜にでも出発させてください」アーリは言い返す。「今夜にでも!」
「今は許可できん」ジェネスは首を縦には降らなかった。「最大の切り札を失っては、我々はただ絶望に打ち拉がれる事しかできない。だからこそ、お前やミリナ、バレントやループではなく、三十名の調査隊を派遣した」ジェネスは後ろを向いたまま、ふうと息を吐き出した。「そして愛する者を失ったお前の悲しみも、十分に理解できる。だが、お前以外にも、多くの者があいつらの侵攻によって家族や友人を失ったのだ。これ以上、間違った手を撃つ事ができない」
「だったら、北方へ行くのを許可してください!」アーリは立ち上がり、ジェネスの背中に思いの丈を叫びつけた。「私が行ってクイーンズ・ナインズを倒せば、この街に危険が及ぶ事はなくなります。私が行かなきゃ、もっと多くの人が死んでしまうかもしれない。もしかしたら、今日の夜にも怪物達と奴らが攻め入ってくるかもしれない。もう待っているだけは嫌なんです!」
「アーリちゃん、ちょっと落ち着いて」ミリナはアーリのブラウスの裾を掴み、座らせようとする。「アーリちゃんの言い分も分かるけどさ……ジェネスさんは検討させてって言ったんだよ。もう少し、待ってあげよう? ね?」
「で、でも……」
「……一晩、時間をくれ。作戦を練ろう」ジェネスはちらりとアーリの方を見てそう言うと、会議室から出て行ってしまった。




